7回表 先駆ける者
Top of 7th inning ―先駆ける者―
季節は進み、9月。
暦の上では秋へと移り変わったものの夏の暑さは依然として停滞し、登校してくる学生たちの額からは汗が噴き出している。
「水仙はほったらかしにしても咲くから、暑い時期だけ土の温度を上げないようにこの藁葺を敷いておいてね」
「分かった、ありがとう」
2学期の開始直後、珠音はクラスメイトの園芸部に声をかけ、グラウンドの入り口付近の花壇を整備していた。
茉穂から贈られた水仙の球根を、友好の証として植えようとの考えである。
「それにしても、まさか珠音から園芸について教えて欲しいって言われるだなって、ホント驚いたよ」
クラスメイトに対して分け隔てなく接する珠音だが、それでもマイナー部活に所属する生徒にとっては近寄り難い存在なのかもしれない。
「分からないのなら詳しい人に聞くのが一番だからね」
拳に満たない程度の穴を開け、球根を教えられた通り底に置くと、上から土と藁葺を被せる。
「水仙って、いつ頃咲くの?」
「種類や気候にもよるけど、基本的には冬から初春の時期かな」
「お、それじゃあセンバツの時期じゃん」
珠音が機嫌良く作業を終えた頃、グラウンドにはユニフォーム姿の部員たちが集まりつつあった。
この日は学内報に掲載する写真撮影を行う予定で、部員たちは試合用のユニフォームに身を包んでいる。
1ヶ月前には3年生が抜けてやや物寂しさを漂わせていたが、夏を越えて新チームの主軸たる2年生は精悍な顔つきを見せるようになり、今ではそんな雰囲気をすっかり感じさせない活気を見せている。
「それじゃ、ありがとね!」
「うん。珠音もガンバ!」
同級生に見送られ、野球部の中心人物たる珠音もグラウンドへ駆けて行く。
大会のベンチ入りメンバー、即ち出場可能を示す背番号は、珠音の小さな背中にはまだ縫い付けられていなかった。
食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋......。
年の瀬へ進む暦の中で、”秋”はジャンルに毎に様々な表情を見せる。
野球好き、プロ野球ファンにとっての秋はどうだろうか。
「サンオーシャンズ、このまま初優勝行くべ。こりゃあ、大番狂わせだな」
「マリナーズは来年だから。今年は育成の年だからな!」
ある者は贔屓のチームがペナントレースの優勝争いをリードする戦況に一喜一憂し、ある者は早々に優勝戦線から離脱したチームに現れた期待の新星に翌シーズンの更なる飛躍を期待する。
「茉穂さん、入団テストに向けた追い込み、頑張っているみたいだよ」
「茉穂さんなら大丈夫でしょ。私たちも負けていられないね」
「凄い、湘南義塾の増渕は4球団競合予想だって」
「え、ポートスターズの山城、引退するの!?」
ある者は未来への挑戦の時を迎え、またある者は舞台を降りるための決心を告げる。
野球界にとっての秋は、勝負と決着、挑戦と終演、出会いと別れの季節と言った所か。
「今年も秋の大会の後に湘南杯があるからな。”今度は”誰にも口出しされないよう大会運営側も細心の注意を払っているそうだから心配しないでくれ」
鬼頭の言葉に当事者とは言えない1年生は薄い反応を示し、2年生は苦笑する。
「まだ1年経っていないんだな」
思えば、鎌倉大学附属硬式野球部が無謀とも言える挑戦を始めたのは前年の11月。
硬式野球部女子班の設立からはまだ1年にも満たないが、選手たちはあの日以来、目の色を変えて練習に取り組み、着実に力を伸ばしている。
「女子班も来月頭に東日本大会があるから、気を引き締めておけよ!」
珠音の存在が報道されて以降、高校女子硬式野球部の認知度は着実に向上しており、今秋から全国を東と西に分けた大会の実施も予定されている。
移動コストや部員不足から女子硬式野球部を持つ全校が参加できる訳ではないが、それでも東日本大会には18校が参加を予定するなど、情勢は着実な前進を見せている。
「目標を掴むためだ。全て勝つぞ」
鬼頭の言葉に、部員たちは力強く応える。
目標達成に向けた前進は、自身の成長と戦績として部員たちも実感できている。
それでも、女子部員の大会参加は依然として認められていない。
各々がその成果に手応えをまるで感じられないまま、時計はその針を悠然と進め続けていた。
事態は突然動くものである。
残暑も和らぎ、翌日に”秋分の日”を迎えようとしていた水曜日、昼休みにスマートフォンに届いたメッセージを確認した珠音は鬼頭に許可を取って部活を欠席し、学校まで迎えに来た両親の運転する車に乗り込むと、一路静岡県の草薙球場へと向かっていた。
