1−17 解答編──誰が君を呪う
「いかにしてアルベールは殺されたか。この場合大切なのはどの魔術で殺されたかということだ。人体発火を意図的に起こす科学や自然などそうそうないし、あったところでまずあの場で起こり得ない以上考慮の必要がない」
人の人体が燃え上がるというのはほとんどあり得ない。人間の体の約6割は水分で、局所的な偏りこそあれど、ほとんど全身に隅々まで浸透しているのだ。巨大な水袋と言い換えてもいいだろう。
6割も水分を含んだスポンジを燃やすのがどれほど難しいか。
「ここで重要なのは
これは確認だ。事件が起き、ダレン以外の全員が集まった瞬間にもされた状況の整理を再度しているだけ。
それでありながら、本格的に推理が始まったことで全員の緊張感が増しているのがわかる。
「よって死因は、不幸な事故でも科学でも、一般的な攻撃魔術でもないものと仮定する。そして、各種の案を検討してみたが……例えば魔道具であれば、どの程度の施設が必要なのか。リル氏、答えてもらえるね」
「狙った人だけを内側から燃やすなんていうあまりにも面倒で
「ありがとう。もちろん大なり小なり事情はあるだろうが、どの魔術でも劇的に難易度が変わることはそうないだろう」
思うがままに魔法を扱った幻想の住人たちとは違い、人の作った技術である魔法は、人の事情が入れば入るほど難しくなっていく。効果が加速度的に減衰を重ねていく中でどう思いどりの効果を出すか、魔術師は日夜頭を悩ませているのだ。
同じ成果を出そうとする時に、多少の変動はあれど、難易度が大きく変わることなど無い。
「この部屋を調査し、怪しいものがないことは確認した。もし怪しいものがあればアレットが気がつかないわけがないし、もし気が付かなくてもこっそり移動させることなど不可能だろうね」
「んじゃ、どうやって発火させたんだよ? 今のところだと魔術でも無理って言われているようにしか聞こえねェぞ」
「呪術だよ」
調査の結論は呪いだった。というより、他の要素で考えられそうな魔術が、その痕跡がなに一つ見つからなかったのだ。
人を内側から燃やせる、というだけでかなり絞られる。その上で、現状見つかっている要素から推察できる魔術が呪いしか想定できなかった。
「呪術であればなぜ足りるのか、という点は後で解説しよう。その前に、この事件が呪術によるものであれば不可欠なものが二つある。儀式と触媒だ」
「儀式と触媒……」
「そうだ。一つずつ紐解いていこうじゃないか」
二本立てていた指を片方折り、
「まずは儀式についてだが。これは呪術によって千差万別で、よほど有名なものでもない限り特定は難しい、だが」
そのままリーティアに向ける。反射的に胸を隠そうとして、少し恥ずかしそうに腕を下ろしていた。
俺の知らないところでなんかやったな。
「一つ確実なのは、人を内から燃やすような呪術を使う場合、その瞬間に術者は儀式のための動きをしていなければならないということだ。よほど弱い呪術であるならともかく、人間一人を単体で焼き尽くすような呪術であれば間違いない」
「ということは、事件が起きた瞬間に儀式をしていた人が犯人よね? じゃあ、あの場にいなかった人が犯人じゃないの?」
全員の視線が一斉にダレンの方を向く。
事件が起きたあの瞬間。アレットの悲鳴が廊下中に響き渡り、そして一人を除き乗客全員が顔を出していた。儀式の最中、あるいは終了直後で顔を出せなかったのだとしたら。
「その疑念を晴らすために記録を取って来た。それぞれがその時になにをしていたか、ものすごく大雑把に記録されている帳簿があってな。その記録の中では、事件発生の瞬間もその後もダレン氏は座っていた」
「……座っていたら儀式中じゃないとわかるの?」
「断定はできん。だが、呪術の内容と全く違うことをしていても儀式としては成立しない。座ったままで出来る火に関わることというのは少ないだろう」
一応、全員の読めるところに写してきた資料を広げる。
事件が起きた瞬間、そしてその前後を見て、ダレンが間違いなく座っていたことを確認した。その直前まで、アーサーを除いて全員が座っていたことも。
