第117話 利他

 エトンは激怒した。必ず、かの無礼千万な王たちを改心させねばならぬと決意した。エトンには政治がわからぬ。エトンは勇者一行の武闘家であった。正義を志し、彼らと旅して暮して来た。けれども彼らが魔王の死を偽り、私利私欲のために行動していることにはとんと気付かなかった。

 アレンたちとの出会いによって真相を知った彼女は、激しい怒りを覚えた。私欲のために世界を欺いていた勇者たちに。まんまと騙され、利用されていた自分自身に。自国の利益ばかりを優先し、醜い争いを続ける権力者たちに。

 とりわけ彼女が我慢ならなかったのは、仲間を侮辱されたことだ。各国の代表たちはアレンが平民であるということをあげつらって、彼の功績を否定した。そればかりか、アレンが勇者を捕らえたという事実にすら疑いの目を向けた。

 アレンが勇者を捕らえることはできたのは、決して彼一人の力ではない。今回の勝利は多くの人々の犠牲の上に成り立っている。女神は魂と罪の救済と称して、裏で信者を殺害していた。魔女は勇者の悪行の証拠を消すためにティサナ村に火を放ち、村人の命を奪った。魔族は勇者をそそのかし、勇者が攫ってきた女性たちをいたぶり命を弄んだ。勇者は欲望のために世界を欺き、人々を食い物にした。

 アレンたちは勇者一行を止めるために、命を賭して戦った。ジャンヌ、フランツ、ガラルド……。そして大勢の兵士たちが、戦いの中で命を落としていった。

 多くの犠牲を払ってようやく掴み取った勝利を権力者たちは否定したのだ。それはすなわち彼らが歩んできた道のりの否定であり、散っていった仲間たちへの侮辱に他ならない。彼女はそれがどうしても許せなかった。

「揃いも揃って自分の都合ばかり主張して……! いつまでこんなくだらない言い争い

 続けるつもりなんですか!」

「くだらないだと!? 小娘が何たる口の利き方だ! この無礼者め!」

 エトンの物言いに反発したユガンデール総統は怒りを露わにして抗議の声を上げた。だが、エトンは臆することなく猛然と反論を繰り広げる。

「無礼なのはあなたの方でしょう!? 今回の戦いで一番の手柄を立てた人間がこの場にいて何が悪いんですか! それを平民という理由だけで蔑ろにするなんて、どう考えたっておかしいじゃないですか! この戦いであなたが一体、何をしたって言うんですか? 全てが終わった後にのこのこやって来たと思えば、偉そうに勝手なことばかり言って……! あなたにとやかく言われる筋合いはありませんっ!」

「……」

 思いもよらない痛烈な反撃に、ユガンデール総統は苦虫を嚙み潰したような顔で黙り込んだ。だが、エトンの怒りはなおも治まらない。

「『たかが村人ごとき』? 『ベシス有利に話を進めるための狂言』? よくもそんなことを!」

 エトンはオルカナ代表に矛先を変えて、さらに吠える。

「私たちは命懸けで勇者と戦ってきました! 仲間の死という代償を払って! アレンさんが勇者を捕らえることができたのは、命を懸けて道を切り開いてくれた人たちがいたからです! あなたはそれも嘘だと言うつもりですか? そんな仲間など……戦いで死んだ者などいなかった、と? 命懸けで戦った人たちの存在すらも否定すると言うんですか!?」

「だ、誰もそこまでは……」

 エトンの激しい剣幕に気圧されたオルカナ代表は、気まずそうにたじろぐ。

「……それこそ侮辱です! 命懸けで勇者と戦い、そして散っていった人たちに対する侮辱以外の何物でもありませんっ!」

 エトンは溜め込んでいた思いの丈を、余すことなくぶちまけた。彼女の主張はひどく感情的で、およそ理に適った意見と呼べるものではなかった。だが、各国の代表たちとは異なり、エトンの言葉に嘘偽りはなかった。エトンは仲間への侮辱と否定に憤り、怒りの声を上げた。そこには本心を偽って相手を陥れてやろうという欺瞞や、自分だけが利益を得ようという打算は一切なかった。彼女は自分のためではなく、仲間のために声を上げたのだ。

「大体、あなたたちは……!」

「……もういい」

 仲間の名誉のためにさらなる追及を続けようとするエトンを制止する声が響く。

「もう大丈夫だ。ありがとう、エトン」

「あ、アレンさん……」

 声の主は他でもないアレンだった。アレンはエトンに感謝の言葉を口にすると、静かに話し始めた。

「……俺が奴を捕らえるられたのは、奴の力を封じることができたからです。奴は凄まじい剣技と、突風を起こす力を持っていました。俺はそれを封じたんです」

「力を封じた……だと?」

「剣技に突風……」

「確かに兵たちも同じことを言っておったのう」

「しかし……一体、どうやって?」

 アレンの説明を受け、各国の代表たちは口々に所感を述べる。アレンは答える。

「腕輪です」

「腕輪?」

「奴の仲間だった魔族が持っていた物です。その腕輪には魔法を封じる力がある。そう結論付けた俺たちは、奴にそれを身に着けさせようと考えました。そしてその結果……奴は全ての力を失いました」