「まさか、この大事な一戦で将晴がスタメンを任されるだなんてね」
助手席に座る母親が、上機嫌でネットニュースを確認している。
珠音の兄―将晴―が所属する静岡サンオーシャンズはリーグ拡張の折りに加入した創設12年目のチームで、これまでにAクラス入りは1度。もちろん優勝経験は無い。
選手層の薄さが課題とされ毎年の下馬評も芳しいものではなく、今年は更に主力の故障でシーズン序盤から苦しい戦いを強いられていた。
それでも、メディアに”おっさんズナイン””おっさん旋風”と呼称されるように、シーズン終了後には引退や戦力外が確実視されていたような中堅からベテラン選手たちの奮起によって難局を乗り越え、この日の試合を優勝へのマジックナンバー1で迎えたのである。
「珠音も大事な時期だろうが、せっかく当日券を確保してくれたんだ。ずっと頑張ってきているんだし、少しくらいは羽根を伸ばすのも大切だぞ」
ハンドルを握る父も上機嫌な様子を見せている。
「そうだね、最近は練習ばかりだったし。皆には悪いけど、私もプロ野球の試合を見に行くのは久し振りだから、楽しみだな」
思い返せば、最後にプロ野球観戦に行ったのはいつだろうか。
中学入学以来、野球漬けの日々を送っており、遡れば浩平と一緒に兄に連れられた小学6年生の時が最後かもしれない。
「今日、勝てるといいな」
ニュースで”奇跡”とも称される程の快進撃に、少しでもあやかりたい。
手応えに駆ける日々を送る“奇跡”を目指す珠音の胸の内は、そんな想いで一杯だった。
球場に到着し、スタンドに足を踏み入れたのは17時半頃。
グラウンドではホームチーム、即ち静岡サンオーシャンズの選手がグラウンドに散らばり、試合前のシートノックを行っていた。
「座席はどこだろうか......」
父親がチケットの座席番号を確認しながら前を行く。
「この空気感、やっぱりいいなぁ」
整備された球場で試合や練習することも多いが、あくまで一人のファンとして訪れる球場は格別だ。
12年目にして初の優勝を掛けた一戦を前に、グラウンド上の選手はおろかスタンドを埋め尽くした観客まで何やら浮足立っている。
胸の高鳴りから自身の興奮を感じ取り、時計を確認しながらプレイボールの時を今か今かと待ちわびる。
「あら、結構いい場所じゃない」
「......この場所、もしかすると少し前から用意していたのかな」
兄の用意した座席は、一塁側ベンチの程近く。
選手一人一人の顔をハッキリと確認できる程の場所に陣取ると、両親は早速屋台で夕食を購入し、売り子さんからビールを購入した。
「え、お父さん!?」
景気付けにビールを嗜む父に、珠音は驚愕の表情を向ける。
「ちょ、誰が帰りの車を運転するの!?私は明日も練習だよ!」
翌日の木曜日は秋分の日で祝日。授業は無いが、練習が午後から予定されている。
「大丈夫、もう近くのホテルを予約してあるから!」
「そこまで、私が運転していくわ。それに、ちゃんと替えも持って来てあげたでしょ」
「ちゃんと練習には間に合わせるから、今日は楽しめ!」
“わはは”と笑う両親に珠音も思わず苦笑するが、翌日のことを考えても仕方がない。今日はその言葉に甘えて存分に楽しもう。
珠音はグローブを確認して足元の鞄に一度しまうと、まずは空腹を満たすべく父から手渡された静岡おでんに舌鼓を打つ。
「何、この黒いの」
「あぁ、それか。焼津名産の黒はんぺんだ」
シートノックが終了し、グラウンド上から選手の姿が消え、グラウンドキーパーが土の内野を整備する。間も無く試合開始。
「......ん?」
珠音のスマートフォンが軽快な音で、メッセージの着信を告げる。
「あ、兄ちゃんだ」
「何だって?」
「”着いたか?”だって」
珠音は端的な表現で”着いたよ”とすぐに打ち込み、加えて”頑張れ!”とメッセージを送る。
「......またきた」
「お、何だって?」
両親が珠音のスマートフォンを覗き込む。
「”絶対に勝つ”だって」
頼もしい言葉の直後、賑やかな音楽が鳴り響き、球場のボルテージを上げていく。
「本日のスターティングメンバーを発表します」
ウグイス嬢のアナウンスで、まずはビジターチーム―横浜ポートスターズ―のスターティングラインナップが紹介されると、レフトスタンドに陣取った応援団が肩身狭そうに声援を送る。
「続いて、静岡サンオーシャンズのスターティングメンバーを発表いたします」
