5回裏 追風
Bottom of 5th inning ―追風―
季節は巡り、7月。
近年では日本列島上空に長く腰を落ち着けていた梅雨前線だったが、この年は足早に居を移す決心をした模様で、高温多湿な夏を餞別として早々に立ち去ってしまった。
「暑いな」
「暑いね」
グラウンドに立つ浩平のユニフォームには背番号2が、横に立つ珠音の背中には背番号1の文字が威勢を放っている。
普段の練習用ユニフォームとは異なり、この日は大会前の写真撮影も兼ねて試合着で練習に臨んでいた。
「ホント、ドーム球場で試合したいな。年中涼しいところでやってみたい」
「その話、なんか前にもした気がするな」
「大切なことだからね。何度でも言うよ」
バッテリー練習を終えた2人は、砂浜で行う予定の下半身強化メニューを前に、水分補給も兼ねてグラウンド脇に設置された水道に立ち寄っていた。
珠音は結んだ髪を一度解き、少しでも暑さから逃れようと水道の蛇口を捻り、頭を突っ込んで水を被る。
「男子かよ」
「女子だよ」
化粧に興味のある同級生ならば絶対にしないだろうが、今のところ無縁な珠音としては思い切り顔を洗うことに何のためらいもない。
濡れた髪も暑さで自然に乾くだろうし、どうせこの後の練習で髪は濡れてしまう。その水分が汗なのかの違いでしかない。
「あー、この一瞬でいいから水泳部になりたい」
「無茶言うなや」
「というか、今日プールの授業あったし水着持ってるじゃん。今から行こうかな」
「いやいや、向こうも大会前だから迷惑だろ」
「端っこならいいんじゃない?」
「そういう問題でもないだろ。......ちょ、水飛ばすなって!」
髪を簡単に絞り、残った水分を振り落とそうと頭を左右に振る。
顔に残った水滴を袖で拭うと、残った土埃でユニフォームが少しだけ茶色く汚れた。
「おー、いいねぇ。うちのクラスもプールの授業あったし、私も行こうかなぁ」
舞莉は涼しい顔をしているが、隣にいる益田は対照的に顔を赤くして汗が流れ出ている。
「ぜひ行きましょう、2人で行けば怖くない!」
同志を見つけた珠音が、舞莉に抱きつく。
「あっつ!珠音の身体、めっちゃ熱いよ!」
纏わりつく湯たんぽから逃れようともがく舞莉の背中には、背番号”2”の文字が光を浴びている。
「いいなぁ、女子のじゃれ合う光景」
「......俺に抱きつかないで下さいよ、先輩」
仲良し女子にニヤニヤとした目線を送る思春期男子の典型こと益田の背中には、珠音と同じく背番号”1”の文字が縫い付けられている。
日頃の署名活動の成果や世論の後押しも虚しく、珠音を始めとする女子選手の選手登録は認められないまま、夏の全国大会の時期を迎えていた。
流れは鎌大附属硬式野球部の求める方向へと緩やかに傾きつつあったが、100年を超える歴史を覆す決定打を得られないまま、時間は過ぎていた。
「さぁて、そろそろ行こうや」
益田を先頭に、バッテリーの練習メニューに取り組むメンバーが校舎を出て、砂浜へと向かっていく。足腰の強化が必須のバッテリーには必要不可欠であり、足元の不安定な砂地は練習の場としてうってつけだった。
「あと1年しかないんですね」
この日は投手の練習メニューに取り組む背番号6をつけた二神が、前を歩く熟年バッテリーの背中を眺め呟く。
先輩からレギュラーポジションを奪い取った二神が見つめる背中は、見かけ上はレギュラーのバッテリーにしか見えない。
しかし、その間に聳え立つ壁は乗り越えようとする者を寄せ付けず、2人の間に近くて遠い距離感を作り出している。
「大丈夫、今年の珠音と対になる”2番”は私だけど、来年の1と2はあの2人のためだけの数字になるから」
「そしたら、女子班の正捕手が泣きますよ」
断言する言葉に頼もしさを感じつつ、苦笑交じりに事実を端的に述べる。
無事に珠音の大会参加が認められれば、硬式野球部は本格的に3チーム制で活動に取り組むことになる。
「冗談が通じないねぇ。二神は理系コースだったと思うけど、文学的な表現を覚えるのは将来のためには重要だよ。試しに、恋文の一つもしたためてみたら如何かね?」
