4回裏 初陣
Bottom of 4th ininng ―初陣―
入学試験、学年末試験、卒業式。
年度末に畳み掛けてきたイベントがひと段落した所で、鬼頭は赴任同期の谷本と居酒屋に繰り出した。
「ひと段落した学校行事と、卒業した生徒たちの実りある光り輝く未来に」
「待ち受ける春大会と、新しい生徒たちに」
2人は黄金色のビールが注がれたジョッキを掲げ、”カツン”と音を立ててから口をつける。
「ウチから2人も引き抜いたんだ、勝ち抜けよ」
「引き抜いた訳じゃない、借りているだけだ」
谷本は陸上部の顧問を務めており、彼が”引き抜かれた”と主張する2名の内1名は伊志嶺まつりを指している。
1月末以来、陸上部のエースとして君臨していたまつりは、少年野球を経験したという同級生1人を伴って野球部を掛け持つようになっていた。
「借りているのは吉永だけだろ。伊志嶺はむしろ陸上部の方を兼ねているように見えるのは、俺だけか?」
「よく言うよ。この際だから、大会が終わったら楓山を陸上部に貸せ。これで”あいこ”だ」
谷本が憮然とした表情を浮かべて、お通しのメンマに箸をつける。
鬼頭はその様子に、苦笑を浮かべるしかない。
「......あいつは、楽しんでいるか?」
「あぁ、少なくとも俺と部員達には、彼女の表情は活き活きとして見えるぞ」
ストイックさは相変わらずだが、陸上部時代から見せていた冷徹とも言えた雰囲気は春の雪解けに合わせたかのように消え、徐々に名前通りの明るい一面が現れるようになってきた。
「そうか......」
谷本は串焼きに手を付け、少しホッとしたような表情を見せる。
「陸上部にいた時はいつも辛そうな顔をしていたからな。お前の話を聞いていると、もしかしたら伊志嶺は昔の辛い思い出を忘れるために、もがいていたのかもしれない。そう思えてならないよ」
「すぐ横のグラウンドでは野球部が練習していて、その輪の中には自分と同じような境遇ながら前に進もうと女子選手がいる。振りほどこうともがけばもがく程、辛い思い出が自らをより強く縛り付けたのかもしれないな」
「何だお前、理系のくせに文学的な表現ができるのか」
谷本は国語、鬼頭は数学を担当している。
文理の違いはあれど、教師としての立場は変わらない。
「俺はあいつの悩みに気付いてあげられなかった。まだまだ勉強しないといけないな」
「それは俺もだ。あいつらの進む未来をより良いものにするために何ができるのか、難しい課題だよ」
ふと谷本が、鬼頭の髪の毛をいじり出す。
「そういえば、白髪増えたな」
「お前ほどじゃないよ」
鬼頭が腕を振りほどき、不満気にジョッキのビールを飲み干す。
三十代後半、互いに子持ち。
互いに過ごす環境も変わってきて、こうやって愚痴を言い合う機会も少なくなった。
悩みの尽きない年代としては溜まった疲れをシャワーではなく、時には気心知れた友人との酒宴でアルコールとともに洗い流したくもなる。
長らく語り合う2人は仲良く終電を逃し、それぞれ妻に呆れられた。
迎えた高等学校春季地区大会初戦。
綾瀬スポーツ公園第1球場に集まった観客は、3塁側に陣取った鎌大附属サイドの応援席を思わず二度見したことだろう。
「なんか、こっち見てざわついてない?」
「ユニフォーム姿の女子が10人近くいて、しかもアルプスにいる男子部員よりも人数が多いだなんて、県内見てもあり得ないでしょ。そもそも、硬式野球部にマネージャー以外の女子部員がいる学校自体が珍しいんだし」
珠音とまつりは鎌大附属の応援に集まった面々にメガホンを配りながら、集まる視線に思わず嘆息する。
「些細なことを気にしても仕方がないね。私たちは応援に集中しよう」
「そうですね」
ベンチ入りが叶わなかった野球部員と手分けして応援を手伝ってくれる吹奏楽部員にテキパキと指示を送る横で、舞莉と琴音がフルートを組み立てる。
本格的な応援はまだできないが、少しでも盛り上げようとベンチ入りできなかった男子部員と協力して、小規模ながら応援団を結成していた。
その一団の中で琴音が野球のユニフォームに身を包みながらフルートを手にする姿は、それこそ目を引く存在になる。
