第19話 襲撃者

 その日もアレンは酒場に来ていた。

 パンをかじり、スプーンでスープを掬っていると、隣の客が始めた世間話が耳に入った。

「おい、聞いたか?」

「何を?」

「救いの里の話だよ。いいか、驚くなよ? 実はあそこでは人知れず……」

「人が殺されてたって話だろ? そんなもん、とっくに知ってるよ」

「何だ、もう知ってたのか。耳が早いな」

「俺が早いんじゃなくて、お前が遅いんだよ。もうどこに行ってもその話ばかりだぜ?」

「そうなのか? それにしてもよ、女神様が人殺しだったなんて驚きだよな」

「俺は最初から胡散臭いと思ってたけどな。飲み食いも住むところも無償タダなんて怪しすぎるだろ。うまい話しには裏があるってこった」

「おっかねぇなぁ。俺も一度行ってみようかと思ってたけど、行かなくて正解だったぜ」

「お前が救いの里に行ってたら、間違いなく殺されてただろうな」

「何でだよ?」

「そりゃそうだろ。信仰心の欠片もないタダ飯タダ酒目当ての奴なんて、真っ先に殺されるだろうさ」

「……もうすっかり噂が広まってますね」

 アレンは隣で酒を呷っているガラルドに話しかける。

 女神の討伐を終えて数日が経過した。計画通り、救いの里と女神の噂は瞬く間に都中に広まった。

 今や女神の裏の顔は誰もが知るところとなり、人々の間には女神と勇者一行に対する不信感が広がりつつある。

「作戦通りだな。それにしてもカワリバエのない毎日だヨなァ……」

 ガラルドが嘆くように呟いた。

 二人はひどく退屈していた。フランツから出された指示は「待機」で、時が来るまでは自由に過ごしていいとのことだった。

 初めの内は都で過ごす華やかな日々に心躍らせていたアレンだったが、数日もすると感動は薄れ、ガラルドに連れられて夜毎に酒場に入り浸るという荒んだ生活に成り果てていた。

「こう毎日やることもないんじゃ、張り合いがないですよね」

「ホントだゼ。体がナマッて仕方ねェヨ」

「村で毎日働いていた時は、一日働かずにゆっくり休むのが夢だったんですけど、思ったより良いものでもないですね」

「夢なンてのはそンなモンさ。その上、男所帯でムサ苦しいッたらありャしねェ。目の覚めるヨうな美人でもいりャ、退屈しないで済むンだがなァ」

「お隣いいかしら?」

 互いに愚痴をこぼし合っていると、不意に声をかけられた。

 顔を上げると亜麻色の長い髪の女性がにこやかに微笑んでいた。その後ろには豊かな黒髪の女性が控えている。酒場の薄明かりのせいではっきりと顔は分からないが、どちらもかなりの美人だ。

「ヘヘッ、こりャ渡りに船だな。 オヤジ! このイス借りるゼ! さッ、座りなヨ」

 ガラルドは上機嫌に呟くと、隣の席の椅子を拝借し、二人に座るように促した。机を挟んで向かい合って座っていたアレンとガラルドの隣に、それぞれの女性が席に着く。

「お近づきの印に一杯奢らせてもらうゼ! というわけで……カンパイ!」

 ガラルドはそう高らかに宣言すると、隣に座った亜麻色の髪の女性と上機嫌に酒を飲み始めた。

 アレンは当惑した。一体、何を話せばいいのか。何か話そうと試みるものの、気の利いた話題が見当たらない。田舎の村育ちの純朴な青年に、夜の街でのスマートな立ち振る舞いなどできるはずもない。

 それに輪をかけて彼を困らせたのは、黒髪の女性もまた一向に口を開かないことだった。長い沈黙の後、アレンは何か会話の糸口を探そうと、女性の様子をつぶさに観察することにした。

 女性は幅広のスカートに赤いコルセットを着用している。よく似合ってはいるものの、どうにも落ち着かない様子でどこか気慣れていない印象を受ける。髪は背中にかかる程の鮮やかな鮮やかな黒色で、それを真っすぐに下ろしている。顔に関してはくりっとした大きな丸い目が特徴的だ。派手な化粧と服装のせいで分からなかったが、よく見るととてもあどけない顔立ちをしていることに気が付いた。年は妹のアニーと同じくらいだろうか? だとしたら「女性」よりも「少女」と呼ぶ方が自然な年齢だ。

