7 金髪魔女と、槍の少女
その時、ガラガラと台車の車輪が転がる音がした。
狂ったような切れ目のない拍手の爆音の中にあって、その聞き慣れた車輪の音はセピアの耳に軽やかに届いた。
セピアの座る観客席と同じ段の通路上を、奥のほうからセピアのいる席まで台車が近付いてきた。
台車にはサンゴのような白い砂粒の入った瓶が行儀よく並んでいた。
観客席をぐるりと回るように座席と座席の間の通路を抜けてきた台車。
それを引いてきたのは、短く刈り上げた、白く発光する金髪の女性だった。
意味深な流し目で妖艶な雰囲気を纏った、陰のある美人。
彼女は、照明が落ちたサーカステントの中で不気味な眩しさを放っていた。
セピアはその女性に見覚えがあった。
「団長……?」
セピアが問うも、できれば否定して欲しい気持ちで一杯だった。
女性は少なくともセピアのよく見知った外見だ。
それもそのはず。
彼女がこのサーカス団の団長。
入団から一年何かとセピアを気に掛け、温かく導いてくれた人だ。
だが違う、と直感が疼く。
団長では有り得ない。仕草が違う。そんな流し目はしない。
もっと堂々と佇み、細身の男性と見紛うくらいに男勝りな頼もしい人物がセピアの知る団長だ。
彼女は下唇を食むようになまめかしく舐めた。
一呼吸置いて小さく首を横に振った。
「私は団長じゃないの。ご期待に沿えなくって心苦しくて堪らないわね。
そうね……、私は、魔女よ。魔女と呼ばれることが一番多いからそう呼んで。
会えて嬉しいわ、セピア。ふふ、君から一体何人分の骨が採集できるか今から楽しみよ」
団長であることは否定された。
では団長と瓜二つの容姿をした目の前の彼女は誰だ?
魔女? 魔女とは何の比喩なのか……。
セピアは困惑して、首だけ何とか動かして、助けを求める気持ちでカネを見た。
カネの目が緊張と困惑と不機嫌を宿して答えた。
こっち見んな。俺だって意味不明だよ。
「……ああ、そう。君は自分が特別な状態にある自覚がないのね」
女性――団長――いや、魔女は声音を深くした。
そして、台車に並べられた砂の瓶を一つ手に取り、栓を抜きセピアの口に振りかけ、続いて、別の瓶を取り同様に中身をカネの口に振り落とした。
砂のざらつきを舌に感じた。
変化はすぐさま起きた。
口に振りかけられたその砂が喉を滑り落ち、胃の底に沈みこんでいく感覚がして、体の骨と関節が戻った。
手足を曲げ伸ばしし、指先を曲げ、立ち上がる力を取り戻した。
今、このサーカステントに囚われた人間で、カネとセピアだけが自由に動ける。
どっとセピアの腹の底に安堵が沸いた。
普通に体を動かせることに酷く開放感を覚えた。
が、打って変わってカネは警戒を解いていない。
「おい、魔女って名乗ったあんた。あんたは何が起きてるか知ってんの? これ皆がおかしくなってんのはあんたの仕業?」
カネが問いかけるも彼女は楽しげに笑うだけ。
そして、反射的に本能的に危機を察知したカネは、セピアを庇おうとしたらしく、小さなその身を乗り出した。
少年の華奢な背がセピアと魔女の間に立ち――その瞬間。
「〈
目の前の魔女とは違う女性の叫び声が背後――の頭上から降ってきた。
セピアは咄嗟に目の前に立つカネを背後から抱え込んで座席に潜った。
サーカステントを轟音が揺らした。
それは信じられないことに、床を粉砕して誰かが着地した音だった。
そして、人の背丈を優に超える乳白色の美しい三叉槍が、客席を貫いた音であった。
薙ぎ払うように振られた槍の帆先が運悪く何名かの客を掠め、客は皆バルーンが割れるように「パンッ」と甲高い破裂音を立てて弾け飛んだ。
信じがたい残酷な光景が次々と訪れて、セピアの理解を待ってはくれない。
槍の襲撃に見舞われた客は、ただ皮膚が風船となって弾け飛んだだけであり、骨が抜かれただけであり、
――つまりは質量を持った人間であったことは死んでも変わらない。
だから客本人が弾け飛んでしまった客席には、筋肉と内臓と脂肪と、大量の血液が残った。
鮮血は客席に付着し、階段にばら撒かれ、辺りを赤々と濡らした。
サーカステント一帯に血臭が噴霧された。
それは悪夢で、スプラッターなホラー映画のワンシーンで、だが現実だった。
正気を取り戻した一割の客が、息を呑み、困惑に思考を掻き回され、やがて事態を理解するなり、恐慌状態に陥った。