ビジターチームとは打って変わった賑やかなアナウンスの紹介に合わせ、球場中から割れんばかりの歓声が沸き立つ。
「8番キャッチャー、楓山。背番号52」
スタンドの沸き立つ様子が、今シーズンの兄―将晴―の活躍を称えるものだとすぐに分かる。
この日は一塁手としてスタメン出場しているベテランの浜田捕手がケガで戦列から離脱した時期に高卒入団の梶捕手、同期入団の水落捕手の同い年トリオで切磋琢磨し、その穴を埋めて戦力ダウンを感じさせない活躍を見せたことは、ファンの記憶に当然のように留まっている。
その中でも、将晴の存在なくしてこの試合を迎えられなかったことは、ファンの共通認識となっていた。
試合開始直前、軽快な音楽とアナウンスに背中を押されて、後攻のサンオーシャンズの”おっさんズナイン”がグラウンドに姿を現していく。
「......平均年齢31歳。兄ちゃんがスタメンに入ったから下がったけど、スタメンに36歳の選手が3人もいる。確かに”おっさん”だね」
珠音が選手名鑑を片手にスターティングメンバーを確認する。
スタメンが20代の若手から中堅選手で占める先攻ポートスターズに対し、サンオーシャンズは中堅からベテランを中心としている。
特筆すべき点は、その各々が実績に乏しいか、引退を間近に控えた選手だったことだろうか。
シーズンを任されるはずだった主力選手が早々に離脱した苦しい台所事情の中、実質的にその場凌ぎとして起用されたベテラン勢が奮起し快進撃を見せる姿にメディアが着目し、世間の注目を集めるに至っていた。
「”おっさん”って言うけどな、36歳なんて世の中じゃ働き盛りなんだからな」
父親の言う通り、プロスポーツの世界と一般社会では認識が大きくかけ離れている。
厳しい世界に身を投じ、グラウンドに散らばった選手の中で一際若く見える選手が、大歓声に迎え入れられる。
サインボールをスタンドに投げ入れ始め、いよいよ最後の一球。
一瞬目が合ったかと思うと、最後に将晴が投じられたボールは大きく弧を描き、珠音の伸ばしたグラブにすっぽりと収まる。
「兄ちゃん、ガンバ!」
周囲の若干驚いたような視線を送るのは、選手の家族がすぐ傍にいたからか、将又見慣れない制服姿の女子高生が突然大声を発したからかは分からない。
家族からの声援が届いたからか、ただ偶然スタンドから送られた声援に応えただけなのかは分からない。
将晴は一度力強く右手の拳を突き上げると、キャッチャーボックスに腰を下ろし、先発を任された城所投手の投球練習を受け始める。
ライトスタンドからは今日の勝利と優勝を勝ち取る願いを込め、応援団が応援歌を熱唱し、球場のボルテージは試合前にも関わらず早くも最高潮に達しようとしていた。
時計は間も無く、プレイボールの18時を指し示そうとしている。
大観衆の中で大事な一戦に挑む兄の姿を、珠音は心から誇らしく感じた。
熱気に包まれた草薙球場での一戦は両チームの先発が好投を見せ、手に汗握る投手戦の様相を呈していた。
球団拡張の折りにポストシーズンの仕組みが変更され、両リーグの頂点を決める戦いは首位チームによるものから、両リーグの上位3チームのトーナメント戦の勝者による形式に変更されている。
横浜ポートスターズは現在3位で、4位の瀬戸内レッドウェーブとはポストシーズンへの激しい進出争いを展開している。
負けられない一戦に、両チームともマウンドにはチームの勝ち頭を送り出している。
「締まったいい試合だねぇ」
球場の熱気に当てられることなく、サンオーシャンズ先発の城所とポートスターズ先発の河村の好投に、両チームの打線は沈黙する。
ホームランは野球の華とも言うが、1点を争うロースコアの戦いの下で選手たちが見せる妙技も、野球の醍醐味と言えよう。
「あぁ!」
速いテンポで進む試合を動かしたのは、ポートスターズの誇る”安打製造機”こと加藤が放った左中間への本塁打だった。
マウンド上では被弾した城所がガックリと肩を落としている。
球場は大きな溜め息に包まれる一方、レフトスタンドに陣取るビジター応援団はこの機とばかり大いに盛り上がる。
「まだまだこれから!」
応援団が選手たちを鼓舞して後続を抑えるも、サンオーシャンズ打線は相手投手陣の前に沈黙し、そのまま1点ビハインドで迎えた9回裏。
この回先頭打者の4番十川が、ポートスターズの”守護神”から熱烈なファンの待つライトスタンドへ同点のアーチを掛ける。
