第10話 魂と罪の救済
「この人を一体、どうするつもりだッ! 『魂と罪の救済の儀』って何なんだ! 答えろ!」
永遠に続くかと思われた静寂にクサビを打ち込んだのは、誰あろうアレンだった。
「無知なる迷い子に光を照らすのも我が務め……。よろしい、お教えしましょう。魂と罪の救済の儀について。そしてあなた方の犯した『罪』について」
(また罪かよ! この期に及んで訳の分からないことを……!)
事実をはぐらかすような的を射ない女神の物言いに、アレンは苛立ちを募らせる。
怒りを滲ませるアレンの視線を気にも留めず、女神は滔々と話し始めた。
「良いですか? この世界は罪に溢れています。何故ならば……」
「地上は天上の国で罪を犯した者が追いやられた流刑地だから――だろ?」
二人のやり取りを黙って聞いていたフランツが口を挟む。
「ええ。その通り。しっかりとご理解いただいているようですね」
「特別礼拝で直々に賜ったありがたいお話だ。忘れるはずもあるまい」
「それはそれは。とても素晴らしい心掛けです」
その言葉に女神はにっこりと微笑む。フランツの口調は明らかに皮肉めいたものだったが、女神はそれを額面通りに受け取ったようだ。
恐ろしく
そんな疑念を知ってか知らずか、笑顔を浮かべたまま女神は話を続ける。
「あなたの認識の通りこの地上世界は穢れ切っています。そこに住まう人間は皆罪深き咎人であり、その罪は信仰によってのみ赦されるのです。そう、本来であれば――」
『本来であれば』
穏やかな口調から一転、女神の声が冷たく響く。
礼拝で聞いた説教の焼き増しに過ぎなかった話が、意味深な語尾によって一変する。
「本来であれば信仰により全ての罪は赦されます。しかし、残念ながらそうではない者がいるのは紛れもない事実! 嗚呼、何と虚しいことでしょう」
「そうではない者……?」
「私を拒む者、欺く者、試みる者。それらは魂を闇に支配された悪魔の子なのです。中には粘り強く説得を続けることによって教えに目覚める者もいますが、残念ながらそのような例はごく稀です」
つぶやくように尋ねたアレンに対し、女神は立て板に水が如く喋り出した。
「悪魔の子はいくら信仰を重ねても、決して救われることはありません。見せかけの祈りなのですから当然です。しかし、私はそんな哀れなる者達を見捨てはしません。むしろ彼らこそ救いを求めているのですから!」
女神は完全に高揚し、興奮した様子で叫ぶ。暗がりに照らされた頬が紅潮して見えるのも、燭台の火が反射しているせいではないだろう。
「彼らを救うには魂から救わねばなりません。穢れた肉体から魂を切り離すことにより、魂は浄化されるのです」
「そうか……、そういうことか」
女神の話を受け、フランツが小さくつぶやいた。どうやら今の言葉で何かを察したようだ。
「隠れ家の地下にあった『壺』も、貴様らの仕業だな?」
(壺……)
「仕業とは人聞きの悪い。私達はあくまで魂を『解放』したに過ぎません」
(解放……)
アレンはキーワードを繋ぎ合わせ、必死に頭を捻った。
巡礼服を着た門番。
怒り狂う宿屋の主人。
気怠そうなミーナの表情。
救いの里で見た数々の光景がフラッシュバックする。
森の中の隠れ家。
沸き立つ信者の波。
地下に隠された人の骨。
そしてようやくたどり着いた。
一足早くフランツが導き出した答えに。
女神が掲げる
「そして……次の解放の標的は我々三人というわけか」