「私たちにとっては好都合だと思うよ。私たちはどんな形であり、注目を集めてなんぼでしょ。琴音には頑張って目立ってもらわないと」
本人は無自覚だが、琴音は珠音と同様にクラスで1番とは言わないまでも整った顔立ちで、男子受けはそれなりにいい。
「舞莉の言う通りだよ」
集まった応援団に歩み寄る人物に、珠音を始めとした野球部員には見覚えがあった。
「立花さん、来てくれたんですね」
珠音の出迎えに、立花は好奇心に輝いた瞳を向ける。
「もちろんだよ、君たちを密着取材しているんだから」
男子班の初戦の相手は、湘南杯で辛酸を舐めさせられた湘南義塾。
地区大会ではブロック上位2チームが県大会に進出できるが、同じ湘南地区の強豪校は鎌大附属として乗り越えなければならない相手には違いはない。
あらゆる意味で因縁の相手を初戦に迎え、鎌大附属ナインの気合は十分だった。
「今日のこの状況、実に面白いじゃないか。しっかり稼がせてもらうよ」
立花が視線を向けた先には、カメラマンと新聞記者が多数。
「流石は強豪校の湘南義塾。プロ注目の選手がいるとなればメディアの扱いも違うね」
「プロ注目の選手、ね」
珠音は相手校のベンチを見ると、一人だけスイングが明らかに違う人物がいる。
湘南杯では3番、この試合では4番を任されている増渕という選手は、前回見た時よりも体が一回り大きくなっているようにも見えた。
冬場の厳しいトレーニングを乗り越えた証である。
「地方紙とはいえ、メディアに君たちの名前は出ているからね。彼らも君たちのことを意識しているみたいだし、小さくとも記事になるかもしれない。もちろん、応援を受ける彼らの頑張り次第だけども」
「それは大丈夫ですよ」
秋の地区大会で珠音の瞳に宿っていたのは、羨望と嫉妬の色。
舞莉は綺麗に磨かれたユーフォニアムの鏡面越しに、珠音の表情を観察する。
「うちが勝ちますから」
「......いいね」
映し出されたのは信頼の色。
鏡越しでも分かる程の強い意志の色に、舞莉は心から満足した。
試合開始直前、円陣の中心ではキャプテンの野中がチームに檄を飛ばす。
「みんな、今日が大事な初戦だ。選手として目の前の試合で勝ちを目指すのは当然だけど、俺たちは同時に指導者として、女子班に手本を見せなきゃならない」
女子班を結成してから4か月。
まつりが参加した際に「Gってゴキブリっぽいから嫌だ」との意見に同調し、名称が女子班に変更されてからも、これまで野球に触れたこともなかった女子部員たちはみるみる上達していった(男子のBチームも、男子班に改称された)。
男子部員もただ指導していただけではない。
初心者の女子部員への指導を通じて自分たちの動作を一つ一つ見つめ直しただけでなく、自らに課した厳しい練習を経て、各自がレベルアップを実感できるまでになっていた。
「打線は強力だし、相手投手もレベルが高い。それでも俺たちはレベルアップしたんだ。練習の成果、そして自分たちが教えた内容を信じて、試合に臨もう」
下馬評では湘南義塾の勝利は揺るがない。
だからこそ、ひっくり返す価値がある。
『おうっ』
スタンドから送られる声援も、物量差に優れる湘南義塾が圧倒している。
それでも芯の強さを持つ掛け声は、球場に確かな存在感を示した。
スコアボードに記された得点は、4と2。
「ゲーム!」
相手チームの愕然とした表情と集まった記者のざわめきを耳にして、浩平たち鎌大附属ナインは自分たちの勝利を実感した。
「勝ったはいいけど、打たれた感覚しかねぇわ」
ベンチに引き上げクールダウンする益田が、苦笑しながら浩平に話しかける。
「勝てばいいんですよ」
先発の益田はプロ注目の増渕にしっかり2本のホームランを献上し、彼の実力をスカウトへ知らしめるには十分に貢献した。
しかし、彼を打席に迎えた時点でランナーを得点圏に進めないよう思案を巡らせた浩平の術中に、湘南義塾打線がまんまとハマった結果としての勝利である。
勝利を収めたとはいえ、大量得点のイニングを作った訳ではない。