「……じゃあ誰が呪ったんだよ。唯一火に近い場所にいたのは執事長さんだが」
「私は毒味をしていただけなので火には近付いておりませんな」
「ってなると部外者かァ? おいおい、容疑者ってことで勾留されて集められたと思っていたんだが違ったようだぜお嬢ちゃんよ」
睨めつけるような視線に全く動じることはなく、淡々と。
「いただろう。一人だけ火を扱っていた人間が」
「……なぁ、もしかして馬鹿なのか? ここにいる全員が火の近くにはいなかったって今確認したばかり……いや、待て」
「思い出したか?」
一人、また一人と、唯一全員の目の前で火を扱っていた人物のことを思い出していく。
小さな壺状の燭台に綺麗なキャンドルを設置し、火をつけていた彼のことを。
「そう、儀式をしていたのはアルベール氏だ。彼自身が触媒に火をつけるという儀式を行い、魔術を起動した」
「じゃあなにか。これは手の込んだ自殺だったってのか? これだけ騒がせてよォ」
「いや、それも違う。もし自殺なら、わざわざ回りくどい方法を取る必要性がない。そして、いくつかのものが未だなお足りていない」
足りないものはまだある。
そう、例えば。
「儀式の格が最たる不足物だな。何度も言っているが、人を内側から焼死させるほどの呪術を行うには相応の触媒や儀式、そしてそれにまつわる多種多様な準備が必要になる。そして、そのことが自殺でないということを示しているんだ」
「解りづれぇ、もっと解りやすく」
「単純に言うと、彼単一の魔力では質も量も足りていない」
アルベールはハーフエルフだ。その存在やアルベールの持つ魔力は、量でも質でも、一般人よりは高いレベルにある。
だが、それが呪術の行使に足りているかと問われれば、まるで足りていない。
では、術者はその術式の質と魔力をどこから補填したのか?
シャーロットがその答えにゆっくりと指を向ける。
事件発生の瞬間、現場検証の間。
そして今なお役目を果たさず、第三号室に鎮座し続けているそれ──
「このワゴンは魔道具で、規定の条件を満たすと自動的に厨房に戻るようになっている。条件は二つ、食事が全て配膳され積載物が消えた時と乗客の食事が終わり皿が全て乗せられた時だ。だが、そのワゴンは、食事が全てアレット氏の目の前に配膳された後の今なお厨房に戻ることなくそこにある」
「ワゴンに動力として蓄えられていたやつを流用したってことね。そのワゴンだけでどれだけ貯蓄してるかわかんないけど、少なくとも術者一人分くらいは補えたりするのかしら。追加で術者本人の魔力を送れば……」
少なくとも確実に使われたのがワゴン、というだけ。犯人がどれほどの量をどこに仕込んでいるかは分からないが、事前に別の場所に蓄えていたのであればこの問題はあまり大事ではなくなる。
そして。
「質についてはおそらく魔術合成だろう。己の魔力をこの部屋に流すときに、効果を高められる要素を追加して合成、使用される魔術そのものの質を上げることで殺傷力を増した」
「効果を高められる要素?」
「そうだ。──ここで、一つ目の謎の最後に出た疑問……なぜ
「ルーンか!」
ここで初めてダレンが大きな声を出した。
「君たちには知らされていないだろうが、我々第四車両の廊下の絨毯が炭化していた。列車が空洞状であることを活かし魔力を運搬する管、あるいは繋がっている経路であると
「ルーンはその形をなんとなくでも読み取れればルーンとして発動することができます……絨毯はタイル模様だったから……」
「記号や文字に見立てるのは容易だっただろうな。そして、ダレン氏がこっそりと仕掛けていた
三角や四角の模様が入り混じり、石畳の道のような模様を描いたタイル模様の絨毯。
それは同時に色々な記号を産んでいた。例えば、東洋の"く"の字のようなルーン……
呪いのために流された魔力を起点に干渉し、お互いに暴発したルーンは、片方は絨毯を炭化させ、片方は照明器具に焦げを残した。
