第121話 村人のレクイエム
「どうしてそう思うんだ……?」
長い沈黙の末、アレンは静かに尋ねた。エトンは答える。
「……前にガラルドさんが言ってたんです。アレンさんは勇者への怒りと憎しみでかろうじて生きている状態だって。それを奪ったら……きっと死を選ぶだろう……って」
「……」
「ガラルドさんは……こうも言っていました。アレンさんが救われるには、勇者を倒して家族の仇を取るしかない。でも……それが終われば……」
エトンは続ける。
「私には今のアレンさんが救われているとは、とても思えません。むしろ……今までよりも苦しんでいるように見えます。……きっとガラルドさんは分かっていたんだと思います。勇者を倒した後、アレンさんがどんな行動を取るのかを……」
「……」
エトンがもたらしたガラルドの言葉を、アレンは否定も肯定もしなかった。
「それに……『|みんなのところに』っていうのは、
「……気付いてたのか」
アレンは観念したようにぽつりとつぶやくと、ようやく振り返った。エトンは目にいっぱいの涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「誰にも気付かれてないと思ってたんだけど……な。よく分かったな」
「分かりますよ! 仲間なんですから。それに……私も同じでしたから」
「……同じ?」
「前に話しましたよね。私が勇者の仲間になったのは、家族の仇を討つためだって……。それが終わったら私、死ぬつもりだったんです」
「……」
「そんな時にある人に言われました。『生き延びてこそ道は開ける』って。きっとその人は私の考えを見抜いていたんでしょうね。今のアレンさんは……その時の私にそっくりです」
「そっくりか……」
その言葉にアレンは思わず苦笑した。確かに自分とエトンは境遇や性格、考え方と共通点が多い。それがまさか死を考えていたところまで同じだったとは。
「確かに……君と俺は似ているみたいだな。それにしても、『みんなのところ』か……。こんな些細な言葉から本心を見抜くなんて、鋭いな」
「……二人のおかげですよ」
「二人?」
「フランツさんとガラルドさんです」
心底感心した様子のアレンに対し、エトンは静かに答えた。
エトンがアレンの死の予兆を察知できたのは、アレンの不器用さだけが理由ではない。彼女は以前交わしたガラルドとの会話によってアレンに待ち受ける未来を予測し、フランツから学んだ洞察力によってアレンが発した言葉の裏に隠された真の意味にたどり着いたのだ。それはまるでアレンの死を止めるために、二人の意思が彼女を導いたかのように。
「そうか……フランツさんとガラルドさんか。やっぱり敵わないな、あの二人には」
アレンは気の抜けたようにふっと笑った。力のない笑みを浮かべながら、アレンは語る。
「ティサナ村での暮らしはかけがいのない日々だった。村で過ごす穏やかな時間が俺は好きだった。何の刺激もない退屈な毎日だったけど、俺は幸せだった。ティサナ村は俺にとっての全てだった。でも、あの日……俺は全てを失った。本当はその時、死ぬつもりだったんだ」
「……」
在りし日を懐かしむような穏やかな語り口から一転、アレンは冷たい声で言い放った。改めてアレンの口から聞かされた「死」という言葉に、エトンは何も言えなくなった。
「そんな絶望の中で出会ったのがフランツさんだった。……今思えば、無茶苦茶な人だったよ。家族を亡くしたばかりの俺に何の遠慮もなく、ずけずけと話を進めるんだからさ。でも……おかげで俺は死ぬのを思い止まった。フランツさんのおかげで妹はまだ生きてるかもしれないという希望ができたから。そこから俺の旅は始まった。ガラルドさんと合流して、救いの里に潜入して、女神に捕まって殺されかけて……色々な……本当に色々なことがあった……」
アレンは堰を切ったように一気に話すと、溜め息交じりにしみじみとつぶやいた。そしてまた語り始める。
「……不思議だな。辛いことばかりだったはずなのに、こうして振り返ってみると……フランツさんたちと過ごした日々の方がずっと輝いて見える。村にいた時よりも……ずっと。そんな日々も勇者が死んだことによって、全て終わってしまった。奴の首が刎ねられた時、ようやく俺は報われたと思ったよ。『これで全てが終わったんだ』って。でも……嬉しかったのはほんの少しの間だけで、今はもう虚しいだけだ」
「アレンさん……」
「いつかあいつが言ってたろ? 『復讐なんて虚しいだけだ』って。今になってようやく分かったよ。あいつの言葉は正しかった」
「そ、そんなこと……!」
エトンはアレンの言葉を否定しようとした。しかしアレンは首を振る。
「俺も最初はそんなことあるはずがないと思ったさ。でも……仇を取って復讐が終わったって言うのに、俺の心は曇ったままだ。まるで一人だけ暗闇の中に取り残されたような気分だよ。穏やかな村での暮らしも、刺激的だったフランツさんたちとの日々も、怒りと憎しみをぶつける相手も、全て失ってしまった。俺にはもう何もないんだ……何も……」