 少女は依然として口をつぐみ、緊張した様子で握り締めた拳を膝の上に置いている。その拳にアレンは注目した。

 手の甲の拳の部分がいやに厚く盛り上がり、赤黒く変色している。化粧を施し、綺麗に着飾った格好とは不釣り合いな手だ。

 アレンは自分の手をじっと眺めた。彼の手の中にも少女と同じものがあった。その手の平は、厚く硬く盛り上がっていた。

 手の平が盛り上がるのはそう珍しいことではない。現にアレンの手も長年の農作業や村仕事によって、厚く硬くなっている。だが、それが拳となると話は別だ。

 日常の動作の中で自然に拳が鍛えられるというのは考えにくい。考えられるとすれば理由は二つ。意図的に拳を鍛えているか、もしくはそうなるような日常に身を置いているか。いずれにせよ小綺麗に着飾った出で立ちからは想像もつかない。

 アレンの訝しむような視線に気が付いた少女は、ドレスの袖口を引っ張り慌てたようにその手を隠した。彼にはそれが恥ずかしさからではなく、自らの正体を隠すための行動に見えた。

 少女とアレンとは対照的に、女性とガラルドは話に花を咲かせていた。

「……で、色々あッ各地を旅しるッワケよ!」

 ガラルドは女性に向かってご機嫌に話すが、呂律が回っておらずその口調はかなり怪しい。どうやらすっかり出来上がっているようだ。

「あら、それじゃ私たちと同じね。ねぇ、救いの里にはもう行った?」

「アァ、行ッゼ」

「なら色々と良くない噂が流れているのもご存じよね? あなたたち、詳しく知らない?」

 女性から発せられた問いに、アレンは悟られぬように静かに警戒した。自分たちは噂の真相を知っている。だが、その真相を決して話すわけにはいかない。ここはシラを切り通すべきだ。

「何も知ら……」

「ウワサね! もちろン知ッるゼ!」 

 アレンが答えるよりも早く酔ったガラルドが上機嫌に答える。何だか無性に嫌な予感がする。

「なン女神を殺しのはこの……」

 アレンは周囲に気付かれぬように、持っていたグラスをひっそりと床に叩きつけた。甲高い破裂音が響き渡り、店中の視線がアレンに集まる。

「いや、まいったな! まともにグラスも掴めないなんて俺もだいぶ酔ってるみたいだ!」

 アレンは声を張り上げ、過剰なまでに陽気に振る舞った。

 実のところアレンは酒を口にしていないため、酔っているはずなどないのだが、ガラルドの話を遮るにはこの方法が最も適切だった。

「これ以上酔うと危ないので、この辺で失礼! これ、注文した酒と割ったグラスの分です」

 アレンは酒場の主人に代金を支払うと、ガラルドを引っ張ってそそくさとその場を後にした。

「ガラルドさん、飲みすぎですよ! さっき何を言おうとしたんですか!?」

 アレンは非難の声を上げるが、酩酊状態のガラルドからまともな返事はない。

「とにかく今日はもう拠点に戻ろう。クソッ、それにしても重いな……」

 ガラルドの巨体をどうにか支え、愚痴をこぼしながら帰路につく。

 ガラルドを連れ帰るのに必死で、後ろから二つの影がついて来ていることに、アレンは最後まで気付かなった。


 翌朝、目を覚ました二人にフランツが声をかける。

「さて、そろそろ休養も十分取れただろう。そこで次に向けて動こうと思う」

「オッ、ヨうヤくか! 待ちわびたゼ」

 フランツの言葉にガラルドは歓喜の声を上げる。どうやら昨晩の酔いはすっかり冷めたらしい。

「我々の尽力のおかげで、都での勇者一行の評価は大きく二分している。すなわち世界平和の救世主か、それとも疑惑にまみれた殺人者か。この調子でしばらくは各地を回って女神の噂を広めていく」

「なンだ、戦うンじャないのかヨ。せッかくまた一暴れできると思ッたのにヨ」

「今やるべきは噂を広め、一行の信用を失わせることだ。それが奴らの動きを封じることになる」

「まッ、センセーがそう言うなら従うけどヨ。そうと決まればさッさと行こうゼ」

 ガラルドは今後の方針についてしぶしぶながら了承し、出発を促した。

 その刹那、部屋中に衝撃音が鳴り響いた。三人は驚き、音のした方向に視線を向けた。

 音の発生源は小屋の入り口だった。力尽くで扉が破られ、その衝撃で土煙が濛々と上がっている。

 そして立ち上る粉塵から二つの人影が姿を現した。

「これはとんだ来客だな……」

「だ、誰なんですかあの二人は……!?」

 突然の襲撃に動揺を隠せずにいるアレンに、フランツは小さく答える。

「剣士と武闘家。勇者のお仲間さ」

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