が、いまだ骨抜きの彼らは客席から身を起こすことすら出来ない。
体が動かない。
逃げられない。
脅威がすぐそばに――。
叫び声の主――槍を構え、床に着地した少女はなぜか制服姿だった。
顔立ちは中学生くらいだろうか。
ただでさえ吊り目なのだろう瞳に険しさを刻んでいる。
ミルクをたっぷり入れたカプチーノの色のポニーテールが激しく跳ねた。
少女が敵意を向けた先は――魔女と名乗った白金髪の女性。
セピアには何が何やらとんと分からぬが、少なくとも彼女たちは敵対関係らしい。
魔女の体のあちこちに木片が突き刺さっていた。
少女が砕いた座席の破片だ。
魔女は血をだらだら流しながらそれを意に介さない。
魔女の視線は、地面に落ち、倒れた台車と砕け散った砂の瓶に注がれた。
「ああ、なんてこと……。これだけ集めるのにどれだけの人間が犠牲になったか……。ユミ! 食べ物は大事にしなさいといつも言っているのに!」
「知らない」
短く吐き捨てた少女は、声音に更に怒気を混ぜた。
彼女の振る舞いからは、人から注目を浴びることに慣れた独特の無関心さが垣間見えた。
制服姿の少女の手から三叉槍が消えた。
槍は一瞬で氷が解け落ちるように変形し、直後に煙のように消失したのだ。
「いえ。そうですね、その話をしましょう。私は聞きたいのです」
「何を?」
魔女が首を傾げる。
「本当なのですかっ? 人間は、頭と心臓が急所だという話。私たち吸骨種はあばら骨と背骨が急所。逆に言えば、それさえ残っていれば生きられる。でも人間はそうではないと」
「ええ、確かよ」
「それをあなたはずっと前から知っていたのですか?」
魔女の回答を待つ少女の、吊り目がちな瞳が纏うすべやかな睫毛は憂いに伏せられた。
「……ええ、そうね」
瞬間、少女は敵意を剝き出しに、飛躍した。
雷光と見紛うスピードで魔女に突進。
右腕を振り被る。その腕が振り下ろされる直前、少女が叫んだ。
「〈
一度消えたはずの三叉槍が再び顕現し、その研磨された刃先が暗闇の中誘導灯の微量な光に反射する。
右手に三叉槍の長い柄を掴んだのは制服の少女。
少女は魔女の顔を縦一線に切り捨て――。
魔女はおそらく少女の動きを予期していたのだろう、笑みを浮かべ、ひらりと舞うように後退。
それを見透かしていたように少女は槍を脇に引き、突き出した。
「ぐっ、う……」
魔女の腹を槍先が突き破る。
魔女は呻くが、口元は笑みを保ったままだった。
そして、呟く。
「〈変身(フラッシュ)〉」
魔女の手に現れたのは、ステッキだった。
魔女のイメージに付き物の杖や箒ではなく、腰元から地面に着く長さの黒塗りのステッキ。
そのステッキを起点にし、空中に逆立ちした。
それから制服の少女を飛び越えて、反対側に着地した。
ステッキを棒高跳びの棒のように扱い、弧を描くように彼女自身が飛んだのだ。
白く幻想的に発光する彼女の短髪が乱れ散った。
魔女の胴を狙って薙ぐように空を滑った少女の三叉槍が虚空を斬る。空振りだ。
通路伝いの階段に着地した魔女と、槍を薙いだ姿勢で静止した少女が、背中合わせになった。
魔女のステッキが木で組まれた階段を叩き、こつん、と硬い振動が伝わった。
それが再戦の合図となり、少女と魔女が互いにバレエを踊るかのごとき緻密で華やかな所作で、振り返った。
黒いステッキと乳白色の三叉槍が優雅にかち合い、火花が散る。
以降の戦闘は激化の一途を辿った。
――そんな彼女らの戦闘の決着を見届けることなく、セピアは座席の下から抜け出した。
敵対する女性たちの注目が今なら自分たちから離れていることを確認した。
セピアが抱きかかえた状態のままでいたカネ少年の腕を強く掴んで、座席から出してやる。
力加減をしている余裕がない。
「おい、引っ張んな! その長ぇ前髪ちょん切ってデコ禿げさせるぞ!」
「静かに。
……しかしまあ……こんなに面妖な事態で君は怯えないのだね、カネ少年」
セピアもカネ少年もついさっき目の前で、風船にされた人間が槍に突かれて弾け飛ぶ異常事態を目撃した。
だがカネは理性を失わない。
その目を恐怖で濁らせることをしない。
そんな場合ではないのにセピアは十歳の少年の心の強さにいたく感心して、愉快な気持ちが微かに過っていた。
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