「こ、恋文!?何で!?」
動揺する二神を見て、舞莉はケラケラと笑い声を上げる。
「おやおや、噂を聞いたけどな。毎年家族旅行で行く避暑地に、二神のコレがいるって」
舞莉は小指を立て、悪戯心満載な表情を見せる。
「誰がそんなことを......それより、俺のことよりもあの2人ですよ。あと1年しかないのに、間に合うのかなって」
二神の慌てふためく表情を一通り見ると、舞莉はやや物足りなさそうな表情を見せる。
「私の見立てでは、2人なら大丈夫。ここまでの活動は、何一つ間違っていないのだから」
舞莉はにこやかな表情をすぐに引き締め、前に歩く2人を見つめる。
これまでの8ヶ月間、厳しい練習を自身に科す傍ら、立花の取材を受けるだけでなく、自発的な署名運動にも取り組んできた。
チームの戦績、個人の活躍、グラウンド外での活動。
前を歩く2人は、その全てでチームと世論の先頭に立ち続けている、または立とうとし続けている。
「きっと、もうすぐだよ」
チームメイトとして2人の取り組む姿は同級生とはいえ尊敬に値する。
2人の願いが叶うことを二神は心から願っている。
だが、立ちはだかる堅牢な壁は叶うべき夢への切通しを塞ぎ続け、当事者としても時に達成できないのではないかと不安になることもある。
「えらく自信があるんですね」
「そりゃそうだ。そもそも、そう思えなきゃ未来は変えられないよ」
舞莉は二神の背中を叩き、パシンと乾いた音を立てる。
「私には分かる、もう直ぐあの2人には追風が吹く」
「追風?」
二神の疑問符にまるで合わせたかのように、隊列を組んで歩く部員の背中を押す優しい風が、照り付ける太陽の熱を少しだけ冷ましてくれる。
「そ、追風。だから、2人は大丈夫」
舞莉の自信がみなぎった表情に、二神は不思議と勇気を貰ったような気持ちになる。
「はぁ......まぁ、先輩がそう言うなら、そんな気がしてきました。確かに、珠音と浩平からは不思議な力をいつも貰っているような気分になります。何なら、本当に不思議な力を持っているのかもしれない」
「そうかもしれないね。人間誰しもが、それぞれ個人に特有の秘めた力や特別な能力みたいなものを持っているものだよ。気が付いていないだけ。私にも、無論、君にもね」
「俺にはないですよ。先輩はいくつもありそうですけど」
「......かもしれないね」
チームメイトとして過ごした期間は、僅か8ヶ月程度にしかすぎない。
それでも、舞莉の不思議な馴染みやすい雰囲気と他愛のないことでも説得力を感じさせる言葉に、二神は8ヶ月という時間以上に親交のある人へ向ける信頼感を覚えていた。
「ねーねー、今日は早上がりだし、さっき言っていた水泳部への突入どうする?ほんとにやる?」
舞莉はひょこひょこと飛び跳ねるように速度を上げ、前を歩く”1”と”2”の間にススっと割って入る。
その様は、まるで見えない壁を自然に取り払う姿にも見える。
「追風って、自分のことじゃないのかな」
2人の背中を押す舞莉を見て、不意に笑みが零れる。
もしも舞莉が追風でなかったとしても、自分や自分たちが最後の一押しになれればいい。
二神の静かな誓いは、心の炎をひときわ大きくすべく、風を送り込んだ。
余談だが、珠音と舞莉による水泳部への突撃は練習後に実行された。
その場で行われた個人メドレー一本勝負では大会直前の水泳部エースと熾烈な名勝負を演じることとなり、その様子は夏の珍事として水泳部に語り継がれ、当の本人たちは暫くの間しつこい勧誘を受けることとなるのだが、それはまた別の話である。
追風。
水田舞莉が二神に対してそう表現した後押しは、暴風となって唐突に押し寄せた。
「大会も始まっているのに、今更ミーティングって何だろうな」
「何かあったのかな?」
浩平と珠音が扉を開くと、既に多くのチームメイトが先に来て席についていた。
夏の地方大会が開幕し、暑さをさらに加速させるかのような高校球児による熱戦が各地で繰り広げられている。
鎌大附属硬式野球部もその例に漏れず、前週の土曜日に1回戦、週明けの月曜日には2回戦で無事に勝利を収め、チームは週末に控えた3回戦に向け調整に励んでいた。
