第7話 女神の教義
「女神様だー! 女神様がいらっしゃったぞー!!」
女神の到着を告げる声に一早く反応したのはアレンだった。
(女神……! 早くフランツさんに伝えなければ……!)
アレンはミーナとの会話を切り上げ、泊まっている部屋へと向かった。フランツは顔に帽子を乗せ、すやすやと寝息を立てている。
「フランツさん、起きてください! 女神が来ましたよ!」
「……ようやくお出ましか」
フランツは目を覚ますとゆっくりと体を起こし、眠っていたベッドから抜け出した。起き上がったフランツはアレンと同様、真っ白な巡礼服を着込んでいた。
「その服、どうしたんですか?」
「酒場から戻った後に宿の主人に借りてな。『より深く女神様の教えを知るため』と言ったら、快く貸してくれたよ。それより君の方こそ準備がいいじゃないか」
「着てた服を洗ったんですよ。乾くまで代わりに着ているようにと、ミーナさんから借りました」
「ミーナ?」
「宿屋の娘さんです」
「なるほどな。それは好都合だ。女神と接触するならこの方が怪しまれない。君にも着てもらうつもりだったから手間が省けた」
フランツは大きく伸びをすると、ベッドの上の帽子を頭に乗せた。
「さぁ、行こうか」
そしてそう告げると、悠然と歩き出した。
外に出ると巡礼服に身を包んだ信者たちで溢れていた。ざっと二百人はいるだろうか。こんな辺鄙な場所にこれだけの人数がいたのか、とアレンは驚いた。
「女神様の道をッ!」
一人が大声で叫ぶと、信者たちは一斉に道の両端に広がり始めた。一人ずつ規則正しく並んでいき、あっという間に里の入り口から教会へと続く人の道が出来上がった。
宿屋の前に陣取ったアレンは、向かいで人の道を形成した信者たちを眺める。年齢も性別も様々だ。男女比はほぼ半々、年齢層は全体的に高めでミーナが先に述べた通り若い人間は少なかった。
女神は前後左右の四方を護衛に囲まれ、ゆっくりこちらへと向かってくる。女神が近付くにつれ、徐々に歓声が広がっていく。そして遂に女神がアレンの目の前にやって来た。
「女神様! どうか我らをお救いください!!」
隣に立っていた中年女性は、ほとんど半狂乱で金切り声を上げる。
「女神様ー!!」
「あなたこそ、この世界の光です!!」
「どうか我らをお導きください!」
歓声と熱狂は次々に伝播していき、信者たちの興奮は最高潮に達する。皆が思い思いに女神への言葉を口にする中、アレンは冷静に女神の様子を観察した。
長く豊かな金色の髪に、透き通るような白い肌。大きな青い瞳に、くっきりとした高い鼻。彼女もまた信者たちと同様に、純白の巡礼服に身を包んでいる。その名に違わぬ神々しいまでの美しさ。太陽の光の下で微笑みを浮かべるその姿は、まさに"女神"そのものだった。
だが、アレンはそれ以上に彼女が身に着けているある物に目を向けていた。
(あれは……剣か……?)
女神は剣を携えていた。刀身は鞘に納められているが間違いない。儚げにも見える彼女の姿からは、勇ましく剣を振るう姿は想像もつかない。明らかに不釣り合いな代物だが、人々が疑問を抱いている様子はない。
女神はそのまま歩みを進める。女神が通り過ぎると共に、熱狂も過ぎ去って行った。辺りを見渡すと、人々は慌ただしく移動を開始していた。隣で金切り声を上げていた中年女性も、気付けば姿を消していた。
「みんな揃ってどこへ行くんだ?」
「教会さ」
いつの間にか傍らに立っていたフランツがアレンの独り言に回答する。その言葉通り、確かに人々は教会へと向かっているようだった。フランツは続ける。
「今から教会で女神様による特別礼拝が執り行われる。ありがたいお言葉が直に聞けるまたとない機会だ。信者にとっては夢のような時間だろう」
「それで一斉にいなくなったのか……。それで、俺たちはこれからどうします?」
アレンはフランツの回答に納得した後、今後の動向について尋ねた。
「"またとない機会"なのはこちらも同じだ。我々はすでに勇者に顔を知られている。何としても女神が一人で行動している内にカタを付けねばならない。勇者との合流を許せば次はないだろう」
「女神から目を離さない必要があるってことですね。なら、俺たちも行った方が良さそうですね。その『特別礼拝』ってやつに」
フランツは短く、あぁ、とだけ答えると教会に向かって歩き出した。アレンは無言でその後を追った。
教会の聖堂は女神の言葉を求める信者たちでごった返していた。巡礼服に身を包んだ白装束の集団は、異様であると同時に壮観な光景だった。
最奥の祭壇には女神が立ち、周りを囲むように護衛が鎮座している。教会内はもちろん、入り口から通路にかけては信者で埋め尽くされ。足の踏み場もないような状況だ。二人が入り口に着いた時には礼拝は既に始まっており、女神が説教をしている最中だった。
「遥か昔、あなた方は天上の国にいました。そこは争いも飢えも苦しみも無く、永遠の安寧が約束された清らかな場所です」
信者たちは女神の話を恍惚の表情で聞き入っている。
「しかし、あなた方は決して赦されぬ罪を犯しました。その罰として天上を追われ、この穢れた地上に生まれ堕ちたのです。地上にいる者は全て罪人です。子供も、大人も、男性も、女性も、皆等しく罪人なのです」
(人間は全て罪人だって?)