36歳にして初めてレギュラーに定着して規定打席に到達し、ホームラン王争いにも加わっている正しく”おっさんズナイン”の象徴的存在とも言える4番が放った土壇場の一撃に、地鳴りのような歓声が球場に木霊し、収まる気配はない。
球場の雰囲気に呑まれたか、ポートスターズの”守護神”が制球を乱し、走者を2人出して何とかアウトカウントを1つ稼いだ所で、8番打者の将晴を迎える。
「まぁ、代打だよねぇ...」
「仕方ないよな」
珠音と父が、ベンチ前で素振りする兄を見て苦笑する。
絶好の場面に向かおうとする兄は監督の葛城から呼び止められ、ベンチから所謂”代打の切り札”が姿を見せる。
シーズンで活躍を見せたとはいえ、兄の打率は2割台前半。
身内を贔屓目で見たい所だが、自分が監督でも兄は容赦なく交代させるだろう。
「......あれ、交代じゃない?」
しかし、兄は監督と二言三言交わすと、監督から背中を軽く叩かれ打席へ送り出される。
どうやら、ベンチから出てきた選手は9番打者への代打のようだ。
「すごい声援だね」
ランナーは2、3塁だが、状況から見て敬遠はない。
打球が内野手の間を抜けるか、外野へある程度の飛距離のフライを放てば、その瞬間に試合が決着する。
息を呑む展開に、ある者は大声で声援を送り、ある者は手を握り祈るように視線を送る。
「ファール!」
マウンド上の投手も、易々と点を取られる訳にはいかない。
渾身の投球に将晴は何とか食らいつき、その打球の行き先に球場中がざわめきを伴って注目する。
迎えた8球目。
『......!』
打球音がグラウンドに響いた直後、一瞬歓声が止み、観客たちが席を立って前のめりになる。
「いけーっ!」
「届け!」
「切れるな!」
直後、レフトポール際へ飛んでいく大飛球を、観客の暴風の如き大歓声が後押しする。
珠音も当然、例外ではない。
「入れ!」
フェンスオーバーするかしないかといった飛距離の打球を、左翼手が懸命に追う。
たとえ捕球したとしても、3塁走者はタッチアップして本塁へ突入するだろうが、ファールグラウンド上なら”わざと”捕球しない選択をするだろう。将晴の打撃成績は決して良いとはいえず、再び打席で勝負した方が得点を奪われる可能性も少ない。
フェアグラウンドだったとしても、最後の瞬間まで何が起こるか分からない。
左翼手はフェンス際で懸命に左腕を伸ばすが、懸命のプレーも虚しく打球はその上を越えていく。
レフトスタンドに打球が落着したのを認めると、球場は自分の声も分からない程の歓声に包まれる。
恐らく、中継では実況の声もかき消されている程だろう。
「うわぁ、ごめん!」
ファンは互いに抱き合い手を叩き、ダイヤモンドをゆっくりと回る将晴の殊勲打とチームの優勝を称える。
珠音もその例に漏れず、気付けば横にいた母と抱き合い飛び跳ねていた。
「踏み忘れるなよ!」
「ちゃんと踏めよ!」
グラウンドではホーム周辺に人だかりでき、今日のヒーローを出迎える。
将晴は両手を上げてその輪の中心に飛び込むと、そのまま揉みくちゃにされすぐに姿が見えなくなった。
歓声が止まないまま、グラウンドでは人だかりがマウンド付近に移動し、中心に招き入れられた葛城監督の胴上げが始まる。
「凄い試合を見れたね」
「兄ちゃんに感謝だね、感謝」
球場が若干落ち着きを取り戻したところで、興奮を隠しきれない葛城監督のインタビューが開始された。
「サンオーシャンズの活躍は世間で”おっさんズナイン”や”おっさん旋風”などと呼ばれるように、中堅からベテラン選手の、失礼ながら特に輝かしい実績の無い選手たちの活躍が光ったシーズンでした」
インタビュアーの言葉は前置きがあったとはいえ、本当に失礼な質問だなと珠音には感じられた。
野球に興じる者は数多くいるが、そのままプロ野球選手になれる選手は極めて一握りの存在である。
その中でもレギュラーとして活躍できる選手は、類まれな才能とたゆまぬ努力を重ね、運にも恵まれた存在でもある。
たとえ”一発屋”と呼ばれようとも、放つ輝きが一瞬だったとしても、その場に立つことさえできない選手も多くいる事実を忘れてはならない。
「まぁ、そうですね」
葛城監督も苦笑しつつ、インタビューに答えている。
実際、一般論で言えば今シーズンのサンオーシャンズの主力として働いた選手たちはベテランながら実績に乏しいとの表現は正しい。
4番打者を務めた十川選手は入団10年目の選手だが、今シーズンの成績は全てにおいてキャリアハイを更新したどころか、過去9年の通算成績をも超えている。
