旅の終わり編

第120話 さらば麗しき日々

 ベシスの都の郊外にある共同墓地。まるで社会から隔絶されるように作られたこの場所は、"死"の印象イメージを嫌ってか、足を向ける者はごく僅かだ。地面の下には多くの亡骸が眠っているからだろうか、周囲に漂う空気も何となく陰鬱に感じられる。そんな重くじめじめとした空気をより一層引き立てるように、遠く広場からは絶えず歌声が聞こえてくる。荘厳で儚げな美しい旋律メロディー。先程処刑された罪人に送られた鎮魂歌だ。ここから広場までは結構な距離があるが、鎮魂歌は明瞭に辺りに響いている。

 弔いの歌が鳴り響く中、一人の男が佇んでいる。男は両手を組んで墓標の前に跪き、静かに黙祷を捧げていた。

「ここにいたんですね、アレンさん」

 不意に背後から自分の名を呼ぶ声がした。アレンはおもむろに立ち上がり、そして振り返る。そこにいたのは、髪を後ろに一つに束ねた小柄な少女だった。少女は静かな足取りでアレンに近付くと、彼が黙祷を捧げていた墓標に視線を落とした。少女の視線に気付いたアレンは答える。

「今までのことをみんなに報告してたんだ」

「……そうでしたか」

 アレンの答えを聞いた少女は墓標の前にしゃがみ込み、アレンと同じように黙祷を捧げた。

「きっと喜んでますよ。ジャンヌさんも……フランツさんも……ガラルドさんも」

 黙祷を終えた少女はかつての仲間の名を挙げて、穏やかな口調でアレンに語りかけた。

「そう……かな」

「そうですよ! だって……皆さんの意思を継いで、最後までやり遂げたんですから」

「そっか……」

 アレンは気の抜けたようにつぶやいた。しかしようやく目的を果たしたというのに、アレンの顔は晴れない。心配そうに少女は尋ねる。

「大丈夫ですか? 少しお疲れの様子ですけど……」

「ん……あぁ、大丈夫だ。今まで色々あったからな、疲れるのも無理ないさ」

「……本当にそれだけですか? 何か心残りがあるのではないですか?」

 少女は真っ直ぐにアレンを見据え、そして問う。

「心残りなんてないよ。奴は死んだんだ。それだけで俺はもう十分さ」

「……勇者の犯した罪が闇に葬られてもですか?」

 少女はアレンの目を真っ直ぐに見据えると、確かめるように尋ねた。

 彼らが話している通り、勇者は死んだ。罪人として処刑されたのだ。しかしそれは勇者としてではなく、としてだった。

 五大国による話し合いの結果、各国の君主たちは勇者の処刑を決断した。力を失った今の勇者には両価値はないと判断したのだ。「勇者が力を取り戻したら打つ手はない」というアレンの言葉も効いていた。彼らは力を取り戻した勇者が自分たちに牙を剥くことを恐れた。勇者を生かす利よりも害の方が大きいと考えたのだ。

 斯くして勇者の処刑が決定した。しかし「勇者」を「勇者」として処刑するには、二つの問題点があった。

 一つはどこが主導して処刑を行うかだ。ベシス国王は勇者を捕らえた功績を理由にベシス主導を主張したが、他の四か国も自国の主導を頑として譲らなかった。勇者一行が行ってきた悪事が公になれば、勇者の地位はたちどころに失墜するだろう。勇者は世界を救う英雄から一転、世界の敵へと身を落とす。そして世界の敵を処刑した国は、勇者に代わって新たな英雄となるわけだ。各国はこの期に及んで処刑を政治利用しようと考えていた。

 二つ目は勇者の姿が変わったことだ。魔族の腕輪は勇者の力を奪うと同時に、その容貌を大きく変化させた。あの見目麗しい勇者と、このみすぼらしい男が同一人物だなどと夢にも思うまい。いくら魔法によって姿が変わったと主張したところで、魔法の存在を知らない民衆は話を信じないだろう。実際に魔法を使える者がいなくなった今となっては証明の仕様がない。