打撃では格上の相手に対し、ボールをキッチリ見極めセンター返しから打者から見て反対方向を狙うことを基本とし、長打を狙わず甘い球を基本に忠実に打ち返す。
ランナーの進塁を第一の優先事項として、コンパクトかつバットの芯で捉えるスイングを心がける。
長打はなくとも堅実に得点を奪い取るための策を講じ、チャンスでは抜群の集中力を発揮した。
守備では基本動作の反復で養った安定感を発揮し、守備範囲に飛んだ打球をミスなくしっかりと捌ききった。
さらには強烈な打球にも果敢に飛び込む球際の強さが光り、抜ければ失点というシチュエーションを悉く潰し、湘南義塾打線は悔しさのあまり唇を噛み締め天を見上げるばかりだった。
何れも、初心者の女子部員へ指南役を担った男子部員が、指導の経験を得て自らも強く意識付けられたポイントである。
華には欠けるものの、現状の実力で勝利をもぎ取るための最適解を男子部員が女子部員に対して攻守もともに身をもって現し、日頃の成果として見事に示してみせた。
「湘南杯だって途中までは渡り合えていたんだ。俺たちのやり方は間違っていなかった訳だし、今日の結果に自信を持ってもいいだろ」
「そうだな。ただ、自信過剰は禁物だ。次戦で足下を掬われかねん」
基礎練習の反復を繰り返した日々に自信を覗かせるキャプテンの野中に、鬼頭が念の為といった表情で釘を刺す。
初戦から格上相手の山場を迎えたこともあり、次戦以降に気が緩まないよう、締めるところは締めなければならない。
「すみません、取材をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
鬼頭は差し出された名刺に少々の驚きを示す。
全国的に有名なスポーツ紙で、開幕直後の高校野球春季大会の特設ページを担当しているらしい。
後に続くように数社のスポーツ紙、全国紙が鬼頭の元を訪れ、そのままキャプテンの野中と浩平が連れられて行く。
「あー、先越されたわー」
「お疲れ様です。てっきり、真っ先に飛んで来ると思っていましたよ」
げっそりとした表情の立花を、珠音が出迎える。
「何かあったんですか?」
「連中ったら、君らのことを根掘り葉掘り聞いてきた挙句、出し抜かれたのよ。もー、出遅れちゃったじゃない」
立花はやや大袈裟に溜め息をつく。
「まぁ、この試合の注目ポイントといえば、事前情報さえなければ湘南義塾の増渕くんくらいでしょう。実力や実績の差が大きい2校の勝敗なんか、はなから興味の対象外だわ」
立花の物言いに少々ムッとしたものの、自分も取材者の立場ならそう思うかもしれない。
「それが蓋を開けて見れば、スタンドには一チーム組めるだけの女子部員。これだけでも注意を引かれるのに、打線は実力に優る投手へ喰らい付いて確実に点をもぎ取り、守備陣は実力に劣る投手を必死に盛り立て堅守を見せたわ。素直に"面白い"と思わせる要素に溢れていたのでしょう。そして、下馬評を覆す大番狂わせときた。記者の端くれとして、色めき立つ理由は分からなくはない」
立花の顔には、自分だけの特種を知られてしまった悔しさと、母校の後輩たちが注目を集める誇りも混じり合っていた。
「そういえば、4番を務めた土浦くんには記者もスカウトも驚いていた様子ね」
「えっ」
珠音は記者団に囲まれた浩平の姿を改めて見る。
「小兵揃いの中堅校において、頭一つ大きい体格。ただの"もやし君"の可能性だってあるんだけど、彼は違う。文字通り"頭一つ抜けた"存在で、他の打者が苦慮した湘南義塾エースの丸川くんの投球にも、彼だけはしっかりと対応できていた」
珠音はスコアボードを思い返す。
湘南義塾は十一安打二得点で、得点は全て増渕のソロホームラン二本に由来する。
多数の安打を許しながら本塁打による失点のみに留まったのは、正しく鎌大附属守備陣の誇る堅守の賜物だろう。
対する鎌大附属は相手の二失策に加えてもぎ取った四球の数は6。
六安打四得点の結果から見ても、如何に相手のミスにつけ込み、粘り強く効果的な攻撃が勝利に繋がったことを物語っている。
「結果も物語っているわ。増渕くん程じゃないけど、丸川くんもそれなりに将来有望な選手だからね」
