最終話 穏やかなひと時

 ベシスの都の城下町。宿屋、雑貨屋、レストラン……。城下へと続く通りには様々な店が軒を連ね、集まった人々で活気に溢れている。そんな人の波を縫うようにして一人の男が歩いている。男の目は異様に鋭かった。例えるならカミソリのような鋭利さで、全てを見透かし切り裂くようなそんな目だ。しかしそんな鋭い目付きとは裏腹に男の表情はどこか柔和で、近寄りがたい雰囲気のようなものは感じさせなかった。男は一軒家の軒先で足を止めると、ノックもそこそこに扉を開いた。

「おーい、邪魔するぜ」

 男が声をかけると、しばらくした後に若い赤毛の男が姿を現した。

「誰かと思えば珍しいな。今日はどうしたんだ?」

「明日のことを伝えに来たのさ」

「明日? 何かあったかな……」

「おいおい、まさか明日の"式"を忘れたわけじゃないだろうな?」

「冗談だ。もちろん覚えてるさ。殿下の戴冠式だろ?」

「チッ、最初からそう言えっての……タチの悪い野郎だぜ。ところで妙に静かだが……お前一人か?」

「あぁ、彼女はちょっと出かけてるんだ。明日の準備でな」

「そうかい。なら、あいつにも必ず来るように伝えておいてくれ。まっ、準備を進めてるってんなら、わざわざ言伝する必要もなさそうだがな。それじゃあ俺はもう行くぜ」

「忙しないな、今来たばかりじゃないか。少しゆっくりしていったらどうなんだ? せっかくお茶でも淹れようと思ったのに」

「そうしたいのは山々だが、何分忙しい身でね。休む暇もありゃしない。こうなることが分かってりゃこんな役目、引き受けなかったのによぉ」

 男はぼやくと、その原因となった時のことを振り返った――


「私は……アレンさんのために生きます! だから……アレンさんも私のために生きてください……!」

「エトン……」

 エトンの涙ながらの告白に、アレンは黙り込む。暫しの沈黙の後、アレンは静かにつぶやいた。

「そうか……俺は全てを失ったと思い込んでいただけだったのか……」

 そしてアレンは改めてエトンの方に向き直る。

「俺は多くの大切なものを失った。でも……手に入れたものもあったんだ。ありがとう、エトン。おかげでそのことにようやく気付いたよ。本当に……ありがとう」

「アレンさん……」

「……アレン殿、少しいいだろうか?」

 二人の様子を見守っていたアルフレッドが、意を決したように口を開いた。

「こんな時に言うのも何だが……いや、こんな時だからこそ言わねばならない。貴公に折り入って頼みがある」

「俺に頼み……? 何ですか? 一体……」

 そう切り出したアルフレッドに、アレンは不思議そうに尋ねる。

「先程も話した通り、勇者を討つことができたのは貴公の活躍があってこそだ。勇者という脅威は去った。しかしこれで世界が平和になるかと言えば、必ずしもそうはならないだろう。私はむしろ、になるのではないかと危惧している」

「つまり、争いが増える……と?」

 アレンの言葉にアルフレッドは頷く。

「皮肉なことに……魔王の出現によって各国は争いを止めた。しかし勇者によって魔王は討たれ、勇者は自らの欲望に溺れてその身を滅ぼした。世界は再び魔王が現れる以前の状態に戻ったのだ。そしてフェルシュタット、ノーム、オルカナ、ユガンデールの四か国がこの事実を知ってしまった」

「……それでその国々は、再び争いを始めるってわけですか」

「うむ、その通り。そこでだ。アレン殿には参謀としてベシスに仕えてもらいたいのだ」

「参謀……ですか?」

「今回の一件でアレン殿には対勇者特別参謀の地位に就いてもらった。そのおかげで無事に勇者を討つことはできたが、今話した通り世界から争いの火種が消えたわけではない。今後も貴公の力が必要となるだろう」

「ありがたいお話ですが……俺では役に立てないと思います」

「謙遜することはない。今回の戦いに関わった者は皆、アレン殿の功績を知っている。実際に貴公は勇者一行を討ち果たしたのだ。その実力に疑問を抱く者など一人としていない。是非ともその才知を国のために振るってはもらえないだろうか?」