この試合の先発にして勝ち頭の城所投手は各球団を転々とする所謂ジャーニーマンだが、彼も同様に自己ベストを更新し、プロ入り以来積み重ねた数を1年で優に超えている。
他にも劇的な復活劇を演じた者、誰もが驚くスタイルチェンジを果たした者など、メディアの好むドラマティックな選手が多かったのも、ここまで囃し立てられた要因だろう。
「ただ、チームがこれ程の活躍を見せたのは、選手たちの心境の変化でしょう」
これまで質問に答えるだけだった葛城が、自ら語り始める。
「シーズン早々に主力メンバーが離脱した際、チームの雰囲気はとてもじゃないが戦える状態じゃなかった。とてもシーズンを戦い抜けるとは、指揮官である私も思えない程にね。今年で契約を打ち切られると思いましたよ」
「それでも、チームは変わったんですね。何かキッカケがあったんですか?」
まるで”予定調和”のように、2人の会話が進んでいく。
「ある時にインターネットで見たニュースに心を打たれたんですよ。高校野球で公式戦に出場できない女子選手が、その権利を勝ち取るために日々努力を重ねている。それだけ野球を愛して、男子にも負けない努力をしている女子選手がいる。正直、驚きました」
どうやら、葛城は立花が書いた記事の読者らしい。
珠音がそんなことを考えていると、葛城がふと自分へ視線を向けたように感じられた。
「あなたが言うように、今シーズン活躍した選手はお世辞にも華やかな実績に溢れた選手ではなく、”ただただ”長くやってこられた選手が中心でした。当然、長く球界に居続けるというのも一つの才能であることは間違いありませんがね。でも、それだけではいけないと思っています」
葛城の眼が明らかに珠音の姿を捉え、再びインタビュアーに視線を戻る。
「私は女子選手の話をミーティングで伝え、全員に伝えました。これだけ野球を愛してくれている人がいる。夢を持っている人がいる。君たちはどうなのかと。野球を愛しているか、夢を持っているか。そして、これまでに野球を愛してもらえるよう、夢を与えられるようなことをしてこられたのかと」
葛城の言葉を、球場に集まった観客が一言一句を逃さないよう聞き入る。
「選手たちの目が変わりましたね。特に、ベテランと呼ばれる年代の選手がね。あの日がサンオーシャンズにおける今シーズンのターニングポイントになったと、自負しています」
葛城の言葉に、自然と拍手が沸き上がる。
「しかもね、その取り上げられた女子選手が、うちの選手の妹さんだって言うんだから、これは運命かと思いましたね」
「え゛っ」
思わず声が漏れ、珠音は口を両手で塞ぐ。
どうやら、自分の存在はチームに把握されているようだ。
「実を言うと、今日は無理を言ってその女子選手とご家族を招待しました。チームの雰囲気を変えるきっかけとなった彼女に、どうしてもお礼を言いたくてね。彼女の前で勝利を収め、優勝を決めることができて、本当によかったです」
歓声に応える中、今度は葛城とバッチリ視線が合う。
「こ、この席、監督さんが用意してくれたっぽいね。兄ちゃん、そんなこと言っていなかったけど」
「そうみたいだね」
公然で明かされた事実に、両親も苦笑を浮かべるしかない様子だった。
「失礼します」
不意に後ろから声を掛けられ振り返ると、早くも優勝記念Tシャツに身を包んだ球団職員が立っていた。
「楓山選手のご家族の方ですね?」
「あ、はい」
「球団より、ご家族をお連れするよう指示を受けております。恐れ入りますが、ご同行いただけますでしょうか」
「分かりました」
丁寧な対応を受け、珠音を先頭に3人は荷物をまとめると、職員の後に付いて行く。
「おぉ......関係者以外立入禁止だって」
球場のロッカールーム等は、高校野球の試合でもなかなか入れるものではない。
暫く待合室でセレモニーの様子をモニターで見ながら待機していると、暫くして扉が開き、兄の将晴が姿を現す。
「よっ!」
「お疲れ様!」
今日のヒーローと珠音は、陽気にハイタッチを交わす。
「代打出されると思ったよ。兄ちゃん、打率はそんなんだし」
「俺も、ぶっちゃけ代えられると思った。そしたら、ゴロ打たなきゃいいから思い切り振れって言われてな。まさかのプロ初ホームランになったよ」
そういえば、過去2シーズンで1軍公式戦に出場こそしているものの、本塁打は記録していない。
「今、みんなシャワー浴びているから、ちょっと待っててな」
「いや、待っていてと言われても、この後どんな予定になっているか私たち全然知らないんだけど」
キョトンとする珠音に、母が溜め息をつく。
