第6話 救いの里

 宿を出て真っ直ぐに向かいにある酒場へと向かう。まだ日が高いにもかかわらず人は多い。きょろきょろと店内を見渡すと、壁際の席に見覚えのある帽子の男が座っていた。

「やぁ、来たか! まずは座りたまえ」

 アレンの姿を見つけたフランツは珍しく上機嫌だ。テーブルには空になったグラスが並び、フランツの顔はほんのりと赤みがかっている。

 上機嫌の理由はこれか、とアレンは心の中で思った。

「こんな明るい時間から飲んでるんですか?」

「人生には息抜きも必要さ。そう固いことを言わずに君もどうだ?」

「俺は酒よりも何か食べたいですね」

「それなら何でも好きな物を頼むといい」

「ずいぶん気前がいいですね。奢ってくれるんですか?」

「いいや、奢るつもりはないよ」

「でも俺、金なんて持ってませんけど……」

「その必要はない。見たまえ」

 そう言うとフランツは机の上にあったメニューを広げて見せた。様々な料理の絵が描かれているが、あるべきはずの記述が見当たらない。

「値段が書いてないですね。これ」

「その通り。ここで提供されている飲食物は全て無料なんだ。この店だけではない。この里にある全ての物が無料だ。宿に泊まる時も代金は不要だっただろ?」

 その言葉でアレンは昨日のミーナとのやり取りを思い出した。確か『女神様のご加護』がどうとか言ってたな。それでこの酒場も人が多いのか。

「そういえばそうでした。凄いですね。この里にある物が全部無料なんて。でも……」

「でも、『それでこの里は成り立つのか』だろう?」

 フランツはアレンの考えをピタリと言い当てた。アレンは黙って頷く。

 ティサナ村での生活は農耕と狩猟の自給自足が主だったが、月に一度は都で行商を行い相応の収入を得ていた。それがなければアレンも火災に巻き込まれ命を落としていたかもしれない。

 田舎者の彼ですら思い付いた疑問である。当然フランツが気が付かないはずがない。

「ご覧の通り人々は昼間から酒宴を楽しんでいる。慎ましやかな生活とは程遠い。住民が日夜働いているわけでも、財源となる資源があるわけでもない。普通ならば財政破綻は目前。だが、その様子もない。なぜか?」

 フランツは饒舌に語る。アルコールのおかげか普段よりどこか楽しげだ。

「その答えが女神様だよ。この里は彼女の経済的支援によって成り立っている。そしてその後ろ盾が勇者だ」

「勇者が? 一体、何のために?」

「民衆を取り込んで自分たちの支持者を増やすためと考えているが、真意は不明だ。それともう一つ」

 フランツは一転、周囲に漏れないように声を潜めた。次の言葉を聞くためにアレンは顔を近付ける。

「ここにいる間は女神を疑うような発言はしないことだ」

 その助言に直前の宿屋での出来事を思い出す。改めて言われるまでもなく身に染みていた。

「その点については十分に分かってますよ」

 心の中で「もっと早く言って欲しかったけど」と付け加え、答える。

「それならいい。それで今後のことだが……」

 フランツはさらに声を小さくし、アレンは耳をそばだてる。

「今日の午後、女神がこの里を訪れる。狙うのはその時だ」

 女神と相対する時が来た。そう思うと身が引き締まる。

「それで俺は何をすれば?」

「女神が来るまでは特にやることはないな。それまでは君もゆっくりするといい。私は少し休ませてもらうとするよ。」

 そう言い残すとフランツは席を立ち酒場を後にした。

 それと同時に腹の虫がけたたましく騒ぎ出す。まずはこいつらを黙らせるのが先だ。アレンはメニューを開くと、ここに来た当初の目的を果たすことにした。


「いやぁ、満腹満腹」

 空腹を満たしたアレンは満足そうにつぶやく。

「それにしても暇だなぁ。他に見る所もないし」

 食事を済ませたアレンは暇つぶしと腹ごなしを兼ねて、里内を見て回ることにした。だが、そこは小さな集落である。特段見る物もなく、すぐさま暇を持て余すことになった。宿屋の主人との一悶着の原因となった教会にも足を運んだが、信仰心の薄い彼の心には何も響かなかった。その後もしばらく里をぶらついてみたが、気付けば出発地点の酒場の前に戻っていた。

