女神編
第5話 潜入
「せ、戦場ですか……?」
いきなり飛び出した物騒な単語にアレンは思わず苦笑した。だが、二人の表情は真剣そのものだ。とても冗談を言っているような雰囲気ではない。
「正体を暴かれた勇者一行が大人しく自らの罪を認めれば、それに越したことはない。改心した勇者が魔王を討ち払えばハッピーエンドだ。だが、もし正体を暴かれ逆上した勇者が力に物を言わせて攻めて来たら?」
「到底、俺たちに勝ち目はないだろうゼ。王国中の兵士を集めても勝てるかどうか怪しいもンだ」
フランツは例のごとく理論的に話を進め、ガラルドは肩をすくめて自嘲気味に笑う。
「そうなった場合、連中とまとめてやり合うのはあまりにも無謀だ。戦力差がありすぎる。そこで考えた。そうならないためにはどうすればいいのか?」
フランツの話し方には人を惹きつけ、聞き入らせる何かがある。その要因は彼の態度に因るところが大きい。横柄とも思える口調は聞いている内に威風堂々たる話しぶりへと変化し、気障なジェスチャーは退屈な演説のアクセントとなっている。その上、話の内容は常に理路整然としている。もしこれが信じがたい暴論だったとしても、信じてしまいかねない。
アレンはまんまとフランツの術中に嵌まり、今か今かと次の言葉を待つ。
「戦力を分散させ、そこを叩く」
「要は一人ずつ潰せばいいッてワケだ」
ガラルドが手の平に拳を叩きつけ補足する。
「今まさに我々がやろうとしているのはそういう事だ。確実に一つずつ勇者一行の戦力を削ぐ。私が勇者を追っていたのは、魔王との繋がりを暴くためだけではない。"奴が"戦列を離れるこの時を狙っていたんだ」
アレンはもう一度、机の上の地図を覗き込む。ここから北西の方角。地図上の距離を見る限りはティサナ村に行くのと大差はなさそうだ。だが、都から先に足を延ばしたことのないアレンにはこの場所に何があるのか見当もつかない。
「ここには何があるんですか? それと"奴"って言うのは?」
「そいつは俺から説明しヨう。通称『救いの里』。以前は小さな集落だッたが、今ではかなりの人数がココで暮らしている」
フランツに代わりガラルドが意気揚々と喋り出す。
「その発端となッたのが『女神』だ。女神は勇者一行として世界中を旅しながら、『魂と罪の救済』とか言う教えを広めてンだ。そいつらにとッちャココは聖なる地らしく、いつしか女神を信仰する連中が集まるようになッた。そうして出来た教団が救いの里ってわけさ」
ガラルドの話はフランツとは対照的に単純明快だ。アレンにとってはこちらの方が分かりやすかった。
「その後も色々と調べていく内に、女神は月に数度は必ずここを訪れることが分かッた。コイツは俺が直々に手に入れた確かな情報だ」
ガラルドの言葉にアレンは広場で見た光景を思い返した。確かに記憶の中の勇者一行に女神らしき人物は見当たらない。
「そして今月はまだ女神は里を訪れていない」
「つまり、行くなら今ってことですね」
「その通り。それに君と私は広場での騒ぎで勇者に顔を知られてしまった。怪しまれずに女神に接触するには、奴らに合流されてからでは遅い」
「騒ぎ? 何をしたンだヨ、センセー」
ガラルドが興味津々の様子で尋ね、フランツは手短に事の顛末を説明する。
「ハッハッハ! そいつァいいヤ!」
フランツの話を聞き終えたガラルドは破顔一笑、豪快に笑い飛ばした。
「勇者に一泡吹かせた上に、証拠を掴んでくるとはさすがセンセーだ!」
「それから……」
ガラルドは笑いながらアレンに向き直る。
「いきなり勇者に喧嘩を売るとはなかなかいい根性してるじャねェか、青年! 気に入ッたゼ!」
(元はと言えばフランツさんの差し金なんだけどな……)
ガラルドの巨大な手に背中を叩かれながら、アレンは心の中でぼやいた。フランツの要点をまとめた経緯説明によって、アレンは『血気盛んで向こう見ずな青年』と見なされてしまったようだ。
当惑するアレンを尻目に、騒ぎの首謀者であるフランツは淡々と話を進める。
「というわけで我々は今から救いの里へ向かい、先回りして女神の到着を待つ。そして行く前に君たちに改めて言っておくことがある」
フランツは固い表情をさらに引き締め、二人に向き直った。
「目的を果たすまでは戻ってくることは出来ない。それがいつになるかは私にも分からん。数日後かもしれないし、数十日後かもしれない。一年後かもしれないし、最悪の場合もう二度と戻れない可能性も考えられる」
