第12話 切れ者
(……この人は何を言っているんだ?)
アレンにはフランツの言葉の意味が理解できなかった。
人質? 何故、俺が人質にされなければならないんだ?
仲間? 本当にそう思っているのなら、なおさら何故?
痛み分け? このままこいつらの所業を見逃すつもりなのか?
いや、そんなはずはない。
次々に浮かび上がる疑念を振り払い、アレンは必死に自分に言い聞かせる。
(フランツさんならこの場を切り抜ける策を用意しているはずだ)
「おい、つまらん冗談は……」
「頼む! 命だけは見逃してくれ!」
アレンの望みをかき消すように情けない声が響く。
出会ってから常に冷静だったフランツが恥も外聞もなく命乞いをしている。それもアレンの命を引き換えに。その姿には威厳の欠片もない。
(まさかこれは……)
振り払ったはずの疑念が舞い戻る。アレンの首筋に短刀を突き付けたまま、ペトルが耳元でつぶやいた。
「お前も可哀想にな。信じた仲間にこんな形で裏切られるなんて」
(演技じゃない……!?)
その一言が追い打ちとなった。
「じ、冗談……ですよね……?」
「……すまない」
フランツの口から出たのは、質問に対する回答ではなく謝罪の言葉だった。フランツはそう言ったきり固く口を噤んでしまった。
(『すまない』で済むかっ!!)
「一体、どういう事なんですか!?」
アレンは思わず声を荒げた。仮に女神側がこの条件を呑んでフランツを解放したところで、アレンに待ち受けているのは「死」だけだ。
これでは人質ではない。生贄だ。
「生き残るにはこれが最善なんだ……。君の怒りや無念はもっともだが、ここは何とか我慢してくれ」
突き付けられた宣告はあまりにも残酷で無慈悲だった。首元に突き付けられた刃の冷たさを忘れてしまう程に。
「ふ、ふざけるなッ! そんなの納得できるわけがない!!」
震える声でアレンが怒鳴る。
フランツの提示した条件は2つ。1つは人質としてアレンを差し出すこと。もう1つは、救いの里で見た一連の出来事を全て忘れ、今後一切女神と関わらないこと。
女神は勇者一行の一員である。その女神に関わらないということは、間接的に勇者と関わらないと言うことになる。勇者の後を追い、その正体を暴くという目的の消滅。それはつまり、この旅の終了を意味する。アレンにはそれが許せなかった。
ここで俺が死んだら、全身に火傷を負い、瀕死の状態で床に臥せっている弟はどうなる? ここで勇者を見過ごせば、未だ分からぬ妹の行方はどうなる? 死んでいった両親や村の人たちの無念は? 村を襲った悲劇の真相はどうなる?
あれだけ人を焚き付けておいて、危なくなったら自分だけ逃げようなんてあんまりだ。
「今この場を逃れたとして、それで勇者は……!」
「なら、どうしろと言うんだ! このまま全員皆殺しにされてもいいのか!?」
アレンの台詞を遮るように、フランツも声を張り上げる。さっきまでの重苦しい静寂が嘘のように、部屋には両者の怒声が響き渡った。
ペトルはその様子を黙って眺める。依然として彼は疑っていた。この対立が予定調和の寸劇である可能性を。何故、そう思うのか? 自分ならそうするからだ。
二人が言い争いをして注目を集める。その隙に残った一人が力を以て、全員を打ちのめす。
(……俺ならそうする)
そうさせないために先手も打った。この若い男の首筋に突き付けた短刀がそれだ。
人質を抑えておけば不用意に手出しはできまい。実際、イウダは動けずにいる。
ペトルは右手に短刀を握りしめたまま、"人質"の観察を始めた。
(年は俺より少し若いぐらいか……)
人質に指名された若い男は多量の汗を流し、顔を赤くして必死に抗議という名の抵抗を続けている。
迫真の演技? いいや、違う。
表情、汗、息遣い。それらが雄弁に物語っている。
信じた仲間に裏切られた憤り。自分が生贄にされることへの怒り。突き付けられた死への恐怖。悲痛な胸の内がひしひしと伝わってくる。
この若い男の言葉は全て嘘偽りのない真実に相違ない。それはつまり――
(帽子の男は本気でこいつを切るつもりらしいな)
ペトルは確信した。アレンの言動が演技ではないことを。形勢を逆転させる秘策などありはしないことを。そして自らの勝利を。
(ここはひとまず条件を呑んだフリをするか……)
提示された条件に従うつもりなど毛頭ないが、穏便に話を進めるために表面上の合意を繕うことにした。イウダと帽子の男はその後で始末すればいい。
「よし、それなら……」
「なりません!」
ペトルの言葉を遮り、女神が叫ぶ。
「この者たちは皆、罪人なのです! 一人として野放しにはできませんッ!」
(チッ、余計なことを……!)
女神の望みは三人全員の"解放"。その点に関して言えば、女神とペトルの認識に相違はない。だが、決定的に異なる点がある。三人を排除する「理由」だ。
ペトルの理由は救いの里の機密保持だ。
人質と引き換えに見逃したとして、奴らが約束を守る保証などどこにもない。こいつらは救いの里の秘密を知ってしまった。脅威となり得るものは徹底的に排除しなければならない。ようやく手に入れた安寧を守るために。
対して女神は、自らの教えに執心していた。
この三人は魂を闇に支配された悪魔の子である。悪魔の子は魂を解放し、救済しなければならない。彼女にとって、教義を守りそれに従うことこそが絶対の正義なのだ。
(状況はこちらが圧倒的に有利だが、イウダは手足が自由だ。いつ仕掛けてくるか分からない)
そこで合意したフリをし、理由を付けてイウダの自由を奪う。そして改めて秘密を知る三人を始末する。完璧な作戦だった。女神の一言さえなければ。
ペトルはジロリと女神を睨み、心の中で盛大に悪態をつく。
(ここで突っぱねて追い込んでどうする! 逆上でもして襲い掛かって来たらどうするつもりだ? 何も分からないくせに出しゃばるな! この精神異常者が!)
