第118話 首斬りの朝

 ガーガーとカラスがかまびすしく鳴いている。私は緩慢な動作で寝床を抜け出すと、閉め切っていたカーテンを勢いよく開いた。見晴らしのいい窓からは都の様子が一望できる。白々とした朝焼けが、夜の終わりを告げている。

 私は使用人に手水を用意させて顔を洗うと、同じく用意させた"仕事着"に着替えた。手早く着替えを済ませた私は、朝食を取るために食堂へと向かった。食堂には白パン、チーズ、サラダ、スクランブルエッグという簡単な食事が用意されていた。いつもならここに塩茹でした肉が並ぶのだが、今日は仕事をする日なので控えさせた。仕事の前日、当日、そして翌日の三日間は肉類は一切口にしないことにしている。長年の習慣だ。

 朝食を終えた私は大勢の使用人に見送られながら、助手を連れて屋敷を出た。白んでいた空はすっかり生気を取り戻し、生き生きとした青さを誇らしげにたたえている。今日もまた朝がやって来た。憂鬱な朝が。抜けるような青空とは対照的に、私の心には重く厚い暗雲が垂れ込めていた。


 私の名はアーサー・マルセル・ハンソン。ベシスに仕える役人だ。我が家系はベシス建国時から続く由緒正しい家柄で、国から代々ある役目を仰せつかっている。

 その対価として私には様々な特権が与えられている。都の一等地に豪華な邸宅を構え、独立した身分としてあらゆる干渉を受けない。さらには公に姓を名乗ることを認められていた。

 ベシスにおいて姓を名乗ることが許されているのは王族や貴族、そして聖職者といった一部の特権階級だけだ。公文書に署名する機会の多い貴族とは違い、平民にとって姓など無用の長物なのだ。詳しいことは知らないが、どうやら他の国も似たような状況らしい。

 兎に角、私にはハンソンという姓が与えられていた。そして私の心が晴れないのは、その代々続く家柄と姓が原因だった。

 ある日のことだ。私が都のレストランで食事をしていると、一人の麗しい女性が声をかけてきた。

「貴方、お一人? もしお連れの方がいらっしゃらないのなら、ご一緒してよろしくて?」

 特に断る理由のない私は彼女の申し出を受け入れ、席を共にすることにした。互いの趣味の話などで盛り上がっていたのもつかの間、一人の男が女性に近付き、こう尋ねた。

「失礼ですが、お嬢さん。今、共に食事をしているのがどなたかご存じで?」

「いいえ。そういえば、まだお名前を伺っておりませんでしたわね?」

「この男の名はアーサー・マルセル・ハンソン。彼の有名なハンソン家の当主ですよ」

 私が名乗るよりも早く、男は女性にそう告げた。

「なっ……!?」

 私がハンソン家の人間であることを知った女性は、小さな悲鳴とも唸りともつかない声を上げると、みるみる顔を紅潮させていく。そして次の瞬間、女性は一目散に店を飛び出していった。男もいつの間にか消えていた。後に残されたのは私と、私に好奇の目を向ける客だけだった。

 その数日後、私は法廷の被告席にいた。

「被告人アーサー・マルセル・ハンソンは昨夜午後7頃、都の繁華街にあるレストランにおいて、身分を偽って原告エマ・ロレーヌを食事に誘い、同原告の名誉を著しく傷つけた。罪名及び……」

 私は判事が淡々と起訴状を読み上げるのを、ぼんやりと聞いていた。

 私はとある人物の名誉を傷つけたとのことで訴えられたのだ。訴えを起こしたのはレストランで声をかけてきたあの女性だった。その上、私は弁護士なしでこの裁判に臨まなければならなかった。国中の弁護士の誰一人として、私の弁護を引き受けなかったからだ。だが、むしろその方が好都合だった。どうせ弁護士をつけたところで、私を陥れようと不利な証言をするに決まっている。私には味方など一人もいないのだ。だったら自己弁護をした方が余程ましというものだ。

「……以上の起訴内容について、何か間違っていることはありますか?」

 判事が読み上げた内容について、裁判長が私に尋ねる。

「女性と食事をしたのは事実ですが、身分を偽ったというのは誤りです。私は身分を偽ってなどおりません。声をかけてきたのも向こうからで、私はそれに応じたまでです」

「しかし被告は最初に名を名乗らなかったそうです。原告は被告の素性を知らなかった。さらに原告はこう証言している。『あの男がハンソン家の者であると知っていたら、声などかけなかった』と。声をかけられた時点で名乗るか断るかすれば、今回の事態は避けられたのです。本件は原告の怠慢が招いた結果と言えるでしょう」

 言葉尻を捕らえた判事の主張に、私はすぐさま反論する。

「あの女性は私の名を聞いた途端、店を飛び出していきました。つまり私を忌むべき存在として知っていたということです。それなのに彼女は、私の顔を知らなかった。嫌悪している者の顔も知らずに声をかけるのは、彼女自身の落ち度ではないでしょうか? 彼女が私の顔を知ってさえいれば、今回の事態は避けられたのです。むしろ名誉を侮辱されたのは私の方です。ただ誘いに応じただけで罪人呼ばわりされた上、こんなところに引っ張り出されたのですから」

 私はふっと息を吐くと、さらに続ける。

「私はこれまで多くの人間の命を奪ってきました。『悪魔』『死神』『人殺し』……。人々は様々な言葉で私をそしり、そして憎悪した。それでも私は命を奪い続けた。それが私の役目だからです。私は断じて、彼らが憎くて殺したわけではありません。法と秩序を守るために役目を果たしたに過ぎないのです。何より……彼らの死を決めたのは、あなた方ではないのですか?」

