第11話 裏切り者
悪意と狂気にまみれた儀式の場に突如現れた一人の男。
二人がかりでようやく開いた鋼鉄の扉をたった一人でこじ開け、男はやって来た。筋肉質なその身に白い巡礼服を纏ったその男は、悠然と女神に歩み寄る。
(ガラルドさん……!)
口には出さずにあくまで冷静を装ってみるが、アレンの目は希望に輝いていた。
『こんな時のために、早くから里にガラルドを潜り込ませておいたのさ』
先ほど話していたその言葉通り、フランツはあらかじめ策を用意していた。ガラルドを救いの里に先行させていたのは、何も情報収集と監視のためだけではなかったのだ。
ガラルドの登場によりアレンは『魂の解放』を免れたとは言え、状況は依然として芳しくない。
敵は女神と信者を合わせた四名。さらに女神は武器を所持している。
対してこちらは三名と、数の上では不利だ。見る限りガラルドが武器を持っている様子はなく、アレンとフランツは両手を封じられている。つまりはたった一人、丸腰の状態で四人を相手にしなければならないという訳だ。
いくらガラルドが屈強と言えども、この場を無傷で切り抜ける事など可能なのだろうか? 果たしてどんな策があるのか?
ガラルドは女神の目の前で歩みを止め、一言も発せず二人は対峙する。
アレンが固唾を飲んで状況を見守っていると、ガラルドは意外な行動に出た。女神の前に跪いたのだ。
まるで主に忠誠を誓う下僕のように。
激突を予期していたアレンは、思いがけないガラルドの行動に思わず隣を盗み見る。隣ではフランツがいつもと変わらぬ不遜な表情を浮かべていた。
(フランツさんがこれだけ堂々としてるなら、これも予定通りってことか?)
そう考えたアレンはしばらく様子を見ることにした。
「どうしたのです、イウダよ。上の見張りを命じていたはずですが?」
(イウダ?)
女神はガラルドをそう呼んだ。初めて耳にした名称に怪訝な顔をしていると、フランツが周りには聞こえぬように囁いた。
「……ここでの奴の名だ。連中は
「……何のために?」
「実の名を捨てさせる事で、転生を演出しているのだろう」
(転生……。死んだ人間が生まれ変わる。そんな事が本当にあるのだろうか?)
(もしあるとすれば、両親や村の人達とまたいつか巡り合える日が来るのだろうか?)
フランツの言葉を受け思いを巡らせていると、ガラルドが口を開いた。
「申し訳ありません。言い付け通り見張っていたのですが、何やら騒がしかったので女神様の身に何かあったのでは……と持ち場を離れてしまいました」
ガラルドは顔も上げずに釈明を始めた。
「そうでしたか。それなら問題ありません。確かにこの者たちは反抗的ですが、動きは封じてありますから」
そう言うと女神は剣を構えアレンを見据える。
「さぁ、それでは改めて魂と罪の救済を進めましょう」
「女神様、お待ちください」
一人の信者が声を上げ女神を止めた。だが、声の主はガラルドではなかった。
「……今度は何だと言うのです? ペトル」
二度に渡る儀式の中断に、女神は苛立ちを滲ませながら問いかけた。
ペトルと呼ばれたその信者はガラルドと同様に跪きながら返答をした。
「申し訳ありません。ですが、儀式の前にはっきりさせておかねばなりません。この場に女神様に仇なす"裏切り者"がいることを」
裏切り者。その言葉にアレンは少なからず動揺した。
裏切りとは味方を欺き、敵方につくことを言う。
既に正体を掴まれ、表立って敵対の意を示しているアレンとフランツはそれには該当しない。二人の場合は「裏切り」よりも「反逆」の方がふさわしい。すなわちここで言う"裏切り者"とは――
「なぁ、そうだろう? イ・ウ・ダ?」
「……何のことですか?」
ガラルドはすぐには反応せず、一呼吸置いてあくまで冷静に落ち着き払った声で答えた。それでもペトルは追及の手を緩めない。
「とぼけるなよ、イウダ。ネタは上がってるんだ。お前はここに来るのは初めてだから知らないだろうが、この部屋の音は外には聞こえないんだよ。その分厚い扉が閉まっている限りはな。お前は扉を押し開けて入って来た。外に音は漏れないはずなのに一体、何が騒がしいって?」