「……すみません、やっぱり俺には……」

「頼む、そこを何とか! これからのベシスには貴公の力が必要なのだ!」

 辞退の姿勢を崩さないアレンに対し、アルフレッドはしつこく食い下がる。その姿はまるで菓子をねだる子供のようだった。

「お兄様……そのような取り繕った言葉では、何も伝わりませんわ。嘘偽りのないお兄様の本当の気持ちをおっしゃらないと」

「う、うむ、そうだな……」

 妹のマーガレットに諫められたアルフレッドは軽く咳払いをすると、真っ直ぐにアレンを見据えて言った。

「アレン殿には……私の友となって欲しいのだ……!」

「と、友……!?」

 予想だにしなかったアルフレッドの言葉に、アレンは目を丸くして聞き返す。

「……幼い頃から私には友と呼べる存在がいなかった。従者、兵士、召使い……。私の周りには常に大勢の人々がいて、彼らは私に敬意を持って接してくれた。だが……一方でその態度にはどこかよそよそしいものがあった。無理もない。彼らと私とでは立場が違うのだから。『王とは孤独なもの』……父からもそう教わってきた。将来のベシスを担う私には友などいらぬ。ずっとそう思って生きてきた」

 アルフレッドは大きな溜め息を吐いて一息つくと、さらに続ける。

「だが……勇者との戦いの日々は、私の中にある変化をもたらした。同じ目的のために互いに力を合わせ、困難を乗り越えていくのは何というか……悪くなかった。こんなことを言うと不謹慎かもしれないが……貴公と過ごした日々は私にとってかけがいのない想い出だ。だから……地位も身分も関係ない! これからも貴公には参謀として私を支えて欲しいのだ!」

「そんな風に思っていただいていたなんて光栄です。俺が殿下の友人に相応しいかどうかは分かりませんが、よろしくお願いします。俺にとっても殿下は共に戦った大事な仲間ですから」

「そ、そうか! では……!」

「ですが……参謀という役目をお受けすることはできません。俺がここまでやってこれたのは、勇者への深い怒りと憎しみがあったからです。真実を知ったあの時から俺は勇者を殺して仇を取ることだけを考えてきました。結果として奴への憎悪が俺に力を与えたんです。今の俺にはそんな力は残っていません。他国と戦争になったとして、今の俺ではお役に立つことはできないでしょう」

「そうか……それでは仕方がないな」

「その代わりと言っては何ですが、に任せてみてはいかがでしょうか? きっと俺よりも適任だと思いますよ」

 そう言うとアレンは、その場にいたある人物を指差した。

「……何のつもりだ?」

 突如指名されたペトルは、訝しげにアレンを睨む。その視線に気付かない振りをして、アレンは続ける。

「勇者を討つことができたのは俺だけの力ではありません。多くの人々の協力があったからこそです。特にソラール商会の助力がなければ、他の国々の協力は得られなかったでしょう。この者は相手を出し抜くための天才的な才があり、交渉や話術にも長けています。参謀としてこれ程までにうってつけの人間はおりません」

「うーむ、なるほど確かに……」

 アレンの言葉にアルフレッドは感心したように納得し、ペトルは食ってかかる。

「どういうつもりだ? お前は何を考えてやがる?」

「俺が協力を求めた時、お前はこう言った。『力を貸して欲しいってんなら、相応の対価が必要だ』と。そこで俺は銀貨百枚を支払うことで話をつけた。その時に俺はこうも言ったはずだ。『今後俺に与えられたものは全部くれてやる』と。その時の約束を果たすまでさ」

 そう言ってアレンは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた――


「まったく、お前にはまんまと嵌められたぜ」

「そう言うなって。あの時は本当にお前が適任だと思ったんだよ」

「へっ、どうだかな。まぁいい。とにかく明日は遅れるなよ? 確かに伝えたからな」

 ペトルはそれだけ言うと、慌ただしく部屋を出ていった。それから程なくして再び扉が開く。入ってきたのは麗しく小柄な婦人だった。

「ただ今戻りました」

「やぁ、おかえり」

 出しそびれたカップを片付けながら、赤毛の男は婦人に声をかける。

「あら、お客様ですか?」

「ついさっきまでペトルの奴が来てたんだ。明日は必ず来るようにとだけ言うと、お茶を淹れる間もなく慌ただしく帰っていったよ」

「お忙しい方ですから仕方ありませんよ。それに明日はアルフレッド様の戴冠式ですもの、忙しいのは当然です。さて、私達も準備を進めないと。アレンさんも手伝ってくださいね?」

「分かってるよ、エトン。で、俺は何をすればいいんだ?」

「そうですね、まずは……」

 部屋の中からは二人の仲睦まじく楽しそうな声が響いた。それはまさに絵に描いたような平和で穏やかなひと時だった。

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