33 『尊』という人格の消失

 セピアは吸骨種の少年――青髪の冴機柊杜に首の骨を折られ、骨吸いされた。

 血を失い骨を失い全身が干乾びて意識が遠退いた時、ああ死んだ、と思った。




 ――――。


 真っ暗だった。

 または、真っ白だった。

 耳の奥に音が幾重にも反響した。

 遠くカネ少年の儚い歌声が聞こえた気がしたが幻聴かもしれない。

 夢のように苦痛を感じなかった。

 未練や欲が消えていた。

 直前の切迫感も綺麗さっぱり抜け落ちた。

 これまで実在を疑ったことのない人格と自我が実に呆気なく無に還っていく。

 刹那が永遠に続くような、奇妙な停止を体感していた。


 ――――。




 ――――だが、再び意識を取り戻すとそこはまだ死後の世界ではなく、見覚えのある現世――渇色世界だった。


 空は相変わらず銀色の光を反射する氷柱のような直方体がいくつも組み上げられた形をし、地面は人間以外を鮮明に映す鏡だ。人間であるセピアの服が奇妙に宙に浮いて映る。


 ただし、そこはそれまで見てきた地面とは少し違う。

 セピアは視界がぼやける内はそこを、面妖な高速道路のようだ、と思った。はっきり焦点が合うと今度は、面妖な図書館のようだ、と思った。


 そこは本当に高速道路と図書館をくっつけたような奇妙な空間だった。


 聴覚には高速道路の車のエンジンの騒々しさと図書館の誰もが無言でいる静謐さが同時に訴えかけた。

 一方、視覚には高速道路のただ道路以外の余分な物がない見晴らし良くひらけた印象と図書館のありとあらゆる本が賑やかに並び利用者がうろうろ物色する雑然とした印象が混在した。


 ぱっと見は高速道路だ。

 道路の両脇にある地面より十数メートル高い場所に設置されているため、高架橋上に作られた高速道路というのが正しそうだ。


 空の銀を鏡として映した車道。その車線を仕切る白線が何処までも引かれ、時にまっすぐ時に曲がりくねる道がある。

 ガードレールもまた特筆すべき点のない白色。だが、その道路を踏み、よく目を凝らして足元を見れば、その高架橋が全て本で出来ていると分かる。


 空の銀を鈍く吸った灰色の装丁の分厚い単行本。それが道路の端から端まで規則正しくタイルのように並べられて、高速道路は出来上がっていた。

 本はどれも全く同じ表紙と厚さで一見真っ平な地面になる。


 ひとたび風がそよぐとパタパタと蝶が飛び立つ前、翅を動かすように本がめくれた。

 道路の見渡せる限りの数多の本たちが一斉にパタパタと頁を開いたり閉じたりした。


 その光景は儚く胸を打ち、うっかりセピアまで吹き飛ばされそうだった。

 いや、私はそれなりに重いので綿毛のようにふわふわ風に吹かれたりはしないのだけれど。華奢なカネ少年ならワンチャンありそう。


 セピアの体は冷たい本の床に仰向けに横たわっていた。

 美しく幻想的な景色をしっかり脳裏に刻んでから、本を敷布団代わりにしている現状に罪悪感を拭えず、力を込めて上半身を起こした。


 五、六歩後ろから彼に近付いてきた人物がいた。


 セピアを覗き込んだのは中学の制服を着た十二歳前後の男女だった。


 彼らの体の向こう側に背後の景色が透過して見えている。さながら幽霊のような姿の彼らは確か自らを「骨の幽霊」と名乗った。


 これが意識を失う前のセピアの記憶だが、何というかどこまでが夢でどこまでが現実だったのかも分からなくなってきた。

 それくらい摩訶不思議な心境に陥っている。


 少年少女の背後に、青い髪の吸骨種が立っていた。


 青い少年だった。

 瞳も髪も青く澄んで、世界に反射した。

 機械的なのになまめかしく、淡白なのに魅惑的な青色だった。


 己の世界から一歩身を引いて、抱えきれない虚しささえも達観して突き放す、憐れな迷い子。安住の地となる拠り所を渇望しながら、セピア色の諦めを内側に蓄えている。

 その有様は、まるで不純物の混じらない、劣化しない骨董品。忘れ去られた古い宝石。水分が抜け切って老いてはいても、汚らしく腐敗はしない。


 彼と対面すると、褪せた押し花を眺める当たり障りのない心地が湧いた。それはセピアが吸骨種という種に対峙する時必ず味わう印象の一つでもあった。


 セピアは頭の中で『たかし』と呼び掛けた。


 とは言え、『尊』と話ができるわけではない。だから代わりに普段から全人格と喋れる『ファイ』が脳内で答えた。


『……尊君が、いなくなってしまったよ。ああクソ。またこれか。僕はまた見送る側で、今回は見送りすらできなかった。こんなハプニング聞いてない。これじゃあひらくが消えてしまった時と同じじゃないか……』


 悔し気な『ファイ』のその言葉の意味はセピアに理解できない。

 ただ自分の中の人格が一つ消えてしまったことを知った。


 セピアを襲い骨吸いをし、セピアの中に住まう人格の一人を抹殺したのはおそらく、目の前に立つ青髪の吸骨種の少年だ。


 だが怖ろしいことに怒りも悲しみも嫌悪も恐怖も湧かなかった。

 喪失感に打ちのめされる感傷は確かにあるが、それを少年に対し発露する気が起こらない。


 柊杜の瞳は凪いだ湖面のように静寂に満ちていた。





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