アレンは女神の言葉に反感の念を抱いた。だが、どうやらそれは彼だけらしい。ついさっきまで女神に羨望の眼差しを向けていた信者たちは、いかにも不安げで怯えた表情を浮かべている。中にはすすり泣く者までいる始末だ。
「この穢れた地上を離れ、再度天上の国に戻るにはどうすればいいのか? 信仰です! 信仰するのです! 罪深いあなた方が救われるには、信仰しかありません!」
女神の口上は徐々に熱を帯びていく。それと比例するように聖堂内の空気も盛り上がっていく。
「憐れなる人々を導くために、私は天より遣われたのです! 私を信じ崇めることで、初めてあなた方の魂と罪は救済されるのです!!」
前半の静かな語り口から一転して、女神は声高らかに叫んだ。その瞬間、割れんばかりの歓声が上がり、信者たちは思い思いに賛美の言葉を口にした。
(付いて行けないな……)
声高な女神の主張も、それに歓喜する信者たちの心情も、全く理解できなかった。
天上の国? 赦されぬ罪? 魂と罪の救済? 一体、何を言っているんだ?
アレンは湧き上がった疑問を抱え、沸き上がった集団を見渡した。最初に抱いた感想から「壮観」が消え去り、「異様」だけが残った。
その後も女神の熱弁は続いた。内容は先に述べた「救われたければ自分を崇めろ」の一点張りだったが、信者たちは女神の一挙手一投足に一喜一憂している。
特別礼拝が終わりようやく解放された時には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
(やれやれ、やっと終わった……)
異様なムードに気圧され早々に気を挫かれたアレンは、終了の時に心から安堵した。
「さて、私はやることがあるので少し出てくるよ」
女神が話している間、それを終始無言で聞いていたフランツが口を開いた。
「女神が里から離れないか見張ってなくていいんですか?」
説教を終えた女神は、護衛に守られながら聖堂の奥の部屋へと消えていった。女神が入っていったアーチ型の赤い扉の前には信者たちが群がり、それぞれ感謝の意を伝えている。
「その点は心配ない。何かあれば知らせが来る手筈になっているからな」
「ふーん……。それで何しに行くんですか?」
「大切な情報収集さ。君は先に戻って休むといい」
それだけ言うとフランツはさっさと行ってしまった。気になる点は多いが、説明を聞く相手はもういない。フランツの後姿はすでに遠く小さくなっていた。
「仕方ない、軽く何か食べてから宿に戻るか」
アレンは一人つぶやくと、教会を離れ酒場に向かった。
食事を済ませ宿に戻ると、ミーナの姿はない。ロビーにいたのは彼女の父である宿屋の主人だった。ここでまた騒ぎを起こしては厄介だ。見つからないようにタイミングを見計らって部屋に戻ることにした。
「おい、あんた! その格好……」
足を踏み入れた瞬間、主人は強い口調でアレンを呼び止める。目論見はあえなく失敗した。
(まずいな……)
今朝の騒ぎが脳裏に浮かび、冷や汗が頬を伝う。
その時、あることに気が付いた。
朝に見た主人の顔は怒りと狂気に満ちていた。だが、今の主人の表情は今朝のそれとは大きく異なっている。アレンは主人の様子を注意深く観察した。
見開かれた目からは怒りや狂気は感じられない。これは驚いた時の反応だ。ぽっかりと開いた口からもそのことが分かった。怒りの表情であれば、歯をむき出しにするはずだ。敵を威嚇する獣のように。
(さっきからどこを見てるんだ……?)
主人の視線は顔ではなく全身に向けられ、眼球は全体を確認するように上下運動を繰り返している。
その瞬間、はたと気付いた。自分がいつもとは異なる格好をしていることに。
(『その恰好……』。そういうことか!)