「話を聞いていなかったの?」
「さっき、職員の方が話していたじゃなか」
両親から責めるような視線を受け、珠音はスタンドからの道のりを思い返す。
そう言えば、球場内をキョロキョロと見回して話など聞いていなかった。
「ご、ごめん」
「あはは、高校生になっても変わらないな。珠音をクラブハウスに招待することになったんだが、みんな汗臭いまま女子高生に会うのはマズいと急いでシャワーを浴びていてね。もうちょっと待っててくれ」
将晴はそう言い残すと、待合室を後にする。
「兄ちゃん、汗臭かったね」
「いの一番に来てくれたんでしょ。文句言わないの」
3人は待合室を出るまで、もうしばらく待たされることになった。
将晴に伴われてクラブハウスを訪れた珠音は、選手からの大きな拍手に迎え入れられた。
「ようこそ、珠音さん」
チームを代表して、監督の葛城が一歩前に出て握手を求めてくる。
「あ、えぇっと、ありがとうございます。いや、まずはその前に、はじめましてっ!」
差し出された手を両手で握り、珠音はややぎこちない握手を交わす。40代中盤と比較的若い監督の手は、ゴツゴツと硬く感じられた。
「はーい、そのまま目線こっちに下さーい」
聞きなれた声に思わずその方角を見ると、球団広報の他には立花の姿があった。
「立花さん......もう、驚きませんよ」
「いやいやいや、十分に驚いていたじゃん」
ケラケラと笑う立花に乗せられたのか、葛城も豪快な笑い声を上げる。
「彼女には球団を通じて連絡を入れてね。君のことを追っている記者ならば、取れ高としてこれ程美味しい写真はないだろうからね。事前に声をかけて、呼んでおいたんだ」
「ご連絡いただかなくても、私からアポイントを致しましたのに。お心遣い、心より感謝申し上げます」
立花は普段見せない恭しい態度を見せると、大学生とは思えない落ち着いた所作に、球団広報も感心したような表情を見せる。
「学校や部活で忙しい中、来てくれてありがとう。チームは秋季大会だろ?隣県とはいえ、ここまでは遠かっただろうに」
葛城が申し訳なさそうな表情を見せる。
「いえ、素晴らしい試合を見ることができて、私もとても嬉しかったです。あ、遅くなりましたが、優勝おめでとうございます」
「ありがとう。どうしても直接君に会って、感謝を伝えたいと思った次第だ。お兄さんをゲーム以外でも起用させてもらったよ。本業でもよく応えてくれたし、今シーズンのサンオーシャンズは、楓山家様様だな。
「感謝だなんて、そんな......」
珠音は照れくささと恐縮で俯く。
遥かに格上のコーチングスタッフやプロ野球選手から謝意を伝えられるなど、想像したこともない。
「インタビューでも話したんだがね、私は立花さんの記事を読んで君の事を知り、感銘を受けた。公式戦に出られる保証もないのに、将来その権利を勝ち取るべく男子と同じ厳しい練習にも耐え、限られた範囲ではあるが実績も残している。それ程までに野球を愛し、夢と強い意志を持って取り組む姿に、私は心を打たれた」
これ程までに手放しに称賛された経験など、振り返って見てもないかもしれない。
珠音は恥ずかしさのあまり、湯を沸かせるのではないかと言う程の熱を顔に感じる。
「監督に言われてハッとしたよ。君のような強い娘が野球に対して真摯に取り組んでいるのに、本来その目標とならなければならない自分たちは夢を与えられる存在なのか、意志を持って取り組めているのかってね」
選手を代表して、このシーズンの実質的なチームリーダーにして4番打者の十川が前に出る。
「メディアは好き放題なことを言ってくれるが、自分たちに関して言えば全くもってその通りだった。今日のスタメンも平均年齢が高いだけで、プロとしての華やかな実績なんて殆ど無い」
珠音は十川の名鑑に記載されたプロフィールを思い返す。
今年36歳で地元出身10年目のスラッガーは、選手層のまだ薄かった創設3年目のチームのポイントゲッターと期待されて入団したが、1軍と2軍を行き来して期待に応えられない日々を送っていたはずだ。
「君のことを知った後で、このまま何も残せないまま引退するなんて考えられなくなってね。プロとして、いや、一人の大人として20歳も年下の女子高生に教えられたのは、恥ずかしい限りだがね」
十川が苦笑すると、後ろから次々と選手が顔を出す。
「正に”眼の色が変わった”という表現が適切だな。かく言う俺もその一人」
「あのままだったら、俺は今年で終わりだったかもしれない。他にもそんな自覚のある選手が多いはずだ」