そんな中、練習開始前に視聴覚室へ集合するよう鬼頭から指示を受けた部員たちはその真意が分からないまま、取り敢えずすぐに練習に行けるようユニフォームに着替え、呼び出した張本人の到着を待ち続けていた。
「夏菜、何か知らない?」
「いやー、私の耳にも何も入ってきてないな」
情報通の夏菜が分からないのなら、この場にいる1人を除いて事態を知っている可能性はないだろう。
「舞莉先輩は......あぁ、琴音へのインタビューを手伝うって言ってたか」
夏菜とは別次元の情報通である舞莉は、琴音とともに吹奏楽部の練習もこなす日々を送っている。
吹奏楽コンクールが近く2足の草鞋を履く厳しい日程ではあったが、スタンドでの演奏応援にまで励む姿には頭が上がらない。
珠音程ではないが、ユニフォーム姿でアルプススタンドに立ちフルート演奏を行う琴音の姿も徐々に注目を集めており、立花によるインタビューがこの日に予定されていた。
「みんな、集まっているな」
鬼頭が視聴覚室に到着し、室内を見渡す。
事前に参加が難しいことを伝えられていた舞莉と琴音を除いた全員の顔を確認した後、鬼頭は部屋の電気を消しプロジェクターの電源を入れる。
「大会期間中にも関わらずこうやって集まって貰ったのは、高野連から選手や指導者に注意喚起するよう通達があったことに由来する。先に言うが、残念ながら我々の望んだ結果に関するものではないぞ」
大会期間中での制度変更など考えられず当然のことなのだが、思わず溜め息が漏れる。
「千葉県大会で走者と守備の接触プレイが発生し、大怪我をした選手が出た。その事に関して改めてのルール確認をして欲しいとのことだ」
接触プレイという言葉に、部員たちの頭に疑問符が浮かぶ。
コリジョンルールの適応以降、走者と守備の接触プレイは殆ど無くなっている。
考えられるのは守備陣の声掛け連携不足による接触だが、鬼頭の言葉には間違いなく”走者と守備”の言葉があった。
「あの、守備妨害とか走塁妨害があったってことですか?」
鬼頭が手元のノートパソコンを操作するなか、珠音が手を上げ質問を投げかける。
「まぁ、そういうことだ。うちは競技年数の短い部員も多いし、改めて全体として確認するのもいいだろうと思ってな。ちょうど動画撮影されていた試合で入手できたから、これから再生するぞ」
カーソルを再生ボタンに宛ててクリックすると、バックスクリーンを背景にした球場全景を映しだした動画が開始され、あるポイントで一時停止ボタンを押す。
「状況は2対1の接戦で攻撃側が負けている。アウトカウントは1、ランナーは1塁だ。土浦、どう判断する?」
鬼頭に指名された浩平が立ち上がり、この状況から推察される戦術を説明する。
「打者はバントで送るか、一二塁間方向へ進塁打を狙います」
「その通りだ。この場面で攻撃側は強攻策に出て、ヒッティングを作戦として選んでいる。それじゃ、続きを再生するぞ」
鬼頭が再生ボタンにカーソルを合わせてクリックるすると、動画が再開される。
打球が一二塁間方向に向けて転がり、併殺打を狙った二塁手がゴロを処理すべく守備位置より前進する。
「あぁ...」
打球が飛んだ瞬間、その場にいた全員がこの先に起こるであろう事態を正確に予測する。
守備側の大柄な二塁手のチャージを小柄な一塁走者がかわし切れずにタックルを受ける形になったばかりか、双方の選手の脚が不運にも絡まってしまい、走者の左脚部が遠目で見てもあらぬ方向に曲がった様子が映し出されていた。
「痛ましい事故だ。伊志嶺、この場面だが、審判はどのような宣告をするか分かるな」
「はい、これは守備妨害が宣告されると思います」
「理由は?」
「打球を処理する野手の行動が優先されるので、この場合の一塁走者は二塁手の守備を妨げたという判定を受け、二塁手による走塁妨害ではなく、一塁走者の守備妨害が成立すると思います」
「その通りだ、ありがとう」
まつりが席に座ると、鬼頭が教壇から語り掛ける。
「見ての通り、全力プレイの最中で起こる接触は、大怪我に繋がりかねない。この場にいる全員が走者となるし、内野手は守備側として巻き込まれる可能性がある。事故はどんなに気を付けていても起きてしまう時は起きるものだが、注意すればするだけ程度を下げることもできるだろう。全員、ルールを確認して留意しておくように」
『はい』
全員からの返答を聞いて鬼頭は小さく頷く。
高野連から指示された内容は果たした。
「あの、二塁手―セカンド―と走者―ランナー―はあの後どうなったんですか?」
パソコンを閉じた鬼頭に、珠音が立ち上がって質問を投げかける。
「あぁ、それを説明するのは俺じゃない約束になっているんだ。入ってくれ」
鬼頭は視聴覚室の外に向かって呼びかけると、見慣れた3人の顔が現れる。
「立花さん?」
ユニフォーム姿の舞莉と琴音に続いて現れたのは、野球部にはすっかりお馴染みの存在となった立花真香だった。
鬼頭に代わって壇上に立ち、プロジェクターへの接続ケーブルを自分のノートパソコンに移すと、立花は熟れた様子で話し始める。
「私が君たちの取材を始めてから8ヶ月近くが経ちます。元々野球に興味がなかった私としても、とてもいい経験ができています。皆さんには感謝しているわ」
立花は小さくお辞儀をしてから、言葉を続ける。
「あなた達の取材を始めて以来、私の取材の脚はここに限らず関東全域に広がっているわ。女子硬式野球の取り組みは関係者の考え方を取りまとめて、卒論にしようかとも思っているのよ」
「立花さんって、ちゃんと学生やっていたんですね」
珠音が思わず呟いた言葉に、視聴覚室内でどっと笑いが溢れる。
「失礼ね、これでも成績は優秀なのよ!」
暇さえあれば姿を見せる立花に、大学の講義に出席しているのか疑う声が上がる程である。関東各地に出向いているともなれば尚更である。
二度三度咳払いをすると、立花は気を取り直して話を続ける。
「取材周りをする中で、あなた達とは別に注目していた学校があったの。それが、この試合に登場して残念ながら没収試合で敗戦になった、鋸南高校」
「没収試合!?」
珠音を始めとして、視聴覚室内に驚きの声が上がる。
滅多にないことではあるが、危険行為や反則行為を繰り返すことで審判員より宣告されることがあるとは聞いているものの、実際に立ち会ったことのある人間は少ない。
「まさか、あの接触プレイが危険行為と捉えられたんですか?」
「いいえ、流石にそうではないわ」
立花がノートパソコンを操作し、救急車に運び込まれる選手とそれに付き合う女子生徒の姿が映しだされる。
「運び込まれたのはあの一塁走者で、付き添いの女の子はマネージャー。参加登録が9人しかいないチームで、グラウンドに立てる人数が9人未満になってしまったの。試合が成立できなくなった時点で、審判員から宣告されたそうよ。やむを得ないとはいえ、いたたまれないわね」
立花は画面に映る”マネージャー”と表現された女子生徒に、悲しそうな視線を送ってる。
「2人は幼馴染だそうよ。不謹慎だとは思ったけど、撮らずにはいられなかったの。もしも、不快な思いをさせたらごめんね。走者は身体を強く打ち付けて脳震盪、肋骨にもヒビが入っただけではなく、左脚の骨折とアキレス腱断裂、左膝の十字靭帯断裂の重傷と診断されたわ。男子は検査入院中で、間もなく退院できるそうよ」
小柄でとても鍛えているとは言えないひ弱な身体に、大柄な身体が勢いよく衝突する。
まるで自転車とトラックの交通事故にも見える。
「この写真に、何の意味があるんですか?」
「2人のうち、どっちが正規の選手だと思う?」
浩平がその場の意見を代表した質問に、立花は質問形式で返答する。
「......どういうことですか?」
回答に窮した浩平を始め、集まった部員たちが怪訝な表情を浮かべる一方、珠音だけは何かに気が付いた様子を見せ僅かに俯く。
立花はその様子を確認すると、画面に表示する画像を変更して解答を提示する。
「この野球部に所属する部員は9名、内7名が男子部員なの。つまり、他の部活から助っ人を借りない限り、単独チームとしての大会参加は難しいわ」
人口減少地域では競技を成立させるだけの部員を確保することが難しく、普段は野球部に所属していない学生を選手登録してチームを編成するか、同じ状況に陥った他校と連合チームを結成して大会に臨むこともある。
つまり、”競技経験が乏しく連携のとれない”選手を出場させる”ことを示している。
「それでもこのチーム、他校との練習試合はできていたの。もう、意味は分かったよね」
珠音がゆっくりと顔を上げ、先程の画像を思い起こす。
救急車に運び込まれる男子部員と、付き添う女子生徒。
「運び込まれた男子は他の部活...しかも、文化部からの助っ人で、あの女の子は普段は選手として部活動に参加している選手だったんですね」
「そういうこと」
立花は別の画像を表示し、普段の練習の様子や集合写真を見せる。
「この野球部は男子7人のほか、2人の女子部員が選手としても活動しているの。1人は久木香苗さん。そしてもう1人が、さっきの写真に写っていた鍛冶屋茉穂さん。今年3年生の外野手ね」
順々に送られる写真の最後に映し出された写真は、練習試合で着用しているユニフォームとは異なる姿で、左打席に立つ様子だった。
「珠音みたいな人がいるとは思っていたけど、本当にいるものなんだな」
浩平の言葉に、チームメイトが頷く。
男子部員に混ざって練習に参加する女子選手は極めて少なく、彼らとて自分のチームメイト以外を見たことはない。
「鍛冶屋さんは野球部に参加する傍ら、長時間かけて都市部まで出てきてはクラブチームに選手としても所属しているの。バリバリのレギュラーとまではいかないけれども、しっかり出場機会も貰っている有望な選手で、女子日本代表の候補選手でもあるのよ。高校を卒業したらプロ志願届を提出して、女子プロ野球への入団を目指していると本人の口から聞いているわ」
「すごいな」
クラブチームへの入団を諦めたまつりが、感心した表情を見せている。
自分が選べなかった道を突き進む人物に、尊敬の念を覚えたようだ。
「問題よね」
競技経験の無い男子が大会へ参加可能で、プロを目指す女子選手が参加できない。
そのルールが適応されている結果として現れたのが、ルールを把握しきれていない選手の出場と、接触プレイによる事故である。
指導者の管理不行き届きと言われればそれまでかもしれないが、根本的な解決を図る上では現場だけの問題ではないことは明らかである。
「2人は幼馴染って話をしたよね。単独チームとして出場できないことを彼女が相談して、普段は吹奏楽部に所属している彼が助け舟を出したそうよ。女子選手が出場できない状況を憂いて、スタンドからの楽器演奏応援ではなく、自らグラウンドに立つ決断をしたそうなの。何だか、どこかで聞いたことがあるような内容じゃない」
立花の視線が舞莉と琴音に向く。
性別は異なるが、同じ思いを抱えた彼の決断は称賛に値する。
「......実は、2人にはもう了承を貰っているの。この問題、私は世間に投げかけるわ。競技人口も減っている現状で、これまで散発していた小問題からここまで大問題にまで発展しているにもかかわらず、具体的な対応策を示せていない。変化をもたらす刺激を与えるなら、今がチャンスだと思う。私のジャーナリスト魂も火が付いたわ。そこで、最も風上に立つあなた達に意見を聞きたいの。みんなは、どう思う?」
「追風か」
立花の言葉に、二神は舞莉の言葉を思い起こす。
順風満帆で誰もが幸せな進み方ではなく、一定の痛みを抱えた上での前進となる。
それでも、簡単には乗り越えられそうにない壁を取り除くのならば、良薬ではなく劇薬を用いるべきだろう。
「動くといっても、僕らが何か具体的な動きはすることは難しいと思います。だけど、眼前の目標には不必要でも俺たちの目的を果たすのには必要なことでしょう。これ程の追風、何かしらの形で拾わない訳にはいかない、そう思いませんか?」
二神が最初に立ち上がり、部員たちに問い掛ける。
その様子を、先日にけし掛けた舞莉が満足そうに見つめている。
「その台詞、俺が言うべきところだと思うんだがなぁ。それに、ここで応えるべきはガヤじゃないんじゃないか?」