「もう一周しちまったぞ……。仕方ない俺も部屋に戻って休もうかな」

 その時、辺りにある音が響いた。乾いた木材を叩きつける音。

「この音は……」

 それはアレンにとって馴染み深い音だった。音は宿の裏手から聞こえてくる。懐かしさと退屈さに駆られ音のする方へ向かうと、斧を振り下ろすミーナの姿があった。

「こんにちは。薪割りですか?」

「あなたはさっきの……。えぇ。残り少なくなってきたから明るい内にやっておこうと思ってね」

「良ければ手伝いましょうか?」

「それはありがたいけど、お客さんにやらせるのもねぇ……」

「別にいいですよ。ちょうど暇だし」

「……もしかして新手のナンパ?」

「ち、違いますよ! 俺はただ体を動かしたいと思っただけで……!」

「冗談よ冗談。あなた、面白いわね。はい、これ。それじゃあよろしくねー」

 赤くなって否定するアレンに斧を渡すと、ミーナは笑いながら去って行った。

「調子狂うなぁ……」

 アレンは一人ぼやきながらも、切り株の上に薪を置く。そして斧を振りかざすと勢いよく薪に叩きつけた。小気味いい乾いた音が響き渡る。懐かしい感触。村にいた頃、薪割りは彼の仕事だった。

 無心になって斧を振り折ろす。故郷を失った悲しみも、家族を失った苦しみも、これから先の将来の不安も、こうして斧を振るっている間だけは忘れることができた。

 それからしばらくアレンは一心に薪を割り続けた。流れる汗が頬を伝い、顎から地面へと滴り落ちる。斧を置き額の汗を拭っていると、水の入ったグラスを携えたミーナが姿を現した。

「ご苦労様。疲れたでしょ? お水でも飲んで少し休憩したら?」

「ありがとうございます。ちょうど一区切り付いたところですよ」

 ミーナからグラスを受け取ると、一気に飲み干した。そんなアレンをミーナは興味深そうに見つめる。

「見たところずいぶん若いようだけど、あなたはどうしてここに来たの? ここは不安や悩みを抱えた者が最後に行き着く場所。自分ではなく他人に救いを求めてね。普段ならこんなこと聞かないんだけど、あなたみたいな若い人って珍しくて」

 ミーナは真剣な顔で真っ直ぐにアレンを見据える。心の内を見透かすような目だ。下手に取り繕ってはかえって怪しまれるような気がする。直感的にそう感じたアレンは、正直に胸の内を話すことにした。女神を打ち倒すという真の目的は伏せて。

「実は最近、両親を亡くして……。途方に暮れている時に『救いの里』の話を聞いて……」

「それで救いを求めてここに? そう……。私と同じね。私も数年前に病で母を亡くしたの。それから父も」

 ミーナは遠い目をして寂しそうにつぶやいた。

「そうなんですか……。あれ? でも……」

 彼女は宿屋の主人を「父さん」と呼んでいなかっただろうか?

「父は今も健在よ。でも、私が知っている父はもういない。母を亡くしたその日からね」

 アレンの考えを見透かしたようにミーナは話し始めた。

「母を亡くしてからの父は酒浸りの日々で廃人同然だった。そんなある日、女神様に出会ったの。父はたちまち女神様の教えにのめり込んでいったわ。お酒の量は日に日に減っていったけど、その代わり生活のほとんどを信仰に費やすようになった。当然、生活はままならない。それで救いの里にたどり着いたってわけ。ここなら衣食住は揃ってるからね」

 ミーナは続ける。

「宿屋を始めたのは私の提案。ここでは働かなくても暮らしていけるけど、あまりにも退屈過ぎるから。毎日毎日働きもせず祈りを捧げる生活なんかしてたら、それこそおかしくなるわ」

