14 演説
そして、現在。
場所は学校。と言っても異世界の学校らしき建造物の中、という意味だ。
銀色の層を作り輝く空。どこからか差す光が窓の影を教室の床に作り出す。
階段脇の三階の教室。
学校には本来あるはずの机や椅子は見当たらない。時計もなくロッカーもない。掃除用具入れと教卓だけはある。
隣では茫然自失とした妹を妹の夫が慰めている。
教室には、サーカスを襲ったあの惨劇を生き延びた客がいた。被災者と呼んでいいのか。
六百名以上いた客のうち、生き延びたのは僅か二十数名。
リノリウムの床にビニールシートと毛布を敷き詰め、急ごしらえの避難所にした。
会社員風の眼鏡の男性、若い夫婦、父娘、学生らしい青年ら……皆、現状を受け入れがたい困惑を滲ませている。
親しい者たちが次々と殺されて数時間も経っていない。
何の説明もなく、惨殺された。恐怖も混乱も当たり前だろう。
そんな人間たちだが他に拠り所もない。だからせめて互いに寄り添い合って座っていた。
サーカステントの惨状を逃れて、この学校に移動してきた経緯はこうだ。
――テントの中で団長の外見そっくりの長身の女と、ポニーテールの制服姿の少女が戦闘を始めて数十分。
セピアとカネ少年が命辛々逃げたのは、千晶が目撃している。
だが、それ以外の人間たちは誰一人として立ち上がれない。
千晶の目の前で、一瞬にして、宣が――弟が殺された。
そんな中で突然、戦闘が止んだ。
二人の戦闘狂は何かしら交渉を始めて、数分と経たずその交渉を終えて、まず団長似の女性がサーカステントを去った。
それからカプチーノ色の髪の少女の元に、青髪の少年が音もなく降り立った。
青色の少年が少女に「ユミ」と話し掛けた。
カプチーノ色の少女と青色の少年が何かを協議し、しばらくして床に散らばる瓶を拾い集め始めた。
瓶の中身は白い、サンゴのような砂だった。
それを生き延びた客に振りかけ始める。
そうして千晶にも振りかけられた時、骨が戻る感覚がした。
それまで風船のようだった手足がちゃんと人間の肉体らしい重量を持って動かせるようになった。
後は少年少女たちの誘導で、この学校まで案内された。
悪夢はまだ続いている。
現状では無事家に帰れた者が誰一人いない。
そしてそろそろこれは悪夢ではなく現実だと気付き始めている。
生き延びた二十数名は自然と離れることを避け、三階の教室に固まった。
家庭科室らしき部屋から毛布やビニールシートを調達し、どうにか落ち着ける場所を作った。
その後は息を潜めるように座り込む者が多数だ。
ここが安全とは言えない以上、緊張感は途切れない。
醸成された不安と恐怖が吹き出す時を待っていた。
その一方で、見るもの全てへの理解を投げ出し諦めたいような荒涼な気分が緩慢に首を絞めた。
千晶も悲鳴を上げたいような、そんな体力もないような疲労感で参っていた。
*
そんな時、廊下から足音がした。
廊下から歩いてきたのは――サーカス団の仲間であり飲み友達のセピアだった。
弟を殺しながら、千晶たちを保護するとのたまったあのおぞましい少女でないことに安堵する。
セピアは廊下から避難してきた人間全体を見下ろして、ほっと胸を撫で下ろした。
が少し遅れて、一教室で見渡せるほどの人数しか残らなかった戦慄が追いかけてきたらしく、顔色を失くし表情を強張らせた。
彼は気後れするように客を見回して、突然はっと瞠目した。
千晶と目が合ったからだ。
彼と同年代だが、彼より大柄で筋肉質。
更に舞台用の濃い化粧をした男などこの場で千晶くらいなのだから目立つだろう。
千晶を目にした途端、セピアの瞳に影が落ち、冷静沈着さが乱れたがすぐに持ち直した。
陰気ながら実直そうな人物、いつもの友人の姿だ。
彼に見捨てられた瞬間の記憶は、直後の弟が殺される情景とともに、千晶の中に刻み付けられている。
「千晶……」
セピアの視線を受けて、千晶は「セピア、無事だったんだな」と答え、廊下に出ようとした。
自分の中に巣食う激情を、どうぶつけるべきか冷静に吟味しながら彼と対峙する――つもりだったが出来なかった。
そこに上階から足音も立てず降りてきた者たちがいたからだ。
*
避難所となった三階の教室。
吸骨種の三名が上階から我が物顔で降りてきた。
先頭のカプチーノ色の髪の少女――
彼らは恭順な従者のように結美に頭を垂れる。
彼らの突然の登場に、千晶は恐怖で錯乱してしまいたい衝撃と、唾を吐きかけたい殺意の衝動を全力で押さえ込まねばならなかった。
平然と教室に入っていく彼女たちを、千晶は廊下から睨み付ける。
結美が教卓の前に立つと、声のない動揺が教室全体に走った。
当然だ。彼女はサーカスに来ていただけの客を惨殺した張本人だ。
「どうぞ皆様、姿勢を楽に。ご安心ください。と申しましても、つい先程大変な目に遭われたわけですからきっと難しかろうと思います。しかし私たちは味方です」
話し出した結美は熱に浮かされたように饒舌だった。
妙に演説慣れした結美の言葉に胡散臭さを覚えた者も少なくない。
口を挟まないのは恐怖ゆえだ。
「……何が、安心だよ……」
自分の顔から血の気が引いていくのを感じる。
思った通り、窓に反射する自分の顔が若干蒼褪めている。
動揺を表に出したくはないのに、隠す余裕が欠片もない。
その一方で、セピアは憎たらしいほど普段と変わらない無表情。
「さて、皆様が迷い込んだこの世界は、勿論人間界ではありません。私どもが『
私は
吸骨種は人間の骨を吸い生きている種族です。そして皆様のいたサーカスの舞台が魔女の選んだ狩り場でした。私たちは昨夜、狩られることを待つだけの皆様を救いました」
千晶は愕然とした。
「皆様を救いました」? そう言いながら俺の弟を殺したじゃないか。槍で突いて、弟を破裂させただろ。
無抵抗な人間を次々殺していったんじゃないか。六百人いた観客のうち二十数人しか生き残らなかった。ここにいる以外の全員を惨殺したんだろ。
その意味不明な矛盾は何なんだ――?
自己紹介を済ませた結美は教室をぐるりと見回し、何を持ってかはさっぱり分からないが満足そうに頷いた。
「この世界に引き込まれ一度は骨を抜かれてしまった以上、皆様が人間界に戻ることはもはや困難となりました。皆様は言わば異世界被災者です。
被災者には優しくしなくては。私たちはそんな倫理観を持ち合わせています。
この建物はどうぞご自由にお使い下さい。ここで避難生活を営むも良し。出ていくのも自由です。私たち吸骨種は皆様の行動を縛りません」
客――人間たちは捕虜になった気分だった。
別に自分たちは兵士でも何でもないのに。
「ですがこのことはどうかご留意下さい。皆様――人間はこの世界では一か月しか生きられません。
もし生き延びたかったら私たち吸骨種の家族になって下さい。世界に七名存在する吸骨種の誰かの餌になって、どうぞ長生きして下さい」
結美は声高々に言い放ち、神々しいほどの笑みを浮かべた。
「――もしそれが嫌だったら、私たち三人と一緒に皆様が元の世界に――家族の元に帰れる方法を探しましょう。
だから私たちが人間を殺めずに生きられる道を探すことにも、どうか協力していただきたいのです」
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