「標的という表現は適切ではありませんね。あなた方は選ばれたのです。この『魂と罪の救済の儀』によってあなた方の悪しき魂は……」
「ふざけるな! 何が魂と罪の救済だッ!!」
女神の話を遮ってアレンが吠える。怒りに声を震わせて。
「そうやって身勝手な理屈を並び立てて、今まで何人殺したんだ!」
魂と罪の救済。それは救いなどではない。教えに従わない者や反抗的な者、意にそぐわない者を悪とみなし殺す。ただそれだけの話だ。要は殺人を正当化するための詭弁である。
アレンは歯をむき出しにして吠え立てるが、彼の怒りは女神には届かない。
女神は冷ややかな視線でアレンを見つめ、つぶやいた。
「キャンキャンと喚き散らしてまるで犬ですね。見捨てられ、寄る辺もなく吠えるだけの野良犬……。差し伸べられた救いの手に噛み付く愚かな駄犬。従順な犬は好きですが、主に歯向かうバカ犬は嫌いです」
「悪魔の次は犬扱いか。本性を現したな。結局は好き嫌いで生き死にを決めているんだろ?」
フランツが言葉尻を捕らえ、女神を口撃する。
「この期に及んで口の減らない連中ですこと……。同じ悪魔の子でも耳障りでない分、そこの彼女の方が随分マシというもの」
二人の抵抗にも動じず笑顔を保ったまま、女神はミーナに視線を移した。
「……」
思わぬ形でお褒めの言葉を授かったミーナだったが、当の本人は聞いているのかいないのか、虚ろに宙を見つめるばかりで何ら反応を示さない。
茫然自失。文字通り放心状態といった様子だ。
「ミーナさん、しっかりしてください! ミーナさん!」
「……」
アレンの必死の呼びかけにもミーナは応じない。
「我々を殺す理由は救いの里の真実を知った口封じとして、彼女はどんな理由で殺すつもりだ?」
「殺すのではありません。『解放』です。お間違えのないように」
(何が解放だ、白々しい……!)
女神はフランツの言葉を訂正し、アレンは女神の言葉に心の中で毒づいた。
「あなた方は信仰を偽って救いの里を嗅ぎ回り、周囲に良からぬ影響を与えようとしていました。そして彼女。彼女は再三の説得にも耳を貸さず、教えを拒み続けました。彼女の父は素晴らしい信仰の持ち主だというのに、まったく嘆かわしい……」
女神はやれやれと、呆れた様子で左右に首を振る。
名指しされた宿屋の主人は微動だにしない。女神の賛辞にも喜びはなく、ただ暗い顔でうつむくばかりだ。
放心状態のミーナとうつむく宿屋の主人。そんな親子の様子を眺めている内に、アレンの中に一つの疑問が生じた。何故、この場に宿屋の主人がいるのか?
教団には三人の幹部がいる。今この場にいる三名だ。そしてガラルドは今や幹部候補として女神の信頼を得ているという話だ。特別礼拝の時、四人が群がる信者たちから女神を警護していた姿が思い浮かぶ。
(四人は里にいる間、女神と行動を共にしていた。それが他の信者たちとの違いだ。それだけ信頼されているんだろう。でも、その中に……)
追憶の中に宿屋の主人の姿はない。女神が救いの里に降臨した時も、特別礼拝に参加した時も、主人の姿は見かけなかった。つまり彼は未だ女神からの信頼を獲得しきれずにいる、一信者に過ぎないのだ。
そんな彼が何故この「魂と罪の救済」と称した粛清の場にいるのか?
この儀式に参加できるのは女神の信頼を得た教団関係者か、殺される人間のいずれかだ。だが、女神が彼の信仰心を讃えたからには、粛清対象ではないだろう。ならば何故? 娘の最期を看取らせようとでも言うのだろうか?
