殺「友」鬼

「俺たちの関係って、何なんだろうな。」


そいつは作業の手を止めて、不思議そうな顔で俺の方を見た。


「どうしたんだい、藪から棒に。」

「いや・・・ちょっと、気になってな。ネット漁ってたら、友達とは『過ちを指摘できる』関係だとか書いてあるの見たから。」

「ふぅん・・・気にしなくていいと思うけどな、僕は。」


そいつは作業を再開した。湿っぽくて粘ついた音と共に、思わず吐きたくなるような匂いが広がる。


「大切なのは世間一般の定義より、自分たちの感覚だと、僕は思うよ。で、僕の感覚では君は『友達』だ。」


君は? と屈託なく笑いかけてくるそいつの姿に創作意欲が掻き立てられて、俺はスケッチブックに鉛筆を走らせた。


「俺もだよ。」

「よかった。もし違うとか言われたらどうしようかと思ったよ。」

「言うわけないだろ・・・。俺を何だと思ってんだ?」

「あはははは。」

「笑って誤魔化すな。」


軽口の応酬に、自然と笑みが浮かんでくる。そいつは顔いっぱいで笑って、俺は口元だけで笑って。

やってることは全然違うし、何ならここに2人でいるのも究極的には自分のため。それでも俺たちは、確かに『友達』だった。


「さーて、今日はこれぐらいにしておこうかな。」

「終わりか?」

「そうだね。とりあえず今日の目標は達成したし。君の方はどう?」

「スケッチ3枚描けた。」

「早いなぁ。流石美術部。」

「スケッチってのはそういうもんだ。・・・待っててやるから、着替えて来い。」

「うん、ありがとう。」


奥の扉に消えていくそいつ。俺と扉の間には、真っ赤な血と肉片がぶちまけられている。

俺が友と思い、俺を友と言うあいつのやっていることは間違いなく犯罪で、きっと「世間」は俺もあいつも許さないだろう。それでも俺たちは、一緒にいる。

あいつは人間でオブジェを作り、俺はあいつの制作風景をモデルに絵を描きながら。


○○○○


「先輩って、なんでそんなグロい絵ばっか描くんですか?」


後ろから突然声を掛けられた俺は、驚きのあまり筆を落としそうになった。何とか持ち直し、筆を置いて顔だけ向ける。


「何だいきなり・・・。」

「いや、片付け手伝ってたら先輩の他の絵も見つけたんですけど、静物画とかめっちゃ上手いじゃないですか。なのに普段描いてるやつってそんなのばっかだから・・・。なんでかな、って思ったんですよ。」


