第13話 愚かな女神
薄暗い室内に叫び声が轟く。その声によってアレンは走馬灯から目覚め、現実世界へと引き戻された。
(な、なんだ!? 何が起きたんだ……?)
慌てて顔を上げると、女神が冷たい石の床に伏しているのが見えた。床には赤い液体がジワリジワリと広がっていく。傍らにはガラルドが剣を片手に佇んでいる。振り下ろされた刃の切っ先からは同じく赤い液体が滴り落ちていいる。
「女神様ァァァ!!」
「き、貴様ァァァ! よくも女神様をッ!!」
信者たちはそれぞれ悲鳴と怒声を上げると、一人は女神に駆け寄り、もう一人は猛然とガラルドに掴みかかった。
「おっと!」
ガラルドは体を反転させ突進を軽くいなし、すかさず足払いをお見舞いする。信者はバランスを失い体勢を崩すと、勢いそのままに顔から壁へと突っ込んで行った。
「女神さまぁぁぁ……」
もう一人の信者は倒れこんだ女神にすがりつき、悲痛な声でその名を呼び続ける。だが、女神が返事を返すことはない。恐らくは指一本動かすこともできないだろう。もう二度と。
(クソッタレッ!!)
ペトルは心の中で毒づくと、即座に行動を起こした。
一瞬の内の逆転劇。それはすなわち我が身の危機。今は一刻も早くこの場から逃れるのが先決だ。だが、入り口前には剣を携えたガラルドが仁王立ちしている。
(なら、あいつを……!)
ペトルは短刀を握りしめたままアレンの方へと駆け寄る。再度人質を取るために。この場を切り抜ける交渉材料とするために。
状況を飲み込めず、アレンは向かってくるペトルの姿をただ見ていた。その時、白い影が一つアレンの前に飛び出し、ペトルへと向かって行った。ペトルの計画を阻む白い影。その正体はフランツだった。フランツの体当たりを受けたペトルは派手に吹き飛ぶ。
「クソッ!!」
再起を図り立ち上がろうとしたペトルだが、それは叶わなかった。鼻先に剣を突き付けられたからだ。
「動かない方が身のためだゼ。命が惜しければ……な」
「貴様、いつの間に……!」
ガラルドは低い声でペトルを威圧する。
形勢逆転。天国から地獄。自らの立場を悟ったのか、ペトルはそれ以上は何も言わず、黙って警告に従った。
「よくやった、ガラルド。ついでにこの縄を解いてくれないか。いい加減、肩が凝りそうだ」
「悪ィな、センセー。俺は今コイツを抑えてるから手が離せねェ。自分たちで頼むゼ」
そう言うとガラルドは、ペトルが取り落とした短刀を足で蹴り渡した。短刀はするすると床を滑り、アレンの目の前でぴたりと止まった。
「よし、アレン。それで縄を切ってくれ」
「わ、分かりました」
形勢逆転。地獄から天国。急転直下の事態に戸惑いながらも、アレンはその指示に従うことにした。座りながら体勢を変え、後ろ手に短刀を握る。
「手まで切らないように気を付けてくれよ?」
「分かってますよ。ところで……」
「うん?」
フランツの軽口を軽くあしらい、アレンは率直な質問をぶつけた。
「全部計算の内だったんですか? ここに連れてこられたのも、最後にこうなることも」
「まぁ、な。完璧に思い描いた通りとは行かなかったが、最終的には上出来だ」
「それじゃあ……俺を人質にするって言うのは?」
「もちろん計画通りだ。もっとも、本当に君を差し出すつもりはなかったが。ん、切れたか。よし、縄を解いてやろう」
そう言うとフランツは、アレンを縛っている縄を解き始めた。
「そうならそうとあらかじめ言っておいてくださいよ! 生きた心地がしませんでしたよ、まったく……」
アレンは抗議の声を上げる。おかげで助かったのは事実だが、それにしても人が悪い。そんな重要な話を黙っているなんて。
「すまなかったな。だが、どうしても必要だったんだ。作り物ではない、本物の心の叫びが」
「心の叫び?」
「下手な芝居ではすぐに感付かれてしまっただろうからな。よし、これで晴れて自由の身だ」
フランツは縄を解くとゆっくりと立ち上がり、強張った筋肉をほぐし始めた。アレンもそれに倣い、立ち上がって肩を回す。
「ふん、そういうことか」
二人の会話を聞いていたペトルは、苦々しくつぶやいた。
「さすが、察しがいいな」
「まさかあの土壇場をひっくり返すとは思わなかったぜ。まいったね、どうも」
フランツとペトルは互いの健闘を讃え合う。そこには敵味方の垣根を超えた奇妙な友情のようなものが芽生えていた。
未だ何が「そういうこと」なのか理解できずにいるアレンは、そんな二人のやり取りに割って入る。
「結局、どういうことなんですか?」
「その前にその男を拘束してくれ。目覚めて暴れでもしたら厄介だ」
フランツは自分を縛っていた縄をアレンに手渡し、壁に激突した信者を指差した。
「分かりました」
アレンは信者を後ろ手に組ませ、その手を縄で縛っていく。
「得物をぶら下げた相手に丸腰で挑むとは。結果はどうあれ勇敢なこッて」
アレンに縛り上げられる幹部を見ながら、ガラルドがつぶやく。
「あッちはこの状況下で逃げもせず付きッきり……どちらも随分と躾が行き届いてンな」
ガラルドの言葉にアレンは部屋の隅に顔を向ける。