そしてアレンは理解した。主人が今、何を考えているのかを。
「はい。今朝のご主人の言葉で目が覚めました。これからは女神様を信仰して生きていきます。巡礼服はその証です」
その言葉に主人の表情は一変した。目元は下がり、口元は上がっていく。
「そうか、そうか! それなら特別礼拝にも出席したかね?」
「もちろんです。魂と罪を救ってくれるのは女神様しかいないと確信させていただきました。あの方こそ、この世界の光です。希望と光と救いを与えてくださる女神様の弟子として恥ずかしくないように、この身を使わせていただきたいなという思いで、信仰させていただいてます」
アレンは女神の受け売りと信者の言葉をでたらめに混ぜ合わせて言葉を紡ぐ。
「そうだろう、そうだろう! いやはや、素晴らしい心がけだ!!」
主人はすっかり上機嫌で目を細める。自らの行いで同胞を増やすことは、何かを信仰する者にとって至上の喜びである。アレンの行動は的確に主人の信仰心を捉えたのだ。
「ワシの言葉で改心してくれたとは、冥利に尽きるわ! 生まれ変わった気分だろ? 新たな門出を祝して、一杯やろうじゃないか!」
そう言うと主人はグラスを二つ取り出し、ワインを注ぎ始めた。
(せっかく機嫌が良くなったのに、無下に断ってまた怒らせても面倒だしな)
「ありがたくいただきます」
そこからが長かった。会話が進むにつれ主人の酒の量は次第に増えていく。他愛のない世間話はいつしか身の上話となり、最終的には女神の賛美へと帰結した。
「女神様と出会って如何にワシが救われたか! 思い切って救いの里に移り住んで本当に良かったよ! あんたもそう思うだろう?」
「ええ、そうですね。宿屋を開いたのもここに来てからなんですよね?」
「あぁ、そうだとも。よく知っているな」
「ミーナさんに聞きました」
「ミーナ……」
饒舌だった主人の口がぴたりと止まり、グラスを握った手は凍り付いたように動かなくなった。
「そういえば礼拝が終わってから姿を見かけませんけど、どうしたんですか?」
「……娘なら……出かけてるよ」
「……こんな夜遅くに?」
「悪いが今日はもうお開きにしよう。ワシはそろそろ寝るとしよう。あんたも疲れただろう」
そう言うと主人はそそくさとグラスを片付け、奥の部屋へと引っ込んで行った。
(何だ? 急に……)
思わぬ形で解放されたアレンは、主人の不自然な態度を訝しく思いながら部屋に戻った。
ベッドに腰掛けると、ふぅと息をつく。やはり先ほどのことが気になった。
(ミーナさんの名を出した途端に態度が変わったな。何かあったのか?)
二人の間に確執があることはミーナから聞いていた。だが、家庭内の問題だ。それ以上はアレンには知る由もなければどうすることもできない。
そのままごろりと横になると、両手を枕にして目を閉じた。
(それにしてもフランツさんはどこに行ったんだろう。『大切な情報収集』とか言ってたけど……)
闇が支配する深い静寂の中、部屋にはアレンの安らかな寝息だけが静かに響いた。
アレンが眠りの世界にいざなわれた頃、フランツは酒場のカウンター席でグラスを傾けていた。
グラスを揺すり中に入ったブランデーを波打たせると、芳醇な香りが広がった。
「いい葡萄だ」
香りを楽しみつつゆっくりと酒を流し込む。
「樽もいい……」
満足気に小さく呟き、グラスの底に残った褐色の波をぼんやりと眺めていると、隣の席に誰かがどっかりと腰を下ろした。チラリと隣に目を遣ると、浅黒い肌のスキンヘッドの男が座っていた。全身が筋肉で覆われ、特注であろう巡礼服は見るからにきつそうだ。
「ご注文は?」
「隣のヤツと同じのをくれ」
男は注文したブランデーを一気に飲み干すと、余韻に浸る間もなく席を立った。その数分後、フランツは男の後を追うように酒場を出た。
酒場を出たフランツは
「どうやら手掛かりを掴んだようだな」
フランツはにこりともせずに男に声をかける。
「そりャあもうバッチリだ。ヤツら、とンでもないモンを隠してヤがッた。何と……」
「……待て、足音だ。こちらに向かって来ている」
フランツが制止すると、大男は不愉快そうに舌打ちをした。
「チッ! またアイツか……」
「心当たりがあるのか?」
「俺のことを疑ッてカギ回ッてるヤツがいヤがンだヨ。なかなかにシツこいヤローでな。俺らがいるところを見られるとヤッカイだ。テキトーにあしらッとくゼ」
そう言って大男はフランツに薄茶色の紙切れを手渡した。
「これに"行き方"が書いてある。センセーはそこに向かッてくれ」
大男はそれだけ言うと、足音の方へを向かって行った。
(『とんでもないもん』か……)
フランツは心の中で大男の台詞を反芻すると、渡された紙切れを懐にしまい込み宿屋へと向かった。隠された謎を暴くために。
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