前日譚

プロローグ6 ~悪鬼~

 とある国があった。山間の中にある小さな国だ。周囲を山々に囲まれたその国の土壌は農業には適しておらず、碌な作物が育たなかった。かと言って取り立てて有益な産業があるわけでもなく、国民は常に窮していた。

 その国の歴史は敗北から始まった。権力闘争に敗れ、国を追われた王族が落ち延びた末にたどり着いたのがこの地だった。臣下と自分たちを支持する民衆を引き連れて逃げ延びたその王族は、復讐と再起を誓ってその地に小さな集落を築いた。木々をり家を建て、獣を狩り暮らしていく内に子供が生まれ、集落は少しずつ大きくなっていった。その後も人口は増え続け、集落はいつしか国を自称するまでに栄えて行った。だが、人口が増えると共に新たな問題が発生した。食糧問題である。

 彼らはこれまで狩猟を生活の基盤としていたが、人口が増えるにしたがってそれも難しくなっていった。狩猟は環境や天候、そしても運にも大きく左右され、安定的な食糧の確保には適していないからだ。そこで彼らは土地を耕し作物を育てることを思い立つが、硬く痩せた土地では思うように作物は実らなかった。彼らは周辺の国々に支援を求めたが、没落した元王族が率いるに手を貸す国などあるはずがなかった。

 困窮の末に追い詰められた彼らは、実力行使に打って出た。外界の村へと出向き、略奪行為に及んだのだ。略奪は驚く程あっさりと成功した。成功体験により自信を付けた彼らは、その後も次々と村々を襲っていく。奪った食糧で飢えを満たし、奪った技術で城を築き荒れた大地を耕した。略奪によって食糧問題を解決した彼らはさらにその数を増やし、小規模ながら国と呼んでも差し支えのない程に肥大化していった。その傍若無人は振る舞いに手を焼いた近隣諸国は、彼らを討つべく兵を差し向けたが、山に囲まれた天然の要害に阻まれ討伐は思うように進まなかった。

 その後も彼らは侵略と略奪を繰り返し、近隣を好き放題に荒らし回った。その強さと残虐さを恐れた人々は彼らを憎悪し、「災いをもたらす人食いの怪物」という揶揄の意味を込めて彼らをこう呼んだ。"悪鬼あっき"と。しかし力による繁栄は、突如として終焉を迎える。

 ある日突然現れた青色の肌の軍勢によって、彼らは完膚なきまでに打ちのめされた。軍勢は道具も使わずに大火を放ち、晴れた空に雷を起こし、大地を揺らして地割れを起こした。無類の強さを誇った悪鬼オーガたちは、人智を超えた未知なる力の前にあっさりと敗れ去った。軍勢は立ち向かった兵士たちのみならず女子供、果ては家畜に至るまで皆殺しにした。

 敗北から始まり力によって発展したその国は、力によって荒廃し敗北によって幕を閉じた。


「はァ……はァ……」

 仄暗い洞穴の中、一人の男が息も絶え絶えに横たわっている。大きな男だった。一般的な成人男性と比べて頭二つ分は差がある。大きく感じるのは上背のせいだけではない。浅黒い肌は全身が筋肉の塊であり、鍛え上げられたその肉体は圧倒的な存在感を放っている。頭は見事に剃り上げられており、一本の毛髪も見当たらない。それがまた近寄りがたい威圧感を醸し出している。しかしその迫力のある風貌以上に気がかりなのは、今の男の様子だろう。頭からは血を流し、その地で顔は赤く染まっている。全身にはおびただしい数の切傷と火傷を負っている。

 男は兵士だった。異形の軍勢の侵攻に手も足も出ず、命からがら逃げだしたのだ。だが、男は決して敵に恐れをなして逃げ出したわけではない。今の自分にとってそれが最善と判断したから逃げたのだ。最後の力を振り絞って敵に攻撃を仕掛けることもできたが、それが無駄な抵抗であることは明白だった。このまま犬死にするよりも生き延びるのが先決だ。ここで死ねば、の機会を永遠に失うことになる。男はそう考えたのだ。

「……クソッ……タレ……必ず全員……ブッ殺してヤる……」

 仄暗い洞穴の中、半死半生の男はうわ言のように復讐を誓った。しかしその直後、猛烈な疲労感と倦怠感が男を襲う。男の意識はそこで途切れた。


「うゥ……くッ……」

 うめき声と共に男は目覚めた。全身に鈍い痛みが走る。だが、その痛みによって男は自分がまだ生きていることを自覚した。その瞬間、男は激しい渇きに見舞われた。この喉の渇き具合いから察するに、どうやらずいぶんと長い間眠っていたらしい。恐る恐る体を持ち上げゆっくりと立ち上がる。男は体が動くことを確認すると、ふらふらとした足取りで洞穴を出た。