女神の名を呼び、泣きじゃくる信者。その周りは血だまりになっている。女神は信者の呼びかけに応じることもなく、ただ静かに横たわっている。それはつまり――
(死……)
そう認識した瞬間、アレンは激しい動悸に襲われた。
彼の人生において「死」は、それ程珍しいものではなかった。山に入り獣を屠り、その血肉をいただく。村に住む老人の死を看取ったこともあった。先の火災では何体もの焼死体を、嫌と言うほど見せつけられた。彼にとって「死」とは、ごく身近で慣れ親しんだもののはずだった。だが、今は違う。
女神は死んだ。いや、違う。殺されたのだ。ガラルドの手によって。
話ができる状況でも、話が通じる相手でもなかったのは分かっている。あの場面で手をこまねいていれば、殺されていたのは自分たちの方だっただろう。しかしそれでも、アレンには殺人という事実を受け入れることができなかった。頭では理解できても心がそれを拒絶している。認めれば女神たちの同類になってしまう。身勝手な理由で凶行に及んでいた奴らの同類に。
「そ、それで! 話の続きなんですけど、結局どういうことだったですか?」
まとわりつくどす黒い気持ちを振り払おうと、アレンは話を戻し質問を投げかける。
「私は『君を人質に差し出す』と言った。もしその言葉が全て芝居だと知っていたら、君はあれだけ激しく怒りや憎しみの感情を出せたか? 抜け目のない相手を騙し通せる程の強い感情を」
「多分、難しかったと思います……」
「そうだろう。特に君は嘘が得意なようには見えないからな。悪いが、君たちには何をするかは黙っていたのさ」
「『君たち』……ってことは、ガラルドさんにもですか?」
「俺も詳しくは知らされてなかッたゼ。『武器を手にしたら女神を討て。その時までは何があっても決して動くな』と聞かされただけだ」
「そうだ。俺はそいつの慌てふためく姿を見て、人質発言が本気だと判断した。それが単に知らされていなかっただけで、それも手の内だったとはな」
フランツの説明を補足するようにペトルが会話に割り込む。いつの間にかその両の手足は縛られていた。それでもなおペトルの答え合わせは続く。
「そして観念したフリをして儀式を進めたわけだ。わざわざ首を刎ねるよう指定したのは女神から武器を奪うため。短刀じゃあ、到底首なんか切り落とせっこないからな。儀式の手順を言い訳に俺を離れさせたのも、その後の俺の動きを読んでいたからか?」
「無論だ。目の前で女神を殺されれば、その下に付く信者の取る行動はおおよそ三つに分けられる。怒りに身を任せ加害者に襲い掛かるか、女神に駆け寄りその身を案じるか、身の安全のために一早くその場を後にするかのいずれかにな」
フランツの言う三つの分類は、今回の信者の行動にピタリと一致した。
「逃げ出そうにも出口は自分の向こう側、その前には武器を持った大男。切り抜けるには"人質"を利用する他あるまい」
お返しとばかりに、今度はフランツがペトルの言葉を代弁する。まるで事前に申し合わせたかのように、二人は流暢に言葉を紡いでいく。
「そうさせないために、あんたは身を挺して人質を取られるのを防いだってわけか。手だけじゃなく足も縛っておくべきだったよ。今の俺のようにな」
ペトルは自嘲気味につぶやき、フッと笑った。
「仲間を潜り込ませたのは情報収集のためとばかり思っていたが、俺に疑いを抱かせるためでもあったんだな。そして俺はまんまとそれに踊らされた」
だが、その表情から怒りや絶望は感じられない。それどころか、何か満足げな清々しい表情だ。カミソリのように鋭い目も今はどこか柔和に見える。
「一つ教えてくれ。あんたが人質の提案した時、俺はそれを呑もうとした。適当な理由を付けて後で全員始末するためにな。当然、お前らに武器を渡すつもりもなかった。もし女神が異議を唱えずにあんたの提案を吞んでいたら、その時はどうしてた?」
「必ず女神は異議を唱えると考えていた。奴にとって我々は、教えに背き、里を脅かす"悪魔の子"だ。何の罰も与えずに見逃すはずがない。怒りを買うために散々罵倒してやったしな」
「そ、そこまで考えていたなんて……」
「当然だ。前に言っただろう? 『殴り合うだけが戦いじゃない』と」
驚きのあまり漏れ出たアレンのつぶやきに、フランツはにこりともせず涼しげに答える。
「最後にもう一つだけ教えてくれ。俺とあんたの知恵比べはほぼ互角だった。その明暗を分けたのは一体、何だ?」
ペトルの問い掛けにフランツは目を閉じ、腕を組み深く考える。そして答える。
「……女神だろうな」
「女神?」
「お前は女神の妄信する教義に縛られた。私はそれを利用した。明確な違いと言えばそれぐらいだろう。それと一つ目の問いの答えだが、もし女神が私の提案を呑んでいたら、今頃、アレンの命はなかっただろうな」
「女神……。そうか、女神か……」
ペトルはうわ言のように同じ言葉を繰り返す。
「俺の言う通りにしていれば、こんな目に遭わずに済んだものを……まったく、愚かな女神だぜ」
そして床に転がる亡骸を見つめ、そうつぶやいた。
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