最悪の場合。それが死を意味していることはアレンにもすぐに分かった。フランツの顔には固い決意が刻まれ、その表情に恐れの色は微塵も感じられない。隣ではガラルドが悠然と腕を組み、素知らぬ顔をしている。何とも堂々たる態度だ。きっとこの二人は、とうの昔に覚悟を決めているのだろう。すなわちこの言葉はアレンに向けられたものなのだ。
「引き返すなら今の内だ。私は強制もしないし止めもしない。ここで立ち去ったとして『臆病者』と罵るつもりもない。アレン。君はまだ若い。どこか遠くの町で新しい人生を歩むという道もあるぞ」
「この旅は明日も知れねェイバラの道だ。俺らと来るヨりかえッてその方がいいかもな」
フランツは諭すように語り、ガラルドは大袈裟にうんうんと頷く。
「さぁ、どうする?」
二人の視線がアレンに突き刺さる。故郷と家族を失った今のアレンに行く当てなどあるはずもない。知らなければならないこともある。村の火災の真相と、姿を消した妹の行方。そこから目を背け、全てを忘れて新たな人生を始めるなど考えられない。何もかもを失ったあの時から、すでに覚悟は決まっている。だが、アレンにはもう一つ気掛かりな点があった。
「覚悟はもうできてます。ただ出発する前に、少しだけ時間をください」
アレンの覚悟は決まっていた。だが、彼にはその前に行かなければならない場所があった。拠点のあった貧民街から市街地へと舞い戻る。しばらく歩くと一軒の建物の前で足を止めた。
「ごめんください」
扉をノックして声をかける。程なくして戸が開いた。
「あら、あなたは……。主人から話を聞いて心配してたのよ。まずはお入りなさい」
応対してくれたのはアリス夫人だった。促されるままに家に上がると白髪頭のゴードン医師がお茶を啜っていた。看板に休診の文字はなかったが、どうやら本日の診療は終了したようだ。
「君か。帰りが遅いので何かあったんじゃないかと心配していたぞ。何はともあれ無事に戻って良かった。疲れただろ? 君もどうだ?」
そう言われた瞬間、アレンは自身の猛烈な渇きに気が付いた。思い返せば、今朝ここで食事を取って以降何も口にしていない。それに加え都と村の往復で玉の汗を流し、村では悲しみの涙を流し、勇者とのやり取りでは冷や汗を流した。この半日で身体中の水分はとっくに空になっていた。
「いただきます」
アレンはカップを受け取ると、一気に飲み干した。乾ききった大地に雨が染み込むように、疲れ切ったアレンの心と身体にそれは優しく染みた。だが、まだ足りない。その様子を見たゴードンは何も言わずにカップに二敗目のお茶を注ぐ。礼もそこそこにまた飲み干す。さらに三杯、四杯、五杯とお茶は注がれていく。
「ふぅ、やっと落ち着きました。すみません、何倍もごちそうになってしまって」
六杯目を飲み終えると、アレンは満足そうに一息ついた。
「構わんよ、これぐらい。君が大変な目に遭ったことは私もよく知っているからな」
「ありがとうございます。ところで先生、弟の様子は……」
おずおずとアレンが切り出すと、柔和な顔をしていたゴードンの表情が瞬時に曇った。
「やはり全身の火傷がひどい。できる限りのことはしたが依然として危険な状態だ。このまま意識が戻るかどうか……」
ゴードンは苦々しくつぶやく。医師としての己の無力さを嘆いているようだった。
ベッドの上のトムは朝見た時と何も変わっていない。全身に包帯を巻かれ、苦しそうに喘いでいる。
「トム、聞こえるか?」
アレンはしゃがみ込み、トムの耳元で優しく話しかける。当然返事はない。それでも構わずにアレンは続ける。
「兄ちゃん、やることができてちょっと出かけてくるよ。でも、必ず戻ってくる。だからトム、お前も絶対に戻って来いよ。その時は兄ちゃん、お前のそばにいるからな」
「……」
ゴードンとアリスがその様子を静かに見守る中、アレンはおもむろに立ち上がると、腰に括り付けていた皮の袋から折りたたみナイフを取り出して右ポケットにしまい込んだ。トムが目を覚ました時にプレゼントとして渡すために。
「これを受け取って下さい」
アレンはナイフを取り出すと、皮袋をゴードンに差し出した。
「これは……?」
「トムの治療費と入院費です。今はこれだけしか無いですけど……。足りなければ働いて返します」
それは火事の前に集めた品物の代金だった。全てを失ったアレンにとっての全財産だ。
