プロローグ0(中編) ~追究~
信じがたい光景に当惑しながらも、私は改めて状況を確認した。窓には驚きで目を見開いた若い男が映っている。年の頃は二十代後半から三十代前半といったところか。
(若い。若すぎる……)
私の年齢からはあまりにもかけ離れすぎている。問題はそれだけではない。これが自分の若かりし頃の姿であれば、どのようにしてそんなことになったのかは別として「どうやら若返ったらしい」と一応は納得しただろう。
だが、窓に映ったその顔はどう見ても私のものではなかった。顔立ちが明らかに違うのだ。身に着けている装飾品は思い入れのある馴染み深いものだが、この顔には全く見覚えがない。掘りの深い顔に切れ長の目……そして高い鼻。自分の顔でもなければ、東洋人の顔でもなさそうだ。
(一体、誰の顔なんだ? これは本当に現実なのか?)
さらに三軒、他の家を当たってみたが、どの家の住民も反応は同じだった。私の言葉が分かる者は誰もおらず、私もまた彼らが何を言っているのか理解できなかった。
そうこうしている内に日は落ち、いつの間にか辺りは夕闇に包まれていた。言葉が通じないのでは、交渉の仕様がない。やむなく私は野宿をすることにした。
すっかりと人気のなくなった村落を歩いていると、隅の方にひっそりと佇む木を見つけた。よく見るとその木の幹には、ちょうど大人が一人入れる程の樹洞があった。私はこれ幸いと
(まずは情報を得るのが先決だな。どうにかして彼らと……意思の疎……通……を……)
ようやく見つけた寝床の中で考えをまとめようとしたが、長距離移動による肉体的疲労と未知の世界に放り込まれた精神的疲労により、私は瞬く間に眠りに落ちた。
翌朝、白々とした朝の光と共に私は目を覚ました。日の高さから察するに、まだ夜が明けて間もない時刻だろう。やはり昨日の出来事は夢ではなかったようだ。私はもそもそと寝床から抜け出すと、早々に情報収集を開始した。
村人たちはまだ寝ているらしく、辺りしんと静まり返っている。その時、どこからか微かにメェメェという鳴き声が聞こえてきた。声のする方に行ってみると大きな柵があり、その奥には小屋が見えた。どうやら羊を飼っているらしい。
歩きながら居並ぶ家屋の数を数えると、全部で25軒だった。どれも同じような簡素な造りをしており、自動車の類は一台も見当たらない。誰も自家用車を所有していないのだろうか?
村の周りを歩いてみると全長はおよそ二キロ程で、規模としては小規模だ。村の周辺はぐるりと取り囲むように石垣で覆われている。おそらく侵入者避け対策だろう。見渡す限り平原でスーパーやコンビニといった建物はおろか、電信柱の一本も見当たらない。地面も整備されていな未舗装の道で、車が走ったような形跡もない。
探索を終えて入り口まで戻って来ると、いつの間にか起き出したらしい数名の男たちが野良仕事をしているのが見えた。私は怪しまれないように遠巻きからその様子を眺めた。男たちは手に鍬を持ち、地面を耕している。注目したのは彼らの服装だ。上半身は長袖のベージュのチュニックで、腰の辺りを紐で縛っている。下は茶色の長ズボンに、同じく茶色の皮のブーツを履いていた。
一夜明け、周辺の様子とそこに住まう人々を観察して分かったことがある。どうやらここは西洋の村のどこかで、彼らは自給自足の暮らしをしているようだ。そう考えるに至った理由は単純だ。村人たちの服装や顔立ちが明らかに日本人のものではなかったからだ。
次に私はさらなる情報を得るために彼らとの接触を試みた。幸いなことに、この村の人々は私に対して警戒心よりも好奇心を強く抱いているようだった。だが、意思の疎通ができないことには情報収集もへったくれもない。そこで私はあるやり方で、彼らの言葉は解読することにした。
まず手帳に適当な絵を描く。この時に重要なのが、訳の分からないものを描くということだ。私は丸を適当にぐしゃぐしゃと塗りつぶした絵を描いた。次にそれを見せると、村人はしばらく考え込んだ後に私にこう言った。
「ゥハティスティヒス?」
さらに二人、三人、四人と絵を見せてみると皆同じ言葉を口にした。そこで私は彼らの発した言葉が疑問を意味しているのだと推測した。おそらく「これは何だ?」と言っているのだろう。訳の分からない絵を描いてみせたのは、「これは何だ?」を意味する言葉を引き出すためだ。
そこから私はありとあらゆる物を指差して「ゥハティスティヒス?」と聞き回った。「ウハティスティハティ」が「あれは何だ」、「ワテアル」が「水」、「ティレエ」が「木」、「エストネ」が「石」、「ソラール」が日光といった具合に、少しずつ彼らの話す言葉を解読していった。
村人たちと交流するようになって分かったのだが、彼らの家には電気もガスも水道も通っていなかった。無論テレビや冷蔵庫といった電化製品はなく、彼らは過剰なまでに牧歌的な生活を送っていたのだ。私は村仕事を手伝いながら、彼らの言葉の解読に勤しんだ。そんなある日、私は大きな発見をする。
ある時、村に行商人がやって来た。村人たちは羊毛や農作物を渡す代わりに、行商人から様々な生活用品を受け取っていた。この村では行商人との物々交換を生活の基盤としているようだった。そんな中、私は荷車に無造作に積まれた本に目を止めた。
『HISTORY OF BESSIS』
その本の背表紙にはそう書かれていた。驚くべきことに、本の
(間違いない……これは英語だ! もしやこの行商人は英語が話せるのか?)
もしそうだとすれば、状況は大きく前進する。真偽を確かめるために私は行商人に英語で話しかけた。
「Excuse me.I want to ask about this book」
行商人は怪訝な顔をした後に答えた。
「パールドン?」
(今のは……「Pardon」か……? 多少発音が異なるが、やはり英語が分かるのでは?)
私は興奮で胸が高鳴るのを抑えながら、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「ゥハティアレヨウサィィンジ」
だが、期待に反して返ってきたのは村人たちが使うのと同じ未知の言語だった。
「Can you Speak English?」
「イドンティケノゥ」
私は一縷の望みをかけてそう尋ねたが、行商人は何かおかしなものを見るような目で私を一瞥すると、それだけ言って去っていった。
(おかしい……あの本に書かれていたのは確かに英語だった。それなのに英語が通じないとは……)
「ドヨウワンティトレアディアボオケ?」
私が立ちすくんでいると、不意に背後から声をかけられた。振り返ると、私がこの村に来て一番初めに接触した
「フォエルロゥメ」
そう言うと老人は歩き出した。どうやら「ついて来い」と言っているらしい。慌てて後を追うと、老人は自分の家の中へと引っ込んでいった。程なくして出てきた老人は、何も言わずに私に一冊の本を手渡した。
(英語を話せる者はいないにも関わらず、英語で書かれた本は存在する……)
考えている内にある結論にたどり着いた私はそれが正しいかどうかを確認するために、足元に落ちていた木の枝を拾い上げると、ガリガリと地面に老人への質問を書いた。
『Can you read this sentence?』
私は地面を指差して老人に書いた文字を読むように促した。
「……」
老人は何も言わなかったが、私の意図を理解してくれたようで地面に顔を近付けた。
「ィエエス。イカントレアディ」
老人は顔を上げると、そう言って静かに深く頷いた。
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