プロローグ0(後編) ~出会い~
相変わらず老人の言葉は分からなかったが、何を言っているのかはよく分かった。先程行商人が口にした「パールドン」という言葉は英語の「Pardon」と同じ様な発音だった。一見共通点のないように思える言語だが、よく聞いてみると英語に似たような発音をしていることが分かる。老人の言った「ィエエス」とは、そのまま「Yes」を意味しているのだろう。
老人は私が書いた文章の意味を理解していると言っている。それならば話は早い。言葉に頼らずとも、筆談でやり取りをすればいいのだ。
ここはどこの国の何という村なのか?
今は西暦何年の何月何日なのか?
彼らが話している言葉は何語なのか?
何故、英語で書かれた本を所有しているのか?
私は次々に浮かんだ質問を頭の中で英訳し、地面に書き殴った。老人はその質問の下に、一つずつ回答を書き連ねていった。
「ここはベシス領下のソノという村で、今日はエドワード暦28年の112日目。話している言葉はベシスの公用語で、本も公用語で書かれている。英語というのは何なのかは分からない」
以上が老人の書いた返答だった。その内容は私の疑問を解決するどころか、さらなる疑問を生じさせることとなった。ベシスという国もエドワード暦という
さらに老人は英文を理解しているにも関わらず、「英語というのは何なのかは分からない」と言っている。つまり彼はこれは英語ではなく、ベシス語として認識しているということになる。それならばとアメリカやイギリスについて尋ねてみたが、老人は「そんな国は知らない」と返すばかりだった。
私は他にも認識の相違がないかを確認するための質問を続けた。その結果、老人は私が一般常識だと考えている出来事や事柄を何も知らず、その逆もまた然りだった。私と老人の有する知識は言語や文化、歴史に至るまで、全くと言っていい程にかみ合わなかった。
(これは一体、どういうことなんだ……?)
異なる文化や価値観に触れる事には慣れているつもりだったが、あまりにも違いすぎる。とても同じ地球上の話とは思えない。もはや異国どころか全く別の世界に放り込まれたような気分だ。
私が腕を組んで顎に手を当てて考えていると、老人は再び地面にガリガリと文字を書き出した。そして書き終えると、真っ直ぐに私を見据えて言った。
「ゥホアレヨウ?」
私は視線を落とし、書かれた文字を確認する。
Who are you?
地面に書かれていたのは、私の正体を尋ねる言葉だった。
「私は……」
私はその問いに答えようとしたが、すぐに口をつぐんだ。老人から得た情報は私をひどく混乱させた。今までの人生で培った知識や常識が全く通じない。自分が何者なのかはっきりと答えられない程に揺らいでいた私は、「I don't know」と地面に書くより他なかった。
その後も私はソノ村に滞在し続けた。老人の話には面食らったが、置かれた状況を理解するには貴重な情報源だったからだ。おかげで様々なことが分かった。エドワード暦28年というのは国王が即位してからの年数で、新たな国王が即位することで改暦を迎えるらしい。その際は新王の名を冠した新暦が始まるとそうだ。日や年の概念はあるものの週や月といった概念はなく、一年を300日としているのも特徴的だった。
さらに私は書いた英文を読み上げてもらうことで、ベシス語の喋り方を学んでいった。その結果、彼らは英文をローマ字読みして話していることに気が付いた。たとえば「Who are you」なら「ウォアレヨウ」といった具合だ。その他にも細かいルールがあるようだが、これが大原則だった。
この原則が分かったおかげで話す方は何とかなった。自分の言いたいことを一度英訳し、それを再びローマ字読みに変換すればいいのだ。一方でリスニングには苦労した。相手の発音から英文を予測し、それを翻訳しなければならないからだ。それでも日本語の通じない環境に放り込まれたことで、私のベシス語は否応なく上達していった。おかげで半年もすると流暢に会話ができるまでに成長を遂げた。
いつしか私は自らを「フランツ」と名乗るようになった。村人たちの名はニックやカールといった西洋風のもので、私の元の名前はあまりにも場違いだったからだ。ソノ村特有の風習なのか村人たちは姓を持っていなかったため、それに倣って姓は名乗らなかった。
言葉を覚えたことで、私はこの世界についてもっと詳しく知りたくなった。これも学者の
