幕間1 ドゥルケ
厄介なことになった。
トゥール家の防衛を踏み潰し、塔から連れ出した少女の姿は見るも無惨と言わざるを得ない。八本の黒槍に縫いとめられていた場所は今もなお赤黒い血を渾々と吐き出し続け、少女の命の灯火を消そうとしていた。
魔術の嵐を受けてボロボロになった服を引き千切る。手頃な長さにして患部に巻き付けていく。
ついでに、これまでの依頼の報酬として受け取ってはいたものの、吸血鬼としての存在の強さ故に使い所の無かった回復用の魔道具を起動した。
「……息は安定したか」
か細く、一瞬でも意識を離せば止まっていそうだった呼吸を持ち直すことはできた。
魔術を用いて生かされていた状態だったが、無理矢理に連れ出したことでその魔術は切れているし、自分で再現できるような実力もない。手探りの治療でなんとか会話できる程度までは持っていかないといけない。
「目が覚めてもまともに会話できるかはわかんねぇけど、やるしかないか……受けちまった依頼だしなぁ……」
差出人不明の依頼であった塔からの連れ出しは完了した。今受けているのは、彼女からの依頼である理想郷への護送だ。護送はしたことがあるが、死にかけの人間の介護はしたことがない。死にかけの人間の前に俺が立つと大抵心を壊して勝手に死んだからだ。
己の特性が憎らしい。この少女の容態が安定し、目を覚ましても、まともに雇い主と会話することが可能かすらわからないとは、ままならない。
「態度はウザかったけど、せめて心身が安定しているやつと話せていたのは幸運だったのかも」
今までアーサーに依頼をしてきたのは、実力と金と虚栄心に満ちた上位貴族ばかりだ。
存在の強さの暴力で依頼の達成はほぼ確実。ただ、どこにいるかの情報を集めることができ、対面をして依頼の話をできるだけの自制心や精神力、資金力を持っていないといけない。
つまり、アーサーに依頼をしたということ自体が己の価値を釣り上げることに使えるのだ。己の力を誇示し、そして依頼で利益も得る。魔術界ですら裏に隠れていたアーサーのことを知っている人間たちですら結局利用しかしてこなかった。
その中で、依頼人不明の案件を受けようと思ったのは何故だっただろうか。
思考の海に沈みかけた自分の目前で少女が空咳と共に死にかける。用意していた水分と少量の半液体食料をなんとか喉に流し込み、呼吸が止まらないように見守る。
呼吸すら苦しそうで、持っているエネルギーの総量も生存には足りていない。この状態からなんとか、普通に生きられる状態まで持ち堪えなければいけない。
「……介護って保存食でもできるのか? この水ってまだ飲める?」
地下の奥深く。
己の放つ嫌悪感が地上の人間に届かないほどの奥地にある拠点で、吸血鬼は人生初の悩みに唸っていた。
◇ ◇ ◇
で、目が覚めてみれば。
「おいしい……こんなものがあるなんて……!」
「大体想像できるけど、にしてもどんな生活してたんだよ……」
いつ目覚めるか、そもそも生きれるかも分からなかった少女は、意外にもあっさりと意識を取り戻していた。
吸血鬼故の無駄に多い魔力を使って常に回復の魔道具を掛け続けたせいもあるかもしれないが、とにかく峠は越したらしい。一時はひどいことになっていた杭の跡もなんとか消えたようだ。なぜか左目だけは閉じられたままだが、切り出す雰囲気でもない。
後に残っていたのは、たぶん無理だろうが少しでも印象を良くするために女の子が好きそうなスイーツを買ってきていた吸血鬼と、生まれて初めて食べる甘味に感動をする少女のみ。
栄養バランスという言葉を無視し、興味の向かうままに食べ進めている。小動物のような、歳なりのような、それにしてはあまりにもぎこちない動きがとても目についた。
「んで、どうして普通でいられる?」
「どうしてと言われても」
たとえ目の前の少女が神話伝承に出現する特異生物であったとしてもその影響からは逃れられず、一定以上の自制心がなければ本能的殺害衝動を乗り越えることはできない。少しの間は頑張って乗り越えたとしても、長時間同じところにいれば、持つ魔力の差や精神力の限界で心を壊してしまうはずなのだが。
目の前の少女は、呑気にスイーツに齧り付いている。
「
「捕まっていた、ね」
仮にも己の生家、住処に使う表現ではないだろう。普通ではない。
ただ、娘に杭を刺して逃げられなくした状態を指して、「捕まえる」という言葉以外で表現できる気がしないのも事実だ。
「貴方は誰の依頼で私を連れ出したの?」
「わからん。依頼書と一緒に依頼内容に見合う額が送られていたし、特に今受けている依頼は無かったからなんとなくだ」
「……もしかしてやり手の便利屋なの? 私が、貴方に提示した依頼の報酬って見合ってるのかな」
「俺の悲願を叶えるって言うなら最高の報酬だな」