六安打の打ち分けは浩平が四安打、一番打者の舟橋と六番打者を務めた高橋が各一安打。
四得点のうち、打点の打ち分けは浩平が三で高橋が一。
高橋のタイムリーヒットで本塁に帰還したのが、二塁打を放った直後の浩平だったため、浩平は鎌大附属の四得点全てに直接関わっている。
「彼はまだ”新”2年生だ。これから1年の成長を考えれば、彼が注目されるのも無理はない。全国的には無名校に咲く一輪の大輪は、まるで物語の”主人公”だ。中学軟式野球出身で無名の存在だから、尚更ストーリー性もあるね」
「主人公......」
珠音の視線の先に映る浩平は、立花の言う記者団の注目を現すかのように多数のボイスレコーダーを向けられ、緊張の面持ちでインタビューに応えている。
そう言われてしまうと、長年に渡る”相棒”も急に遠い存在に思えてしまう。
「君も”主人公”だよ。彼は”ヒーロー”で君は”ヒロイン”だ」
珠音の心の内を見透かしたように、立花は微笑を見せる。
「でも、”ヒロイン”なら”ヒーロー”の存在なしには成り立たないですよね」
「そうでもないさ」
立花はスマートフォンを手早く操作し、画面を見せてくる。
「ほれ。”ヒロイン”は”ヒーロー”の単なる女性形にすぎない言葉さ。つまり、本質的には同義。彼が主人公なら、君もまた主人公さ。個々の人生における主人公ではなく、群衆がそれぞれ送る人生の中で、燦々と輝き他者に影響を与え続けた強烈な存在としての”主人公”だね」
「私は、そんな存在ではないですよ」
「”まだ”そうだね。君たちが目標の一つを達成し、その先に進めた時に初めて、君は”主人公”になれる」
珠音の少し弱気な発言へ喝を入れるように、立花は喰い気味に返答する。
「いいかい、君は主人公に成り得る存在だ。その意味と価値を、自覚した方がいいよ」
立花の真剣な眼差しに、珠音はハッとさせられる。
少なくとも、ここに集まった野球部はもともと所属していた男子部員だけでなく、所謂”女子班”は自身の存在により人生を大きく”動かされた”人物である。
「はい」
珠音の表情が自然に凛と引き締まる。
「増渕理事だ」
立花の声に、珠音はその視線の向きを追う。
八部球場の事務室で対峙した約5ヶ月前の記憶が思い起こされる。
珠音の視線に気が付いたのか、増渕は不機嫌さを前面に押し出した表情と視線を返してきた。
「私は立ち止まれませんね」
立花は少し驚いた表情を見せ、珠音の表情を見やる。
公用車に乗り込む増渕の背中を真っすぐ捉え、その姿が見えなくなるまで視界に収め続ける。
自分の歩むその先の人生を見据える眼光は、どんな障壁でも貫ける程の鋭さだった。
初戦で格上校を打ち破った勢いそのままに、鎌大附属野球部は地区大会を突破した。
最も、注目を集めたのは春秋を通じて実に4年振りとなる結果よりも、4番を務める浩平の打棒とアルプスに陣取る珠音を中心とした女子班による応援だろうか。
「県大会注目選手は、湘南地区大会の打率.714で2本塁打を記録した土浦浩平くん」
珠音は鬼頭が持って来たままベンチに置きっぱなしにしていた地方新聞を柄にもなく開くと、蛍光ペンで縁取りされた記事に目を通す。
「チームを4年振りに県大会へ進出させた原動力と言っても過言では無い......だそうだよ」
「と言いつつ、写真はお前じゃねぇか」
浩平が新聞を奪い取ると、掲載されている写真には”注目の打者”ではなく、スタンドでメガホン片手に応援する珠音の姿が写し出されていた。
「鎌倉大学附属高校硬式野球部は前年12月より女子班を創設し、班長の楓山珠音さんを中心に11人の部員が日々の練習に励んでいる。女子硬式野球の春の全国大会を控える中、大会期間中もスタンドまで応援に駆け付けている」
「”私たちは女子硬式野球部ではなく、男子と同じ一つの硬式野球部”です。楓山さんの言葉の通り、鎌大附属は部員一丸となって、県大会に挑む......」
珠音は浩平の読む記事の続きを何も見ずに独白し、浩平に決め顔を見せる。
「ドヤ顔うぜぇ。というか、この記事とかもはやお前の記事じゃねぇか!しかも、内容覚えているあたり読み込んできたな!」