十川だけではなく、榊、井戸といった所謂”おっさんズ”の中核メンバーに続き、選手たちが口々に感謝の意を珠音に伝えていく。彼らもまた、プロ野球選手となってからは”主役”と言えない人生を送り続けた選手たちだ。
「ほら、彼女も困っているぞ」
葛城が苦笑を見せ、選手たちを鎮める。
「まぁ、色々言ったが、君は俺たちにとって優勝の一番の立役者であり、それは間違いではないんだ。勝利の女神と言っても過言では無いな」
「め、めがっ!?」
思わぬ表現に、珠音は思わず吹き出してしまう。
これまで女神や姫と言ったイメージを持たれたことはなく、学芸会でも所謂女の子らしくない役柄(勇者や猪)しか演じたことがない。
「君の今の目標、将来の目標は何だね」
葛城は珠音に優しい表情で語らいかける。
「私の今の目標は、私を受け入れてくれた仲間と一緒に公式戦に出場して、甲子園に行くことです。そして、その後は女子プロリーグに行って、いつかプロ野球初の女子選手になります、なってみせます」
珠音の意志の込められた言葉に場が沸く。決して茶化すような雰囲気ではなく、素直に応援する気持ちの現れだった。
「不思議だな、君なら本当にできる気がするよ。何故だかは分からないが、君にはそんな力を感じてしまうな」
「ありがとうございます。それに、その力は私だけの物ではありません。たくさんの仲間が支えてくれるから、チームメイトのみんなが支えてくれるから、私はこうやって前に進めているんです」
「そうか、いい仲間を持ったね。これからもぜひ頑張って欲しい。そして、いつか同じ舞台で戦おうじゃないか」
「はい!」
珠音と葛城は、再び固い握手を交わす。
互いの健闘と、同じ舞台で相対する、あるいは共に戦う未来への誓いを込めて。
静岡サンオーシャンズの優勝を見届けてから1週間。
鎌倉大学附属硬式野球部は無事に地区大会を突破し、県大会へ駒を進めていた。
「おー、今日もたくさん来ているねぇ」
「ま、我がチームには”勝利の女神”様がいるからな」
「ちょ、やめてよ......」
女子班は東日本大会に向け練習に励んでいたが、連日に渡って記者がグラウンド脇へ姿を現す事態に、部員たちは半ば呆れていた。
「よっ、女神!」
「勝利の女神!」
囃し立てるチームメイトを払いのけ、珠音は溜め息をつきベンチに腰を下ろす。
「珠音もすっかり有名人だな。しかも、地方から全国区と順調にステップアップしている訳だし、まるで関西から上京してきた芸人みたいだ」
浩平の言う通り、珠音の存在はこれまで地方紙とネットニュースに華を咲かせた程度の存在だったが、今は違う。
優勝を収めた静岡サンオーシャンズへの取材からチームの雰囲気を変えるキッカケとなった”勝利の女神”の存在が全国区となり、さらにはその”女神様”が決勝のサヨナラホームランを放った若手捕手の実の妹で、クラブハウスで撮影された記念写真の中央で監督と一緒に映っていた少女というところまで足が付いている。
報道各社はこぞって”謎のヒロイン”の正体を突き止めようと躍起になり、連日に渡って律義に取材を申し込んでくる始末である。
それらの取材対応のためか、ここ数日で鬼頭のみならず、学校職員はどことなくやつれた様な表情を見せるようになった。
「全国ニュースって凄いんだな。改めて、テレビの力を思い知らされたよ」
「ネットニュースでも十分話題にはなったと思ったが、見てる人も多いし、情報伝達先の数に圧倒的な差がある分、集まる人数も比じゃないね」
珠音と浩平が雑談しながら練習の準備を進めていると、舞莉が差し入れを片手に持って現れた。
「やぁやぁ、有名人さんや。差し入れだよ」
「ありがとうございます。というか、舞莉さん受験勉強はいいんですか?」
「受験生だからと言って、机に向かって四六時中に渡って参考書を開いている訳じゃないさ。たまには息抜きも重要だよ」
舞莉はお道化て見せると、差し入れの中から自分用のスポーツドリンクを取り出し、口を付ける。
「さっきの話だけどね、情報源の信頼度によっても影響力は変わるよ。過去ではインターネットやSNSの情報は信頼度に欠けた分、いくら騒がれようとも軽視されがちだったよね。それでも、次第に情報の拡散速度や有効性が認められて以来、各分野で重視されるようになっただろ?」
「はぁ、まぁ......」
舞莉が意気揚々と語る内容を全て理解したわけではないが、珠音は何となく納得する。
「それに、今回のように珠音が注目を集めたことは、鍛冶屋さんの時以上に有益な効果が現れると思うよ」
