37 変死体の少年少女

 地下世界には膨大な金とプラチナに彩られた砂漠が広がっていた。

 時折そよ風が吹けば、さあぁぁぁ……と涼やかな音を立て細かな砂が煌めきながら舞う。


 そんな砂漠の端に埋まったようにひっそり存在する洞窟。

 洞窟の中はセピアにとって不快な痒みの原因となる音楽が幾らか遠退いて、耳を澄ませなければ気にならない程度だった。


 そこには死体があった。


 たった今、血を流したばかりの死体。薬で足の皮膚と筋肉を溶かされ、踵の骨が剥き出しになっていた。

 少年少女が寄り添うように死んでいた。

 寄り添う、とは言うもののそれは、


「ウロボロス……。シンメトリーな死に様だと神話的意味があるように見えてくるな……」


 柊杜が思わずというように零した呟きは乾いた響きを持って掻き消えた。


 少年少女は互いに頭と足の方向が上下逆――全くの点対象に横たわっていた。

 彼らは膝を太ももに足が着くほど曲げ、踵が内側に向きながら、上半身と頭部も内側を向いていた。

 おそらく二人は膝上から腰にかけて骨折した状態だろう、でなければ人間には不可能な体勢だ。


 胴体の骨を砕かれ、足先に薬剤を掛けられ、皮膚を溶かされていた。

 全く同じ個所を同じように破壊された人間の遺体が、対になって向かい合うように二つ。


 だが、柊杜が「ウロボロス」と評した理由は他にある。

 少年少女は互いの踵に噛みついていた。正確には足の骨に歯を立て齧りついた形で死んでいた。


 変死体だ。どうしたらこんなことになるのか。

 それは普通の人間ならおののき、目を逸らすほどおぞましい。


 その光景を指して、柊杜は「彼らを殺したのは俺なんだ」とあっさり打ち明けた。


「まだ人を殺めることを何とも思ってなかった数か月前にやった、俺の最後の殺人だった。食事として骨吸いするために、彼らが逃げられないように足を溶かしてから腰の骨を折って殺した」


 彼は考え込むように顎に手を当てて付け加えた。


「だけど、二人が死んだ後、死体がどんな姿を取ったかまでは確認しなかった」


 セピアは遺体を静かに見下ろした。あまりに凄惨な状態の幼い子供らを平静過ぎる心地でまじまじと観察していた。


「シンメトリーという言葉の響きが、私は嫌いではないよ。だだ、そうだね。

 ――私が知る限り人間は傲慢だ。特に生者はいくらでも死者を都合の良いように解釈してきた。なれば、私ならばこう解釈する」


 場違いな台詞を放つセピアに興味を引かれた様子で柊杜が、つ、と顔を上げた。


「彼らはきっと息を引き取る間際まで互いを生かそうとしたのだ」


 柊杜がきろり、とカメレオンのように眼球を一回転させて、死体を見下ろした。

 二つの死体は相変わらず互いの踵に仲良く齧りつき合った形で沈黙していた。


 柊杜がきろきろり、と今度は眼球を二回転させて、再びセピアの顔に焦点を合わせ、問うた。


「……互いを食い合いながら互いを生かしたというのか? 激痛にのたうち回った果ての死に際に、目の前の肉に食らいつく気力が湧いたってことか?

 錯乱した人間は人間さえも食らい合生き延びようとするわけか。人間は生に貪欲で、浅ましく執念深いとは聞いていたけど、本当に計り知れないんだな」


 慌ててセピアは手を振り、誤解塗れの柊杜の言葉を打ち消した。


「く、食らいつく? いやいやいや、それは面妖な……! それではカニバリズムだ……」


「カニバ……蟹……とは?」


 柊杜が首を傾げた。カニバリズムを知らないらしい。


「君が言うのはおそらく『ウロボロス』ではなく、互いに捕食者であり被捕食者でもある関係の表現なのだろうが。ふむ、彼らは果たして喰い合いをしただろうか?」


 セピアは陰気に頭を振りながら少年へ解説を試みた。


「人間は普通、人間を食べないだろう。……いや、どうだろうね。食べる人も案外いるのだろうか? 

 とは言え、現代日本の少年少女はまず人間なんて食べないし、極限状態で人間を食べて栄養摂取しようとは思いつかないのではないかね? いや、これもどうだろうか?」


 セピアが一度ひとたび一人語りをし始めれば根っこの陰気さに引っ張られ、必ずと言っていいほど話題が本筋から逸れていくのだが、今がまさにそうだった。


「うむ、果たして人間は人間を食べるのか? 現代の若者ほど刺激に飢えていると聞くから、常日頃から快楽殺人鬼に憧れを持っていて、土壇場で人間を食べたいと思いつく者も少数派ではないのだろうか。

 ああ、面妖な……! 『現代の若者』などを私が主語にするとは面妖な。私は今年二十九だ。カネ少年には『おじさん』と呼ばれてしまう始末だし、そもそも世間知らずを散々周りから指摘されるぼんくらなのに。そんな私が『現代の若者』という集団に対して知った風な口を利くとは面妖なほど馬鹿げた筋違いではなかっただろうか。

 もしかしたら最近の若者の間にはカニバリズムが流行っているかもしれないし、知らぬ間にイイ感じにオシャレなカニバリズムのレシピ本『人間の美味しい食べ方!』とか流通しているかもしれないし、その場合私は美味しいのだろうか……ああ、面妖な」


「…………」


 青髪の少年の酷くめた視線を感じて、二十九歳のおじさんセピアは我を取り戻し、咳払いをした。

 うむ、多分誤魔化しきれただろう。気を取り直して、


「こほん、えー、つまりだね、私はこう解釈する。彼らは互いに食らい合って自分だけが助かろうとしたわけではない。

 その逆だ。彼らは目の前で倒れている知人を互いに助けようと奮闘したのだ」


「……助ける」


「彼らが互いの踵を齧っていたのは何故だろう。そこは薬剤が振りかけられて半ば足が溶けていた。

 死体の状態から察するに、肉を溶かす薬の効果は足先から踵を経て足首へ……徐々に体の上まで這い上がっているように見受けられる。丁度、小さな火種が風に煽られ布を伝って上へと炎を大きく広げるように。

 何処かで食い止めなければ全身がぐずぐずに溶け腐ってしまっただろう。もっと無残な姿の変死体の出来上がりだ」


 柊杜の反論がないところを見るに、セピアの薬剤に関する予想は事実に遠からずのようだ。


「薬が全身を溶かし尽くせば死体は原形を留めないほど崩れる。きっとそうなるはずが、この二つの死体の腐食は踵で食い止められている。

 つまり少年少女らは相手の足にかけられた薬を取り除こうとしたのだ。薬を口で舐め取って、薬で溶けた足を噛み千切って。それが叶わず途中で死んでしまった。が、彼らは確かに互いを生かそうとした」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る