 私は判事、裁判長、そして傍聴席を埋め尽くす聴衆をぐるりと見渡すと、全員に言い聞かせるように言う。

「あなた方は彼らの死を望み、彼らに死を命じた。にも関わらずあなた方は私にばかり責任を押し付けて、まるで罪人かのように責め立てている! 私を人殺しと罵るのなら、それを指示したあなた方は一体、何だと言うのだ! 無垢なる善人のつもりか?」

 私の主張に聴衆はざわざわと騒ぎ出す。

「静粛に! 静粛に!」

 裁判長がカンカンと木槌を鳴らし、沈黙を命じた。法廷が静まったのを見計らい、私はさらに主張を展開する。

「たとえば兵士たちに『あなたの職務は何か』と尋ねれば、彼らは私と同じように『人を殺すことです』と答えるでしょう。その点においては私と彼らの仕事は何ら変わりません。違いがあるとすればあなた方の態度です。国のために人を殺す彼らは英雄として持て囃される一方、同じく国のために人を殺す私は『死神』と呼ばれ忌み嫌われている。彼らと私、何の違いがあると言うのだ!」

 私の主張に法廷は水を打ったように静まり返った。

「仮に私が死罪になったとして、誰が私の首を刎ねると言うのだ! 私が死んだ後、誰が罪人の首を刎ねると言うのだ! 誰が……誰が……!」

 誰が好き好んで人殺しなどするものか!!

 私は思わず吐露しそうになった本音をぐっと吞み込むと、泣き言の代わりに怒りを叩きつけた。

「それでは判決を言い渡します。被告人は……」

 無罪――

 裁判長の声が響く。私は無罪を勝ち取った。だが、私の心は晴れなかった。無罪になったからといって、私に対する世間の風当たりは変わらない。こんな裁判を起こされること自体、人々の差別意識の表れなのだ。その証拠に私の無罪に喜びの声を上げる者は誰一人いなかった。

 私は踵を返すと、無言のまま法廷を後にした。処刑人の家に生まれ落ちた我が身の不幸を呪いながら。


 屋敷を出た私たちは都の広場へと向かった。広場には大勢の観衆が詰めかけ、今や遅しと"その時"を待っていた。

 私は助手と共に広場中央に設置された処刑台へと上がり、罪人の到着を待つ。だが――

「……遅い」

 私は不機嫌な声でつぶやいた。ベシスの兵士たちが罪人を連れてやって来る手筈なのだが、定刻を過ぎても一向に現れないことに私は苛立っていた。

「先生、あれを!」

 その時、助手が声を上げて遠方を指差した。その方角に視線を向けると、頭に麻袋を被せられた男が両脇を二名の兵士に抱えられ、こちらへと向かってきていた。

「……随分と遅い到着だな」

私は小さくつぶやくと、処刑台を上がってきた兵士に問う。

「どういうつもりだ? もう予定の時刻はとっくに過ぎているのだが?」

「も、申し訳ありません! この者の抵抗が凄まじく、ここに連れて来るまでに必要以上に時間を要してしまい……」

 私の言葉に、兵士の一人が委縮した様子で釈明を述べる。

「今後は時間は厳守してもらいたい」

私はそれ以上の追及はしなかった。これ以上、押し問答をしたところで何の意味もない。さっさと仕事に取りかかるべきだ。

 私は男の頭に被せられた麻袋を取り去ると、男を一瞥する。見るからにみすぼらしい男だ。罪状は国家転覆を企てた国家反逆罪らしいが、とてもそんな大それたことができるようには思えない。

「何か言い残すことはあるか?」

「~~~~~~!!」

 私がそう声をかけると、男は訳の分からない言葉を叫んで暴れ出した。二名の兵士が、暴れ出した男の身体を必死に押さえつける。成る程、確かに凄まじい暴れ様だ。しかし妙だ。

 国家反逆罪は死罪しかない大罪だ。有罪になれば、逃げられない死という運命が待っている。この男はそんな覚悟もなしに国家転覆を企てたのか?

 泣き叫び暴れる男の様子に疑問が頭をもたげたが、私すぐにその疑問を振り払った。私は自分の役目を果たすだけだ。私は剣を受け取りそれを抜くと、高々と振りかざした。

「~~~~~~~~~~~~~!!」

 男の絶叫が木霊する中、私は容赦なく剣を振り下ろした。その直前に男は何かを叫んだが、その言葉は全く意味不明で、何を言っているのかは私には分からなかった。


『ワァァァァァァァ!!』


 私が剣を振り下ろすと、観衆は大歓声を上げた。

(よくもまぁ、こんな低俗なことで喜べるものだ。……野蛮人共め)

 心の中で侮蔑しながら観衆を見渡していると、一人の男の存在に気が付いた。

 処刑台のすぐ下に陣取る赤毛の男は、他の観衆とは異なり歓声を上げることもなく、じっとこちらを見ている。怒りとも憎しみとも悲しみともつかない、何とも言えない表情だ。だが、その男は私ではなく、何か別のものを見ているようだった。

「……それでは、後は任せたぞ」

「はい、先生」

 私は助手にそう声をかけると、広場を出るために処刑台の階段を下りていく。私が近付くと、観衆は顔に恐怖の色を浮かべ、蜘蛛の子を散らすように道を開けた。私は観衆が作った道を足早に進んでいく。しかし例の男は身じろぎ一つせず、処刑台に視線を送り続けている。

(この男は一体、何を見て……いや、どうでもいい)

 そんなことはもうどうでもいいのだ。私は役目を果たした。もうこれ以上、ここにいる必要はない。今は一刻も早くこの場から離れたい。

 私は足早に広場を去った。男は最後まで私に目もくれずに、いつまでも処刑台の方を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る