 苦々しくつぶやくミーナの話を、アレンはただ黙って聞き続けた。

「父を置いて自分の人生を生きられたらどんなにいいか。何度もそう考えた。私は今の生活に飽き飽きしてるし、父には女神様さえいればそれで満足。出ていかない理由は見当たらない。でも、だめだった」

 ミーナは力なく首を振る。

「たった一人の肉親を置いて出て行くなんて、私には出来なかった。本当はこれが単なる言い訳だって分かってる。でも、だめなの。結局こんな風に出来ない理由を探して逃げ続けてる時点で、私は一生だめなままでしょうね。『救いの里』にいる限り私の心は救われない。皮肉なものね」

 話し終えるとミーナは自嘲気味に笑った。かける言葉が見つからない。アレンは黙ったまま立ち尽くす。朴訥な性格の彼には、この重苦しい空気を和らげる気の利いた一言など思い付くはずもなかった。

「こんなことあなたに話しても仕方ないわね。ごめんなさい、今の話は全部忘れて? それより……」

 ミーナは表情を変えてアレンに顔を寄せた。

「な、何ですか?」

「あなたちょっと……、臭うわよ?」

「えっ? そうですか?」

 ミーナの言葉にアレンはシャツの首元を引っ張り匂いを嗅いだ。考えてみれば一昨日の朝からの長距離移動で、衣服には大量の汗が染み込んでいる。それに加え今日もまた薪割りで玉のような汗をかいた。その服を洗いもせずに着続けていては臭わないはずがない。

「確かに……。汗かいた後に服も体も洗ってないからなぁ……」

「汚いわねぇ……。里の北の方角に小川があるから、そこで体を洗ってきたらどう?」

「いいですね。そうします」

「それなら伝えておくけど、小川の近くの森には近付かない方がいいわよ。怪物が出るって噂だから」

「か、怪物ですか?」

「えぇ。何でも見上げる程の一つ目の巨人だとか。何人か見たって人がいるのよ。単なる噂話だと思うけどね。あっ、ちょっと待ってて」

 そう言うとミーナは宿に引っ込んで行った。間もなく彼女は何かを抱えて戻って来た。

「はい、これ」

 そう言って渡されたのはタオルと真っ白なローブだった。入口の門番、宿屋の主人、酒場の客。この救いの里に来てから頻繁に見かける格好だ。

「このローブって里の人がよく着てるやつですよね?」

「巡礼服って言うのよ。女神様の信奉者の証」

「ミーナさんは着ないんですか?」

 アレンは素朴な疑問をぶつける。目の前のミーナは白いブラウスに茶色のロングスカート、さらにその上に赤い前掛けをしている。彼女にはよく似合っているが、どう見ても巡礼服ではない。

「嫌いなのよその服。ううん、服だけじゃない。この里の全てが嫌い。教えにのめり込んで変わってしまった父も、他人に救いを求める無責任な人達も、退屈極まりない毎日も。そして――」

 ミーナはふっとため息をつく。

「文句を言うだけで何もしない自分自身も」

 そして最後にそう締めくくった。


 アレンはミーナの言葉通り小川を目指し歩いていた。周囲には森が広がり、進むにつれて緑が深まっていく。懐かしい風景だった。獲物を追って森の中へ分け入っていた村での日々が蘇る。記憶をなぞるように目を閉じると、微かなせせらぎ音が耳に届いた。音を頼りに歩みを進めると、穏やかな川の流れにたどり着いた。

 水は清く澄んでおり、水面には木々の緑が映り込んでいる。手を入れて水の温度を確かめると、ひんやりと冷たい。

 衣服を脱ぎ捨てゆっくりと川に身を沈める。身を切るような冷たさだが、力仕事と散策で火照った体に心地いい。

 再び村での日々を思い返す。狩りの後は必ず川に向かった。獲物の下処理と泥と汗にまみれた体を洗うために。最後に狩りに出たのはほんの数日前だった。あの時はまだみんな無事だった。両親も、妹弟も、村の人たちも――。