後輩の言葉に、俺は自分の描いている絵を見下ろした。女悪魔が反物を広げるように、腕に掛けた臓物を眺めている絵。


「その『惨美』ってタイトルは秀逸だと思いますけど、でもやっぱ、なんか・・・。」

「逆に聞くが、その静物画とこの絵、どっちが?」

「良い・・・。」

「どっちの方が、魅かれる?」


後輩を真っ直ぐに見つめて、問い掛ける。きっと俺は今、薄ら笑いを浮かべているんだろうな、と頭のどこかで思った。

ゴルゴンに見つめられたかのように動きを止めた後輩の口が、ゆっくり開く。言葉を発する前動作、息を少し吸って。


ぱかーーーん! と俺の頭が思いっきりはたかれた。

後輩の目が点になって、発せられようとした言葉がどこかに雲隠れしてしまったのが外からでも分かる。極めて残念だがともかく。


「殴るな!」

「またあんたが後輩くんしてるからでしょ。優秀なおつむしてる癖に、何でそれ止めろっつってんのだけ理解できないわけ? やっぱ馬鹿なの? 絵画馬鹿なの?」

「美術部にいる連中の最低4割は絵画馬鹿だろ馬鹿野郎。てめえは人を殴っちゃいけませんってことすら知らねぇのかバーカ!」

「馬鹿っていう方が馬鹿なんですー。というわけであんたが馬鹿よばーか。」

「馬鹿馬鹿言い出したのはてめえの方が先だろ自分の言動すら記憶に留めておけねえのか病院で精密検査でも受けてきたらどうだバーカ!」

「せ、先輩ぃ・・・部長も・・・止めましょうよ・・・。」

「「うるさい!!」」

「ごめんなさい!?」


おろおろから半泣きになった後輩の姿を見て、少し冷静になれた。それは相手―――美術部部長も同じだったらしく、馬鹿みたいに大きく長いため息をついている。


「ほんっと・・・そんなグロい絵ばっか描くから、あんたの絵だけ表に飾れないのよ。その癖絵には麻薬的な中毒性があるもんだから・・・ほんと、タチ悪いわ。」


そう言って、いけ好かない部長は俺の描きかけの絵に目を落とした。審美するとき特有の鋭い目で、じっくりと見る。


「『惨美』―――惨たらしくて、美しい。このタイトルでこの女悪魔を描き始めてから、あんたの絵って凄みを増したわ。・・・なんか、ヤバいことしてるんじゃないでしょうね?」

「してるわけねえだろ。俺はただのグロ好みの絵描きだよ。」


視線がぶつかる。疑うような、案じるような、そんな目。


「新しい絵?」


いつの間にか立っていたそいつに、後輩が飛び上がった。俺に対してはひたすら強気の部長も、瞳孔を全開にして半身になる。今にも逃げたそうに、爪先が外を向いていた。


「・・・よお。」

「やほ。・・・驚かせちゃったみたいだね。」

「足音消して忍び寄ってくるからだろ。もっと普通に来い。」

「お話の邪魔をしたくなかったんだよ。・・・今回の絵も、素敵だね。」

「だろ。まだ描きかけだから、ちゃんと完成したらまた見せてやる。」

「それまでは?」

「駄目。」

「ケチだなぁ、もう。」

「絵描きのサガだ、諦めてくれ。・・・で、どうした?」

「あぁ、部活終わってないか見に来ただけ。君と遊びたくて。」

「後15分ぐらいで終わるが、どうする?」

「ふむ・・・外で待ってることにする。」

「いつものベンチか?」

「そうだよ。じゃ、また後で。」

「ああ。また後で。」


話終わって出て行くそいつの背中を、部長も後輩も怯えたような目で見ている。同時に俺のことも、信じられないものを見るような目で見てくるから失礼だ。


「そんなに怖いか? 口調は芝居がかってるが、喋ってて面白いぞ?」

「あんたはそうかもしれないけど・・・私はそこまで突き抜けてないから、やっぱ怖いわよ。あの人―――保有者キャリアでしょ。」

「らしいな。授業めんどいってよく愚痴られる。」

「よく平気で話せるわよ、ほんと。『殺人鬼』予備軍と。」

「・・・おい。」

「事実でしょ!? 他の学校で殺人鬼が全校生徒虐殺してその後別の殺人鬼に殺された話とか、好きになったものを殺しまくってた殺人鬼とか、しょっちゅう『殺人鬼』の話がニュースになるじゃない!」

「それはあいつじゃない。知らないから怖いんだろ。てめえは1回でもあいつと話したことあんのか?」

「・・・・・ないけど。」

「先入観捨てて話しかけてみろ。多分、そんなこと思わなくなる。・・・それに、あいつ『トモダチ』すげえいっぱいいるけど誰1人減ってない。少なくともあいつは『保有者キャリア』だけど『殺人鬼』じゃない。・・・俺の友達なんだ、あんまり悪く言わないでくれ。」


