31 再び悲劇のサーカステント

 サーカステントの偵察に赴いたのはたった三人。

 長身の陰気な男セピアと、中学生のスコティッシュフォールドっぽい少女と、同じく中学生の豆柴っぽい少年。このメンバーで全員だ。


 セピアが先頭に立ち、テントの布をめくった。


「……人っ子一人、吸骨種一人としていないね」


 テントの中は無人だった。


 テント内は擂鉢状に凹んでその中心に舞台がある造りだ。だから入り口からはテント内を一望できる。

 円形に整然と並ぶ観客席と舞台へと延びる階段。これぞサーカスという景色。


 普段ならこの中で繰り広げられる演目に胸を躍らせ、サーカス団の一員となれたことを誇らしく思うところだ。

 だが今はどうだろう。

 座席に飛び散った血痕も内臓も片づけられることなくそこにあった。

 凄惨極まる生々しい光景に吐き気がする。


 セピアは元々陰気な視線を更に暗く濁らせて、テントの隅々を調べた。


「……全て私たちの見知った悲劇だが、これを見知ってしまったことを含めて面妖な光景と言えようね」


 セピアは流石にいたたまれなくなって背後の中学生たちに「君たちは外で待っててくれ」と頼んだが、彼らは強固な意志で首を横に振った。


 不意にセピアの頭の中に住まう友人の一人が話し掛けてきた。『ファイ』だ。


『うーん、お手上げだね。何か異世界転移のトリガーみたいなものがないか僕も見回ったけど、客席にも舞台にもテント上部にも異変はなさそうだ。

 舞台も客席も血塗れで死体だらけで、それは昨日と変わらない。

 ああ、怖ろしいなあ。僕のノミの心臓が破裂しそうだよ』


 セピアもそれとほぼ同意見だ。


「無駄足……だったのだろうか」


 セピアの無意識に零れ出た呟きに、現実から否定の声が掛かった。


「ううん。無駄足じゃない。ねえおじさん、気付かない?」


 その声は少女の物で、振り返るとセピアに同行を申し出た中学生の女子がいた。

 猫っ毛のツインテールを垂らすその少女は一生懸命にセピアに訴えかけていた。


「……気付くとは? 何にかね?」


 セピアはその疑問を口にした後で、ああ、と息を漏らした。


 どうやら私の目は相当な節穴らしい。

 芸術から外れた分野において自分の観察眼というものに期待を置いたことすらないが、今回はそんな自分ですら自分に落胆するような気分になった。


 ツインテールの可愛らしい少女は激情を押さえて、種明かしをした。


「ね、上見てよ。テントの中、明るいよね? 照明が点いてる。

 でも昨日おじさんたちが脱出した時は舞台が終わって暗転してたんじゃない? 見てないけど暗転してたはずだよ。

 そして皆がバルーン人間にされて殺された事件以降、人間は誰もこのテントに近付いてないはず。それなのに今、灯りが点いてる。ってことは……」


 先程セピアがテントの中を一望できたのは照明が点いていたから。

 では照明を点けたのは誰なのか――。


「……暗転したはずの無人のテントの照明が点いている。そのことが十分に面妖な事態であり、解き明かすべき重大な謎であることをなるほど、私は認めよう。

 しかしね、それよりも面妖な事態は、君たちだ」


 ツインテールの女子中学生はついに激情を堪え切れなくなって、表情を崩した。今にも泣き出しそうだった。

 その肩を隣のマッシュヘアの男子中学生が心配そうに支えた。


「君たちは何者かね?」


 セピアは警戒もなく恐怖もないただ不思議そうに問い、少女たちからの返答を待った。


 セピアは思い出したのだ。


 先程行われた生き残りによる「作戦会議」、の前に千晶とともに子供たちを教室から移動させた。

 その時に子供たちの人数を数え、全員と顔を合わせている。


 生き残った子供は五人いた。

 年齢が下の順から、おさげの三歳女児、やんちゃな五歳男児、素直そうな七歳男児、金髪の十二歳少年、十六歳の女子高生。


 サーカスの惨劇の夜に生き延びた子供たちの中に中学生に当たる年齢の子供は一人だった。そして、その一人は金髪だった。


 目の前の少年少女には全く見覚えがない。


 支え合う少年少女は――体が幽霊のように半透明の、およそ人間ではない少年少女は生気のない顔で、セピアの疑問に息を呑んだ。


 半透明の少女が意を決したように両拳を握った。