 さらに事の経緯を説明するとなると、「たった一人を相手にあわや軍が壊滅しかけた」という各国にとって知られたくない不名誉な事実までもが白日の下に晒されることになる。そこで協議の結果、君主たちは男が勇者であるという事実を伏せて、単なる罪人として処刑することにした。自国の恥を隠すために、勇者一行が行ってきた悪事については不問としたのだ。

「確かに……勇者は死にました。でも結局、勇者の犯した罪はうやむやになったままじゃないですか? 勇者を倒すために命懸けで戦ってきた人たちの存在がなかったことになるなんて、やっぱりおかしいですよ。これで全部終わりだなんて私、納得できません。アレンさんはそれでいいんですか?」

「仕方ないさ。奴を処刑台に上げるにはそれが条件だったんだから。王様たちが決めたことじゃ、俺にはもう口出しはできないよ」

「でも……!」

「いいんだ、もう。それにいくら奴らの悪事を世界中に知らしめたところで、亡くなった人は戻ってこない。もう誰も戻ってこないんだ。だから……もういいんだ」

「アレンさん……」

 自分に言い聞かせるように静かに話すアレンに対し、少女はもうそれ以上、何も言うことはできなかった。

「……さて、そろそろ俺は行くよ」

「行くって……どちらへ?」

「ちょっとみんなのところに……ね。家族や村のみんなにも仇を討ったことを報告してくるよ。……きっと俺を待ってるだろうからさ」

「みんなのところに……? みんなのところ……みんなの……ところに……」

 少女はアレンが口にした言葉を、うわ言のように繰り返す。

「それじゃあ……元気で」

 そう言うとアレンは、くるりと背を向けて歩き出した。

「……アレンさん!」

 少女は遠ざかる背中に、引き留めるように声をかける。

「ここまで来るのに……色々ありましたよね。覚えてますか? 私たちが初めて会った時のことを。初めは私たち……敵同士でしたよね。もしもあの時、アレンさんたちと出会っていなかったら……私は真実を知ることもなく、勇者に利用され続けていたことでしょう。アレンさんたちのおかげで私は正しい道に戻ることができました。だから……私はアレンさんたちに出会えてよかったと思っています」

 突如始まった思い出話にアレンは足を止める。しかしアレンは足を止めただけで、振り返りはしなかった。

「その後もいろんなことがありましたね。巨人と戦ったり、魔女と戦ったり、魔族と戦ったり……こうして振り返ってみると、何だか戦ってばかりですね」

「……エトン」

 アレンは「話を止めるように」という意味を込めて、少女の名を呼んだ。しかし少女エトンはそれに気付かなかった振りをして話し続ける。

「アレンさんはお城で飲んだお茶の味、覚えてますか? あんなに甘くて美味しいお茶を飲んだのは、生まれて初めてですよ、私。その時食べたお茶菓子も……」

「エトン!」

 取り留めのない話を続けるエトンに、アレンは語気を強めた。

「……もういいかな。悪いけど先を急ぐんだ」

僅かな沈黙の後に、エトンが切り出す。

「私も……私も連れていってください。私もアレンさんと一緒に行きます」

「……だめだ。君を連れてはいけない」

 しかしアレンはやはり振り返りらずに、彼女の申し出を断った。その返答に何かを確信したエトンは、大声で遠ざかろうとするアレンを呼び止める。

「……行かないでくださいっ!」

「……大袈裟だな。そんなに声を張り上げなくたって、ちゃんと聞こえてるよ」

「だったら……! 私の目を見て話をしてくださいよ! そんな風に後ろを向いていないで!」

「……」

 悲鳴にも似た悲痛な叫びに、アレンは背を向けたまま黙り込む。

「なら……約束してください。『必ず戻ってくる』って……」

「約束は……できない」

「どうしてですか……?」

「……」

「どうして何も言ってくれないんですか……?」

「それは……」

 アレンはそう言いかけたが、思い止まったように口をつぐんだ。

「言えるはずないですよね……だって、アレンさん……死ぬつもりなんでしょう……?」

「……!」

 エトンが発した「死」という言葉に、アレンの方はピクリと動いた。

 その言葉を最後に二人の間に沈黙が訪れる。聞こえるのは風のざわめきと、それが運んでくる鎮魂歌だけだった。

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