44 現実はDeath一択
唐突に吸骨種たちが退場してしまった教室。
沈黙があった。互いが互いの心情を図りかねて窺い合う、居心地の悪い間だ。
教卓の前にはつい数分前に生きていた、頭部のない男性の死体が放置されていた。これは誰が片付けるんだろう?
『セピア』ではない人格のセピアが壁際に山積した机を苛立たしげに蹴り付けた。
彼はきっちり着込んだタータンチェックのスーツの胸元のボタンを乱暴に外し、ネクタイを緩め、腕まくりをした。そうすると途端に粗野な印象になった。
「クッソ……!! 帰れねえとかざけんなよ……! いっそ吸骨種って奴らを皆殺しにしようぜ! 奴らはたった七人しかいないんだろ?」
「七人……」
頬を硬くしたまま千晶が反復した。
「ここにいる全員で一人ずつ呼び出して襲えば殺せるだろ! なあ!」
荒々しく怒鳴ったセピアは同意を求めるように、教室の床で片膝を立て、中年男性の死体を検分していたカネを見下ろした。
その目には憎悪と抵抗と、悲痛があった。
彼は暗に、先程カネが朔耶を呼び出した手段を使って吸骨種を不意打ちで襲い罠にかけるよう、カネに訴えている。
カネは首を横に振った。
「朔耶たちを殺して何がどう変わるのか俺は分かんない。
分かんのは今朔耶たちが色々教えてくれて、その話全部、嘘じゃないってこと。嘘吐く理由が多分ないから。
そんで、朔耶たちを死なせたらこの異世界について親切に教えてくれる人は誰もいないってこと」
カネの正論にセピアは悔しさを滲ませながら押し黙って、床に胡坐を掻いた。
それ以上食い下がる気がないと態度で示したらしい。ということはカネの意見にこの場は一応折れてくれたのだ。
それがきっかけになったのか、意気消沈した顔触れから立ち上がった者がいた。
カネ少年はその場面を見ていないが、吸骨種たちが来る前に少し発言していた人だ。眼鏡を掛けた三十代くらいの男性。
彼は確かサーカス団の一員の……休憩中に既に挨拶はされていたが、ちょっと名前が出てこない。カネは人名を覚えるのが苦手だった。
彼は仲間を励ますように、自らに言い聞かせるように、ありったけの希望を並べた。
「……ここで、生き延びる道を探そう! この異世界に来て、現状俺たちは生き延びた。
ここが絶対安全とは言えないけど、味方になりそうないや味方じゃないけど日本語が通じる異世界人がいてしばらく暮らせそうな避難場所は確保されてる。一歩間違えれば殺されるかもしれないけど、間違えないよう気を付けることはできる。
普通に呼吸が出来てる以上、空気がある。ってことはペットボトルの飲料水以外で、湧き水的なもんもあるかも。そしたら風呂を作れるだろ?
ならまずは生活基盤を作って吸骨種から身を守る術を考えてから、日本に帰る方法を見つけるって順序で……」
セピアが胡坐を掻いていた足を行儀悪く伸ばして、再び机の脚を蹴った。
が先程より弱い力で、彼自身の抱くやるせなさを八つ当たりしたように見えた。
「それができるんならしてみろっての。
口調はとげとげしいが、カネには子供が途方に暮れてやさぐれているようにも聞こえた。
セピアが男性を「司馬先生」と呼んだのを聞いて、そういえば男性が「司馬和真」という名前だったなとカネは思い出した。
和真は息を詰まらせた。セピアの指摘が図星だった様子だ。
本当にその通りなのだ。
カネは、これがデスゲームだったらまだマシだとすら思う。
ゲームだったら誰かが意図的に仕組んだ試練があり、意図的である以上生き延びる道筋や勝利条件がどこかに用意されているものだが、残念ながら今降りかかっている現実は
元の世界に帰ることを望んでも、『骨抜き』が出来ないため世界を渡る間に体が破損するかもしれない。
正確には魂と肉体が分離し、幽霊みたいにぷかぷか彷徨う魂として転移に成功するだろうが、植物状態の体は世界を渡れず異世界に取り残される。
強引に二度目の『骨抜き』をすれば骨を抜かれた上で体が欠損する可能性が高い。頭や心臓など人間にとっての重要部位が欠損すれば即死コースだ。
無理を押して世界を渡れたとしても、時間の流れ方にズレがあるためともすれば全く違う時代に到着し、永遠に家に帰れない。家族に会えない。
渇色世界に留まって新生活を始めようにも、この世界では人間は僅か一か月で死を迎える。
渇色世界は、主観が優位な世界。つまり常識や物理法則をある程度正確に理解できる人間には優しくない。下水道が突然使えなくなったように、どんどん生活が不便になっていく。
吸骨種に『骨吸い』されて『家族』となることを選べば、これは推測も多分に含まれるが朔耶から聞いた話を統合すればおそらく、感情も五感も奪われ一生彼らの『餌』として彼らの設定した人格を演じることになる。『骨の幽霊』と呼ばれる半透明の存在になる。
それは人間としての生ではなく、廃人か操り人形と呼んだほうが良さそうだ。 人としてまともな死に方ができるのだろうか。
少なくとも手元に今ある情報を羅列すれば、詰んでる。
それでも「詰みだ。もう打つ手がない」とは言いたくないのが本能だ。
カネは他人より痛みに強いと思っていた心が軋んで、不安に駆られた。
少年は判断を仰ぐように思わずセピアの横顔を見上げた。彼の顔は険しい。
普段の、暗いくせに呑気な『セピア』の人格はまだ戻っていない。
短絡的で沸点が低い、気に入らないと食って掛かる不良少年らしき人格が今も宿っているのは察せられた。
だが、そんな人格のはずの彼はカネの不安を鋭く察知したらしい。カネの顔も見返さないまま、彼はぎこちない手つきでカネの背中をそっと擦った。
カネは少しの間、手のひらから感じた不器用で温かな情に背を委ねていた。
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