1−10 焦げた紙片



 リルの事情聴取が長引いた影響で、既に昼。


 ようやく全員への事情聴取も終えられた。俺たちの部屋に戻り、一区切りとして昼食を摂っている。

 もそもそとサンドウィッチを食べるシャーロットにはどこか眠そうだ。


「で、一応聞き込みは終わったわけだが。調査の進行具合としてはどれくらいなんだ?」

「今のところ全員が怪しいと言わざるをえない。が、多少の目星はついた」

「本当か⁉︎ 誰だ?」

「憶測で名前は言わないぞ。思考や態度に余計な混じりが生まれる。なにより確信も証拠も無い」


 淡々と放った言葉にリーティアが激しく反応をするが、その内容は雲のように掴ませない。不満そうに口を尖らせているが、一瞥すらくれないでいた。

 しかし、目星はついているのか。しかも全員が怪しいときた。


「俺からすると全員怪しくないように見えるんだけどな」

「ほう? では、考えを言ってみるといい」

「試すなよ。面白がってなぁ」


 咳払いで呼吸を整え、事情聴取をした順番にもう一度思考を巡らせる。


「アレットは同じ部屋にいたし正直一番怪しいんだけど、持っている属性は水だろ。正面から魔法をぶち込んだり目の前の相手を見ながら使える立場にはいたと思うけど、属性外の魔法で内側から燃やすのはたとえ呪術ありきでも難しそうだなって」

「そもそもアルベールはハーフエルフだ。魔術に長けるエルフの血が混ざっているにも関わらず、正面にいる相手になにもできずに殺されるのは考えにくいと思うのだが」


 意外にも飛んできたリーティアの援護射撃にうんうんと頷く。

 所持していない属性の魔法は、まったく扱えないわけじゃないが、存在しない腕を動かそうとしているような言葉にしがたい不快感がつきまとう。慣れと修練で上手にはなるらしいが、手指のごとく動く所持属性を差し置いて鍛えるほどではない。

 ましてや、精緻な操作と異常な火力を以って他人を燃やし尽くすことなどできない。


「反論は三つだな。一つ、単純に不審な乗車期間と車内の散歩。二つ、殺人者の動機が不明な以上、どこまでの事象に意味があるのかわからない。アレット氏の目の前であることに意味があったのか、あの部屋であることに意味があるのか、それとも全て偶然なのかがわからない時点で、被害者の目の前にいた人物が一番殺人への自由度を理由に疑いが深い。三つ、あの部屋の主がアレット氏だ。アルベール氏が気が付かず痕跡もないのはおかしいが、逆にその条件さえ達成できれば火種は小さくてもあらゆる手段で焼殺が可能だ。そして、アレット氏に限らずこういう想定、あるいは疑いができる要素は全員が持っている」

「推測ばっかりじゃねぇか」

「それはそうだろう。断定できる証拠が出てきていないんだ」


 唇を潤すように紅茶に口をつけ、続ける。


「せめて追加の証拠、あるいは犯人のボロ。使われた魔術の断定ができる要素でもいい。なにかが出てきたら一気に進むのだが」


 それはきっとシャーロットの心からの本音だったのだろう。


 単に謎を解き明かしたいからかもしれない。

 あるいは、この逃避行生活の中で不可解な事件に居合わせたことへのストレスと不安かもしれない。

 タイムリミットまで残り一日半を切った事への焦燥かもしれない。


 どういう気持ちの発言だったにせよ、だ。

 あまりにも先に進むためのピースが足りない。全員が怪しい現状を打破するなにか。あるいは、自分達だけでも逃げ出してしまえるだけの理由が。


「……もう一度、現場検証からするか?」

「それも良いかもしれん」


 進む糸口すら見えない中で思わず言ってしまった冗談。

 意外にも好意的な反応が返ってきた。思った以上に現状にプレッシャーを感じているのかもしれない。


 無理もない、つい3ヶ月前まで塔の中の世界しか知らなかったんだ。

 その3ヶ月だって、最低限の体力と運動能力、常識を補い逃避行のための準備をするためだけに使っている。追跡の目を眩ますために引きこもっていたから他人の目に触れたことすら無い。

