1−7 湯中の問い



「んじゃ、いつも通りシャーロットからでいいな?」

「うむ」

「流石に主従でも一緒には入らないのだな。安心したぞ」

「当たり前だろ……えっ? リーティア?」


 思わず間の抜けた声を出しながら振り返った。普段はあまり表情を崩さないシャーロットすら隣で驚いている。

 二人分の視線の先。扉の前にさっき別れたはずのリーティアがいた。


「なんでいる?」

「……その、あれだ。お前たちだけ事情聴取がないのはおかしいだろう。公平に私が受け持たせてもらう」

「いや、夜だから明日にしろって言ったのお前だろ」


 うぐ、と言葉に詰まっている。

 その心のうちを示すように紫紺の瞳は揺れ、銀のポニーテールの先が揺れていた。


「どういうつもりだお前」

「その、だな。……車長室は手狭でな。しかも他の人がいなくて静かすぎるというか。その……」


 あ、なんとなく察した。


 リーティアはカリステリア家の一人娘だ。しかも、父親が愛妻家で妾も取らなかったから兄弟だけでなく腹違いの家族すらいない。

 悲運にも男子どころか次の子にすら恵まれなかったが、それでも両親はリーティアに愛情をしっかり注いでいるらしい。19歳という年齢でありながら車長を任され、急速に大きくなっていく家の事業の一部を指導者として担っている事実がこの噂の裏付けをしている。

 普通の貴族家でありながらここまで家の事情が外に出ているのは、この魔導列車の影響の大きさを表しているといえるだろう。


 だが、それはそれ。

 いわゆる普通の友達関係は派閥や事業の関係で築きにくく、可愛がれる弟妹きょうだいもいなかった彼女はふれあいに飢えているのだ。

 そして、目の前には五つ下の背の低い少女がいる。


「あー、シャーロットの護衛をしている俺が言うのもなんだが、万が一コイツの大声が聞こえたら問答無用で飛び込むことを了承してくれるなら持っていっていいぞ。呪術のことでも聞けばいい。ちゃんと風呂に入ってるかも不安だったんだ。姉貴役として見てやってくれ」

「ほ、本当か⁉︎」

「待て、私は了承してないぞ」


 シャーロットがいくつか言葉を飛ばしているが、その全てを黙殺して脱衣所に押し込む。リーティアが手伝っていることもあってシャーロットは抗うこともできずに運ばれていった。

 リーティアは貴族家の後継として熱心に育てられている。背の高さもあってか、見た目の線こそ流麗で細く見えるが、実戦能力や腕っ節という点ではシャーロットは逆立ちしても敵わないだろう。なんせこっちの主人はもやしっ子なのだ。


 本気で抵抗をしていないあたり、シャーロット自身もそこまで嫌がってはいないらしい。

 ずるずると押し込み、部屋の中へ引き摺られていく姿を微笑みながら見送った。



◇ ◇ ◇



 脱衣所内。


 諦めて付き合うことにしたシャーロットは、いそいそと軍服のような制服を脱いでいくリーティアを少し呆れた目で見ていた。

 着慣れているはずの服なのに少し手間取るあたり、なぜだかわからないが本格的に緊張をしているらしい。

 思わずため息が零れる。コイツの緊張をほぐさせなければ、ゆっくりと風呂に入れそうにない。


「それで、なにが知りたいのかな」

「な、なにがって……その……お姉ちゃんと呼んでくれるかどうかとか……」

「……呪術のことを聞きたいのではないのか」

「え、あ、そうだ! 調査と事情聴取のためだからな、これは」


 むふん、と得意げに理由を唱えている。あまりにも杜撰な理由付けだが指摘するのも面倒だ。


 とりあえず、半裸で脱いだ服を抱えているリーティアに向けて人差し指の先を向ける。

 均整が取れた流麗な全身の中で唯一、未発達を疑うほどに寂しい場所。わずかな丘陵すら存在しない胸を指し、無感情を努めて維持しながら視線をぶつけ続け、そして口端を少しだけ歪めてみせる。

 リーティアは反射的に胸を隠し、わずかに赤くなった顔で睨んでみせた。


「な、なんだ」

が呪術だ」

「……え? これが? 」

「今、私がなにか魔術を使ったか? いや、使っていない。己の魔力、大気や物に宿るマナ、あるいはそのどれも使っていない。だが君はなにかを感じて胸を隠したな」


 シャーロットは本当に指先を向け表情を変えただけだ。それ以外になにもしていない。

 だがそこには意味が生まれていて、リーティアに影響を与えている。


「なにかの儀式、触媒、呪具。あるいはその全てを用いて相手と呪いをつなげる。そうすることで相手の内面……体内、あるいは精神に攻撃をするのが呪術だ」

「魔力を使っていなくても呪術なのか?」

「そうだ。魔術を使えない者たちでもしている。おまじないや悪口も呪いの範疇にあるといえるだろう。魔術師であれば基本を修めれば誰でも扱える。要は、相手の行動、あるいは内側を攻撃することが目的の魔術だ。今回私がやったような呪いの場合は、しばらくの間は誰かに指を刺されるたびに思い出してしまうことだろう」