(だとすれば、かなりの悪趣味だな……)
だが、そんなアレンの推測はあっさりと覆されることとなる。
「さて無駄話はここまでにして、さっそく『魂と罪の救済』の儀を始めましょう」
女神は柔らかな口調で冷たく言い放つ。
儀式開始の合図。それはすなわち死の宣告。
いつの間に用意したのか、側近の一人が恭しく女神に台座を差し出した。女神は台座から何かを手に取る。
燭台の火に照らされたそれは、怪しげにきらりと光った。それは抜き身の短刀だった。女神は手にした短刀を宿屋の主人に渡し、告げる。
「これより魂と罪の救済の儀を行います。さぁ、その手で悪しき魂を解放するのです!」
女神から短刀を受け取った主人は、意を決した顔でじりじりとミーナへと歩み寄る。
その瞬間、アレンは宿屋の主人がこの場にいる理由をはっきりと理解した。
女神がこの場に親子を揃えたのは、父親に娘の最期を看取らせるためなどではなかった。
「ちょっと待て。その娘を父親の手にかけさせるつもりか?」
あくまで冷静にフランツが尋ねた。思慮深い彼には似つかわしくない、間の抜けた質問だった。
女神がこの部屋に宿屋の主人を呼び入れた瞬間、フランツはこれから何が起ころうとしているのかを予測していた。そして事態は彼の予測通りに進んでいる。
女神に投げかけた質問はあくまで自らの仮説が正しいか否かの証明、いわば答え合わせに過ぎなかった。
「もちろんそうですが……それが何か?」
女神は平然と言ってのけた。悪びれる様子も、開き直った風でもない。自分たちが今からやろうとしている行為がさも当然であるかのように。
『何故、そんな分かり切ったことを聞くのか?』
そんな女神の心の声が見て取れる。
「わざわざ父親に娘を殺させるとは、いい趣味をしてるな」
「趣味で行っているわけではありません。必要だからやるのです。そして何度も言っていますが、殺すのでありません。"解放"です」
フランツの皮肉を女神は真正面から受け止める。だが、そのズレた返答は皮肉であると言うことを理解していないように感じられた。
「魂の解放は誰でも行えるものではありません。心から教えを信じる正しき者が行うことによって、初めて悪しき魂と罪は救われます。そしてそれは近しい者ほど効力を発揮するのです。他人より知人、知人より友人、友人より家族と言った具合に。そうすることにより"悪魔の子"の罪は洗い流され、"解放者"は徳を積むことができる。あぁ、何と素晴らしい救いの循環……!」
女神は酔いしれたように身震いする。
「正しき道を進む父と、道を踏み外した娘。子が道を外れたならそれを正すのが親の役目ではありませんか?」
女神は流れるようにそう語ると、力強い声で締めくくった。
「そう、これは宿命なのです!」
「何が宿命だ!」
間髪を入れずにアレンが再度吠える。
「ミーナさんも俺たちも殺されなきゃならないような事は何一つしていない! お前を信じない者は悪魔の子だと? 身勝手な理由で人を殺しているお前らの方が悪魔だろうが!」
胸中に積もり積もった正直な想いを女神にぶちまけると、今度は主人に向かってさらに叫ぶ。
「あんたもあんただ! このイカれた連中と実の娘、どっちが大事なんだよ! 親は子を守るものだろ!?」
「そ、それは……」
意を決したはずの主人だったが、アレンの魂の叫びに思わずたじろぐ。
「悪魔の甘言に惑わされてはなりません! やるのです! さぁ、早く!」
「うぅ……ワシは……」
「親が子を殺すなんておかしいと思わないのかッ!!」
「天の意思に逆らうのですか? 何をしている! 早くやりなさい!!」
「わ、ワシは……ワシは……」
アレンの叫びと女神の怒声に、主人は身をよじりながら頭を抱え込む。その様子を見て、女神はアレンの目の前に歩み寄り言った。
「どうやらこの場で最も罪深いのはあなたのようですね。それではまず、あなたから始めましょう」
女神は腰に差していた剣を抜き振り上げた。燭台の火に照らされた刃が冷たく光る。顔には変わらぬ笑みを湛えている。
今まさに人を斬ろうと言う時でさえ、笑っていられるのか。
救いの里に来て初めて女神を見た時にも、彼女は笑っていた。初めて見た時は美しいとさえ思った笑顔も、今は恐ろしく不気味に感じた。
人を殺そうとする間際にも崩れない、張り付いたような笑顔。底知れない女神の狂気にアレンは背筋を凍らせた。目の前に迫った死の恐怖が霞むほどに。
女神が剣を振り下ろそうとした瞬間、扉がきしみ、叫び声を上げた。その場にいた全員が一斉に扉の方に顔を向ける。
鋼鉄で出来た分厚い扉の先にいたのは、見るからに屈強な一人の男だった。
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