「はっはっは、頑張りたまえよ”原動力”くん」
珠音はベンチに座る浩平の肩をポンポンと機嫌よく叩く。
「調子はどうだ?」
「快調快調」
珠音は左肩をグルグルと回し、自信の好調ぶりをアピールする。
実のところ、最近の練習で浩平は珠音のボールを受けておらず、その調整ぶりや成長を肌で感じられていない。
それまでの練習では珠音の相手を浩平が務めることが多かったが、春の大会を直前に控えた直近では本番を想定し、珠音の練習パートナーは舞莉が務めている。
さらには、女子班創設後は初心者ながら捕手を務める舞莉のレベルアップも兼ね、投手と捕手で特定のパートナーと組まずに練習を行ってきたこともあり、単純にパートナー練習の機会が減ってしまったのも要因の一つである。
「なら良かった。折角、お互いがお互いの試合を全試合観戦できる日程なんだから、存分に暴れてもらわないとな」
鎌大附属にとっては都合がいいことに、男子の春季地区大会と県大会の間に女子硬式野球の全国大会が日程組されており、試合会場も東京と程近い。
流石に”女子硬式野球”の大会に男子は出場できないので、今度の大会では浩平たち男子班はスタンドからの応援に専念する。
「応援、期待しているよ!」
珠音はベンチに置いてあった自分のグローブを取ると、琴音に声を掛けてキャッチボールを始める。
予定では、これからブルペンで投球練習の予定だ。
「珠音の調子がよさそうで、受ける私としても気分がいいよ」
プロテクターをつける動作も随分と慣れた手つきになってきた舞莉が、2人の掛け合いを茶化すように笑っている。
「そんなにですか」
「ボールを伝わって、彼女の強い思いが私の中にビンビン伝わってくる」
「......ホントですか?」
「忘れたのかい?私は野球部で吹奏楽部で新聞部で写真部なのだよ」
これまでの練習を通じ、舞莉は珠音の投球どころか他の男子部員の投球を難なく捕球できるまでに成長していた。
吹奏楽部としてはアンサンブルコンテストで金賞を受賞した瞬間を目の当たりにしたし、学内報を見れば写真部としてコンテストに入賞、新聞部としては優秀賞を獲得している。
毎日のように顔を合わせていて忘れそうになることもあるが、舞莉の超人振りを鑑みるに分からないことはないのかもしれない。
「私の顔を見つめて、何を考えているのかね?」
舞莉の顔が目の前までに迫り、浩平は身体をのけぞらせる。
「な、何でもないですよ」
「それは”ウソ”だね。”この人は何者なんだろう”って言葉が、顔に出ているよ」
浩平が視線を明後日に向ける様子が面白かったのか、舞莉はケラケラと笑っている。
「何にせよ、君たちの頑張りがきっかけで、どんな形であれ我々は注目を集めることに成功したんだ。珠音をはじめ、私たちの存在が公になることは、事態を好転させるために必要だね。取材依頼が舞い込んできているそうだし、我々としては狙い通りだ」
「そうですね」
「この勢いに乗らない訳にはいかないよ。それに、私も純粋に頑張りたいと思えているよ」
舞莉はキャッチボールする珠音と琴音の2人を見やり、楽し気な表情を見せる。
「初めに予想していた以上に楽しめているし、ここに愛着も湧いてきたからね。私はどんなに頑張っても8月の頭に野球部の”水田舞莉”は引退しなきゃいけないから、ここでの思い出は1年にも満たない。それでも、私の人生でも色濃さは随一だよ」
「そう言ってもらえて嬉しいですけど、先輩なら卒業した後もたくさん面白いことに出会えると思いますよ」
「......それもそうだね」
準備の整った舞莉は立ち上がり、浩平に振り返る。
「とにかく、限られた時間一杯に楽しませてもらうよ」
舞莉は突然駆け出し、珠音に向かって投げられた琴音の球を奪い取る。
「せ、先輩!?」
「やほ、準備できたよ。行こうか」
「はい、よろしくお願いします。琴音、ありがとね!」
珠音は大きく手を振ると、舞莉を追うようにブルペンへ小走りに駆けていく。
「愛しの旦那様を奪われて水田先輩に嫉妬するのはいいが、俺の練習のことを忘れないでくれよ、女房役」