 そんな少女が蓄えさせられた己の知識だけを武器に殺人事件に挑んでいる。どれだけのプレッシャーを感じていることか。


 暫し、それぞれ黙考する時間が訪れる。

 なにかないか。見落としているなにかが。


 幾許かの時間が流れた、その時。


「──あの、リーティア様はこちらにいますか?」

「む?」


 部屋の外から呼び声が聞こえた。

 扉を開けてみればそこには、気まずそうに身を縮めている使用人がいる。申し訳なさそうに伏し目がちになりながら用向きを告げた。


「お客様──アレット様が貴重品を窓の外に落としてしまったようです」

「なに⁉︎」



 ◇ ◇ ◇



 急いで駆けつけるリーティアに着いて行き、5号室に飛び込んだ。

 部屋の中では、申し訳なさそうにしている使用人と、顔を伏せているアレットがいる。


「……なにがありました?」

「その、他愛ない事故なので、使用人の方を責めないで欲しいのですが」


 使用人を庇うように一言置いた上で、アレットが悲しそうに。


「気分転換になるかと思い、窓を開けて外を見ていたのです。外に出るのは怖いですが、風にも当たりたかったので。ですが安心しすぎていたのでしょうね……お父様から頂いた指輪を一対、落としてしまったのです」


 見れば、腿の上で丁寧に重ねられている十指を飾っていた指輪が一対だけ消えている。

 両手の小指の根本に嵌まっていた蒼玉の指輪が消えたことで、どこか寂しい状態になっていた。


 状況を理解したリーティアが即座に頭を垂れて詫びを注げる。


「すみません、こちらの不注意です。すぐに別働隊を派遣し捜索に当たらせます」

「ああ、不注意だなんて。いいのよ、いいの。心配性なお父様が押し付けてきた魔道具で、安くはないですけど、取り戻さなければならないほどのものでもないのです」

「……魔道具、ですか?」

「ええ」


 残り八つとなってしまった指輪、その蒼玉を見せるように、白手袋ドレスグローブに包まれた手をわずかに差し出して続ける。


「右手と左手で一対の、緊急防護と魔術補助の魔道具なのです。お父様は心配性で、本来は一対あれば緊急時でも安心という物なのですが、定期的にたくさん送ってくるんです。そのうちの一対を落としてしまっただけですので、心配しなくても良いですわ」

「ですが……」

「本当に大丈夫ですのよ。帰ったら沢山ありますし、まだこうして八個ありますもの。落としたのだって、きっとなにかの厄を祓ってくれたのです。心配なさらなくても後で訴えたりしませんわ」


 ふふ、と儚げに笑う。

 気にしていない、というのは本当なのだろう。その表情や語調から怒気は感じられず、俺たちを呼びにきた使用人には優しい視線を向けていた。

 令嬢の言うことだ。そのまま言う通りに受け取るわけにはいかないだろう。だが、怒っていないというのも、気にしていないというのもどうやら本音のようだ。

 これで話は終わり、とでも言うように、殊更明るく言葉が続く。


「そういえば、そちらのお二人は事件の調査をしてらしたんですよね? わたし、あの光景はショックでしたけど……でも、推理物の小説は大好きなのです! よければお話を聞かせてもらえませんか?」

「話って言ってもな……」


 "アレクシア"の基本ルールは「乗客同士が会わないこと」だ。

 今の状況では多少顔を会わせざるを得ないし、話もしなければならないだろう。普段なら間違っても訊かないようなことだって質問している。

 だが、被害者であり同じイチ乗客だとしても、聞き込みや事件の調査について話していいものなのか。


「ショックは大丈夫なのかね? いざその話題を出したら倒れました、では話にならんぞ」

「大丈夫だと思いますわ。その、実はあまり自信は無いのですけれど、知ろうともしないというのは貴族の矜持に反しますから」

「ふむ」


 貴族は貴族らしく、矜持プライドを守るために立ち向かわなければならないということだろう。ショックを受けて一時期動けなくなっていたという事実は乗組員を入れても数人しか知らないことだが、それなら気にしなくていい、とはならないらしい。