「これだけあればしばらくは大丈夫だ。それより、またどこかに行くのかい?」
「はい。やらなきゃいけないことができたので」
「そうか……。くれぐれも気を付けてな」
「あなたの家族のことは私たちに任せておいて。でも、ちゃんと無事に帰ってくるのよ」
「ありがとうございます。必ず戻ってきますよ。トムを……、弟を置いて先に行くなんて、兄貴失格ですからね」
アレンは力強く答えた。顔からは確固たる決意が見て取れる。覚悟を決めた顔だった。ゴードンとアリスに見送られ、アレンは診療所を後にした。
「用事は済んだかね?」
外に出ると見計らったようにフランツが声をかけてきた。フランツは目深に被った帽子を人差し指で上げながら問いかける。
「えぇ、終わりましたよ」
「それならさっそく出発しよう。のんびりしている暇はない」
言うが早いかフランツは歩き出した。アレンも慌ててその後を追う。歩き出してすぐ、何かが足りないことに気が付いた。
「ガラルドさんは?」
早足で歩くフランツの背中に質問する。
「先に行かせた。色々と手筈を整えてくれているだろう」
振り返りもせずにフランツは答える。
「それから、里でガラルドを見かけても他人のフリをしろよ」
「なぜですか?」
「奴は半年前から女神の下で勇者の情報を探っている。我々との繋がりが知られるのは不味い。私達はあくまで聖地に訪れた巡礼者を装うんだ」
それから二人は黙々と歩き続けた。会話はない。アレンは元来口数の少ない方だったし、フランツは無駄話をしない主義であった。だがそれが功を奏したのか、目的地である『救いの里』まではすぐそこの距離まで来ていた。
今は夕刻。オレンジ色の光が辺りを染め上げている。日が沈み夕闇に包まれるのも時間の問題だ。
「見えたぞ。あそこだ」
フランツの声に顔を上げると、目の前に木造の巨大な門がそびえ立っていた。その両脇には白いローブを来た二人の男が立っている。
「見張りがいるみたいですけど……」
「なに、心配するな」
フランツはそう言うとつかつかと門に歩み寄る。アレンもその後を追う。
「私達は女神様の考えに感銘を受け、ここまで参りました。どうかここで共に教えを乞わせていただけないでしょうか?」
「もちろんですとも。我々は救いを求める者を拒みません。新たな兄弟の誕生を女神様もお喜びになるでしょう」
一人がそう答えると、もう一人の男が門を開いた。
「寛大なるお心に感謝いたします。天に栄光あれ」
フランツは恭しく感謝の言葉を口にし、門をくぐり中へと入って行く。
「女神様に感謝します」
アレンは見様見真似で礼を告げ、その後に続く。
「言った通りだろ?」
フランツが自慢気にアレンに話しかける。
「巡礼に訪れた者は誰でも受け入れる。"来る者は拒まず"がここの信条だからな。むしろ問題は……」
「……」
「アレン?」
「……あっ、すいません、何ですか……?」
問い掛けに返事はしたものの、アレンの様子はどこか上の空だ。明らかに集中力を欠いている。
この時、アレンの疲労はピークに達していた。村の火事、長距離の移動、家族の死、勇者との対峙、出会いと旅立ち……。今日一日の出来事は村で平穏な毎日を過ごしてきた彼にとって、あまりにも濃密すぎた。
「相当疲れているようだな。無理もない。この通りの正面に宿屋がある。君は先に行って休むといい」
「……そうさせてもらいます」
アレンはフランツにそう告げると、言われた通り真っ直ぐ歩き出した。たどり着いた家屋の軒先にはベッドの絵が描かれた看板がぶら下がっている。場所はここで間違いなさそうだ。押し戸を開いて中に入ると、若い女性が椅子に座り頬杖をついていた。
「宿泊ですか? でしたらこちらにご記名をお願いします」
女性はアレンに気が付くとにこりともせずに名簿を広げた。言葉遣いは丁寧だが、その態度はどうにも気怠げだ。アレンは言われるがまま名簿に名前を書いた。次に腰に付けた皮袋から代金を支払う……はずが、袋が無いことに気が付いた。疲労で朦朧とする意識の中、アレンは愛用の皮袋の行方を探す。
「そうだ、あの時……」
ここに来る前に、弟の治療費として袋ごとゴードンに渡していたことをようやく思い出した。
「すみません。今は手持ちが……」
「この里は女神様のご加護で成り立っていますので、お代は一切いただいておりません」
「えっ、じゃあ無料でいいんですか?」
「そうですよ。お部屋へご案内します」
女性は表情を崩さず、アレンを部屋へと案内した。