その様子をじっと見つめていると、次戦に登板予定の二神が表情を緩ませながら近付いてくる。
「あぁ、すまん。今準備するから」
浩平は慌ててプロテクターを付けると、二神を伴いブルペンに向かう。
隣では既に珠音がウォーミングアップを終え本格的な投球練習を始めており、舞莉がキャッチャーミットから小気味良い音を鳴らしている。
「ナイスボール」
珠音の投球を受ける役は、今は自分ではない。
「始めようか」
「おう」
最初は軽めのキャッチボールから始め、徐々に肩を暖めていく。
少しずつギアを上げていくと、浩平のキャッチャーミットに伝わる力と音の大きさが強くなっていく。
「準備はいいか?」
「オッケーだ」
浩平が膝を折り、タコ糸で疑似的に作り出したストライクゾーン越しに二神を見る。
「準備はこれからか」
初球は真ん中のゾーンを抜け、浩平のミットに収まる。
「ナイスボール」
首を大きく縦に振り二神にボールを返球すると、脇目で珠音の投球を見る。
日々の練習の成果か、女子選手としては”剛速球”となる120km/h後半を時折測定するまでになっていた。
「さぁ、行こう!」
口から出た言葉は、練習パートナーの二神に投げかけた言葉か、横で投げる珠音に呼びかける言葉か、はたまた自分に言い聞かせる言葉か。
硬式野球部は成果を伴って着実に前進している。
珠音の投球を再び受けられるその日が来るまで、浩平の視線は真っすぐ前だけを見据えていた。
全国高等学校女子硬式野球選抜大会。
全国に点在する女子硬式野球部が一堂に会する年二回の大会のうち春に行われる大会で、春の全国大会とも呼ばれている。
「そもそも女子硬式野球部がある学校自体が少ないからね。参加校はこれまで32校。今回は私たちの他に、連合チームが新しく参加して36校」
開会式直前、まつりは平然と事前の大会要項を見ながら、概要を確認する。
女子野球は原則7イニング制で行われ、4回で10点差以上、6回で7点差以上ある場合にはコールドゲームが適用される。
中学で軟式野球に取り組んでいた珠音としては馴染みのルールも、シニアチームに所属していたまつりにとっては少々物足りないようにも感じられる。
「それでも、少しずつ大きくなってきているんでしょ。競技人口とその受け皿が増えれば、もっと活気のある大会になるよ。新参者の私たちとしては、この大会を大いに盛り上げないとね」
女子班班長の珠音を先頭に隊列を組み、開会式が開始される合図を待つ。
「......それにしても、相手校はビックリするだろうなぁ」
「だよねぇ」
琴音と夏菜が苦笑いして思い浮かべるのは、今日の第2試合として行われる鎌大附属サイドのスタンドの光景だろう。
女子野球の大会は認知度が低く、応援団が駆け付けることもなく観覧者も限られるために、球場内には選手の声だけが響いている。
しかし、鎌大附属はあくまで一つの”硬式野球部”であり、試合に”出場できない”男子部員は、応援団として球場外で準備を始めている。
「この前の地区大会では私たちがビックリされる側だったんだし、細かいことは気にしない気にしない」
舞莉がケラケラと笑っていると、開会式の始まりを告げるアナウンスが聞こえてくる。
「みんな、行こう!」
大会運営の案内を受け、選手たちがグラウンドへ歩み出していく。
一校一校が順々に太陽の下に姿を見せる中、一際人数の少ないチーム。
珠音を先頭に整然と歩くその姿は、他の35チームと比べても一際頼もしく鬼頭には感じられた。
大会初日の第2試合。
いよいよ鎌大附属硬式野球部の女子班の初陣である。
「いいか、実戦経験には乏しいが、君たちには男子班と合同で取り組んだ厳しい練習と紅白戦の経験がある。これは他校にはない、君たちだけの経験だ。練習を思い出して、一つ一つのプレイに集中していこう」
鬼頭の檄に、部員たちが応える。
勝てる確率は少ないかもしれないが、この4か月の間、選手たちは初心者ながらボールに喰らいつき、着実に成長してきた。
続いて、スターティングメンバーが発表される。
「1番ショート伊志嶺、2番ピッチャー楓山、3番サード財田、4番キャッチャー水田、5番ファースト吉田、6番セカンド佐野、7番ライト齊藤、8番センター高橋、9番レフト桐生」