 シャーロットが横目で目配せをし、リーティアが二人の近くに座った。他の乗客の情報を不必要に零しすぎないように監督をするのだろう。


 ──それから数分に渡り、事件の大筋の確認や説明をした。

 使われた可能性のある魔術や他の乗客の話は混ぜないように注意をしつつ、事件の起きた時間や関わっていそうな人間の範囲の説明をしている間、アレットは興味深そうに頷きながら聞いていた。


「なるほど、なんとも不可解というか、呪術で人を一人燃やすというのは難しいということを理解しましたわね。赤陣営ルブルムの火力至上主義も少しわかるような気がしてきてしまいますわ。相手を倒すということだけを考えたら圧倒的な火力をぶつけるのが一番だからなのですね」

「そうだな。それだけになぜ犯人が面倒な手順を踏んで殺しているのかがわからない。殺意だけではなかったから、ということなのだろうが」


 現場検証とアレットに事情聴取をした時の証言を元に考えると、どう考えても被害者アルベールは体の内側から発火したようにしか思えない。

 どうやってそれを成し遂げたのか。なぜそんな回りくどい方法を採ったのか。解決に使える情報を全く拾えていないということは無いのだろうが、重要なピースが足りていない……ということを、かなり簡潔に話した結果が先の言葉だ。

 その結論が赤陣営ルブルムの火力至上主義への理解に繋がっているのだから魔術師の会話は難しい。少なくとも、裏社会で生きてきて派閥争いとは数千年単位で無縁だったアーサーには理解しがたかった。


「そうだ、アレット氏に訊きたいことがあるのだった」

「あら、なんでしょう? 答えられることであればなんでも答えますわ」

「それでは遠慮なく。列車の滞在期間中に車内をそれなりの頻度で歩いていたようだが、なにか理由があったりはするかね?」


 特に考える様子もなく、僅かに首を傾げ。


「暇だったからですわ」

「ヒ、ヒマ……」

「卒業に必要な実績のためとはいえただ乗っているだけなのは暇ですもの。でしたら、せっかく模様替えもしていることですし、歩いて眺める人がいた方が幸せではありませんか?」


 それはそうかもしれない。

 "アレクシア"では、廊下や絨毯だけでなく、食器や燭台壷といった調度品類まで併せて模様替えを行う。当然乗車の時には廊下の様子を見ることになるし、長期滞在をしていればそういった調度品類の変化にも気が付きやすいだろう。

 単純に暇というのも嘘ではないのだろうが、調度品が変わるたびに廊下の光景も変わっているというのなら見たくなるのは自然なのかもしれない。


「私、散歩が好きなのです。ですからゆったり歩ける場所は歩きたいですし、景色が変わったのであればぜひ堪能したいの。それで窓の外をよく見ようとしたら指輪を落としてしまったのだけれど……これは反省ね」

「その節は本当に申し訳ない。だが、お客様の身になにもなくて良かった」

「ふふ、ありがとう。……ああそうだ、三人は事件の調査をしてくれているのよね? もしかしたら、これも手がかりに一つになるかしら」

「手がかり?」


 そう言いながらアレットが懐から取り出したのは、端の方が焼けちぎれた紙片。

 煤け、大半が焼けているせいでよく見えないが、不規則な記号が書き殴ったように書かれていた跡がある。


「これを廊下で拾ったの。私、部屋を変えて貰ったでしょう? その移動の時にこれを見つけて、なんだろうって思いまして」

「ふむ」


 全体になにが書かれていたのかはわからない。今は変な記号が残るだけだ。

 だが、明らかに火の影響を受けた様子のものが廊下に落ちていた、という事実が大きい。


「どうやら次に見るべき場所が決まったな」


 楽しそうに目を細めたシャーロットが、口端を軽く歪めてこちらを見ていた。

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