とはいえ、ペトルはあくまで女神の側近の内の一人に過ぎない。この救いの里の頂点は女神だ。内心がどうであろうと、女神の決定には従わなければならない。それを覆すには、彼女を納得させ、決定を覆せるだけの理由が必要になってくる。ここで必要なのは合理的理由ではない。宗教的理由だ。
女神は「理」では動かない。「情」でも「利」でも動かない。女神を動かせるのはその意見が教義的に正しいかどうかの一つだけだ。
(
「そうか……ならば仕方ない」
ペトルが考えを巡らせていると、フランツが口を開いた。
「こうなってはもう神の救いにすがるしかない。我々三人は潔くこの場で果てよう」
予想だにしない一言にアレンは凍り付いた。
自分一人犠牲になるのは納得できないが、ここで三人全員殺されるというのは理解できない。そうなっては勇者を追う者が途絶え、真実への扉が閉ざされるだけではないのか? フランツは何とも言えない物憂げな表情をしている。それはまるで諦めの境地にいるような、そんな表情だった。
フランツの言葉にアレンが当惑する中、その背後でペトルもまた同様に動揺していた。
追い詰められ、自分が生き残るために他人を差し出す。理屈の上ではごく自然な行動。だが、この男は突然それを翻した。普通なら諦めて腹を括ったと考えるべきだろう。彼は僅かながらそういう者がいることを経験的に知っていた。
魂と罪の救済の儀において、"犠牲者"が示す反応はいくつかに分類される。泣き叫び命乞いをする者。怒りを露わに口汚く罵る者。現実を受け入れられず発狂する者。そして覚悟を決め死に臨む者。この帽子の男は抵抗を諦め、死を受け入れた。それだけの話だ。
(本当にそうか……?)
そう自分に言い聞かせたが、本能がそれを拒む。ペトルを襲った猛烈な違和感。その正体はフランツへの警戒心だった。
(あれだけ足掻いていた奴が、こんな唐突に諦めるか? ましてや、いくつも策を用意してここまでたどり着いた男が……)
「女神様、儀式を進めてください。その親子の前に我々を"解放"してくれないでしょうか?」
フランツは一転して丁寧な口調で女神に懇願する。
「何を言って……!」
「諦めろアレン。これも運命だ。今さらこんなことを言っても仕方ないが、君を巻き込んで本当にすまなかった……」
「ほんとですよ……今さら……」
それ以上、アレンは何も言わなかった。いや、言えなかった。言いたいことは山ほどあるが、頭がちっとも働かない。
(これで本当に終わりか……)
アレンは目の前に突き付けられた現実を受け入れつつあった。諦めにも似た受容。目を閉じると家族で過ごした最後の晩餐の様子が思い浮かんだ。
ここで死んだら、また両親と再会できるだろうか? もしそうならば、それも悪くない。
(アニー、トム、ごめん。ダメな兄ちゃんを許してくれ……)
アレンは覚悟を決めた。諦めにも似た悲愴な覚悟。もはや抵抗する気力も残ってはいなかった。
「というわけだ。そろそろアレンから離れてくれないか?」
フランツの申し出にペトルは反発する。彼は依然としてフランツが何かを狙っているのではないかと疑っていた。
「何を言ってやがる。離れたら人質の意味がなくなるだろうが」
「もはや彼は人質ではない。神聖なる儀式の参加者だ。色々と準備やしきたりがあるだろう? そうやって参加者に張り付いたままで儀式が完遂できるのか?」
「こ、こいつ……!」
「下がりなさい、ペトル」
「女神様! しかし……!」
「下がりなさい。これは命令です」
女神は威厳のある声でペトルを叱咤した。ここでは女神が頂点だ。彼女を納得させる相応の理由がない以上、命令に従うより他はない。
「ありがとうございます女神様。それと最後にもう一つお願いが。我々二人の"解放"は、彼の手に委ねたい」
フランツはそう言うと、真っすぐにガラルドを見据えた。
「その理由は?」
注文の真意を女神が問う。
「先ほどのお話の中に『近しい者ほど効力を発揮する』とありました。他人より知人、知人より友人、友人より親族。ガラルド……ここではイウダと呼ぶべきか。我々にとって彼は、救いの秘密を暴こうとした
フランツはもっともらしく話す。さらに説明は続く。
「そしてイウダは我々の魂の解放により、徳を積むこともできます。今まで女神様を欺いてきた罪を、今この場で少しでも贖わせたいのです」
フランツの提案は支離滅裂だ。わざわざ受ける道理はない。だが、それは常識的に見ればの話だ。女神が執着する教義に基づいてこれを評価すれば、これ以上に見事な理屈はない。
「素晴らしい……。素晴らしい心掛けです。それではさっそく儀式を始めましょう」
長らく滞っていた予定がようやく進められると、女神は嬉々として指揮を執り始めた。
「お願いします。どうか華々しくこの首を刎ねていただきたい」
「よろしい。ではこの宝剣を貸し与えましょう。イウダ、こちらへ」
女神はガラルドを呼び寄せる。その様子を眺めながらペトルは思考を巡らせていた。
(『首を刎ねる』? 何故、わざわざ奴は殺害方法の指定を……)
次に女神は腰に差していた剣をガラルドに手渡す。
(そうか、これは……!)
ペトルは全てを理解した。その瞬間、部屋には絹を裂くような叫び声が響き渡った。
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