初心者を中心としたチーム構成を考慮し、経験者を上位に固めて出塁の機会を少しでも高めようとした鬼頭の采配である。
4番打者を務める舞莉も確実性には欠けるが、打席でも期待を感じさせるだけの才能がある。
現状において、ベストな布陣と言える。
「楓山、班長として何かあるか?」
鬼頭に促され、班長の珠音が円陣の中心に立つ。
「みんな、いよいよ女子班の初陣です。監督の言う通り、私たちは実戦経験が少ないし、公式戦は初めて。正直、勝てる見込みも少ないかもしれない。それでも、これまで頑張ってきた日々を思い出して、今日という一日と試合を楽しもう!」
珠音の檄に全員が応え、11人が一列に並ぶ。
「集合!」
審判の合図で両チームが整列し、その隊列から人数の少なさが歴然の差として現れる。
「礼」
『お願いします!』
元気の良い掛け声と同時に、鎌大附属のナインがグラウンドに散っていく。
ダイヤモンドの中心に設置されたグラウンドで一番高い場所に、珠音は堂々と仁王立ちする。
「とりあえず、相手の反応を見たいから投球練習から全力で。相手は新設校だってうちらのことを舐めてるかもしれないし、浮足立たせられるかもしれない」
舞莉と事前の打合せ通り、試合前のアップでは抑え気味にしていたエンジンを一気にフルスロットルまで上げる。
「......うん、快調」
最近では体調さえよければ、コンスタントに120km/h台中盤を投じることができるまでになった。
この日も身体に違和感はなく、体感でもいつも通り力の乗った球を投げられている。
緊張により動きが硬くなっている様子はなく、視界の端に映る相手のトップバッターが動揺する姿をまじまじと観察できるくらいの余裕まである。
「(狙い通りだね)」
弱小校と思っていた相手のピッチャーがいきなりトップレベルの実力を持っていると知ったら、流石に平静さを保てないものらしい。
「プレイ!」
楽し気な表情の舞莉のサインに応え、珠音が初球を力いっぱい投げ込む。
ど真ん中ストレート。
珠音の想いの籠った第一球は、何者にも妨害されることなく進み、舞莉のキャッチャーミットに収まった。
初回の守備が終わり、ナインがベンチに戻ってくる。
「ふあぁ、緊張したぁ」
「いや、夏菜はまだ出場してないでしょ」
何故かぐったりとベンチに座り込む夏菜に、まつりが的確に指摘する。
何だかんだでいいコンビである。
「でも、確かに練習と公式戦は違うね。打球は飛んでこなかったけど、心臓がバクバクしたよ」
琴音が大きな溜め息をつくと、舞莉がポンとお尻を触る。
「ひやぁ!」
「あら、いい反応ね。緊張は解れたかな?」
「え、あぁ、はい!」
「なら結構。もっとも、打球がレフトまで飛ぶか怪しいけどねぇ」
舞莉は初回の守備を思い返す。
珠音の快速球の前に、1番打者と2番打者はバットに掠ることなく三振を喫し、何とか当てた3番打者の打球もまつりが流れるように処理した。
「さぁ、まつり。まずは塁に出よう!」
打席に向かうまつりの背中に、珠音を筆頭にベンチから応援の声が飛ぶ。
「フレー、フレー、い・し・み・ね!」
『!?』
圧倒的な声量がグラウンドに響き、球場の視線が一点に集中する。
普段はクールなまつりも驚いて打席を外して正面の1塁側スタンドに視線を送ると、男子部員がどこからか持ち出した大太鼓を打ち鳴らしていた。
「うわ、すごいね」
「何か、すみません」
相手校のキャッチャーが苦笑交じりに声をかけ、まつりは少々恥ずかしそうに応じる。
「何あれ、友達?もしかして、誰かの彼氏?」
マスク越しでも分かる、からかいの表情。
「いいえ」
まつりはそれを、凛とした態度で返答する。
「大事なチームメイトです」
「......へっ?」
相手捕手はマスク越しでも分かるくらいに、驚きの表情を見せていた。
対戦校はあくまで”女子”硬式野球部であって、まつりたち鎌大附属ナインも自分たちと同様だと思っているようだ。
正しく鬼頭の言う通り、彼らの存在は”他校にない強み”とも言える。
「プレイ」
主審から発せられた試合開始の合図。