 男がやって来たのは近くの水辺だった。周囲に敵の気配がないことを確認すると男は両手に水を掬い取り、勢いよく飲み干した。掬っては飲み掬っては飲みを五回程繰り返した後、男は顔面を水の中へと突っ込んだ。ザバァと顔を上げると、澄んでいた水の一部が赤く濁っているのが目に映った。固まった血が流れ落ちたことで顔の突っ張りが楽になり、気分も幾分さっぱりした。しかし男には次なる問題を解決しなければならなかった。

 男に降りかかった次なる問題。それは食糧問題だった。そこで男が問題を解決すべく取った行動は、強硬策だった。通りがかる者から食べ物を脅し取ったのだ。なければ奪う。そんな国是の下で生まれ育った男が強奪行為を選ぶのは、至極当然のことだった。

 そんなある日、男はいつものように通りがかった旅人の前に立ちはだかると、剣を突きつけて脅しをかけた。

「待ちな。死にたくなければ大人しく食いモンを寄こしな」

「……」

 そう声をかけられた旅人は声を上げることもなく男に視線を向けた。だが、その様子はどうにもおかしい。違和感を抱いた男は旅人の様子を探る。体型はやせ型の長身で精悍な顔立ちをしており、頭には頭頂部の中央を縦に折り込んだ茶色い帽子を被っている。何か品定めするかのような目でこちらを見ている。その表情は恐怖の色は微塵も見えない。恐怖で声も出せないのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「……見たところ単なる追い剥ぎらしいな。当てが外れたようだ」

 男は残念そうにつぶやく。

「何をブツブツと抜かしてヤがる。いいからさッさと食いモンを出せッてンだヨ!」

「シゼの生き残りの兵士が、こんなところで追い剥ぎのような真似をしている場合か?」

 凄む男に怯むことなく帽子の男は言う。自分の正体を言い当てられた男は明らかに動揺した。

「な、なンでそれを……!?」

「単なる山賊にしては、装備が大仰すぎる。剣はともかくとして、鎧一式は簡単に揃えられる物ではない。ましてやその巨体に見合う物となると尚更だ。その鎧は特注品だろう? 特注した鎧を与えられる身分となると、答えは兵士に限られてくる」

「……なンで俺がシゼの生まれだとワカッたンだ?」

「君の話す言葉には、特有の訛りがある。そこからシゼの人間ではないかと推察したのさ。それに魔王軍がこちらに向かったという話も聞いていたからな」

 帽子の男は得意気になるでもなく、さも当然といった様子で淡々と男の出自を見抜いた理由を述べた。

(何なンだ? コイツは……)

 男は訝しむように帽子の男を睨みつけた。剣を突きつけられても動じない態度といい、自分がシゼの兵士だと言い当てる洞察力といい、只者ではない。そんな男の警戒心を意に介せず、帽子の男は尋ねる。

「しかしシゼの兵士ならば好都合だ。シゼはどうなっている? 魔王軍の様子は?」

「さッきから何なんだヨ? その魔王軍ッてのは」

「奇妙な力を使う青い肌の軍勢だ。勇者との戦いに敗れた魔王軍はシゼに逃げ込んだと聞いたのだが、何か知らないのか?」

「……そうか。あのクソ共は魔王軍ッてェのか」

 帽子の男の言葉に、男は吐き捨てるようにつぶやいた。

「やはり何か思うところがあるようだな。詳しく話を聞かせてくれないか?」

「……その前に一つ聞きてェ。お前は何者だ?」

「私の名はフランツ。故あって魔王を追っている」

 男の質問に、帽子の男はそう名乗った。

 フランツの話を聞いた男は、魔王を倒し祖国を取り戻すべく、旅に同行することを決めた。その後、男は魔王と勇者の真相を知ることとなる。

 それからさらに後、男は勇者との戦いの末に壮絶な最期を遂げる。仲間を逃すために一騎打ちを持ちかけ、勇者によって討ち取られたのだ。他者の命を奪い生きてきた男は、他者の命を守って死んだ。あっけない最期だった。

 斯くして人々を恐怖に陥れたシゼの悪鬼オーガは、この世界から姿を消した。

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