第9話 儀式
「……ここは……」
冷たく固い石畳の感触。生温い風が頬を撫でる。未だ意識がはっきりとしない中、ぼんやりと直前の記憶を手繰り寄せる。
(確か地下の隠し部屋で……人の骨を見つけて……それで……)
背後から何者かに襲われた。どうやら夢でも幻でもないらしい。消えずに残っている頭の痛みが、そう告げている。
痛みの元を確認すべく殴られた頭に触れようとした時、アレンは初めて今の状況に気が付いた。
いつの間にか両手を縛られている。何とか解こうと両手に力を込めるが、縄が手に食い込むばかりで一向に緩む様子はない。
相当固く結ばれているらしく、自力で抜け出すことは難しい。だが、幸いなことに手首以外は拘束されておらず、ある程度自由がきいた。
アレンはゆっくりと身体を起こすと、現状の把握に努めることにした。
一対の燭台が室内を煌々と照らしている。床は石畳で、天井は高く広々とした造りになっているが、目に付く物は何もない。
直前まであったはずの女神像も、人骨を納めた壺も、忽然とその姿を消していた。
「うぅ……」
小さな呻き声に振り返ると、背後に両手を縛られたフランツが転がっていた。
「フランツさん、しっかりしてください! フランツさん!」
「アレン……か……?」
「フランツさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、何とかなぁ……」
フランツは目を覚まし、呼びかけに応じる。
「あの時何があったんですか? 急に明かりが消えたと思ったら、突然襲われて……」
「私も同じだ。あの部屋を詳しく調べようとした矢先に、背後から殴られたらしい」
フランツはむくりと身を起こし、室内の様子をつぶさに観察し始めた。
(石の床、燭台の火、そしてあの扉の形……)
しばらく周囲を眺めた後、フランツはようやく口を開いた。
「どうやら気を失っている間に、教会に運び込まれたようだな」
「どうしてここが教会だと分かるんですか?」
「まず床の材質が違う。隠れ家の内部は木の板張り、地下は土を掘り固めただけの土間だった。それに対してここの床は見ての通り石造りだ。つまりここはさっきまで我々がいた場所ではない」
アレンは床を見つめる。確かにフランツの言う通り、隠れ家には石畳の部屋など存在しなかった。
「次にあの燭台。火は灯されているが部屋の中は薄暗い。外部からの話し声や物音も聞こえない。つまり今は夜だ。まだ夜が明けていないということは、私たちは短時間の間ここまで運び込まれたと考えられる。時間と距離を考えれば、運ばれたのは救いの里内の建物と予測できる」
フランツの流れる様な説明と洞察力の高さにをアレンは舌を巻く。相変わらずの鋭さだ。
「そして最後にあの扉だ。君にも見覚えがあるだろう?」
フランツはアレンの背後を顎でしゃくる。
その仕草に促され振り向くと、そこには薄暗い光の中にアーチ型の赤の扉が浮かんでいた。
(あの扉、どこかで見たような……)
アレンは記憶の糸をたぐる。
(確かにあの扉には見覚えがある。どこで見た? ティサナ村か? いや、違う。見たのはもっと最近だ)
考えを巡らせながらアレンは扉をじっと見つめる。その時ふと、昼間に参加した礼拝の風景が脳裏に浮かんだ。
熱弁を振るう女神。
熱狂する信者。
教義の教えを話し終えた女神は、礼拝堂の奥にある部屋へと消えていった。興奮冷めやらぬ信者たちは、"扉"の前に群がり口々に感謝の言葉を述べていた。
「そうか! この部屋は……!」
「どうやら分かったようだな。ここがどこなのかを」
フランツの言葉にアレンは大きく頷く。
アーチ型の赤い扉。
視線の先にある"扉"の特徴は、特別礼拝の時に見たものとぴたりと一致した。
ここは教会内部、女神が使っていた部屋だ。
「ここがどこなのかは理解できました。それより今はここから抜け出すのが先決じゃないですか?」
「そうだな。これだけ手荒い歓迎をしてくれたんだ。あの隠れ家は連中にとって決して知られてはならない秘密ということに他ならない。我々も無事では済まないだろう」
「なら、なおさら急がないと! このまま壺に入れられて、あの地下祭壇に並ぶなんてごめんですよ」
冗談のつもりで発した軽口だったが、アレンは自身の言葉に背筋が凍った。
フランツはあえて明言はしなかったが、『無事では済まない』とはつまりそういうことだ。
途端に全身から冷や汗が湧き出した。額からは汗が流れ落ち、背中をじっとりと湿らせる。汗によって肌に張り付いた巡礼服は、心にまとまりつく不安の擬態化のように思えた。
「そう慌てるな。これも策の一つだ」
フランツは平然と答える。汗一つかかない涼しい顔は、アレンとは全く対照的だ。
「策の一つ? わざとこうして捕まったってことですか?」
「その通り。身をもって女神に肉薄するためにな」
冷静さと自信に溢れたフランツの表情に、アレンは少し落ち着きを取り戻した。
「なら、当然ここから抜け出す方法も考えてあるんですね?」
「無論だ。こんな時のために、早くから里にガラルドに潜り込ませていたのさ」
「それで、そのガラルドさんは今どこに……」
『ギィィィ……』
その時、音を立てて扉が開いた。
言い終わらぬ内にアレンの言葉は軋む扉にかき消され、二人は音の発生源に視線を移す。
一人、二人、三人……
巡礼服に身を包んだ信者が、次々と部屋に入ってくる。だが、少し様相が異なっていた。
全身が赤いのだ。
救いの里を訪れてから目にしてきた巡礼服は、例外なく全て純白だった。しかし今彼らが着ている巡礼服は上から下まで真っ赤だった。まるで全身に鮮血を浴びたかのように。
(赤い服……。一体、何のつもりなんだ?)
訝しげな視線で信者たちを眺めるが、彼らはそれに気付く様子はない。
「どうやら目を覚まされたようですね」
一挙に人口密度の増した部屋の中に、どこまでも透き通った声が響き渡る。
声のする方向を振り返ると、赤い扉の開け放たれた入り口の前に女神が悠然と立っていた。彼女もまた深紅の巡礼服に身を包み、腰には相変わらず不釣り合いな剣を差している。
信者たちは一斉に跪く。女神はその中をゆっくりと進むとアレンとフランツの元へと歩み寄り、そのまま二人を見下ろす。
「我々をどうするつもりだ?」
「これから大切な儀式を執り行います。あなた方はその参加者に選ばれました」
顔色一つ変えずにそう尋ねたフランツに対し、これまた涼しい顔で女神は答える。
「儀式だと?」
「ええ。それによりあなた方の罪は赦され、真の救いを得ることができるのです」
「何一つ的を射ない説明だな。もう少し具体的に話せないもんかね?」
「貴様! 女神様に向かって何という無礼な口の利き方だ!」
「人を縛り付けて監禁する無礼な連中よりはマシだと思うがね」
いきり立つ信者たちに、フランツのカウンターパンチが炸裂する。一触即発。
信者たちは怒気を含んだ顔で二人を睨みつけるが、フランツはなお不遜な態度を崩さない。
その様子に、アレンは戦々恐々だ。
「そう急かずとも、すぐに"解放"してさしあげますよ」
剣呑な雰囲気を意に介さず、女神は落ち着き払った声で答えた。顔には依然として穏やかな笑みを浮かべている。
この状況下においても態度を崩さないフランツに、笑顔を崩さない女神。方向性は違えど、どちらも只者ではない。
女神は信者たちに向き直り、耳元で何事かを告げた。指示を受けた彼らはその場に這いつくばると、床を形成している石畳を一角ずつ外していく。
姿を現したのは、またしても地下へと続く隠し階段だった。
一行は地下へと伸びる階段を一歩ずつ下りていく。
横並びとなったアレンとフランツを先頭に、背後には信者が二人、ぴたりと張り付いている。さらにその後ろには残りの信者、そして最後尾には女神と続く。
アレンとフランツを先頭に置き、それを背後から監視し二人がかりで抑え込むことにより逃亡の芽を摘む。さらに信者を挟み女神から遠ざけることにより、女神に危害が及ぶのを未然に防ぐ。綿密に練られた布陣により二人は行動を制限され、今はただ彼らに従うより他はなかった。
「森の中の隠れ家に続いてここでもまた地下室か。芸がないな」
地下通路を進みながらフランツが嘲るようにつぶやく。先程はその不遜な物言いに怒りを露わにしていた信者たちだったが、今回は一転して何の反応も示さない。
少し歩くと目の前に重厚な鉄の扉が現れた。
「扉を開きなさい」
女神の指示を受け二人の後ろを歩いていた信者二名が前へと躍り出る。
「ふんっ!!」
そして渾身の力を込めて、それぞれ左右の分厚い扉を押し開けた。
「どうぞ中へ」
開け放たれた扉の前で躊躇していると、背後から次の指示が飛んできた。
柔らかな物言いではあるが、この場合の「どうぞ」は「中へ入れ」と言う命令に他ならない。相手は武器を持ち、こちらは両手を縛られている。抗う術はない。
言われるがまま中へと進むと、一人の女性がへたり込みうなだれていた。その女性も両手を縛られている。白いブラウスに茶色のロングスカート、さらにその上に赤い前掛け……
「み、ミーナさん!?」
女性の正体に気が付いたアレンは思わず驚きの声を上げた。
「……」
名前を呼ばれたミーナは緩慢な動きでアレンの方に顔を向ける。だが、返事はない。
ぼんやりとした表情でアレンを見つめるが、目の焦点は定まっておらずどこか上の空だ。
「さぁ、お入りなさい」
女神の呼びかけに、鉄の扉が小さく軋む。
扉を開けて入って来たのは、立派な髭を蓄えた一人の中年男性。
「とう……さん……?」
呂律の回らない様子で、ミーナが声を絞り出す。
女神は部屋全体を見渡すと、満足そうに頷き言う。
「これで準備は整いました。これより『魂と罪の救済の儀』を執り行います」
宿屋の主人とミーナ。
思わぬ形で再会を果たした父と娘。だが、感動の親子対面と呼ぶにはあまりにも異様な雰囲気だった。
虚ろな表情で父を見つめる娘。
力なく佇む娘に駆け寄るでもなく、立ち尽くす父。
どちらも何も言わない。誰も言葉を発しない。
まるでこの場にいる誰もが一切の言葉を忘れてしまったかのように。
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