5章 結局みんな喰われる話
40 吸骨種たちと作戦会議
郷愁を誘う調べがカネ少年の耳から流れ込み、胸の内を柔らかく笑い掛けるように擽った。
イヤホンが小刻みにまるで生きているかのようにカネの耳奥で震えた。
何ということはない、駅のホームで流れるような着信音のような、チープで単純なオルゴールのメロディーだ。籠もったような音質で、もう後少し音量が大きければ音が割れてしまいそうだ。
警戒心に神経を尖らせていたはずが何とも気が抜けてしまう。無責任に呑気に否応なしに、聞く者を励ますような曲調を異世界の道具が発してくれる。
カネは渇色世界に来てからいつの間にか思考に巣食っていた強張りが、自分の中から緩やかに追い出されていく感触に淡く苦笑した。
*
カネは骨製イヤホンを携帯電話のように使って、吸骨種の少女――
「朔耶、俺らはさ異世界の知識がもっと欲しいんだよ。腹立つけど知識不足なのは事実でそれがムカつく。あんたらが俺らの味方ってんなら、質疑応答の時間くらい作ってくれていいんじゃねえの? それもまあ腹立つけど」
オレンジ髪を風に散らすスポーツ少女朔耶は最初何故か渋った。視線を泳がせながらしどろもどろに要領を得ないことを小声で言い始めた。
「それはそうだね。うんカネ君の言う通り。けど、でもでも、カネ君に話すのはうちは一向に構わないんだよ? 人間ってでもでも大勢いるじゃんね? その皆に分かるように話せって言われてもうちには荷が重いっていうか……。ほら、セピアさんとかファイさんとかカネさんとは前に、一対一で説明してるじゃん? それならいいけど、大人数対一人だと気が滅入るっていうか……」
朔耶が歯切れ悪く手を振るのを無視して手首を引っ掴むと、彼女は「あ、」と小さく呻いた。
「なあ、朔耶」と真剣な顔でカネは彼女を見つめた。
「この異世界ではお前だけが俺の頼りなんだよ。一緒に遊んで、悩みを言ってくれて、俺と対等な目線まで降りてきてくれようとした朔耶にだから、頼みてぇんだ」
「う、うちは、別にカネ君を絆そうとか考えて遊んだわけじゃ……。君にそんなこと、言われたらさぁ……」
朔耶はなんだかんだ押しに弱く、カネに説得されて下の階に降りた。
銀透明な日光が差し込む階段横の二階の教室。
カネはきょろきょろ教室内を見回すが、陰気で長身の男――知り合いのセピアの姿は見つからず、 心の中で悪態を吐く。
こんな大事な時に何してんだのろま野郎。
カネは廊下側の窓辺に凭れて腕を組んだ。
面白くない気分のまま取り敢えず教室内を隅々まで横目で睨んでおく。
教室後方の棚の上に、水も何もない長方形の空っぽの水槽が放置されているのが目に付いた。
水もなく魚もいないが、埃を被ったこともないように透明な新品。十歳のカネが両腕で抱えられるくらいの大きさの、何の変哲もない水槽だ。
――無意味で空っぽな透明な入れ物。何となく気になる。
さて、カネに呼び出された朔耶は、吸骨種たちに秘密だったはずの人間たちの作戦会議に参加した。
ぐるりと取り囲む老若男女の視線を、女子中学生の制服姿の少女が一斉に浴びた。朔耶は困惑気味で咳払いを繰り返す。
「えーごほん、ごほん。本日はお呼び下さり、皆様の温かいお出迎えに……」
「そういうのいいから。回りくどいのはなしで、本題話せよ」
「カ、カネ君。本題って? 友達同士の本題と言えば恋バナだよね。うちの初恋の人は
「あっそ。俺は恋だの愛だのくだらねえと思ってる。妹だけは例外だけど。そんで、この話おしまい。
で、俺から聞きてえんだけど、何で朔耶は、俺らはこの世界から脱出できねえって言ったの?」
二階奥の教室の教卓に立たされてしどろもどろになる吸骨種の少女、朔耶。
オレンジのショートボブの元気少女は、演説好きなカプチーノ色の少女と真逆で、他人の視線に慣れていないようだった。
カネの何一つ気負いしないその質問でお呼ばれした意図を思い出して、朔耶は厳かな神妙な表情になった。
そして、その薄い唇を開き、
「ごめんうち説明下手だからこういうのが得意な結美ちゃんとシュウくん呼んでいい?」
それから昼食休憩を挟んで更に一時間後。
朔耶に泣きつかれて招集されたカプチーノ色のポニーテールを揺らす結美と、何故か全身砂塗れの青髪の柊杜。
これで人間たちには見覚えのある吸骨種が三人揃った。
あの演説をした結美にはまだ憤りを覚えるのが人間サイドの本音だが、説明してもらう以上文句は言えない。機嫌を損ねたらどうなるか分からない。 またサーカステントでの惨劇が繰り返されるかもしれない。
人間たちは皆複雑な心境のまま彼らを教室に迎え入れなければならなかった。
教室前方の出入り扉に気まずそうに固まっている吸骨種の少年少女。
そうしているとまるで、職員室に呼び出されたはいいものの目的の教員が見つからず困って立ち往生しているだけの普通の中学生に見える。
結美は「私これ参加していいのですか……?」と小声で朔耶に伺い、ポニーテールのテール部分をふぁさりと床に落として首を傾げた。
柊杜は無言で眉一つ動かさない。透き通る青髪や青い睫毛まで金色の砂に塗れた彼が何を考えているのかは常に読めない。
カネは先程朔耶にぶつけた疑問を、二人に繰り返した。二人は即座に合点がいった顔をした。
そして切り出したのは結美だ。
「それをご説明するためには、まず皆様が『骨抜き』された理由をお話ししなくてはなりません」
結美は先の演説とは似て非なる誠実な態度で自分への視線を受け止めた。まるで薬漬けの廃人が、天啓に打たれて改心したように。
――彼女の態度は最初から矛盾だらけで本心が読めない。
カネは吸骨種の中で何となく彼女を一番嫌っていた。自然、警戒も強くなる。敵意と軽蔑とを同時に覚える。
彼女が簡単に殺人を犯すことを目の前で見ていてこれ以上傷つけられまいと鋭く心がささくれ立つ。そうしながら例えば、根も葉もないネット上の誹謗中傷の文字のような、唾棄すべき存在として限りなく軽んじたくなる。
深奥にあまりに矛盾を抱え過ぎて、本音がないような印象の少女。
霧野結美。現代日本にも普通にいそうな、どちらかと言えば特段印象に残らない、普通な名前。
容姿端麗な美少女ではあるが、道ですれ違って一日も経てば忘れてしまって、きっかけがなければ思い返すことはないくらい場の空気に馴染む佇まい。
何もおかしなところがないのに、何もおかしくないことが既におかしいんじゃないか……カプチーノ色の彼女を、見れば見るほど疑心暗鬼に思考が陰る。
矛盾ばかり内包する少女を注視するこちら側にも段々心の歪みが生じて、矛盾ばかりになって、取り返しがつかなくなっていくような。
カネの中にはこの時既に奇妙な恐ろしさの片鱗が湧いていた。
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