「どうぞごゆっくり」
女性は静かに扉を閉め、部屋にはアレン一人が残される。確かめるように室内を見渡す。部屋の中央には木の円テーブルが鎮座し、それを挟むように木製の椅子が配置されている。
正面の壁には小さな窓が一つ、その下にはベッドが二台。
アレンは上着のシャツを椅子に掛けると、そのままベッドに倒れ込んだ。最高の寝心地とは言い難いが、今の彼にはこれで十分だった。
今日は色々なことがあり過ぎた。アレンは今日一日の出来事を順を追って思い返した。
「どうなるんだろうな、これから……」
そして今後のことを考えて、不安気につぶやいた。
目を閉じるとほんの数日前までの故郷の様子が浮かぶ。豊かな自然。穏やかな人々。温かな家族。このままこの小さな村で、退屈で幸せな生涯を過ごすはずだった。それがこんな事に……なるなんて……。一体、これから……どう……な……て……。
アレンの意識はそこで途切れた。
窓から差し込む光の眩しさに思わず顔をしかめる。右腕を日除けに薄目を開けると、辺りはすでに明るくなっていた。のそのそと起き上がり思い切り伸びをする。隣のベッドは使った形跡はあるものの、すでにもぬけの殻だ。
ベッドを抜け出すと、もう一度伸びをして窓を開ける。柔らかい日差しと吹き抜ける風が心地いい。
一晩ぐっすり眠ったおかげか、全身を包んでいた疲労感はすっかり消えていた。
火傷の具合も良くなったようだ。巻かれていた包帯を外し、椅子に掛けてあったシャツを手に取る。
ふと、円卓に目をやると一枚の書き置きがあることに気が付いた。
『目が覚めたら酒場に来るように。場所はこの宿の向かいだ』
整った丁寧な文字。無駄を省いた端的な文章。走り書きで記された書き置きを見て、作者がフランツであるとすぐに分かった。
「酒場か……」
そう口にした途端、アレンは猛烈な空腹感に見舞われた。いくら眠ったところで、疲れは取れても腹は膨れない。酒場なら温かい食事にありつけるはずだ。
シャツに袖を通し部屋を出ると、立派な髭を蓄えた中年男性がロビーを掃除している最中だった。この宿の主人のようだ。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
アレンの姿に気が付いた主人は朗らかに挨拶を投げかける。
「おかげ様で一晩中ぐっすりでした」
「はっはっは、それは何より! これも女神様のご慈悲の賜物です」
主人は満足そうに頷くと、さらに話を続ける。
「教会にはもう行かれましたかな? あの荘厳な空気は心が洗われますぞ。礼拝も行われるので是非とも……」
「はぁ、暇があれば行ってみます」
熱っぽく語る主人にアレンは気のない返事をする。これがまずかった。
「『暇があれば』? ここは女神様のご慈悲によって成り立っているというのに、感謝もせずによくもそんなことを! まったく、これだから最近の若者は!」
突如として豹変した主人の態度に、アレンは驚き、戸惑い、恐れをなした。
(こ、怖ぇ……!!)
「ちょっと父さん、何の騒ぎ? 外まで聞こえてるわよ」
騒ぎを聞きつけ、やって来たのは昨日の女性だった。
「教会に行くよう勧めたら『暇があれば』と抜かしおった! 礼拝への参加は責務であるにも関わらず! このような不遜な態度は到底許されるものではないっ!」
ヒートアップしていく主人を、女性は手慣れた様子でなだめすかす。
「この人は以前の私達のように、女神様の偉大さを知らないだけよ。私から話しておくから父さんは買い出しに行って来て」
「任せたぞ、ミーナ。まったく不信心な……」
主人は尚も不服そうにブツブツと言いながら、外へと出て行った。ミーナと呼ばれた女性は、当惑するアレンに向き直り言葉をかける。
「驚いたでしょ? ごめんなさいね。うちの父、女神様の事となるとああなの」
「す、すいません。怒らせるようなことを言って……」
「謝ることないわ。父はもうまともじゃないから。でもこれから先、平穏に過ごしたいなら滅多なことは言わないことね」
それだけ言うと、ミーナは奥の部屋へと引っ込んでいった。
『父はもうまともじゃないから』
ミーナの残した言葉が冷たく木霊する。いたたまれなくなったアレンは逃げるように外へ飛び出した。何とも言えない気味の悪さを残したまま。
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