「ちょっと待て。力を失ったというのは、どういう意味だ?」

「そのままの意味です。今の奴には剣技も突風も使えない。圧倒的な力がありながら、奴が大人しく地下牢に捕らえられているのもそれが理由です」

 ユガンデール総統の問いに、アレンは事もなげに答える。さらにオルカナ代表がアレンに訪ねる。

「つまり……今の勇者には何の力もないということですか!?」

「はい」

「そ、そんな……! それでは……」

 アレンの返答にオルカナ代表は思わず本音を覗かせた。勇者の圧倒的な力を背景に、オルカナの中立国という立場を強固なものにするという目論見が敢えなく潰えたことに落胆を隠せなかった。そしてそれは他の国々も同じだった。ユガンデール、フェルシュタット、ノームはそれぞれ自国の軍事力強化に勇者の力を利用しようと考えていたからだ。権力者たちの当てが外れる中、アレンはさらに話を進める。

「奴は今、全ての力を失っています。しかし……その状態がいつまで続くのかは分かりません。明日か明後日かそれとも一年後か……。もしかすると、もうすでに腕輪の効果は切れているのかもしれない。そうなったらもう、今度こそ本当に打つ手はない。大人しく忠誠を誓うか、戦って殺されるかのどちらかです。いずれにせよ、皆さんの国は確実に奴に乗っ取られることになるでしょう」

 アレンは淡々と自分の知る事実のみを語った。そこには本心を偽って相手を陥れてやろうという欺瞞や、自分だけが利益を得ようという打算は一切なかった。故に疑いを差し挟む余地もなかった。アレンは続ける。

「だからこそ奴が力を取り戻す前に手を打つ必要があるんです。再び奴の犠牲となる人を出さないために、世界中の人々のために」

 アレンは力強い声でそう話を締め括った。


 アレンは迷っていた。勇者を殺すことに。奴は故郷を、家族を、そして仲間を奪った諸悪の根源だ。決して許すことはできない。現に彼は勇者への復讐を原動力に、戦いを続けてきた。だが、真っ暗な地下牢の中で変貌した勇者の姿を見た時、アレンは憎しみよりも先に哀れみを抱いた。そして思った。この男を殺せば、全てが。全てを失った彼にとって、勇者への復讐は生きる目標でもあった。勇者を殺せば復讐は終わる。それはつまり、生きる目標を失うということでもある。アレンの中には勇者への殺意と、死んで欲しくないという相反する二つの想いが同居していた。

 その矛盾する感情を断ち切ってくれたのがエトンだった。彼女は自分ではなく、他人のために声を上げた。その姿を見たアレンは決意した。

(……俺は自分のことばかり考えていた。俺の気持ちなんてどうだっていいんだ。あいつに殺された全ての人の無念を晴らすために、俺はあいつを殺さなきゃならない……)

 アレンがエトンに礼を言ったのは、自分のために声を上げてくれたからではない。忘れかけていた使命を思い出させてくれたからだった。

「し、しかしやはり平民の意見に従うなど……!」

 ユガンデール総統は最後の抵抗とばかりに、歯切れ悪く異を唱える。

「あなたは! この期に及んでまだそんなことを……!」

「まぁ、気持ちは分かるぜ」

 憤るエトンを制するように口を開いたのは、ペトルだった。

「自分より遥かに格下の相手に偉そうにされるなんて、気分のいいもんじゃねぇよなぁ?」

「その通りだ。平民が国の行く末に口を挟むなど、この国の政治体制を疑うぞ」

「そりゃそうだ。たかが平民ごときが口を出していい問題じゃねぇ」

「あなたは一体、どっちの……!」

 ユガンデール総統に同調するペトルに、エトンは抗議の声を上げようとした。ペトルは右手でそれを制し、話を続ける。

「つまり……然るべき地位の相手の話なら従うってことでいいんだな?」

「無論だ」

 ペトルの問いにユガンデール総統は簡潔に答える。それを聞いたペトルは口元を歪めると、ベシス国王に声をかける。

「だそうだぜ、王様よ」

 その一言に何かを察したベシス国王は、真っ直ぐにアレンを見据えて言う。

「アレンよ。今回の勇者捕縛は其方の功績によるところが大きい。よってその功績を踏まえて、其方を対勇者特別参謀に任命する」

「さすが王様、察しがいいねぇ。これでこいつは然るべき地位になったワケだ。これなら文句はないはずだぜ。なぁ? 各国のお偉いさん方よぉ?」

 王の言葉を聞いたペトルはニヤリと笑うと、煽るように尋ねた。

「どうして俺の手助けを……?」

 ペトルの抜け目のない理屈に各国の代表が黙り込む中、訝し気にアレンが訪ねる。

 俺に話をさせるように仕掛けたのは、俺を陥れるためじゃなかったのか? アレンはペトルの思惑に気付いていた。しかしそうかと思えば、ペトルはアレンの意見が通るように援護をした。

(一体、何を考えている……?)

 アレンはペトルの真意を測りかねていた。彼の読み通りペトルは当初、アレンに一泡吹かせるつもりだった。そんなペトルが考えを変えたのは、エトンの影響だった。他人のために声を上げる彼女の真っ直ぐな青臭さに思わず感化されたのだ。

「俺はそのために王子様に呼ばれたんだぜ?」

 だが、ペトルは本心を隠すようにそううそぶくのだった。

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