43 二度目の異世界転移は浦島太郎覚悟で
がらがら、と教室後方のスライド式の扉が開いた。
「あ、おい。セピアてめえどこ行ってやがったんだ。絵の具臭いし、肝心な時に行方不明になりやがって」
扉から姿を現したのはセピアだった。
長身の彼は猫背を更に屈ませて教室の扉を潜ると、カネと柊杜の二人に目を留めて、瞠目した。
「ああ会議中か……。柊杜、は、先に帰ってたのか」
どこか刺々しく呟き、柊杜と知り合いになったような意味深な言い方をして、硬い表情で教室の背後に立った。
朔耶はせっかく再開した話の腰を折られた形になり、視線を迷わせて黙り込んだ。そんな朔耶に焦れたように千晶が感情を懸命に抑えた声音で質問を重ねた。
「元の世界に帰れないってどういう意味だ?」
腕を組み、黒板に背を寄り掛からせて成り行きを見守っていた青髪の吸骨種の少年柊杜が説明を加えた。
「昔話の『浦島太郎』、を想像してもらえば話が早い。
渇色世界と人間世界は時間の流れ方が違うと言われている。時間の流れ方のズレは一定ではない。早いことも遅いことも、あるいは逆行することもある」
カネは顔を曇らせた。見回せばどの顔も似たように失意を刻んでいた。
彼の言う通りなら、どうにかこうにか世界を超えて帰って来てみれば見知った景色は一つもなく知人もおらず時は戦国時代に遡っていました……となるわけだ。笑えねえ。
そんなことになってしまえば、特にカネは、再び妹と一緒に再び暮らし始める目的が叶わない。叶わない想像しかできない。究極のバッドエンドだ。
安易に元の世界に帰る希望を抱けない。帰っても自分たちの居場所が残っていると言えない。
「根拠は?」
と柊杜の話に大胆に切り込んだのは、今しがた帰ってきたばかりのセピアだった。
とは言うものの、カネの見立てでは今教室に入ってきたセピアは『セピア』ではない。
彼の体を持って動く別の人格だ。先日話した『ファイ』でもない気がする。カネの知らない人格だ。
彼は先日、己が多重人格であることを打ち明けた。だから、今のセピアが『セピア』でなくとも不思議はない。
まずあからさまに彼の気配が違う。カネの知る『セピア』は陰気で他人に関心が薄い分内向的だ。
そのはずなのだが、眼前の男は一見して他者への攻撃性を
彼は鋭い野性的な目つきで吸骨種たちを平等に睨み上げた。
挑発ではなく敵意と疑心の滲む声音。
「時間が逆行してるって話よぉ、その根拠は何だよ?」
彼の態度に、自然と吸骨種たちの機嫌を損ねぬよう注意を払っていた人間たちはぎょっと目を剝いた。
が、不確定要素を少しでも解消するのが吸骨種たちを呼んだ目的なので誰も中断しなかった。
セピアの姿をして『セピア』ではない彼は、柊杜をロックオンして短絡的な憎悪をぶつけた。
「根拠だっつってんだろ! あんた『言われている』って言ったろうが。他人から聞いたみたいにな!」
応じる柊杜少年の声には余計な感情は乗らず、フラットだ。
「他人から聞いたからだ。
俺は人間界に渡ったことがないし、おそらく吸骨種の誰もないだろう。
時間のズレについては、渇色世界で昔滅んだ
伝聞ばかりの意味を知り、それを誤魔化して騙そうとする意志が彼ら吸骨種にはないと判断したのか。
ひとまず溜飲が下がったセピアが小さく鼻を鳴らした。
誰彼構わず取り敢えず喧嘩をふっかける不良みたいだ、とカネは自分のことを棚に上げて思った。
「でも!」
とどこか必死な声を上げたのが吸骨種の朔耶で、カネは意外の感に打たれた。
「それは現時点ではの話だよ。
うちはここにいる皆を、元の世界の自分の家に帰してあげたい。その方法を見つけたいと思って調べてる!
二度目の骨抜きを無事に成功させる方法と、こっちとあっちの時間を一致させる方法を見つければ帰してあげられるんだから」
結美がその朔耶の誠実な言葉に反旗を翻した。
「私は人間の皆様に最も安全な方法を――私たち吸骨種の家族となることをお勧めします。
私たちの家族となれば不安も恐怖も憂いも痛みも一切を感じることなく、餌としての安心安全な日々を送れることでしょう。人間は皆、吸骨種の家族となり配下に下るべき――――」
結美の言葉が途切れた。
いつからそうだったのか、彼女は己自身への疑念に溢れていた。
言動に矛盾を抱え込んでいることが遂にあからさまになって、苦しげに瞬きを繰り返した。
カプチーノ色のポニーテールの毛先が主の不安を体現して小さく揺れた。
「あれ? 何で、私……。それじゃあどうして魔女を止めたりなんかして……。
人間を助けたかったのに、どうして私、こうなっちゃったんでしょう……?」
「結美?」「結美ちゃん?」
同時に心配の声を上げたのが吸骨種の柊杜と朔耶だ。
「結美。君は少し前から何か変だ。もし俺たちに隠してる懸念があるなら……」
青髪の柊杜が無機質だが確かに気遣うような気配の滲む声で、結美の肩を抱いた。
「いいえ、そんなこと。ごめんなさい、空を見て背骨を冷やしてきます」
翻訳すれば、風を浴びて頭を冷やしてきます、と同義だろう。
彼女はカプチーノ色のポニーテールを閃かせ、逃げるように教室を去った。
「結美ちゃん!」と短いオレンジ髪を揺らして朔耶が後を追う。
柊杜は眉間に皴を寄せ、余裕のない顔で人間たちを振り返った。
早くこの会議から離脱したい本音が如実に表れた様子で、
「他に質問はないのか?」
それを受けて歩み出たのが千晶だった。きろり、と柊杜が視線を向けた。
千晶はこの教室の全員を代表するように頭を下げた。
「今は、ない。誠実に答えようとしてくれて、ありがとう。無駄にこっちの仲間の死体を作られると信頼もクソもねえってことだけ今後ともよろしく」
柊杜は瞠目して、だがその驚きを口にしかけたところで、我に返ったらしい。
苦しそうに顔を歪めて、教室を足早に、だが足音もなく出て行った。
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