「その一言のせいで思い出すようになってしまったらどうする⁉︎」

「これも含めて呪術だ。細かく多く、上手く使うモノなのだよ」


 そこまで話したところでようやく、シャーロットもするりとドレスを脱いだ。

 白く、曇りひとつないその肢体には当然、丘などあるわけもなく。


「……人のこと言えないじゃないか」

「うるさい。呪いが弱まるだろう」


 指を向けるのが呪いの始動なら「思い出してしまうことだろう」という発言は関連記憶を使った呪いの強化だ。

 そして、リーティアの指摘のせいで追加の関連記憶──すなわち、術者であるシャーロット自身の姿も記憶と繋がってしまったわけで。


 お互いの目を見て、微妙な空気と共に無言で浴室へと入った。



◇ ◇ ◇



 リーティアの要望により洗いっこをすることになった。

 今は、リーティアがシャーロットの後ろでソワソワしながら髪にシャワーの湯を通している。


「わかっていたが、長いな。これを綺麗に保つのは大変だろう」

「いつも手が疲れる」

「普段は一人で入っているのか?」

「当たり前だろう。従者といってもアーサーは男だぞ」


 シャーロットが振り返り、呆れた右目を向ける。


 塔に幽閉されていたとはいえ知識は詰め込まれている。アーサーの手によって助け出された後で一般常識の補完もされている。

 そして、アーサー側も人生の大半が隠れて生きるか一人で依頼をこなしていただけ。同族の異性と会うことすら稀だったせいで、常識がある上に慣れていない。ようは初心ウブ

 よって、よっぽどの事態でもない限り、一部の超上流貴族のようにお嬢様を執事が常に世話をするだとか、その時に男女を気にしないというようなことはできないのだ。お互いに。


 しばらく、髪を濯ぐ音だけが浴室を満たす。

 二人は今日出会ったばかり。それほど話す話題もなく、結局今回の件に関する話題でつなぐことになる。


「今回の件が呪術によるものだとして。どうしてアルベールが……」

「そこも今の課題の一つではある。ただ、動機はどの場合でも推測の域を出ない」


 なぜ殺したか。それは人によって、あるいは場合によって様々だ。

 計画を立てて何年もかけて準備する人もいれば、その場の衝動や事情に急かされて殺す人もいる。動機は推察やそれに伴う犯人の選定はできても証拠にはなり得ない。


 髪にリンスを馴染ませてもらいながらシャーロットが指を立てる。


「なぜアルベール氏が殺されたのか。どのように殺されたのか。なぜあの部屋で、アレット氏の前で、あの時間だったのか。呪術だとしたらどんな儀式をしたのか」

「すまない、呪術には詳しくなくてな。相手と繋げる魔術なのは理解したが、具体的になにをどうしたら人を殺せるほどの魔術になる?」

「ふむ。では、呪術の講義初級編といこう」


 リンスを濯いでもらい、場所を入れ替えて今度はリーティアが洗われる番だ。

 目を閉じているリーティアにシャワーのお湯をかけ、わしゃわしゃと濯いでいく。


「呪術を魔術として行う場合に必要なのは主に二つ。術者と対象を繋げる触媒モノと儀式だ」

「繋げるモノ?」

「そうだ。持ち物でも体の一部でもいい。なにかしらの相手を指定するものが必要だ。体の一部、あるいはその人を象徴するなにかだな」

「となると、もしアルベールが本当に呪いで殺されていた場合、術者はアルベールを指定できるなにかしらを持っていた可能性が高いということか?」

「そうなる」


 毛髪。衣服。あるいは、象徴的な持ち物。

 相手の体の一部、あるいはその人を指定できる呪具を用意することで相手と術を繋ぐことができる。

 そして、その媒介の本人の要素が濃ければ濃いほど、呪いの効果が高くなっていく。


 一旦シャワーを止め、手のひらに出したシャンプーを泡立てていく。


「となると、客人たちの荷物を検めることも視野に入れねばならんのか……むう」

「そうだな。もう一巡するのは面倒だから聞き込みをしながらその辺の観察もしていたが、全く見当たらなかった。手がかりなし、あるいは既に処分されているのか?」

「なるほどな……あっ、イタイ! 目に入った!」

「む、すまない。初めてなんだ、許してくれ」


 あわあわとするリーティアにシャワーをぶっかけ、とりあえず泡を流していく。

 顔まわりの泡を洗い流したところでようやく落ち着き、そして同時に姉妹のような洗い合いっこは諦めたらしい。リーティアは変わらず世話を焼こうとするものの、自分のことは自分でやり始めた。