私は村人たちに世話になった感謝と別れを告げ、村を出た。老人にも旅立つことを伝えたが、彼はただ一言「そうか」と返しただけだった。
知見を広げるためにソノ村を出た私は、行く先々である噂を耳にした。何でも突如現れた「魔王」を自称する男が軍勢を率いて、各地を荒らし回っているのだそうだ。その集団は青い肌に真っ黒い目をした不気味な風貌をしており、不可思議な力を使うのだという。突如現れた異形の軍勢。私はその話に強く興味を惹かれた。もしかすると私の身に起きた出来事と何か関係があるかもしれない。そう考えた私は魔王を調べることにした。
各地を巡って魔王の情報を集めていると、今度はまた別の噂を聞くようになった。勇者を名乗る人物が現れ、魔王軍と戦っているという噂だ。勇者は魔王軍を次々に打ち破り、占領された地域を取り戻していった。追い詰められた魔王軍はシゼという国に逃げ込んだと聞いた私は、魔王を追ってシゼへと向かった。
その道中、私は一人の男と出会う。身の丈190cmはあろうかという色黒の大男で、どうやらシゼの兵士のようだった。男の様子を見た私は既にシゼが魔王軍の手に落ちたことを理解した。
魔王について話すと男は鼻息を荒くして、私に同行すると言い出した。祖国の復讐のために私を利用しようと考えたのだろう。しかしそれは私にとっても悪い話ではなかった。実際に魔王軍と戦って敗れた当事者の話は貴重な情報であり、旅をする上での用心棒にもなるからだ。こうして私の旅に同行者が加わった。男の名はガラルドと言った。
ガラルドが仲間となってすぐ後、勇者はシゼで魔王軍と戦い、そして敗れる。連戦連勝で魔王軍を退けてきた勇者にとっては初めての敗北だった。その後、両者は互いに戦闘を避け、膠着状態が続いた。魔王軍はシゼに立てこもったまま動きを見せず、勇者はいつまで経っても魔王軍と戦おうとはしなかった。
その状況に私は違和感を抱いた。勇者は残党狩りと称して世界中を旅しているらしい。未だ本丸が残っているというのに、そんなことをしている場合だろうか? 真っ先にやるべきは魔王を倒すことのはずだ。勇者の行動は魔王軍に戦力を立て直す
(勇者と魔王軍には何らかの繋がりがあるのでは?)
そこで我々は勇者の足取りを追い、魔王軍との繋がりを調べ始めた。そんな折、勇者の仲間の一人が「救いの里」という集落に自らの信奉者を集めていると知った私は、情報を得るためにガラルドをそこに送り込んだ。
それに並行して私は勇者の後を追った。勇者一行がティサナという村に向かったと聞いた私は、そこへ向かうための準備を始めた。ティサナ村が火災に遭ったと知ったのは、その翌朝のことだった。
すぐさま調査隊が結成され、私もそこに加わった。ティサナ村は王国の片隅の山の麓にあるらしく、足場の悪い獣道をひたすらに歩いた末にようやく到着した。
「こりゃひでぇ……」
調査隊の一人が誰ともなしにつぶやいた。誰も何も言わないが、誰もが同じ気持ちだっただろう。
結局生存者は見つからず、村人は全員死亡ということで結論付けられた。捜索が打ち切られ、調査隊の面々が引き上げていく中、私は村に残って考えを巡らせていた。
(勇者一行が訪れた地域では、必ず若く美しい娘がいなくなっている。しかしこんなケースは初めてだ。一行が訪れたその夜に村が火災に遭う……偶然にしてはタイミングが良すぎる。やはり連中が関わっていると見るべきか)
だが、生存者がいないのでは情報は得られない。そこで私は何か手掛かりがないかもう少し調べることにした。焼け跡を歩いていると、一人の人物がぼんやりと佇んでいるのを見つけた。
(あれは確か……)
私はそれが生き残った村の青年だと気が付いた。数少ない貴重な生存者だ。話を聞く価値はある。私は力なく項垂れる青年に背後から声をかけた。
「君は真実を知りたくないか? 昨日の晩、この村で何があったのかを」
青年は驚いたように体を震わせると、恐る恐る振り返った。その顔には疲労と絶望が色濃く浮かんでいた。私は続ける。
「私の名はフランツ。故あって勇者を追っている」
「勇者を……?」
青年は見るからに訝しげな視線を私に向けた。「一体、何のためにそんなことを?」という青年の心の声が聞こえてくるようだった。訝しげな視線を意に介することもなく、私は言う。
「端的に言おう。この火災には勇者一行が関係している」
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