先程までの”歓談”はどこかへ置き、本塁とマウンドの間で勝負の駆け引きが開始される。
「ボール」
「(球質は軽いな)」
外角に外れた初球のストレートを悠然と見送り、まつりは心の中で独白する。
これまでのシニアチームでの経験と、ブランク開けとはいえ男子との練習で養った実力は、相手投手の実力を正確に見極めた。
ワインドアップモーションから内角のベルト付近に投じられた二球目。
「えっ!?」
鋭いスイングに弾き返された打球は、誰もいない左翼手と中堅手の間を真っ二つに切り裂き、深々と破り進んでいく。
陸上部エースとしての実力も兼ね備えたまつりの脚は、悠々と三塁を陥れた。
「ナイスバッティング!」
一塁側ベンチから飛ぶ声援は、すぐさまその頭上に位置する猛々しい応援団により掻き消される。
それもそのはず、男子部員は結束して”応援練習”に精を出す程であり、込められた熱量ならばどこにも負けない自負がある。
「......張り切りすぎだ」
「ですね」
鬼頭の溜め息交じりの独白に、すぐ横にいた琴音が苦笑する。
「珠音、続け!」
「いけるよー!」
次打者の珠音が主審に頭を下げ、バッターボックスに入る。
内野手は本塁での封殺を企図し、ジリジリと前進する。
「そういえば、二番って初めてかも」
珠音はそれ程打撃が得意ではないと思っている。
中学校の軟式野球部でも常に下位打線で、覚えている限りでも打撃成績はいいとは言えない。
「あれ?」
ベンチからの指示はヒッティング。
様子見を兼ねて見送ったボールに、主審の判定はストライク。
「打てそう」
思わず口に出した言葉に捕手が怪訝な表情を見せ、警戒したのか二球目は大きく外角に外された。
続く三球目は真ん中高め。
「ゴー!」
弾き返された打球は二塁手がジャンプして伸ばしたグローブの先をかすめ、今度は右翼手と中堅手の間を切り裂いていく。
「頼もしいような、ただ五月蠅いような.....」
悠々到達した二塁ベース上でピースサインを見せる珠音へ、アルプスの応援団から送られる魂のエールに、思わず苦笑してしまった。
続く三番打者の財田はキッチリバントを決めると、舞莉が飄々と打席に入る。
「さて、チャンスだね」
ベンチからは”任せる”のサイン。
「私の仕事は、なるべく確実に得点を得ることか」
敢えて大きめの独り言を出し、捕手の様子を伺う。
どうやら、よく分からない新設チームの前にあっさり得点を許し、相手捕手は浮足立っているようにも見えた。
「センター!」
経験の浅い舞莉でも確実に捉えられる球が来るまで投球を見極め、投じられた5球目。
「あちゃー......でも、十分か」
真っすぐ中堅手へと飛んでいくボールを見て珠音は三塁に帰塁し、遊撃手は中継の位置に入る。
「ゴー!」
中堅手が飛球を捕球するのを確認し、三塁コーチャーを務める夏菜の声と同時に、珠音が三塁ベースを離れて本塁に向け走り出す。
本塁奥で指示を送る次打者の吉田が、大きなジェスチャーで滑り込むよう指示が出る。
「間に合う!」
中継を介して本塁に届けられた返球と珠音の競争は、主審が判定に悩むような場面を作り出すことなく珠音の勝利に終わる。
「新設チームじゃないの?」
「何なんだろう、この相手。応援もなんか凄いし」
自分たちのペースに持ち込めずに焦る相手バッテリーが、珠音をチラチラ見ながら本塁上で言葉を交わしている。
「鎌大附属の硬式野球部です」
ベンチに戻ろうとする足を止め、珠音が振り返り二人の疑問に応える。
「......いや」
相手投手の続けようとした”そんなことは分かっている”の言葉を遮り、珠音は凛として言葉を続ける。
「女子野球部じゃなくて、男女混合の硬式野球部です。今後とも、よろしくお願いします」
珠音は頭を下げ、小走りにベンチへと戻っていく。
呆気にとられた表情のバッテリーは主審に促され、それぞれのポジションに戻っていく。
自分たちの存在を知らしめるための第一歩を、珠音たち硬式野球部は着実に踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます