第8話 侵入
「……ぉ……ろ……ン……」
声が聞こえる。だが、何を言っているかは分からない。
「きろ……レン……」
だんだんと声がはっきりしていく。聞き覚えのある声だ。
「起きろ、アレン」
呼びかけに目を覚ますと、暗闇の中にフランツが立っていた。
「君はなかなか寝付きがいいな。起こすのに苦労したぞ」
「……まだ真っ暗じゃないですか。こんな時間に起きろって方が無理ですよ」
「あえてこの時間になるのを待ったのさ。女神の"秘密"を暴くためにな。さぁ、出かけるぞ」
アレンの抗議をあっさり一蹴し、フランツは高らかに宣言した。
漆黒の闇が辺りを包む中、二人は人知れず里を離れた。
「ここでは話を聞かれる恐れがある。詳しくは里を離れてから話す」
出発の直前、フランツはそう告げた。アレンはその言葉に従ってフランツの持つランプの明かりの後を付いて行く。
「よし、ここまで来ればいいだろう」
フランツはそうつぶやくと足を止めた。アレンもそれに倣う。
目の前では明かりに照らされた木々が風に吹かれ、怪しく揺れている。
たどり着いたのは、救いの里から離れた森の入り口だった。
「この先に女神の真の顔を暴くための証拠がある。さっそく向かうぞ」
「もしかして……森の中にある隠れ家のことですか?」
アレンは昼間見た光景を思い出していた。沐浴の帰りにガラルド達を尾行して見つけた、森深くにひっそりと建っていた家屋を。
「何故それを?」
驚いた様子で尋ねるフランツに経緯を説明する。
「昼間、服と体を洗った帰りにガラルドさんを見かけてこっそり後をつけたんですよ。入り口に見張りがいたので、外観だけ見てすぐに帰りましたけどね」
「なるほどな。それで"からくり"をすり抜けたわけか……」
「からくり?」
「論より証拠だ。これを持って進んでみたまえ」
そう言うとフランツはアレンにランプを手渡した。だが、アレンはその提案に躊躇する。
幼い頃から自然に囲まれて育った彼は、森の恐ろしさをよく知っていた。
夜の森を歩くのは自殺行為だ。方角が分からず彷徨う内にランプの火が尽き、遭難するのが落ちだ。昼夜の気温差による体温の低下や、獣に襲われる危険も考慮しなければならない。自然は味方であり、敵でもあるのだ。
「夜の森は危険です。闇雲に歩いたら確実に迷いますよ」
「普通の森なら、な。だが、ここでは決してそうはならない。迷わず行けよ、行けば分かるさ」
「それにこの森には怪物が出るって話ですよ」
「怪物だと?」
「何でも見上げる程の一つ目の巨人がいて、何人か見た人がいるそうです。ただの噂話とも言ってましたけど」
「大方、人払いのための噂話だろう。まぁ、とにかく行ってみたまえ」
背中を押され、アレンは仕方なしに歩き出した。ランプを持たされたとはいえ、夜の森はあまりにも危険だ。迷わないように、現在位置を確認しながら注意深く進む。
しばらく歩いていると、前方に人影が見えた。見つかってはまずい。そう考えたアレンは咄嗟に木の陰に身を隠した。気付かれないように木陰から前方に佇む人物を観察する。
真っ白なローブに身を包んだ長身の男。頭には帽子……
アレンは前に立っている人物が何者なのかを理解した。だが、何かがおかしい。
「ふ、フランツさん……!?」
驚きのあまりアレンは素っ頓狂な声を上げた。
目の前にいるのは確かにフランツだった。だが、それはおかしい。
ランプを受け取った後は真っ直ぐに進んだはずだ。方角は一度も変えてはいない。向きを変えて、来た道を戻ったわけでもない。しかし目の前にはフランツが立っている。
「フランツさん、ずっとここに……?」
「あぁ。君が行ってから、私は一歩も動いていない」
「なら、気付かない内に道を間違えたかな……」
歩いて来たルートを確認しようと後ろを振り返った瞬間、アレンは言葉を失った。
先ほどまで森の中を歩いていたはずなのに、後方に木など一本も生えていない。そこはつい数分前に出発したはずの入口付近だった。
(ど、どうなってるんだ!? 俺は森の奥へ進んでいると思ったら、いつの間にか入口に戻っていた……!)
困惑して考え込むアレンに、フランツはしたり顔で説明を始める。
「驚いただろ? この森では迷いようがないんだ。全域に"人払いの魔法"がかけられているからな」
「ま、魔法?」
「この森は決められた道順を通らなければ、決して奥へは進めないようになっている。君が今、実際に体験したようにな」
「これも女神の力なんですか?」
「どうだろうな。信者たちの間では女神が起こした奇跡と言うのが、半ば真実のように語られているが真偽の程は不明だ。少なくともこんな妙な芸当が出来るのは勇者一行以外にはいないだろう」
アレンは眼前に広がる木々をまじまじと眺めた。木々たちはランプの明かりに照らされ、ゆらゆらと蠢いている。まるで魔法によって生命を与えられ、明確な意志を持って行く手を阻んでいるように見えた。
「理屈は分かりました。それでどうやって先に進むんですか? 正しい道順なんて覚えてないし、それを探してる間に夜が明けますよ、これじゃあ」
「そこでこいつを使う」
そう言うとフランツは懐から薄茶けた紙切れを取り出した。
「この地図には魔法を避ける正しい道順が記されている。この通りに進めば問題なくたどり着くだろう」
「なら早速行きましょう! それにしても、よくそんな大事な物が手に入りましたね」
「全ては潜伏して情報を集めているガラルドのおかげさ。今では働きを認められて幹部候補に取り立てられているそうだ」
「幹部候補ですか。ずいぶん出世しましたね」
「これも奴の『信仰心』のおかげだな」
アレンの言葉にフランツはにやりと笑った。
フランツが地図を広げルートを指示し、アレンはランプで道を照らし指示通りに進む。二人の息の合った連携のおかげで、魔法の影響を受けることもなく旅路は順調だ。
生い茂る草木をかき分け先へ進んでいると、目の前に見覚えのある一軒の家屋が現れた。最初にここを訪れた時とは異なり、入り口は無人だ。物陰に隠れて様子を窺うが、周囲に人の気配はない。
「誰もいないみたいですね。昼間は見張りが立ってたのに」
「この時を待っていたのさ。信者にとって女神の来訪は特別だ。そうなればここの警備も手薄になるからな。まぁ、念のため……」
フランツは足元に落ちている小石を拾い上げ、隠れ家に向かって思い切り投げつけた。乾いた音が響く。一秒、二秒、三秒……。何秒待っても、中から人が飛び出してくる様子はなかった。
「やはり中に誰もいないようだ」
そう言うとフランツは隠れ家へと歩き出した。アレンも慌ててその後を追う。
ここには一体、何があるのか? アレンはそれが気になっていた。
動物はモノを隠す。犬は捕らえた獲物を土に埋め、猫は自らの排泄物を土に埋める。
これらは外敵から身を守るための本能的行動である。手に入れたご馳走を卑怯者に奪われないため、自分の痕跡を捕食者に知らせないため、動物はモノを隠すのだ。そしてそれは人も変わらない。
人が来れないように魔法をかけた上に、入り口に見張りを立てる。よほど大事な物が隠されているということは容易に想像できた。
フランツは扉に手をかけると、躊躇なく一気に押し開いた。
「これは……!」
アレンは思わず驚きの声を上げた。
部屋の中には金貨が無造作に山積みになっていた。明かりに照らされた金貨の山は、まばゆい輝きを放っている。
「どうやらこれが金がかからない理由のようだな」
「た、確かにこれだけあれば、働かなくても暮らしていけますね」
アレンは見たこともない量の金貨に目を白黒させながらどうにか答える。
「それにしてもひどく不用心ですね」
「不用心?」
「こんな目立つ場所にむき出しで置いておくなんて、『どうぞ盗ってください』と言ってるようなもんですよ。魔法をかけて見張りまで置いてる割にはどこか抜けてますね」
「ふむ……」
アレンの言葉にフランツは顎に手を当て、黙考を始めた。
(確かに、これだけ堂々と中央に金貨をばら撒いていては嫌でも目に付く。他に目を引くような物も見当たらないしな。『とんでもないものを隠している』と言っていたのは、この金貨のことか?)
フランツはきょろきょろと室内を見渡した後、再び部屋の真ん中に鎮座する金貨の山に目を向けた。
ランプの明かりを浴びた金貨は美しく妖艶に光を反射し、見る者を惑わせる。文字通り金に目がくらむような輝きだ。
(しかし魔法と言う手の込んだ策まで使いながら、何故こんな目の付く場所に? アレンの言う通り不用心で抜けているだけか、それとも何か意図が……)
フランツは腕組みをしたまま天井を睨みつけた。身じろぎ一つせずに停止したその様は、まるで部屋に飾られたオブジェのようだ。
「……それにしてもすごい量だな。どれぐらいあるんだろうな、これ」
しばしの沈黙の後、しげしげと金貨の山を眺めていたアレンが誰ともなしにつぶやいた。
「さぁ、どうだろうな」
フランツは気の抜けた生返事をする。
「もし俺が泥棒だったら、この金貨を持って逃げますね。他に金目の物を探す必要もないですからね」
「『他に金目の物を探す必要もない』……」
フランツはアレンの言葉をぽつりとつぶやくと、きょろきょろと室内を見渡した。
(外観と間取りから考えて、隠し部屋の類はなさそうだ。となると……)
フランツはぴたりと動きを止め、金貨を凝視した。アレンが尋ねる。
「やっぱりこの金貨に何かあるんですか?」
「いや、おそらくだが……何かあるのはその下だ」
「下?」
「すまないが、この金貨を全て退かしてくれないか?」
「金貨をですか? 分かりました」
アレンは持っていたランプを床に置き、金貨を移動させた。ずっしりと手に吸い付くような重さを味わいながら、それらを部屋の隅に追いやる。木の床が露わになったものの、別段おかしな点は見当たらない。
「退かしましたよ」
「どれ、少し場所を代わってくれ」
フランツは這いつくばるように床を眺める。そして、口元を歪めてにやりと笑った。
「ここだ、ここを見てみろ」
その言葉にアレンは床に顔を近付ける。
「これは……、穴?」
よく見ると床板の端に片手が入る程の小さな長方形の穴が開いていた。整った切り口を見る限り、自然に開いた物ではなさそうだ。
「そこから床板が外れるはずだ」
アレンは言われるがまま持ち手に右手の指を差し込み、ゆっくりと床板を持ち上げた。釘やにかわで固定されている様子もなく、何ら抵抗もなく上がっていく。
「何だこの階段は!?」
物音一つしない室内にアレンの声が響く。
床板を外すとそこには、地下へと続く階段が姿を現した。
「やはり、な。あの言葉はこういう意味だったか……」
驚きの声を上げるアレンを尻目に、フランツは納得したように呟く。
「こいつは"目くらまし"だったんだよ」
「目くらまし……? どういうことですか?」
「この中に入った時、真っ先に目に飛び込んで来たのは何だ?」
「そりゃあ、この金貨の山ですね」
「そう、それが狙いだ。この部屋には金貨の他に目を引く物はない。仮に部外者が忍び込んだとして、これだけ堂々と置いてあればわざわざ部屋を調べる気にもならんだろう。こうして目の前でお宝が手招きをしているのだからな」
「金貨に目をくらませて、地下室が見つからないようにする……だから"目くらまし"ってわけですか」
「そういうことだ。なかなか察しがいいじゃないか」
フランツは楽しそうに、にやりと笑う。それはまるで正解を導き出した教え子を褒める教師のようだ。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……。とにかく入ってみよう」
二人が消えた室内には、気が狂いそうな静寂と漆黒が舞い戻る。
部屋の隅に追いやられた金貨は輝きを失い、瞬く間に闇に溶けた。
階段を下りた先には長い地下道が続いていた。土を塗り固めて作られた通路からは、ひんやりと冷たい風が吹き抜ける。
アレンは前方から漏れ出るランプの光を頼りに先を進む。入り組んだ通路を進んで行くと、前を行くフランツの足が止まる。
「どうやらここが本丸らしいな」
フランツはランプで周囲を照らしながら小さく呟き、アレンはその肩越しから前の様子を窺う。
目の前には大きな祭壇が広がっていた。狭く粗末な通路とは対照的に、広々とした空間には様々な装飾品が飾られている。
部屋の両端には宝石をあしらった燭台が置かれ、奥には剣を掲げた女神の像が安置されている。女神像の手前には巨大な石の台座が据え置かれていた。
(何だ? あれは……)
アレンは台座の上に並べられた"ある物"を見つけ、前へと躍り出た。
それは壺だった。二十個程の壺が台座の上に規則正しく並んでいる。ここが祭壇であるとすれば何かの儀式に使うのだろうが、それにしても数が多い。
「何が入ってるんですかね、これ」
「ここまで人目の付かない場所にあるということは余程大事な物か、もしくは絶対に見られたくないもののどちらかだろう」
二人は台座の上に並んだ壺の一つを覗き込む。
「これは……骨!?」
壺の中には白濁色をした無数の骨が納められていた。それも犬や猫などの動物のものではない。
そう、それは――
「ひ、人の骨じゃないか……!!」
アレンは驚きの声を上げる。その声はひどく上擦り、ほとんど悲鳴に近い。壺の中から頭蓋骨が恨めし気に二人を睨みつける。
「……どうやらここにあるのは全て人骨のようだ」
「一体、何なんですかここは……!?」
「単に死者を埋葬しているだけとも考えられるが、それならこんな手の込んだ隠し方をする必要はないはずだ。とにかくもう少し念入りに調べる必要……がっ……!」
フランツの上げた呻き声に驚き顔を上げると、白い影が一つ見えた。
続いてガラスの割れる音が響き、視界が闇に覆われた。
「フランツさん!? 何が……うっ……!」
隣にいたフランツに声をかけようとした瞬間、後頭部に鋭い衝撃と鈍い痛みが走った。
薄れゆく意識の中でアレンが最後に見たのは、巡礼服に身を包んだ巨躯の男だった。
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