塔から連れ出し"理想郷"へと連れて行ってほしい。そんな彼女がアーサーに提示した報酬は、アーサーの死。
「なんで俺の目的を知っている?」
「貴方と同じよ。私が父親に呪詛を流し込んで放置されて、頭が朦朧としている時に変な声に教えてもらっただけ。お前をこの塔から出してくれる奴が来るから、ソイツ自身の死を対価に願いを伝えろ、って」
「もし現れたのが別人だったら、あの場で殺されても文句言えないぞ」
「その時はその時よ。ダメだったらどうにかして自害するつもりだったし、それすら防がれたらたぶん自我を消されてた。救出だって、一回でもチャンスを逃したら幽閉のレベルは上がってたはず。もしかしたら二度目のチャンスはなかったかもしれない。私が
依頼主が誰だかしらねぇが、コイツの現状やこの覚悟まで知ってるのに伏せて依頼を出してたんなら許さねぇ。一発は絶対殴る。今回がお試し、二度目のトライで本格的にトライするつもりだったらその時にはたぶん死んでるぞ。
思わずこぼれた深いため息を無視して、少女が次のスイーツを要求してくる。
モンブランを手渡してやると、満足そうに頷いてから言葉をつづけた。
「貴方の願い、その特性……自然法則と言い換えても良いくらいの性質からして、貴方もなにかに呪われてるんでしょ? 私の眼ならその呪いを誤魔化すことくらいはできるはず。依頼を達成してくれたら、使える力の全力で報酬を
「ただの人間の眼になんかができるとは思わないが」
「これで見られてもそう言える?」
言うと同時に、少女が常に閉じていた左の瞼を開く。
深金、あるいは琥珀色。その視線がなぞるようにアーサーの体を這い、全身を寒気が──
「やめろ」
「ありゃ、このくらいだと弾かれるか」
見るという行為を基点とした呪術を掛けられた。不快感を与え、身を縮こまらせるだけの呪術だが、ただの人間が吸血鬼に、儀式も触媒も用いずに呪いを掛けたというだけで異常だ。
ただの眼ではない。魔眼、その中でも最上位に近い。ただ、燃費が悪ければ精神力や集中力の消耗も凄いようで、モンブランとフォークはしっかりと保持したまま少女はベッドに倒れ込んでしまった。
「練習は必要だけど、少なくとも貴方に掛かっている呪いの上からさらに呪いを被せて、少し魔力が強いくらいの人間に偽装することくらいはできるはず」
「……街を普通に歩けるようになると? 俺が?」
「そう。そして、依頼を達成してくれたら、今度は呪いの上掛けではなく解除をする。今見て分かったけど、貴方の核そのものが呪いで出来ていたから、それさえ解いてしまえば貴方という存在は死ぬ」
数千年探し、諦め、まだ自分という存在がどうやら有るらしいという事だけを確認しては絶望をしていた。
永遠に続くかもしれなかった憎まれるだけの人生が変えられるかもしれない可能性が、今目の前で──モンブランを喉に詰まらせて死にかけている。
「落ち着け、ちゃんと咳をしろ」
「ごほ、んへ……咳でも疲れる……」
「もやしっ子すぎるだろお前」
「お前って、言うな……」
いまいち締まらない。心の中を埋め尽くしていた、歓喜と諦念の混ざったような衝動はどこへやら。
今度は小さいため息を吐いて、少女が伏せている間に考えていた案を伝える。
「俺たちはお前の生家から逃げ続けることになる。本当はジメジメと拠点を移動していくつもりだったが、たとえ誤魔化しでも人間のフリができるなら都合がいい。表を歩いて、知っていそうな奴に聞いて、情報がありそうなところで調べながら逃げることができる。それでいいか?」
「ん」
「となると誰かに突っ込まれてもいいように設定も固めないとな。兄と妹、にしては髪色もなにもかも違いすぎるか」
「従者と主、でいいじゃない。私が依頼主で貴方はそれに従う存在だし」
今なお嫌悪感を感じ、咳だけで死にかけてなおこの発言。経験云々とかじゃなくてコイツの肝が太いだけなんじゃないか。
「…………まあ、いいか。他に案もないし」
「よし、決定! じゃあ、咳で疲れたので少し寝るね」
「怠惰というかなんというか……もう寝てるよ」
あどけない寝顔を眺めつつ、表を歩けるようになることや悲願を天秤にかけて、色々出てくる不安や文句は飲み込んだ。
咳をしたときに乱れ、頬に掛かっていた髪を指先で整えて。
「良い夢を、我が主人」
眠りを邪魔しないよう、そっと呟く。
……なお。
いざ封印をされ、魂の封印と肉体の弱体化、総じて大変化に耐えきれず己が倒れ。
魔力不足、体力不足で少女も同じく倒れた上に死にかけたせいで、弱く重くなった肉体を引き摺って介護をすることになるのだが──今はまだ、知らない。
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