1−13 聞こえた音、消した音



 部屋に静寂が戻ってから十数分後。

 静かに時間を潰すべく、適当に本を読んでいると、視界の端でシャーロットが僅かに動くのが見えた。


「……うぅ」

「お目覚めか。調子は?」

「良くはない……」


 シャーロットの寝覚めは良くない。

 すぐに起き上がることは稀で、起動を待っている間に二度寝を始めてしまうことも少なくない。


 だが、今回はぐずることすら難しいくらいに筋肉痛が辛いらしい。


「どこが一番辛い?」

「脚全般。寝る前よりは改善したけど」


 思いドレスを着たうえに歩き回ることで酷使された脚の筋肉痛が酷いようだ。一応"アレクシア"のベッドには疲労回復や多少の肉体修復の効果もあったはずだが、もやしっ子の疲労度合いはその程度では収まらないらしい。

 薄着のみのシャーロットの脚の様子を見ようとしたが、僅かに動かされるだけでも痛みが走るようで、力が入り強張っている。


「痛みのレベルはどれくらいだ」

「寝る前を10としたら、6か7」

「じゃあ酷い炎症は治ってるな。あとは栄養を摂って疲労物質と発痛物質を流したら大丈夫か」

「魔力切れの時よりは数段良いからなんとかなる、ハズ」


 アーサーは古の吸血種でそもそも存在が強大であり、そして身を隠していた時期がほとんどだったこともあり特別身を削るような戦いもしていないから魔力切れの経験は無い。隠れ潜んでいた頃に便利屋として受けていた依頼も、ほとんどが強さに任せた強行突破でやりきれてしまっていた。

 主人シャーロットから魔力切れを起こした時の感覚を聞いたことがあるのみだが、それはもう酷いらしい。全身に乳酸が回ったようにダルくなり、直後は座るだけで精一杯らしい。


 部屋に用意されている使用人コール用の魔道具を使ってリーティアに連絡、少し時間を置いてスイーツ類を持ってきてもらうことにした。疲労物質を流すために温めさせたいということで、念入りな灰の除去も兼ねて入浴してもらった。

 比較的重くないオフショルダーの服を用意し、着替えて出てきたシャーロットを座らせ、運ばれてきたスイーツを餌付けするように口に運んでやる。


「おいしい」

「後でパティシエに言いに行くか。無理を言って超特急で作ってもらったらしいし」

「ん」


 寝ている間に聞いたことを伝えつつ回復に努めさせること十数分、ようやく取り繕える程度にはなったシャーロットと共に部屋を出る。

 スイーツを注文したことで起きたことを知っていたからだろう、待機していたリーティアが合流した。


「よく寝れたか?」

「お陰様でな。寝台ベッドごとお土産に貰って行こう」

「ふふ、それは大赤字になってしまうからやめてくれ」


 気軽なやり取りと共に廊下を眺めると、すっかり普通の様子に戻っていた。

 裏が焦げていた絨毯は取り替えられ、舞い上がっていた灰や煤はすっかり掃除されている。そんなことがあったことに気が付けないくらいには綺麗になっていた。

 その様子を一瞥し、シャーロットが確認の意味も込めて呟く。


「廊下では追加で紙片が見つかり、どれにも謎の記号が書かれているのはなんとか確認できたものの、全て焦げや燃え跡のせいで手がかりは無し。廊下の絨毯が裏面を中心に燃焼した原因は未だ不明。そして謎の消灯があったことが判明……以上か?」

「シャーロットが寝ている間に判明したことはそれだけのはずだ」

「ふむ」


 天井を見上げ、派手ではないものの雰囲気のある照明具を眺めて、


の点検は?」

「したぞ。器具の表面に僅かに焦げつきがあったが、基本的にはなんの問題もなかった」

「表面に焦げつき?」


 煤が舞ったのか、それともそこまで燃え上がったのか。それが起きたとしたらいつなのか。


「……俺が食器を片付けるために廊下に出たときにはもう暗かったはずだ」

「廊下が大炎上でもしたかと思ったがそういう訳ではなさそうだな。しかし、だとしたら何故消えた? 絨毯が焦げていたのもわからないが、なぜ天井、しかも照明器具だけに火が行く?」


 仮に、俺が廊下に出るまでの間に何故だか廊下が大炎上していたとして。

 絨毯が燃え尽き、廊下の壁には影響がないのに照明器具だけが燃える。あまりに不可解という他ない。

 ただ。


「原理はわからないが、同じ火が関わり、同じように焦げているのであれば関連しているのは間違いないのだろうが……」

「意図した事象なのかは不明だな」


 魔術は人間の技術だ。

 その昔、神や神話伝承の生物が己の力を思いのままに振るう様を見た人々が、人間として真似をしようとしたのが魔術。魔力を感じ、どう扱うかを魔術なりの理論に落とし込み、研究や継承を重ねた上で現代まで引き継いでいる。