「そんなことありませんよ」
力なく話すアレンに対してエトンは優しく諭すような、それでいて力強い声で言った。
「アレンさんがいたから勇者を倒すことができたんです。もしもアレンさんがいなければ、この世界は勇者たちに支配されたままでした。アレンさんがこの世界を取り戻したんですよ」
それを聞いてアレンはふと、フランツが死に際に残した言葉を思い出した。
「この世界を取り戻せ」
フランツは最後の力を振り絞り、アレンたちにそう言い残した。
「『世界を取り戻せ』……か。そう言えばフランツさんがそんなことを言ってたな。……何で今まで忘れてたんだろう。フランツさんの最期の言葉なのに……」
「アレンさんはフランツさんの想いを受け継いで、最後までやり遂げたんです。それだけでも十分に立派なことですよ。それに……アレンさんにはもう何もないだなんて、そんなこと絶対にありません」
そう言うとエトンはアレンの後方を指差した。釣られて振り返ったアレンが目にしたのは、心配そうに彼を見つめる一団の姿だった。
「すまない、アレン殿。盗み聞きするつもりはなかったのだが……聞こえてしまってな」
白銀の髪色をした端正な顔立ちの青年が、開口一番アレンに詫びる。
「アルフレッド殿下……」
「私はアレン殿に深く感謝している。妹を無事に救い出せたのも、我が国を勇者の魔の手から取り戻せたのも全て貴公のおかげだ。改めて礼を言う」
アルフレッドはアレンに感謝の言葉を述べると、深々と頭を下げた。
「アレン様がそこまで苦しんでおられるなんて……わたくし、ちっとも知りませんでした……。あの時、アニー様ではなくわたくしが犠牲になっていればこんなことには……本当に申し訳ございません」
同じく白銀の髪色の高貴な少女が謝罪の言葉を口にし、アルフレッドと同様に頭を下げる。
「顔を上げてください、お二人共。 俺はただ……復讐のために戦ってきただけですよ。感謝されるようなことはしていません。それにアニーは……妹は自分の意思で王女様を助けたんです。王女様が犠牲になんて、妹はそんなこと望んでいませんよ」
アレンの言葉に中年の白髪頭の男が口を開く。
「君の妹は立派な淑女だったのだな。自分を顧みずに他人のために動ける人間はそう多くない。思えば……トム君もそうだったな」
「ゴードンさん……」
ゴードンの言葉に呼応するように、隣にいた中年女性もアレンに声をかける。
「あなたも覚えているでしょう? トム君の最期を……最後までお姉さんの心配をしながら亡くなったことを。そんな優しい子があなたの死を喜ぶと思うかしら?」
「アリスさん……」
さらにその隣にいた若い女性がアレンに語りかける。
「私はあなたのおかげで救われたわ。あなたがいなければ、私はあの場所に囚われたまま女神に殺されていたでしょうね。おまけにその後、シゼでも助けられたわね。私はあなたに二度も命を救われた。命の恩人であるあなたには……死んで欲しくないわ」
「そうですぞ! それがしはアレン殿のおかげで魔法の何たるかについて学ぶことができました。これからもアレン殿には色々なことを教えていただきたいのですが……ダメですかな? アレン殿がいなくなるのは悲しいですぞ……」
「ミーナさん……エルダさん……」
がっしりとした口髭の男も二人に続く。
「軍としても貴殿には感謝している。それに……我々を逃がすために死んだ貴殿の仲間にもな。もし貴殿を死なせでもしたら、あの男に何を言われるか分からんから」
「クリフさん……」
皆がアレンを気遣う中、一人のベシス兵がアレンに食ってかかる。
「何もないから死ぬだと? ふざけるな! ロビンはあんたの身代わりとなって死んだんだぞ! 我が友の死を無駄にするつもりか! そんなことは絶対に許さない!」
「……」
「へっ、いい気味だぜ。これでこそ協力した意味があるってもんだ。俺の理想郷を潰してくれたお前には、どうしても一泡吹かせてやりたかったからな。なかなか悪くないぜ? そのシケた面はよぉ」
マルコの叱責にペトルの憎まれ口。彼らはアレンを気遣ったのではなく、本心からそう言ったのだろう。だが、アレンにはそれが妙に嬉しかった。嘘偽りのない怒りや嘲りは、今のアレンの胸に響いた。
「理由はどうあれ、アレンさんに生きて欲しいと願っている人はこんなにいるんですよ? もちろん……私だってアレンさんには生きていて欲しいです。生き延びてこそ道は開けるんです」
エトンは真っ直ぐにアレンを見据え、そして言う。
「だから……お願いです。死ぬなんて言わないでください……私は……アレンさんのために生きます! だから……アレンさんも私のために生きてください……!」
「エトン……」
エトンは涙ながらにアレンに想いをぶつけた。その言葉を最後に二人の間に沈黙が訪れる。聞こえるのは風のざわめきだけだ。鎮魂歌はいつの間にか止んでいた。
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