「僕らは、『骨の幽霊』だよ」


 少女の決意の籠った告白を補助するように半透明の少年も歩み出た。


「吸骨種たちが言う、いわゆる『餌』なんです」


 次は「君に憑いてきたのは、頼みたかったから」と少女が続ける。


「僕たちはどうやっても『餌』でしかなくて」と少年。


「とっくに食べ物に加工されたものには情が湧かないでしょ?」と少女。


「スーパーに並ぶパックのお肉みたいなものです」と少年。


「肉の切り身に意思疎通を図ろうとする人なんていない」


「だからどれだけ言葉を掛けても血の通わないやり取りでしかないんです」


「僕らは救いたいと思ってるのに」


「本当にずっと救いたいと思ってるんです」


「僕らが救いたいのは吸骨種の彼――冴機柊杜」


「ストックホルム症候群とでも思いますか?」


「そうだとしても僕は構わない」


「僕たちは元々はあなたと同じ人間です」


「でもこの世界に囚われて、帰れないまま襲われて、幽霊になった」


「最初は殺した吸骨種を――柊杜を恨みました」


「彼は僕らを餌としか認識しなかった」


「それはきっと今でもそうで、でも心底優しかったんです」


「柊杜は僕らと一緒に生活しているけど、僕らの顔を区別できない」


「人間が豚を区別できないように。でもそれは仕方のないことです」


「その仕方のないことで彼は苦しんでいる」


「吸骨種たちは人権って概念も知らないのに。それなのに柊杜は、僕たちを人として尊重しようとして、いつも失敗しています」


「僕ら骨の幽霊はこの世界から逃げられないまま工場で働いてる」


「柊杜もまた骨の幽霊と一緒に工場で働いています。彼らは人間に擬態して働くんです」


「僕らは友人になってあげたかった」


「僕たちは家族になってあげたかったんです」


「でもできない。彼にとって僕らは骨吸いをして栄養を得るための存在だから」


「僕たちでない人じゃないとダメなんです。決して骨の幽霊にならない人じゃないといけないんです」


「彼の友達になってあげて欲しいんだ」


「ただの知人でもいいんです、それが対等な関係ならば」


「彼らに『生きてていいんだよ』って微笑みかけてほしいの」


「どうか孤独を生きる吸骨種の救いになって下さい」


 幽霊のような少年少女が息継ぎの間もないほど懸命に交互に話す姿に、セピアは嘆息した。


「ふむ、『骨の幽霊』……。元来察しの悪い私でも、君たちが人間でなく、どうやらこの渇色世界の住人であることは理解した。

 ふう、まったく……。溜息を吐きたくなるほど面妖な情報格差があるようだ。それも重大な情報をいくつも私たちは知らぬままでいる、いいや、面妖ではないね。ここは異世界なのだから異物は無知な私たちのほうなのだろうね」


 辛気臭くぼやいたセピアに、少女が更に説明をしようと懸命に拳を握り合わせて――。





 急に視界が翳った。

 テントの上からの眩しい照明が遮られて、セピアの頭に影が降ってきたのだ。


 飛び上がって、宙を舞って、照明の光を遮ったその人物は、セピアの頭部を掴み上げた。

 正確には前髪を掴まれたようで髪の毛がぶちぶちと千切れた。


 その人物はバットの掴み心地を調節する野球選手のように、セピアの頭を掴み直した。完全なるモノ扱い。


 今度は頭皮と頭蓋骨に指がめりこむ。

 頭を支点に、ぐるん、とセピアの首から下の体が一回転した。遠心力に負けた体がヘリコプターのプロペラのように回転する。


 きっとセピアその姿を観る人間があれば、笑えるくらい滑稽だったろう。


 ごき、と首の骨が折れた音がした。

 セピアは最期に、自分を振り回して首を折ったその人物を見た。


 その顔に見覚えがあった。

 藍色の学ランを着て、吸骨種と名乗った、青い髪に青い瞳の純朴そうな少年――柊杜がそこにいて、セピアの頭を片手で鷲掴みにしていた。


 青髪の柊杜がセピアの首と頭蓋骨が接続しているところ――ぽっきり折れて剥き出しになった頸椎の断面にそっと口をつけた。


 初心な少年が初めての恋人へ口づけるような優しさで。


 柊杜が口づけた背骨から、ずるりと骨が吸い出されるおぞましい感触がセピアの体を駆け巡っていた。





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