ペトルは下卑た笑みを浮かべながら、皮肉たっぷりの口調でガラルドに詰め寄った。反論の機会を与える間もなく、ペトルの口上は尚も続く。
「それに俺はお前とその帽子の男がこそこそ話しているのを見ている。お前、こいつらと通じているんだろう?」
「……」
「押し黙るにはまだ早いぜ。はっきりと動かぬ証拠ってやつを見せてやるよ」
そう言うとペトルは懐から薄茶けた紙切れを取り出した。どこかで見たような光景。
(そうだ、これは……)
ペトルの姿にフランツの影がぴたりと重なる。アレンの脳裏には数刻前の森での出来事が浮かんでいた。
「こいつはそこの帽子の男が持っていたものだ。ここには森を抜けた保管庫への行き方が記してある。この事を知っているのは教団内でも一握りだ。女神様とその側近である俺たち三名。そしてお前だよ、イウダ。ほら、見てみろよ。こいつはお前の字だよな?」
ペトルはガラルドの鼻先に地図を突き付けた。決定的な動かぬ証拠を。これでは言い逃れをすることもままならない。
「……」
「……全てお見通しか。まさかこんな抜け目のない人間がいるとはな……」
黙りこくるガラルドの代わりにフランツが口を開く。だが、その口振りからは何か諦めるような意味合いが感じられた。
まるで観念するかのような、敗北を認めるかのような。
「あんたが首謀者か? ふぅん……」
ペトルは品定めでもするかのようにしげしげとフランツを眺めた。
「まっ、そんなとこだろうな。見るからに小賢しい顔だ。そっちの鈍そうなガキとデカブツのイウダじゃ、ここまで頭が回らんだろうからな」
観察を終えると、ペトルは吐き捨てるように言った。このペトルという男、口は悪いがかなりの切れ者だ。
ガラルドの発言から部屋の構造の矛盾を突く鋭さ。反論の暇を与えずに理詰めで追い詰める嫌らしさ。気を失ったフランツの持ち物を調べておく用心深さ。それはまるで――
(フランツさんだな、まるで……)
アレンは心の中でしみじみとつぶやいた後、燭台のぼんやりとした火を頼りにペトルを観察した。
身長はそれ程高くない、やや痩せぎすの男。年の功は自分よりも少し上ぐらいだろうか。骨ばった顔の輪郭からは丸みやふくよかさは感じられず、端的に言えば「鋭い」という印象を受ける。その理由は痩せているからというだけではなかった。
目付きが異様に鋭いのだ。例えるならカミソリのような鋭利さで、全てを見透かし切り裂くようなそんな目だ。恐らくこの目を見た者の多くが、親しみよりも警戒心を抱くに違いない。
「救いの里についてこそこそと嗅ぎ回っていたようだが、残念だったな。それもここまでだ。おっと、妙な真似はするなよ、デカブツ。余計なことをすると、こいつが苦しみながら"天上の国"に行くことになるぜ?」
言うが早いかペトルは素早くアレンに近付き、その首元に短刀を突き付けた。宿屋の主人が取り落としたのをいつの間にか拾い上げていたようだ。
動きを封じられたアレンとガラルドの代わりに口を開いたのはフランツだった。
「お前たちの目的が教えの布教とそれに従わない人間の排除ということは分かった。だが、これから先どうするつもりだ? 世界中の人間をここに集めて、従わない者は皆殺しにするつもりか? それで救われる人間がどれだけいる?」
「無論、必要ならばそうするさ。俺はこの教団を一から築き上げてきた。救われるかどうかは大した問題じゃない。この里の平穏こそ俺の平穏だ。それを脅かすお前らにはここで消えてもらう」
ペトルはアレンの首元に短刀をあてがったまま、力強く宣言した。その言葉には邪魔者は排除するという確固たる意志が感じられた。取り付く島もなさそうだ。
絶体絶命の状況の中、アレンは藁にもすがる思いでフランツの次の言葉を待った。身動きを封じられた今、その命はフランツにかかっている。
重々しい空気の中、フランツは口を開く。
「そちらの考えはよく分かった。そこで一つ提案なんだが……、ここは見逃してもらえないだろうか?」
「はぁ? 何を言ってやがる?」
突然の申し出に、ペトルは素っ頓狂な声を上げた。
「見逃してくれれば、今回ここで見聞きしたことは決して口外しない。そして今後一切、女神様には関わらない」