 今は、普段は一人で苦心しているケアを全て手伝ってもらい、悠々と湯船の中から体を洗うリーティアを眺めている。


「話を戻そう。儀式というのは?」

「これはそのままの意味だよ。行いたい呪いの内容に沿った儀式を行うんだ。そして、この儀式を大掛かりかりにしたりルールを多く制定することで効果を高めることができる。内容は呪術によって千差万別だからなんとも言えんな。さっきのような、指先を向けるだけでも儀式として足りうる」


 簡単、そして有名な方法は人型を作ることだろう。

 四肢と頭、そして胴体をなにかの道具で模し、頭髪や服装をある程度似せ、さらに対象の一部を組み込むことで人型を対象とみなす。それに対して呪的行為を行うことで相手を呪う、というのが一般的だ。

 燃やす。叩く。杭を打つ。あるいは、不運が降りかかるような行為や儀式を人型に向けて行うことでようやく相手を呪える。

 東洋で有名な『丑の刻参り』なんかは、服装や時間帯、回数や場所、見られてはいけない等の制約を付けることで藁人形下級呪具でも高い効果を発揮することができる。


 そして、人型を精巧にしたり、相手を指定する物の格を上げたり、込める魔力の量や質を上げたり、と儀式自体の難易度や内容を向上させることで呪いの効果が上がっていく。

 虫や天候なども儀式として使えなくはないが、やはり人が時間や資源、人数を使って行うものには敵わない。


「ちなみに、今回のような呪いを行うには、どれくらいの繋げるモノや儀式が必要なんだ?」

「短時間で焼殺できるほどに効果を高めるなら、そうだな……拳大以上の本人の臓器くらいは必要なはずだ。あるいはそれに相当する触媒の格として最上級のモノが必要だろう。儀式だけで効果を高める場合は、魔法陣や別の呪物を用意して対象の近辺に設置、術者は篝火の前で舞うくらいは必須だろうな。ついでに言うのであれば、事を起こすその瞬間に儀式を行なっていないといけないだろう」

「……そんな痕跡や人はいなかったな、うん」


 3号室の床には絨毯のみ、周囲にあった机の上も他の部屋で行われていた夕食の準備と変わりない様子だった。間違っても呪物や魔法陣は無かったはずだし、仮にそんなものがあればアルベールが気が付いている。

 あと一人だけ残っているが、今日事情聴取をした限りでは、呪術の内容に全く関係のないことでは儀式として成立しないから術者が火に関わることをしていたのは確実な中で、事件が起きた時間帯に火を前に踊り狂って儀式をしていたような人も痕跡も見つかっていない。

 第一、アレットの悲鳴が響き渡ったのとほとんど同時に第四車両の乗客はダレン以外の全員が自室から顔を見せていた。


 ようやく自分の体を洗い終え、湯船に参加しつつリーティアが問う。


「呪いの効果を高める事は他の方法ではできないのか? 例えば……そうだ、魔術合成のような」


 魔術合成、あるいは原理結合とも呼ばれる。それは、異なる原理の同系魔術を掛け合わせることで効果を乗算する技術のことだ。

 同じ水流を発生させる魔術でも、河神アケローオスを基礎にしたものと水神オケアノスを基礎にした魔術を混ぜて構築すると効果が飛躍的に上がるのだ。片方が術者の魔力でも魔術合成はできるが、比較的効果が低いからドーピングをする必要はあるが。

 ただ、魔術の意味を複合的にすることで効果を上げる技術であり、本質は片方に対しての要素付加技術である以上、足せば足すほど雑味も増える。それぞれの量や質で釣り合いを取らないといけないし、相性が悪い原典同士の場合は魔術が消えることさえある、しっかりとした準備が必要な魔術だ。

 これが呪いの強化に転加できないか、という疑問は。


「できなくはない、だが難しい。付加魔術を使っているのなら効果は高めやすいだろうが、繋げなければならない魔術的な回路が増える上に、同時に呪いの儀式もしないといけない」

「むう、そうなると人が二人は欲しくなってしまうな……。つまり、今のところ手がかりは?」

「無いも同然だな。面白くなってきたじゃないか、うん。明日は残り一人の事情聴取と呪った方法の調査をしなければな」

「面白くはないだろう……。怖くはないのか?」

「アーサーがいるからな。従者としては初心者も同然だが、命は預けられる」

「信用しているんだか、してないんだかわからんな……」


 黒いバンドのような眼帯は外しているが、それでも左目は閉じたまま、ゆっくりと視線を向ける。

 呆れたような、困ったような目を返すリーティア。


 二人の視線が交錯し、どちらともなく小さな笑いがこぼれ、浴室に響いた。

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