第116話 怒り
四か国の代表を相手に終始有利に論戦を進めていたペトルは、突如としてアレンを指名した。その場にいた全員の視線がアレンに集まる。ペトルがアレンを指名したのは、勇者打倒の立役者に花を持たせてやろうという殊勝な心掛けなどでは決してなかった。むしろその
ペトルとアレン。両者の間には浅からぬ因縁があった。その始まりは救いの里での一件にある。アレンはフランツとガラルドと共に救いの里に潜入し、見事女神を打ち破った。彼らの暗躍により女神の悪事は白日の下に晒され、その後の勇者打倒の嚆矢となった。しかし救いの里を牛耳っていたペトルにとって、彼らの行動は傍迷惑なものでしかなかった。
フランツたちのせいで苦労して築き上げた心地良い住処を失ったペトルは、その後ソラール商会を立ち上げて見事に返り咲く。だが、その時のわだかまりが消えることはなかった。
そんなある日、ペトルとアレンは再び邂逅した。唐突に訪れた復讐の好機。だが、その再会にペトルは失望する。知恵比べで自分を負かした男と、女神を殺して里での安寧を奪った男の死を知らされたからだ。二人の男の死によって、雪辱を果たす機会は永遠に失われたのだ。
唯一生き残ったのは「殺したくない」と駄々をこねていた田舎者。こんな奴を
しかしやり取りをする内に、ペトルはアレンの変化に気付く。救いの里で対面した時に感じた頼りなさや青臭さはすっかり影を潜め、洗練された鋭利な雰囲気が漂っている。あの時とはまるで別人だ。
出会い、死闘、別れ……。それら全てがアレンを変えたのだ。勇者一行との闘いの日々は強者に翻弄されるだけだった無力な青年を、冷徹な策略家へと変貌させた。その振る舞いはまるで、あの帽子の男のようだった。
アレンの中に自分を負かした男と同じ匂いを嗅ぎ取ったペトルは、にわかに高揚した。
これなら、相手にとって不足はない。
斯くしてペトルはアレンを認めた。あの日の雪辱を果たすための、叩きのめすべき相手として。
突如として矢面に立たされたアレンは、黙り込んだまま何事かを考えている様子だった。それを見たペトルは一人ほくそ笑む。
(へっ、我ながら上手く引きずり込んだな。さてと……こいつがこの場をどう切り抜けるか、お手並み拝見といきますか)
この紛糾した状況下で下手なことを口にすれば、たちまち火だるまだ。国の未来を左右する重要な局面でヘマをしたとなれば、今まで築き上げた地位や信用を全て失うことになるだろう。
そしてそれこそがペトルの狙いだった。フランツとの知恵比べに敗れて全てを失ったペトルは、意図的にアレンをあの時の自分と同じ状況に追い込んだ。
あの男の代わりに、こいつに借りを返す。
そう考えたペトルは、フランツの後継者へと成長したアレンに勝負を仕掛けたのだ。
(少しでも判断を誤れば、今まで築き上げた全てを失う。奇しくも同じ状況だ。さぁ、お前はこの危機をどう切り抜ける?)