部長ははっとしたように俯いて、目を逸らした。


「・・・ごめん。」

「別にいい。」

「・・・今度、あの人があんた誘いに来たときに、話しかけてみるわ。」

「がんば。・・・じゃあな。」


まだ部活の時間は残っていたが、片付けは終えたので軽く手を振って美術室から出た。あいつお気に入りのベンチで合流し、肩を並べて歩く。


「さっき、めっちゃ嘘ついた。」

「どんな嘘だい?」


興味津々で聞いてくるから、こいつが出て行った後の俺と部長の会話を伝えてやった。


「っ・・・あははははは! ほんとに大噓ついてるね、君。・・・そうか、今度行ったら部長ちゃんが話しかけてくるのか。楽しみにしておくよ。」

「あんまからかってやるなよ?」

「そんなことするわけないじゃないか。僕の『オトモダチ』がどれだけいるか、君、知ってるだろう? ・・・是非彼女とも、『オトモダチ』になりたいところだね。」

「お前の方が嘘つきだろ。口開けてみろ舌の枚数確認してやる。」

「何言ってるんだい、1枚に決まってるだろほら。」


もちろん、1枚しかなかった。


そんなどうでもいい話をしながら歩いていくと、次第に人気がなくなってくる。いくつか細道を通り抜けた先、半分森に飲み込まれたようなガレージが見えて来た。


「・・・いつも思うが、ここ、結構安全だよな。不良の溜まり場になってそうなのに、この辺では見たことないし。」

「ここを使用するにあたって、きちんとご近所にしに行ったからね。絶対近付かないし手出ししません、って血判入りの契約書もらったんだ。」

「何したんだよお前・・・。」

「世の中には知らなくていいことが沢山あるんだよ。」

「わかった忘れる。」


ガレージの扉を開け、中に滑り込む。先に着替えておいでよと言われたので、血の跡を避けて奥の扉に入り、そこにある更衣室で私服に着替えて来た。入れ替わりにあいつも着替えに行って、出て来た時にはどす黒く染まった作業着姿になっている。


「前の続きからか?」

「うん、そうだね。」


材料やら道具やらを持ってきて、そいつは早速作業を始めた。俺はそれを見ながら、隅にある机でスケッチブックを広げる。


「そういえばさっきの話なんだけど。」

「どの話だ。」

「部長ちゃんの話。」

「ああ、あれか。で、なんだ?」

「何で庇ってくれたんだい? 別に告発してもいいよって言ってるのに。」

「俺が困るからに決まってんだろ。・・・お前が『保有者キャリア』じゃなくて『殺人鬼』だってバレたら、俺はインスピレーションの塊を失う。」

「君なら僕がいなくても大丈夫そうだけどね。」

「でも、いるに越したことはない。」

「そうだね。」

「だからだよ、嘘ついたのは。」

「そっかぁ。まあ、僕も君の絵が見られなくなるのは嫌だしね。」


『サイコパス型』。手段選択型、対象選択型と混同されることがあるものの、多くの殺人鬼とは違って極めて社交的かつ魅力的。また、自身の犯行に一切の罪悪感を抱かずただ快楽のために殺人を犯していることも多い。殺人鬼の中でも最悪と言えるタイプ。


俺は、昔見た殺人鬼についてのネット記事にあった1文を思い出していた。視線の先では、あいつが真剣な顔で死者の腕から皮膚を剥ぎ取っている。あいつは満面の笑みを浮かべて自分の『作品』を見せびらかしてきたこともあった。階上の、ホルマリンの中にはいくつの『作品』があっただろうか。


「・・・ほんと、お前って人でなしだよな。」

「そりゃそうだ。僕は『殺人鬼』なんだから。」


顔いっぱいに広がるそいつの笑顔の下から、俺が描く女悪魔の顔が滲み出してくるような感覚。スケッチブックに鉛筆を載せると、すぐさまそれは動き出した。

いつまでこの関係が続けられるかは分からない。きっと、ろくでもない結末になる。それでも、できうる限りの時を共有できたらいいと、頭のどこかが囁いていた。


○○○○


虫の知らせも、予見も予兆も何もなく、唐突に訪れた終わりのことは、今でも克明に思い出せる。


あのときふいにあいつは動きを止めて、塞いだ窓辺に歩み寄って、耳を済ませた。そうして窓から離れ、俺に向かって笑いかける。


「サイレンが近付いてくる。終わりみたいだ。」


俺はその言葉を聞いて、椅子を蹴って立ち上がった。急いでスケッチブックや鉛筆を鞄に放り込み、あいつを振り返る。


「お前のことだから、逃げ道は確保してんだろ。早く行くぞ。」

「行くのは君だけだよ。僕はここにいる。」


一瞬何を言っているのか分からなくなって、俺は眉をひそめた。


「・・・何言ってんだよ。捕まるつもりか? もう『作品』作れなくなるぞ?」

「違うよ。初めから決めてたんだ。ここがばれて、警察が来たら、僕を終わりにしようって。」


きっと普通の、世間一般の友達なら、ここで発するべきはあいつを止める言葉。でも俺が発したのは、全く別の言葉だった。いつかあいつが言っていたように、自分の感覚に従って。


