4 サーカス団

 セピアは知り合ったばかりのカネ少年と連れ立って、サーカステントを潜った。


 テントの中は外から見るより広く感じた。

 舞台を中央として、四方向に十字に伸びた階段を上って、すり鉢状に観客席が広がっている。


 カネの希望で後方に着席し、無言でポップコーンを貪り食う。

 お互い腹が減っていたらしい。


 特にカネはまるで何日もまともな食事にありつけていなかった人のような勢いでポップコーンを掻き込んだのだが、

 いや、まさかね。


 セピアの視線に気付いたカネが指を舐めながら言い訳のように小さく口を尖らせた。


「べ、別にがっついてねえし。俺は食えれば何でもいいし。あんたが食えって言うから食ってやっただけだし。そこらのネズミでも美味いと思うし、実際そうだし。おいこら胃袋掴んだとか思って調子乗んじゃねえぞ」


 ――――いや、まさかね?





 ポップコーンを食べ終え、観客が来るまでまだ時間がある。


 カネ少年も手持ち無沙汰なご様子だ。


 つまらなそうな十歳の少年のため手品でもしようかと足元に置いたスーツケースにセピアが手を伸ばした時、背後から大股で階段を降りてくる足音がした。


「セピア」と男の声で呼ばれて、セピアとカネは首だけ振り向いた。


「千晶か。君が客席を無意味に徘徊するなど面妖なことだ。公演本番直前に副団長がサボっていていいのかね? 今日は出番が多いのだろう?」


 セピアが「千晶」と呼び掛けた二十代前半の男――千佐ちさ千晶ちあきはサーカス団の副団長だ。


 ちなみにうちは「座長」ではなく「団長」呼びだ。

「座長」でないのには何やらセピアの知らない面妖な事情があるらしい。


 さて、千晶はセピアとは同僚のような気安さの仲で、互いに一番の飲み仲間でもある。


 長身のセピアよりも高い背と筋肉質な肉体。


 見掛け倒しの筋肉ではないことは毎度の公演で彼が空中ブランコを悠々と乗りこなし観客を魅了することから証明できる。


 セピアの指摘に違わず、千晶は公演のため濃いアイシャドウを施し済みだ。


 本来なら今はイメージトレーニングやストレッチに費やしたり、副団長として団員を激励して回らなければならないはずだ。


「あーいやサボってるつーかサボってんだけど。弟と妹には内緒で。絶対怒られっから」


 千晶には同じく弟妹がいて、彼ら三兄妹ともこのサーカス団に所属している。


 千晶は空中アクロバットを得意とし、弟はジャグリング全般とバイクショー、妹は猛獣使いだ。

 三者三様の兄妹。


 千晶が苦笑して頭を掻くと、短く切った直毛がハリネズミのように逆立って跳ねる。

 演技中に崩れぬようワックスで固めているからだ。


「セピアがまーた後先考えず突拍子もないことやり出したんなら一番に野次馬したいだろ。

 お前は面妖な面妖な、って嘆く癖にいっつも断トツトップで摩訶不思議な奇行をやらかすからな」


 千晶が明け透けに「突拍子もないこと」と言及したのはおそらく、


「あんた俺に喧嘩売りたいって言ったか? 俺はあんたらと違って見世物じゃねえんだけどピエロ野郎」


 警戒心と嫌悪感を全身に漲らせたカネ少年が、座席から見上げる形で通路に佇む千晶を睨んだ。


 千晶の余裕の態度のどれかがカネの怒りを呼んだらしい。


 セピアが宥めるより一足早く、まるで番犬のような素早さでカネが立ち上がった。


 カネと千晶の間の座席にいたセピアを通り越し――セピアを庇うように華奢な足を振り上げ、地面と平行になる位置で通路を挟んだ隣の客席の肘置きに蹴りつけた。


 千晶を正面に睨みつけ、立ち塞がって通せんぼする形になる。


「おい道化師、あんた結局セピアに何の用? マジで野次馬だけなのか馬鹿なのか?」


 千晶はカネとセピアを見比べて、「お、おう……」と少々面食らった。