苦笑いする野中から事実上の指名を受けた珠音が、ゆっくりと立ち上がる。
「今は夏の大会に専念すべきだし、私たちにできることは殆どないかもしれません。ですが、立花さんや勇翔が言うように、今がチャンスなのは私にも分かります。私にできることがあれば、何でも言って下さい!」
珠音の力強い言葉に、チームメイトが頷く。
「よろしいですね?」
立花が確認も兼ねて視線を向けると、鬼頭は無言で頷き肯定を示す。
「勝ち進もう。俺たちの意志を示すならばそれが一番の近道だ。具体的な策は、追って考えよう」
鬼頭の檄に、部員たちが過去一番の士気を見せる。
「やるか、珠音」
「何をするにも、まずは男子が結果を残して報道に取り上げられないとね。頼んだよ」
「あぁ、一つでも多く勝ち進んでやる」
「そこは優勝するって言ってよ」
視聴覚室内が賑やかな声でいっぱいになり、防音機能を超えた声が外に漏れ出しつつある様子を、鬼頭は静かに眺めていた。
時に権力者の意図しない風が吹くことで、人類史は大きく変わってきた。
程度は遥かに小さいかもしれないが、硬式野球部の掲げる帆が大きな推進力となるべき風を捉えようとしている。
鬼頭は自身の認識が間違いではないと、確信した。
グラウンドへ急ぐ選手たちの背中を見送りつつ、立花は一人の選手に声を掛ける。
「結局、どこまであなたは”知っているの”?」
呼び止められた舞莉は、キョトンとした表情を見せる。
「何のことですか?」
「あなたに教えてもらったことを調べれば、必ず何かが出てくる。どうして?やっぱり、前から知っていたんじゃないの?」
「そんなことないですし、そもそも未来のことを知ることはできません。言葉を巧みに扱う先輩らしくない表現ですね。私はあくまでも、確率の高い予想を述べているにすぎませんよ」
飄々と語る女子生徒は、新聞部に入ってきた時に知り合った当時から掴み所が無く、”奇妙”の二文字がしっくり来るような存在だった。
「そうね、確かに未来を知ることはできない。でも、私としては舞莉が予想しているようにも見えないの。ただ、知っていることを述べているようにしか見えない。その内容が、たとえ未来の事象であったとしてもね」
一瞬の間が生じ、舞莉はクスリと小さな笑い声を漏らす。
「珍しいですね、先輩がそこまで私に突っ込んで来るのは」
にこやかな表情を見せつつ、眼は笑っていない。
「それはそうでしょ。私が女子野球について調べようとしていた時に、舞莉から教えてもらった”鍛冶屋茉穂”さんに注目してみたら、あれよあれよと事が進む。大きなネタに少ない労力でありつけるのはありがたいけど、ここまで上手くいくと逆に不自然さを感じずにはいられない。この違和感は、私がジャーナリストの端くれだからという訳ではないと思う」
「考えすぎですよ先輩、偶然です、偶然」
ヘラヘラとした表情が見せる親しみやすさと、底知れぬ雰囲気。
「私はただ、確率の高いものをそれっぽく伝えているだけです。先輩だって、私の情報を信じる信じないの選択をする機会があって、最終的な行動決定権を私は持ち得ないんですから。私のことを買い被りすぎです」
「でも――」
「"need to knowの原則”って知ってます?」
立花の言葉を遮るように、舞莉が冷たい言葉を投げ掛ける。
公務員の守秘義務に関する原則で”情報を知る権利のある人には情報を教え、それ以外の人には決して教えてはいけない”ことを意味する。
「そういうことですよ。それじゃあ、私は練習に向かうので、失礼しますね。野球部だって吹奏楽部だって、私にとっては最後の夏ですから。時間は大切にしたいので、ではっ!」
舞莉は笑顔を見せ、先に行くチームメイトの後を追う。
『これ以上の詮索は許さない』
立花は後輩から伝えられた言葉の意味を反芻し、その意味を正確に把握する。
無言で語る瞳は表情とは正反対の色に染まり、舞莉の冷徹な一面を垣間見た立花は、その圧力に屈する以外の選択肢を取ることはできなかった。
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