「・・・なら、俺も残っていいか?」

「それは駄目。」

「・・・・・だよな。お前なら、そう言うよな。」

「そりゃそうだ。僕の終わりは僕だけのものだからね。君は友達だけど、だからこそ駄目なんだ。」


あいつは笑いながら扉の向こうに消えて、ポリタンク内の液体をばらまきながら戻ってきた。作りかけのオブジェと、俺が使っていた机には特に丹念にかけていく。


「ガソリンか?」

「かからないように気を付けてね。」


あいつがガレージ内の端の方からガソリンをぶちまけていくから、俺は真ん中あたりの、血溜まりを踏まない位置でその作業を見守っていた。


「ふー、こんなもんかな。」

「上の階はいいのか?」

「ああ、ホルマリンとかいっぱいあるから、念のために掛けてくる。」


そう言って階上に消えるあいつ。がらんがたんがちゃんと騒がしい音がしてすぐに戻ってきたので、たぶんポリタンク蹴っ飛ばしたり投げたりしただけなのだろう。


「俺はどこから逃げりゃいいんだ?」

「実はここ、地下道があるんだよね。ちょっと離れたとこに出るから、この地図通りに逃げて。監視カメラとかもそれで避けられるから。」

「用意周到過ぎんだろ・・・。」

「君と会うまでは、その道使ってたんだ。あ、靴にビニール袋かけてくといいよ。」


そう言って差し出されたビニール袋を靴に被せ、俺はあいつの開けてくれた地下道に入った。


「ねえ。」

「なんだ。」

「花はいらないから、君は絵を描き続けてね。――僕、君の絵大好きなんだ。」


それは、初めて会ったときにも言っていた言葉。俺は思わず微笑んで。


「わかった。・・・火、付けろよ。そこまでは、見届ける。」

「君が見たいだけでしょ。・・・でも、ありがと。僕を見届けてくれるのが君で、嬉しいよ。」

「俺もだよ。・・・・・じゃあな。」

「うん。じゃあね。ばいばい。」


古典的にマッチを擦って、そいつは俺の座っていた机に向かってマッチを投げつけた。

たちまち空気が発火して、視界が一気に明るくなる。俺は熱い空気を吸い込まないよう息を止め、あいつを見た。


あいつは、手を振っていた。俺も、手を振り返した。

その後すぐに扉が閉まって、俺はすぐさま走り出して。背後でばしゃんとガソリンを浴びる音を聞いた。


翌日のニュースで俺はあいつが無事に、あいつの終わりを遂げられたことを知った。

俺はその後美術系の大学に行って、あいつからもらった「惨美」のタイトルで絵を描き続けた。そこそこ評価されているようで、何度か個展も開いてもらった。


あるときの個展で、懐かしい顔を見つけた。ある絵の前で立ち止まっていたところに、声をかける。


「久しぶりだな、部長。」

「もう違うわ。・・・まだこの絵、描いてたのね。」

「あぁ。あいつが『描き続けて』って言ったからってのもあるけど、描くの止められなかったんだよな。」


警察があのガレージに辿り着いたのは、たぶん俺のせいなのだ。あいつに教えられた退路は完璧で、あいつと仲の良かった俺は事情聴取こそ受けたものの、あの場にいたことは一切気付かれていなかった。

そんなに慎重だったあいつが警察に気付かれたのは、俺があそこで絵を描くようになってからオブジェの制作ペースが上がったからで。俺を送るためにリスクのある道を通らざるを得なかったからだ。


俺がこの絵を―――あいつをモデルにしたこの女悪魔を描き続けるのは、描き続けたのは、手向けの花の代わり。それから、間接的とはいえ友達を殺してしまったことへの贖罪。


「そういえばあんた昔、彼女のこと『殺人鬼じゃない』とか言ってなかった? ・・・あんなに仲良かったのに、知らなかったの?」

「友達だからって、何でも知ってるわけじゃねーよ。」

「・・・・・そう。そういうことにしとくわ。」


部長は、昔と同じ鋭い目で俺の描いた絵を見る。死者を焼く炎の中で、満面の笑みで踊る女悪魔。

あいつの終わりを描いた絵。


「やっぱり惨くて―――美しいわね。」

「・・・・・そうだな。」


次会う時は地獄で。また、友達として。

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