1−11 灰の舞う廊下



 あのあと、メモを貰い、「調査を見学したいですわ」と言うアレットを押し留めて部屋を出てきた。

 お嬢様を連れ回して万が一があるのが怖すぎるし、なんだかんだ言っても容疑者の一人なことには変わりがない。


 部屋を辞して次に調査すべきは当然、廊下だ。

 現場周辺であり焦げたものが落ちていたというだけで調査の価値がある。


「とはいうものの、なんだよな。なにを調査したらいいんだ? 他にメモが落ちていないか探すか?」

「まずはそれだな。他の切れ端が見つかるか、あるいはこれを解読できればなにかしらが進むはずだ」


 焼けた紙片を全員で見たがよくわからなかった。

 傾いたF、縦に引き伸ばされたn、そして東洋文字の"く"の字のような模様が雑に書き殴ってあるだけ。円を描くように並べられてはいたが、それだけ。ほとんどが読めない上に意味も分からなかった。

 つまり、紙片そのものから得られた情報は無い。だからといって諦めるわけにもいかず、追加の情報の発見を求めて廊下を調査しているのだ。


 廊下の床を見ながら三人で徘徊すること数分。沈黙に耐えきれなくなったのか、リーティアが口を開く。


「……そういえば。これまで君たちが何度か教えてくれたが、人と一人魔術で殺すのには手間がかかると言うのは理解したのだが」

「正確には、あんな面倒で不可解な倒し方を実践するなら、だな。ただ焼殺するだけならそれほど労力入らないだろう」

「だとしても、いやそれなら尚更だ。それほどの事を達成するだけの魔力はどこから引っ張ってきたのだろう、と思ってな」

「ふむ」


 人を殺すだけなら、魔法を使わずナイフで太い血管を切ればいい。

 あくまで魔術で燃やし切るなら、大きくて温度の高い火球を作り上げてぶつければ良い。

 こういった"単純"から逸れれば逸れるほどかかる労力や魔力、必要な準備は増えていく。「大きくて温度の高い火球」ですら相応の魔力を食う中で、この事件の犯人はどうやってその魔力を用意し、被害者アルベールの元まで届けたのか。

 しかも、アルベール本人どころかアレットにすら、事が起こったその瞬間まで気がつかせずに。


「貯蔵タンクでもあったのかな?」

「そんな物があれば現場検証の時に気がついているだろう。どんな魔術であれ起動、あるいは設置は術者がしなければならない。呪いなら術者の儀式の改善でどうにかできなくはないし、それ以外の魔術でもなにかしらの方法で現場まで届けたのだろうが」

「なにかしらの方法ってのは?」

「分からん」


 呪術なら、儀式そのものの手順や縛りを増やすか、供物や触媒の質を上げることで効果の向上が見込める。その上でどうにかして膨大な、あるいは上質な魔力を引っ張ってこれれば達成できなくはない。

 それ以外の魔術であれば、事を起こす魔術そのものに魔力を込める必要があり、かつアルベールやアレットにバレてはいけないという条件まで付加される。


 しかし、それぞれの部屋に事情聴取に行った時も、現場検証でもそれらしい痕跡は見つけられていない。


「……なあ、少しいいか?」

「ん?」


 二人の話が落ち着いた瞬間に、廊下に出てからずっと気になっていた事を打ち明ける。

 そう、あの紙片が廊下にあった事を聞き、そして廊下に出てからずっと気になっていた。


「俺の勘違いかもしれないけどさ、なんかこう──焦げ臭くね? 本当に微かになんだけど」

「焦げ臭い、だと?」

「言われてみれば──」


 反射的にシャーロットを抱き上げる。万が一に備え、すぐに動けるように。

 リーティアが目を鋭く細め、弾かれたように周囲を見渡す。煙、あるいは火、そのどちらも見当たらない。

 どうやら今燃えているわけではないらしい。ただ、廊下全体を埋め尽くす、仄かに香る微かな焦げくささはなんだ。


 リーティアがあたりを見渡そうとし、その脚が踏ん張れずに僅かに滑った。

 足元を見れば、千切れた絨毯の一部が他からズレていた。これが滑ったせいで踏ん張れなかったのだろう。


「──"アレクシア"操作魔術励起、『ひっくり返せシズモス』!」


 リーティアの指示に応えて廊下の床が揺れる。

 他の部屋に影響が出ないように、かつリーティアの指示はそのまま達成できるように。床だけが蠢き、的確に俺たちがいる場所以外の絨毯をひっくり返した。


「なんだ、これは」


 出てきたのは、一面煤けた床と、黒く細かい煤を落とす絨毯の裏面。見るまにボロボロと端から崩れ、煤や灰を舞い上げている。上質なサービスを提供している豪華客室の絨毯が、無惨にも形ない物へと帰そうとしていた。

 唖然。あるいは絶句。目の前の光景の異質感に全員が言葉を失っている。


 一番早く回復をしたのはリーティアだった。


「──各車両の統括へ指令ッ! 第五車両より順に廊下の絨毯の状態を検査、報告せよ!」

『第五車両、問題なし!』

『第六車両、問題なし!』

『第七車両──』


 車両の壁を操作魔術で作り替えた通信機を引っ掴み、各車両の責任者に確認の指令を飛ばした。

 即座に帰ってくる返答からは、突然の司令に対する驚きはあっても驚愕は感じられない。漏れ聞こえてくる報告通り問題は見つけられなかったのだろう。

 つまり。


「この車両の廊下の絨毯だけ焦げた……?」

「しかも、見落としていただけで焼けているのは裏面だけではないな」


 袖で口元を隠したシャルロットの視線の先で、裏面だけでなく表面まで焦げが進行し破れ落ちる姿が見えた。その衝撃で煤と灰が舞い上がり視界を奪っていく。

 まともに調査などできそうにない。


「〜〜〜人員緊急招集ッ!」


 リーティアの一声により、煤だらけ灰だらけの廊下の緊急大掃除が始まった。

 その状態で客を歩かせるわけにはいかない、ということで、俺とシャーロットは自室に戻らされるのであった。



◇ ◇ ◇



 部屋に戻ると同時にシャーロットが被っていた猫を投げ捨て、全身を弛緩させる。

 抱き上げている腕の中でとても人様には見せられないような姿勢になってしまった。


「体調は?」

「最悪の一歩手前」

「そーかよ」


 シャーロットをソファに下ろし、灰だらけになったジャケットを部屋の隅に脱ぎ捨て、髪についている煤も大雑把に払い、そしてシャーロットの元に戻る。

 同じく灰だらけになったドレスを脱がせ、入念に肌や髪を払い、鞄から予備のものを取り出して着せていく。


「いたっ」

「我慢しろ」


 数ヶ月前まで動く事自体ができなかったシャーロットは極度のもやしっ子だ。

 筋力はほぼ無いと言って良いし、細身で背も低い。あの幽閉塔から救い出してから動き出すまでに3ヶ月も潜伏をしなければならなかったのは、情報のすり合わせなど以外に、最低限立って外で動けるだけの筋力をつけなければならなかったからというのもあるのだ。

 そんなシャーロットが、重いドレスを着て、揺れる大きな列車の中を歩き回ればどうなるか。

 全身筋肉痛の疲労困憊娘が出来上がりだ。


「むう、少しは動けるようになったと思ってたのに。太ももが痛い」

「今は耐えるしかねぇよ。早く治したけりゃストレッチしろ、ストレッチ」

「それすらできない」

「お前なぁ……」

「主人に、お前と、言うなっ」


 余人の目に触れることさえ稀な環境で育ち、そして救出後の3ヶ月間で介護しまくった俺を相手に今更恥じることもないのだろう。風呂に一人で入れるようになったのだってここ1、2ヶ月のことだ。

 柔らかいソファーの上で盛大に姿勢を崩し、肌を見られようとも頬を染めることさえせず、口元に水の入ったコップを差し出せば飲ませろと目で合図する。心だけは元気だから余計に困るのだ。

 

 一通りの処置を終え、ため息一つ。

 理由はどうあれ、限界寸前だったシャーロットをこうして休ませることができて良かった。


「甘いものが食べたい」

「はいはい。クッキーでいいか?」

「ジャムもつけて。多めで」

「要望が多いことで」


 小さな頬をわずかに膨らませてクッキーを頬張る様は小動物リスのようだ。

 一通りスイーツを食べ、飲み物でさっぱりしたところまで見届けてから、ようやくアーサーも落ち着くことができた。


 "アレクシア"の人たちからすると、身元不明の主従は怪しいが、今回の不可解な事件に対して知識がありそうだから行動を許可し調査をしていると言うのが実情。俺たちも犯人候補であるが故に仕方ないことではあるが、運営側からの監視者リーティアが常にそばにいる。

 事件発生の瞬間から降って沸いたこの瞬間まで落ち着ける瞬間がなかったのだ。シャーロットは常に虚弱を隠してお嬢様猫かぶりをしないといけないし、俺は俺でその従者役を全うしなければいけない。

 正直言って疲労、特に心労が凄いことになっていた。


「……クソ、なんならいい所で逃げ出すことも考えていたんだけどな」

「無理だろうね。容疑者候補でありながら調査役に志願をしておいて、監視の目が緩んだ時に逃げ出せば証拠不十分でも私たちが犯人扱いされるだろうし」

「わかってるよ。ここまで来たら犯人を見つけるしかねぇんだけどさ」


 俺たちの関係が薄い事件、あるいはそこまで関わる前だったらどうにか逃げ出せたかもしれない。

 だが、各乗客や使用人たちとも話をしていて、明らかに事件に関り深くまで進んでいる今逃げ出せば、本当の犯人が誰であったとしても俺たちが疑われることは想像に難くない。

 そうなれば、シャーロットの生家の青陣営トゥール家だけでなく緑陣営カリステリア家にまで追われることになってしまう。


「……誰が犯人なんだろうな」

「さっきも言ったが目星はついているぞ。ただ、証拠がないだけで」

「証拠ねぇ」


 シャーロットのことが一通り落ち着き、切り替えた頭で事件のことを少し考える。

 誰が犯人か。どうやって殺しているのか。なにか、怪しい言動をした人はいないか。

 記憶の園を探る中で、なぜか一つの言葉に違和感を感じ、それが口を突いて出た。


「……なあ、ダレンさんってさ。なんで廊下側だけ音を消してたんだろうな」

「ほう、続けて」

「なんだよ、試すみたいなのやめろよ。……いやさ、作業中に音が気になる人とかこだわる人はいるだろ。で、あの話を聞いた時はそんな感じの理由なのかなーって思ってたんだけど、よく考えたら廊下側だけ消すのっておかしくないか?」


 "アレクシア"の客室は、どの音や振動を残したり消すかを細かく自由に選ぶことができる。それだけじゃなく、用意されているものであれば好きな音楽をかけることだってできる。あるいは、自分で音楽プレーヤーを持ち込んでもいい。

 その中で、なぜ廊下側の音を消していたのかが気になった。


「いい着眼点だ。良いところを突いてはいないだろうが、目の付け所は悪くない」

「良いところは突いてないのかよ……」


 落胆する俺を見て楽しそうに笑う。口元を抑え、面白さを噛むようにくすくすと。


 笑いの衝動と全身の筋肉痛に震えること数秒。

 不意に顔を引き締め、いくつか今後のことを話した。


 その相談の最後に。


「もしかしたら。もしかしたらだが、このを使うことになるかもしれないから、覚悟はしておいてほしい」

「おう」


 襲い来る眠気を堪え、小さな声で。


「ん、ありがと。それじゃ、少し休む」


 眼帯の上からなぞった魔眼。

 綺麗な紅緋色の目。


 その両方を瞼の奥に仕舞い込み、眠りへと落ちていく主人を見届け、そっと毛布を掛けた。

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