 人を言葉や僅かな動作だけで行動不能に追い込むほどの呪いは存在せず、視線だけで人を殺したり炎上させることなど不可能。

 そんな技術である以上、起きた事象には理由があり──誤作動や想定外の挙動というのも当然起こるわけで。


「これが想定通りの事象だったとしても、想定外だったとしても、魔術が関与しているのは間違いない。それがこの車両の関係者の仕業であることも」


 車両間を行き来できる人が限られている以上、この車両に入れる人間しか事を起こせないことだけは確定なのだから。


「……じゃあ、廊下に関係する不審な事でも調査するか。幸いにも当てはある」

「当て?」


 首を捻るリーティアに、俺が抱いた疑念──疑問の先を告げる。

 廊下を出歩いていたアレット、リルの二人ではなく。


「一人だけ廊下側の音を消してたやつがいただろ?」


 詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか。



◇ ◇ ◇



 1号室をノックし、中にいたダレン担当の使用人に開けてもらい中に入る。

 相変わらず書類が散々に散らばった部屋の中で、一心不乱になにかを書いているダレンがいた。集中しているようで、こちらには目もくれない。

 本人にいきなり話しかけるのは諦め、困った顔をしている使用人に声をかける。


「ダレンさんはどんな様子です?」

「あまり変わったところはないです。ずっと資料と睨めっこか、なにか書いているだけですね。一応、食事や時間の呼びかけには応じてくださるので不備はないですけど……」


 俺たちが部屋に入ったことに気がついているのかいないのか。

 変わらない調子で書き物を続けるダレンに声をかける。


「ダレンさん、少しいいですかね?」

「……食事の時間以外は声をできるだけかけないようにと……おや、貴方たちでしたか」


 苛立ちを隠しきれない声で反応した後に相手が使用人ではなく俺たちであることに気がついてようやく手が止まる。

 驚いたように僅かに辺りを見渡し、複数人に見られている状況を確認して気まずそうにこちらを向いた。


「何用でしょう?」

「簡単な確認と質問がございまして。先日事情聴取をした時、ダレンさんは廊下側の音だけを消していると言っていましたよね。あれって何故なんです?」

「ああ、そのことですか」


 肩の力を抜き、得心がいったように頷いてから簡潔に答える。


「異音がするんですよ。それも、まあまあの頻度で」

「異音?」

「ええ。声を押し殺しつつ叫ぶようだったり、なにかを叩いたり擦るようだったりと色々なんですがね」

「なんだそれは……」


 リーティアが絞り出すように困惑の声をこぼす。


 "アレクシア"の廊下の音が聞こえるのは、高級列車ということでカスタム性を重視していることもあるが、そもそも廊下に出る人が少ないことを前提に作られている。部屋に入る前にノックをする使用人達のため、あるいは微かに廊下を通る使用人達の音も楽しむ人たちのために音を遮断しない構造になっているのだ。

 ただ、そういう気遣いは当然、廊下で変なことをする人がいないという前提のもとに行われているわけで。"アレクシア"の中でも一般車両ならともかく、最高級の車両で異音を出す人がいることなど想定していないのだ。


「異音が聞こえるようになったのはいつぐらいからです?」

「さあ……気がついた頃にはだいぶ聞いていた気もしますしはっきりとは。特に叩いたりするような音は気になりましたね。頻繁ではないんですが、それだけに聞こえてくると気になってしょうがなかったです」

「それで廊下側の音を消した、と」

「はい。使用人には音を消したことは伝えましたよ。ノック無しで勝手に入っていいとも……ああ、これはもう言いましたっけ」


 実際にアルベールがこの部屋に入った時はどうしていたんだろうか。書類で足の踏み場もないような環境だけど、どうにかしていたのか、結局声をかけてスペースを作ってもらっていたのか。

 同じ誰かに仕えるような仕事をしているせいか、苦悩というか、苦労をしたんだろうな、という方向ばかり気になってしまう。


「興味深い話を聞けた、ありがとう。邪魔したな」

「いえいえ。事件解決ができることを祈っていますよ」


 視線を本に戻すダレンを尻目に部屋を出る。


「他の人も異音は聞こえてたのかが気になるな」

「それぞれ使用人たちに聞き出しておいてもらうか。その程度ならいちいち部屋に行かなくてもいいだろう」


 リーティアがすぐさま指示を飛ばす。車長として、業務改善やサービス向上に繋がるかもしれない案件は見過ごせない。

 乗客の善意に頼っていたとまでは言わないが、最高級の車両でも音の問題や不満は発生するということを知った。乗客の乗り心地にどの程度の影響があったのかを調べておきたいのだろう。


 指示出しが落ち着くのを待ち、戻ってきたリーティアにねぎらいの言葉をかける。


「お疲れさん。責任者は大変だな」

「うむ。お祖父様より受け継いだ"アレクシア"を私の代で終わらせるわけにはいかん。……さて、報告を待つ間、どうする? 恐らくそんなに時間はかからないと思うのだが」

「あー……どうする?」


 本音を言うと、疲れが回復しきっていないシャーロットをできるだけ動かしたくない。

 だが、トゥール家へ情報が流れるのをできるだけ防ぐために、リーティアを含む他人には、出自が不明なだけの普通のお嬢様だと擬態をしているわけで。部屋に戻ってもリーティアはついてくるだろうからしっかり休み難いというのも良くない。

 どうする、と主人に視線を向ける。


「む」


 私に投げるな、という顔をするシャーロットを視線で促す。


「……では、記録帳簿を見に行こう。恐らく誰もあの部屋には出入りしていないだろうから収穫はないと思うが……まあ、ものは試しということだ」


 記録帳簿。"アレクシア"で起きていることを簡単に、そして自動的に記録してくれるものだ。

 そして今は、事件が起きた部屋に出入りする存在がいないか、誰かが手を出してはいないか、と局所的に細かく記録をしている。


 使用人たちからは、こうやって調査をしている間に容疑者たちが出歩いた、などの報告は一切来ていない。

 それが間違いないことを確認しに。

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