響き渡っていた怒声は消え失せ、重苦しい静寂が場内を支配する。その場にいる誰もが固唾を呑んでアレンの言葉を待っている。だが、アレンは身じろぎ一つせずに一言も発しない。そこでペトルはアレンに否応なしに口を開かせるために、
「その時の様子はこの者が詳しく覚えております。何せこの者は勇者を捕らえた張本人なのですから」
「なにっ!?」
ペトルの言葉に各国の代表たちは色めき立つ。
「貴様が勇者を捕らえたというのは本当か?」
「……はい」
「ならば、教えてもらおうではないか。兵力に劣るベシスが如何にして一人の犠牲も出さずに戦い抜いたのかを」
威圧的なユガンデール総統の質問に、アレンは静かに口を開いた。
「今回の戦いより少し前、ベシスは勇者と戦い……そして敗れています。その敗北から戦い方を学んだんです。奴には不用意に近付かずに距離を取って戦うこと。ベシス軍はそれを徹底しました」
「戦い方が分かっていたのなら、そのことを全軍に通達するべきだったのではないか? そうすれば無駄な犠牲は出なかったはずだ。他国に損害を与えるために、意図的に情報を隠していた……というのなら話は別だがな」
フェルシュタット皇帝は皮肉交じりの口調でアレンに問う。だが、アレンは動じない。
「勇者との戦い方は全軍に伝えてありました。しかしベシス以外の軍は我先に勇者に突っ込んでいきました。その結果、ベシス以外の四か国の軍は総崩れとなりました」
「たった一人を相手に総崩れ? 信じられませんね。そこまで力の差のある相手を、貴方はどうやって捕らえたと言うのですか? そもそも貴方は何者なのです?」
オルカナ代表は怪訝な表情を浮かべて、アレンに疑いの目を向ける。
「俺は……」
「もうよい、これ以上は時間の無駄だ。其方らと我が軍の違いは十分に理解できたであろう? この話はこれで仕舞いだ」
ベシス国王はアレンの言葉を遮るように、強引に話を打ち切った。アレンの身分を隠すためだ。勇者を捕らえたのが一介の村人と知れば、それを口実に難癖を付けてくるに違いない。王はそれを危惧した。だが、王の不安は的中する。
「もしやお主……勇者に焼き払われた村の生き残りではないか?」
今まで発言の少なかったノーム国王が突如として口を開いた。ノーム国王は続ける。
「確かティサナと言ったな。その村の住人は全員焼け死んだが、奇跡的に一人だけ生き残ったと聞いておる」
出身を言い当てられたアレンは驚き、目を見開いて尋ねる。
「どこで……その話を?」
「情報は貴重じゃからのう。色々と集めておるんじゃ。どんな些細な情報も使い道はあるもんじゃ」
「……つまり貴方は、貴族ではなく平民ということですね?」
オルカナ代表の問いに、アレンは静かに頷く。
「これは驚いた! このような重要な場に、一介の村人を参加させるとは。しかもその村人が勇者を捕らえただと? 村人ごときに後れを取るとは、ベシスは深刻な人材不足のようだ」
それを見たフェルシュタット皇帝は、わざとらしく嫌味たっぷりにベシス国王をなじった。それに呼応するようにユガンデール総統も非難の声を上げる。
「平民を当てにするなど、ベシスも堕ちたものよ。たとえどれだけ功績があろうと所詮平民は平民。卑しい身分の分際で、世界の行く末に口出しするなど言語道断! このような下賤の輩を同席させるとは何たる侮辱だ!」
「確かにこれは問題ですね。事と次第によってはベシスの責任問題にもなりかねない。やはりベシスに勇者の処遇を任せるのは安心できませんね。そもそも……この者が勇者を捕らえたという話自体、疑わしい。たかが村人ごときにそんな真似ができるとは思えない。ベシス有利に話を進めるための狂言と考えた方が妥当だと思いますね」
「うむ、確かに。そう易々と鵜呑みにはできんな」
オルカナ代表はアレンの功績に異を唱え、ノーム国王もそれに同調する。これが好機と捉えた四か国の代表はここぞとばかりにベシスの糾弾を始めた。さっきまでの静寂が嘘だったかのように、城内には再び怒声が飛び交う。
(へっ、これは面白いことになったな)
その光景を見たペトルは愉快そうに笑うと、チラリとアレンの方を見遣った。アレンはこの状況に当惑し切った様子で、ただぼんやりと会議が荒れるのを眺めるばかりだった。
「どうやらこの勝負、俺の勝ちのようだな」
勝利を確信したペトルはニヤリと笑うと、小さくつぶやいた。その時だった。
「いい加減に……してくださいッ!」
バンっという机を激しく叩く音が響いた直後、何者かが怒りの声を上げた。
声の主は今まで一言も発しなかったエトンだった。
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