 が、すぐにカネを品定めするように目を細め、無遠慮に手を振った。


「俺は千佐千晶。セピアの同僚だ。君は? どういう経緯でこんな胡散臭そうな悪友になついたんだ?」


「なついてねえよ! こんな胡散臭え奴!」


 千晶の余裕そうな態度に、カネは対抗心を隠し切れない態度で言い捨てた。


 友人の問いには代わりに横から顔を出したセピアが答える。


「彼はカネ少年だよ、千晶。氷柱のような鋭利さと透明さを備えた面妖な子だ。私は気に入っているのだけどね」


「へぇー! セピアの審美眼にかなったってわけか。そりゃー珍しいな」


 千晶が面白がるように、にっと笑い、カネの敵意を気にしていない――むしろカネを気に入った様子で、どこからかキンキンに冷えた瓶詰めの炭酸飲料を取り出して、カネとセピアにそれぞれ手渡した。


 カネもセピアも断るタイミングを逃して何となく受け取る。


「カネって、芸名か? まあいいか、今日からあだ名は『カネ子』な。年いくつ?」


「……十歳」


「マジで子供じゃん。カネ子は、セピアとどういう関係?」


 最初からかなり砕けた態度でカネに踏み込む千晶。

 気さくでガサツな千晶は、カネの鋭利な敵意を物ともしない。


 そのやり取りを少々感心しながら眺めるセピア。


 こうやって話せばもっと早くカネが心を開いてくれたのだろうか?


「そこの間抜け顔は……、セピアは……俺の一時的な保護者」


 何故か苦虫を嚙み潰したようなカネの返答。


 セピアはその言葉にカネの譲歩を感じ取って目を丸くした。


 つまりカネはこの場では少なくとも千晶よりセピアを信用すると言ってくれたようなものだ。


「はは、十歳のでっかいガキを養う、ねえ。後先考えないとこがセピアらしいよなあ」


 千晶はセピアとカネを面白がったが、そこに見下すような色合いは含ませなかった。


 セピアはひょいと肩を竦めて応じた。


 これだけで千晶との対話は十分だ。


 今後、千晶が「無責任だ」とセピアを非難することもなければ、セピアが何かを弁解する必要もない。

 同僚で飲み仲間で、友人同士だから通じるやり取り。


 千晶は腕時計にちらりと目を落とした。

 そろそろ公演まで間がない。


 副団長の彼がこの場を立ち去る気配を発して、最後に、もう一度セピアに視線を留めた。


 千晶は――セピアの長年の飲み仲間はセピアに祝杯を掲げるようなパントマイムをして、陶酔した響きを仄かに含ませた。


「……お前の歌を信じてるんだ。俺は作詞家セピアの最初のファンだからな。きっと今に売れる。歌手にバンドに、引っ張りだこになるさ。

 そこの子が……カネ子がその足掛かりになるってなら俺はその軌跡を見てみたいよ」


 無遠慮さが鳴りを潜めて、代わりに真摯な訴えが滲んだ声色だった。


「どうだか……。私は、あまり他人に気に入られるような思想を持ってないからね、売れるかは分からない。

 だが最初のファンに恥じない奮闘をする気でいるから、今後は私ではなくカネを追っかけするといい」


「「え、マジで」」


 カネと千晶の声が見事に重なった。


 セピアは長い前髪の影から陰気に微苦笑し、真意を述べる気はないことを示した。


 大人に振り回されたカネは「何なんだよ……」といじけたようにぼやいた後、ひたすら自分はグラスの中の飲み物に興味があるんだ、という意地になった顔つきでちびちび瓶の炭酸を飲み始めた。

 ちなみに中身はノンアルコールのグレープジュースだ。


 千晶はセピアの返答に最初は面食らった様子で、次にニヤリとして、片手で謝意を示した。


 それでこの話は打ち切られたようだった。





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