41 骨抜きとは、肉体と骨を切り離すこと
結美はカツカツとローファーを鳴らし、教卓の前に立った。くるりと身を反転し、遅れてリボンのように柔らかくポニーテールが翻った。
彼女は白いチョークで緑色の黒板に「骨抜き」と書き記した。
「――『骨抜き』というのは、骨とそれ以外の肉体を切り離すことです。
きっと見覚えがあるとは思いますが、体から骨を抜き取り、瓶に閉じ込めます。これが『骨抜き』です。
骨がなくなるため立ち上がれず僅かしか動けず無防備になります。それは私たち吸骨種が狩りをする上で、獲物を無力化する手段、というだけではないんです」
ここで彼女が「獲物」と呼ぶのは当然「サーカスを観に訪れた人間」のことだ。
皆が鼻白む気配に、しかし結美は無頓着。
見下される側はその見下しを敏感に察知する。結美のその態度は極限状態の人間の不快を大いに刺激した。
「お話しした通りここは異世界です。皆様は世界を渡ってきていますが、世界と世界の境界を超える時、人間の体はそれなりに
人体に相当な負担が掛かってしまいます。無理に境界を跨ぐこともできるかもしれませんが、どこかが破損するかもしれません。
その負担を軽くするのが『骨抜き』です。骨と肉体を分離して圧縮することでポーンって人間を送れるわけです」
ポーンっと送られた結果、あの虐殺は起きて、無抵抗な人間が尊厳を失ったまま命を奪われる光景を見て、こんな訳の分からない世界に今も
結美の言葉の端々からあのサーカスの舞台が、獲物を待ち構えて捕らえる罠、言わば
「あんた説明足りてねえぞ、演説女。どこかが破損するってさ、どこが壊れるんだよ?」
噛み付くように結美の説明に文句を付けたのはカネだ。結美は即座に回答した。
「破損、という言い方では説明不足ですね。申し訳ありませんです。
背骨や肋骨と、それ以外の部位が分離します。――ああ、失礼しました。人間の皆様の基準で申しますと、魂と肉体が分離します」
魂と肉体が分かれてしまう……幽体離脱ということか?
「肉体は質量が大きく嵩張るので、おそらく世界を超える時に
カネは彼女の説明を頭の中で反復する。
骨抜きせずに異世界転移すれば、転移先では彷徨う魂だけの幽霊に、転移前の場所に植物状態の体が残される。という認識でいいのだろう。
彼女の説明を理解できた者は足先から悪寒が昇ってきたように身震いしてふらついた。
その場に落ちた沈黙を静かに破ったのは千晶だった。
「つまり俺らが幽体離脱しないためにあるのが『骨抜き』って技術なわけだな?」
若干顔が強張っているものの、冷静沈着と言える態度。
外見が大柄でリーダー格に見えやすく、異世界に来てから常にしどろもどろになる周囲の人間を先導し、時におどけながら励ましてきた人物だ。
皆の注目が千晶に集まる。
千晶は荒れる感情を意図的に思考の外に追いやっている風に見えた。 顎に手を当てて自分の内に意識を向けながら、
「……それって、常に元の俺たちの世界とこの異世界が、サーカステントを通じて繋がってるって考えていいんだな?
いや、普段自分がサーカス団の団員やってて通い慣れた場所にこんないきなり『異世界への入り口があります!』なんて聞いても信じ難いんだけど……。まあそう考えるしかないわな。ってことは、もう一度、骨抜きってやつをしてもらえば、世界を超える? ってこともできるんじゃないか?」
その問いに応じたのは朔耶だった。彼女は千晶を
その仕草は、この場にいる人間の苦悩を理解しているからこそ有り得ない希望を引き延ばすまいとの配慮があった。思いやりのある健気な少女の仕草だった。
集合した人間たちの目には、他者の、というより人間の懊悩を顧みない結美とは一線を画すように映った。
朔耶はおずおずと説明を加えた。
「サーカステントはうちら吸骨種の、その、言い方があれだけど、常に狩り場として機能してるって見立ては正しいよ。
『もう一度骨抜きすれば世界を超えられる』っていうのも、理屈で言えば正しい、と思う。でもできたことがないんだ」
彼女は残酷な真実を噛み含めるように、自らを見つめ罰するように、周知した。
「君たちは全員、既に一度骨抜きされてる。骨抜きされた後また骨砂を取り込んで元の肉体に戻ってる。
そんな肉体はもう普通の人間とは呼べない。二度目の骨抜きは成功しない。したことがない、っていうのが正しいかな。
無理に二回目の骨抜きをすれば必ずどこかしら何かしらが欠損してしまう」
懸命に言葉を選ぼうとする朔耶を懐疑的な目で人間たちが見つめる。
朔耶の気後れが前面に滲むおどおどした態度では、その話の内容までもどこか曖昧で根拠のないことのように聞こえた。
すかさず朔耶の隣に並び立った結美が、口元は笑みを保ったまま目を細めた。
「信じられないのならば試せば良いのです。はい、そこのお客様」
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