「おいおい、何を言い出すかと思えば今度は命乞いか? 黙ってるから見逃してくれなんて、そんな虫のいい話が通るわけねーだろ! 大体お前らが口外しないなんて保証がどこにある?」
「もちろんタダでとは言わない。我々は図らずともこの里の秘密を暴いてしまった。それならばこちらも相応の犠牲を払おう」
「何が『図らずとも』だ。白々しい」
ペトルはフランツの言葉を一蹴した。だが、内心ではフランツがどんな提案をしてくるのかと、胸に期待を寄せていた。そして確信した。"匂い"の正体はこいつか――
ペトルは頭のいい男だった。女神の教えが急激に広まり、信者を増やし教団として勢力を拡大したのもペトルの働きの賜物だった。
だが、彼はひどく退屈していた。教団幹部の地位を得て、何不自由のない生活を手に入れたにも関わらず。女神を利用し教団を立ち上げ、幹部にまで上り詰めた。その道のりは決して楽ではなかったが、彼にとっては充実したものだった。
初めは数える程だった信者の数も、女神の威光を演出することにより、日に日にその数を増やしていった。教団内での地位を確立するために様々な権謀術数も巡らせた。
その甲斐あって、今やペトルは教団のナンバー2の地位にある。望む物は何でも手に入る。豪勢な食事も、高価な酒も、とびっきりの美人も。その代わり、謀略の中で手にしてきた充実感や達成感はいつの間にか消えていた。苦労の末に手に入れたのは、満ち足りた怠惰な日々だった。そんな時、ある男が現れた。
およそ信仰とは不似合いな筋肉質の大男を、ペトルは直感的に怪しいと睨んだ。この男からは謀の匂いがする。
女神の下に集まる人間は、皆一様に同じ目をしている。絶望に打ちひしがれ希望にすがる、光をなくしたガラス玉のような目。俗に言う「死んだ目」だ。そんな死んだ目をした人間にも、同じ道を信じる者たちと生活をしていく内に次第に変化が表れ始める。
顔には笑顔が戻り、瞳には再び光が宿る。だが、それは何とも言えない怪しい光だ。穢れを知らない幼子のような澄んだ瞳ではない。濁った輝きとも言うべき、矛盾に満ちたものだった。
そうなったが最後、逃れる術はない。女神に巡り合えた奇跡に感謝を捧げながら一生を終えるのだ。蜘蛛の巣に捕らわれた羽虫のように。だが、その男は違っていた。
初めて救いの里に現れた時も、教えを遵守し幹部候補にまで上り詰めた時も、男は変わらぬ目をしていた。
何か企んでいるような、野望を隠しているような。それはペトルが女神と出会い、その教えを利用して身を立てようと決意した時と同じ目だった。
ペトルは男を泳がすことにした。男は女神の教えを忠実に守り、教団のためによく働いた。その働きが認められ、瞬く間に幹部候補にまで成り上がった。男に
"裏切り者"の意味を冠する「イウダ」の名を――
静寂の中、ペトルはフランツの次の言葉を待つ。
(この男からは同じ匂いがする。俺と同じ謀略の匂いが)
半年も前から内通者を潜り込ませておくしたたかさ。隠れ家の地下にまでたどり着く嗅覚。
彼は密かに期待していた。自分と同じ匂いのするこの男なら、この場を切り抜ける策を用意しているに違いない。
ペトルは飢えていた。謀略に明け暮れた日々に。己の才覚のみでのし上がる快感に。甘美で退屈な毎日に、風穴を開けるような強敵に。
これで終わりじゃないだろう? 次はどんな手を使う? ようやく俺と渡り合えそうな奴に出会えたんだ。さぁ、もっと俺を楽しませてくれ!
だが、フランツが放ったのはペトルの期待を裏切り、アレンの希望を打ち砕く一言だった。
「人質としてその青年を差し出そう」
「は?」
(は?)
ペトルの台詞とアレンの心の声がぴたりと一致する。
「そちらは秘密を知られた。こちらは大事な仲間を一人差し出す。どうだろう? これで痛み分けと言うのは」
「おい、つまらん冗談は……」
「頼む! 命だけは見逃してくれ!」
ペトルの言葉をかき消すように、フランツの悲鳴にも似た懇願の声が木霊する。
「チッ……」
ペトルは小さく舌打ちをすると、哀れみに満ちた目をアレンに向けた。
「お前も可哀想にな。信じた仲間にこんな形で裏切られるなんて」
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