 思いを巡らせている内に目には涙が滲んでいた。ごしごしと目元を拭うと、両手で清流を掬い取り、勢いよく顔に叩きつけた。

 着ていた衣服と体を洗い終えると、体を拭き巡礼服に身を包んだ。サイズはぴったりだ。着心地も悪くない。信仰心の薄いアレンでさえ、この服を着ると身が引き締まったような気がした。

「ふぅ、さっぱりしたな」

 木の枝に引っ掛けていた洗濯物を取ろうと顔を上げると、遠くに二つの白い影が森へと向かって歩いて行くのが見えた。どちらも巡礼服を着ていることから、救いの里の関係者のようだ。

「ガラルドさん……?」

 フードをかぶっているためはっきりと顔は見えないが、確かにガラルドだ。あの巨体は間違いない。特注であろう特大サイズのローブも、彼の過剰に発達した筋肉を覆い隠すことはできなかった。

 ガラルドは荷車を引いているが、荷台には暗幕が張られていて、何を乗せているのか分からない。

 アレンは木の陰に隠れ様子を注視した。幸い二人はアレンの存在に気付かず、森の奥深くへと消えて行く。この先に何かあるのだろうか?

(森には怪物が出るって話だけど……)

 好奇心に駆られたアレンは二人の後をつけることにした。もちろんフランツの言葉を忘れた訳ではない。『里でガラルドを見かけても他人のフリをしろよ』

 見つからないように十分な距離を保って後を追う。この巡礼服も尾行するのに都合が良かった。フードを目深に被れば顔は分からない。見つかったとしても里に戻れば全員同じ格好だ。見分けなど付くはずもない。

 気付かれないように後をつけていくと、目の前に一軒の家屋が現れた。森の奥、人目を避けるようにひっそりと建っている。

 入口では同じく巡礼服を着た男が周囲を見張っている。信者が話しかけると、見張りはすぐに扉を開き二人を招き入れた。

 ガラルドは荷台の暗幕を外すと、積んでいた荷物を屋内へと運び始めた。丸太程の大きさだが、布に包まれているため詳細は分からない。

 ガラルドは荷物の運び入れを五回繰り返すと、再度見張りに何かを話しかけ何事もなかったかのように来た道を戻って行った。

(こんな森の奥深くに、何を運んで来たんだ?)

 二人が去った後も見張りは変わらず辺りを警戒している

(見張りまで立ててずいぶん厳重だな……。一体、この隠れ家は何なんだ? ミーナさんが言ってた怪物と何か関係あるのか?)

 疑問は残るが見張りの目がある以上、これ以上の調査は難しい。アレンは音を立てないようにゆっくりとその場を後にした。


「おかえり。なかなか似合ってるじゃない、その服」

 宿に戻ったアレンを出迎えたのはミーナだった。

「そんなに似合ってますか?」

「えぇ。いかにも里の生活に染まり切った女神様の信奉者……、って感じね」

 ミーナは頬杖をついたまま気怠げに話す。

「巡礼服なんて初めて着ましたよ。服が変わると気分も変わりますね!」

 皮肉を物ともせずアレンは無邪気に答えた。純朴な彼には皮肉や嫌みの類は通用しない。

「そんな素直な反応されるとは思ってなかったわ。やっぱり面白いわね、あなた」

 その様子を見て、ミーナは毒気を抜かれたようにつぶやいた。皮肉ではない本心からの言葉だった。

「使ったタオルは洗って乾かしておくわ。ついでにその服も乾かしておいてあげる」

「ありがとうございます。そういえばさっき森には怪物が出るって話してましたけど、ミーナさんも見たんですか?」

「まさか! 言ったでしょ? 単なる噂話だって。それともあなた、見たの?」

「いや、怪物は見てないんですけど、森の中に……」

 アレンがミーナに森の中で見た小屋のことを話そうとした矢先、外から高らかな男の声が聞こえてきた。

「女神様だ! 女神様がいらっしゃったぞー!!」

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