「儀式はアルベール氏本人にやらせ、魔力は周囲の魔道具などの貯蓄を流用する。この方法を採れば、あとは呪いが起動すると同時に自分の魔力を廊下を経路にして流し込めば完成するだろう」
「そうなると、私たちはまだ全員容疑者というわけですね」
仮に第四車両につながる場所にいない人間がいたとしたらその人は候補から外れていただろう。
しかし、乗客は全員第四車両にいた。自分の部屋から魔力を流すことは座っていてもできる。それは、当時第一車両にいたリーティア、第三車両にいたギュスターヴも同じこと。列車は複数の車両が連結している以上、繋がっているという概念が不可分だ。
ここまで呪い、とりわけ儀式の要素に必要なものを話した上で、ついに結論へと踏み込んでいく。
「では呪いにおける残りの要素……触媒についてだが。毛髪、爪のかけらでも呪うことは可能だが、こちらも格が高いに越したことはない。そして、それ以上に、被害者の状況から読み取れることがある」
「被害者の状況……内側から燃えたことですわね」
「うむ」
丑の刻参りでは、藁人形に釘を打った場所が痛むように。
呪いにおいて、儀式の内容や使う触媒とその結果を分けて考えることはできない。アルベールが燃えたのなら、触媒も燃やされているのだ。
そして、アルベールが内側から燃えたのなら、使われた触媒も体内のものの可能性が高い。
「呪いの触媒として格が高く、人の体内にあり、ハーフエルフの先天的な魔術適正、耐性があってなお貫通するほどの殺傷力があるもの……そんな物は数えるほどしかない」
皮膚では格が足りない。なにより剥がした場所からしか発火しない。
骨の場合は格は足りるが入手ができず、やはり入手した部分からしか発火しない。
格として足り、そして全身を炎上させる場合に適しているもの。
それは。
「血液を触媒にしたのだろう。格は言うまでもなく最高級。全身を巡っているが故に、血液が全て燃え上がれば殺傷力としては十分」
全身の血液が一瞬にして燃料に変わり、猛烈な勢いで燃え上がる。その感覚はどれ程の苦痛なのだろうか。
あらゆる生命活動が一瞬にして停滞した上に内側から火に炙られる最後は、想像を絶しているに違いない。
「毛髪などならともかく、血液を手に入れることができた人間はこの中で二人だけ。出血をするだけの怪我をさせた本人と、その治療に当たった人間だ」
怪我をさせられ、それでも苦痛を隠し、治療をしながら仕事をしていたアルベール。
そのことを知り、血を入手できた人間は限られる。
閉鎖空間の列車の中では、入手した血液を転用できる人間も、それを設置し儀式の準備を整えられる人間も限られてしまうわけで。
「出血をして帰ってきたアルベール氏の治療に付き合い、包帯などを変えていた犯人は、血の染み込んだモノを入手する機会には事欠かなかっただろう。元から計画していたのか、咄嗟の思いつきなのかはわからないが、犯人はその血液を触媒に転用することを考えた」
ゆっくりと、視線が
「調度品の選定、そしてキャンドルの作成まで請け負っていた人間であれば、その芯材や蝋の材料に血液を含ませることくらい可能なはずだ。キャンドルは往々にして着色、匂い付けがされている……よほど血の匂いに敏感でもない限り気がつきもしないだろう」
一瞬だけ俺に向けられたシャーロットの視線でようやく思い出した。
そうだ。アルベールが食事の準備中に近くを通りすぎた時、そして事件現場の匂いを感じた時に、なぜか血が昂っていた。
良い料理の見た目と匂いに興奮したから。凄惨な事件を見たから。それだけでは説明できない、本能的な血の高揚──吸血鬼としての本能への刺激。
あの瞬間に唯一、血液の存在に気がつける可能性があったのは俺だ。
「これほどの仕込みを行うことができる人間は一人しかいない。犯人はただ一人に絞られた」
ついにシャーロットがその人物に、魂の奥底まで見透かすような視線と指先を向ける。
「君が犯人だ──ギュスターヴ=ロンダル」
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