「どうしてですか?」
「情報源についてはさっきも言った通り、発信源の信頼性が重要だ。そして、信頼度の高い情報を得た多くの人の中に、私たちの行く末を決めるべき人も含まれた訳だよ。ようやくね。どんなに発信しても、受信できなかったら意味はない。受け手がどの媒体を見ているかは重要だ」
舞莉がスマートフォンを取り出し、ニュースアプリを開く。
「スマホに慣れている人たちはこうやって情報収集ができるけど、上の世代はそう言うのが苦手だから新聞やテレビの内容を重視するだろ。これまでの珠音を題材としたニュースは地方紙止まりでネット中心。鍛冶屋さん関連のニュースもインターネット上の情報に限られていたから、影響を及ぼした範囲が狭かった。けど、今回は違う。必然的に多くの人の注目を集めた訳だし、連盟の偉い人たちも看過できなくなるってこと」
得意げに語る舞莉は、喉を潤そうとスポーツドリンクに口をつける。
「水田先輩は、近々何かあると予想している訳ですか?」
浩平の指摘に舞莉の動きが止まり、ニヤリと表情を向ける。
「受動では何も起こらないと思うが、能動なら分からない。何かを起こすなら今しかないだろうね。おそらくこのままだと、珠音は弱小チームを勝利に導いた”勝利の女神”というだけで終わってしまう。ブームとは一過性のものだし、”君たち”に残された時間はもう無いんだからね」
舞莉の言う時間が、珠音の出場可能な大会を指し示していることを、浩平は瞬時に理解した。
既に2年次の秋大会は始まっており、これが終われば残す公式戦は翌年の春と夏だけ。
少しでも急がなければ、制度が改正されたとしても珠音が公式戦に出場できないまま引退の時を迎えてしまう。
「そこでだ。私は、そろそろこいつの出番じゃないかと思っているんだが、どうだね?」
舞莉は鞄からペンのようなものを取り出し、不敵な笑みを浮かべる。
「......あの時の、音声データ」
「そういうこと」
珠音が連盟理事の増渕から投げかけられた言葉が、珠音の頭にグルグルと回る。
「”実力の劣る”」
格上の選手を抑え込んでいるのは、珠音の実力ではなく相手打者が珠音を侮って実力を発揮していないから。
「”たかが一選手の我が儘や夢を叶えるために、伝統を守るための規則を変更することはできない”」
伝統を守るためなら、末端の選手のことなど石ころ程度の価値でしかない。
大河の流れの向きを変えようとするならば、それこそ分厚い堤防を”破壊”できるだけのアクションを起こさなければならない。
「舞莉先輩、やりましょう」
「......いい瞳だ。そうこなくっちゃね」
珠音の言葉に浩平は鳥肌が立つのを感じ、舞莉は心底満足気な表情を見せる。
バットを振らなければ当たらない。
自ら動かない限り、前に進むことはできない。
「私は、甲子園に行きたい!行ってみせる!」
珠音はベンチから立ち上がると、グローブをはめた右手を高く突き上げる。
珠音の瞳に宿った決意はどの金属バットよりも硬く、そして光り輝いていた。
翌日。
静岡サンオーシャンズの快進撃と”勝利の女神”を真っ先に取り上げた報道局へスクープが届けられると、8月にネットニュースで一時的に話題となり、かつ既に下火となっていた”公式戦への女子選手の出場”に関する議論が再燃する。
「これぞ正しく”逆転満塁ホームラン”だ」
舞莉は”バイト先”でニュースの見出しを見ながら、満足気にブラックコーヒーを嗜む。
「舞莉、何を見ているの?」
舞莉は声を掛けてきた同僚に視線を向けることなく、見ていたニュース画面を見せる。
「”高野連理事の女子選手への暴言問題”に、”血縁選手の入学や起用に関する口利き”?」
「そ、部活の後輩が関係しているんだ」
首を傾げる同僚に、舞莉はコーヒーを差し出す。
「もしかして、ここ1年くらい舞莉がコソコソと動き回っていたのは、このことだったの?」
「まぁね。私たちにも間接的に関連してくる話だし、この事態を上手い方向に向ければ、後々の助けになるからね」
「それは、あなたのよく言う勘?」
「そんな所だよ」
同僚は呆れたような表情を見せると、コーヒーを受け取り自分の席に戻っていった。
「舞台は整えた、あとは君たち次第だよ。私だって、楽しみなんだからね」
コーヒーを飲み干すと、舞莉は紙コップをゴミ箱へ投げ入れる。
「お疲れーしった」
舞莉は立ち上がると、上機嫌な様子で部屋を後にした。
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