殺「好」鬼

泡だらけのスポンジで汚れた皿を洗っていると、考えていたことがそのまま口から滑り出した。


「いい加減に、止めないと・・・。」

「何で?」


対面式キッチンの向こう側から、天使のようにきれいな顔の居候が私を見つめていた。

お行儀悪くスプーンを咥えて、無邪気に首を傾げる。


「君の趣味は何ら責められるべきものじゃないでしょ? むしろ、皆すごいねって言うよ。」

「責められるべきものでしょう。普通に考えて。」

「僕は責めない。何で顔も知らない『普通』なんか気にして、自分の好きなことを止めなくちゃいけないのさ。」

「・・・・・。」


私は答えることが出来ない。ただ無言で彼の口からスプーンを取り上げて、一度水をかけてから泡だらけにする。

水を跳ねさせないように気を付けながら泡を流す私を、彼は見ている。


「次は生姜焼きが食べたいな。」


私の頭は彼の言葉に反応して、冷蔵庫の中身と頭の中のレシピを参照しつつ必要なものをリストアップし始める。さっきこの趣味を止める必要性を再確認したところなのに、この趣味を止められる日がまた遠のいたようだ。


「ロースもしくは肩ロース、またはばら肉。正直どこでもいいけれど、そのあたりが向いてるって聞いた。あと、生姜。今家にないから。」

「肉の部位によって何か変わるの?」

「食感とか、脂の感じとか、肉々しさとか色々。」

「じゃあその3部位と生姜、調達してくるよ。食べ比べしてみたいし。」


楽しみーと可愛い顔でのたまう居候から目を逸らし、冷蔵庫を開ける。チャックシールの袋に入れられた肉の残りは、もう少ない。


「昔の人は骨の中身、骨髄も食べてたらしいけど・・・食べてみたい?」

「・・・・・美味しいと思う?」

「知らない。」

「じゃあ、生姜焼きの後でいいかな。可食部位少なそうだけど、折りやすそうな骨も調達してくるよ。味見だし、それでいいよね。」

「十分。」


冷蔵庫の扉を閉めると同時に、手が巻き付いてきた。ちらりと斜め後ろを見れば、甘えを含んだ目がある。


「止めないでね。僕は料理できないから、助かってるんだよ?」

「料理どころか掃除も洗濯もできないくせに。」


たすきのように引っかかった手と、お腹に巻き付いた手を剥がして、私はキッチンを出る。後ろから居候が追いかけてきているのは分かっていたけれど、気にしなかった。


『止めないでね。』そう言った彼の瞳は、冗談めかした色の中に確かな本心を隠していたように思う。そんな彼の言葉に触れる度、私の心は趣味を止めることのできない理由を見つけて喜ぶのだ。


(『止めないと』なんて―――どうせ止める気もないくせに。)


私の趣味は、料理をすること。

それがなければ生きていけないほどに依存するものであり、同時に、私の最大の悪癖でもある趣味だ。


「あは・・・相変わらず、僕のこと道具ぐらいにしか思ってないよね。すっげー冷たい目。」

「顔と食べっぷりと食材調達してくれること以外に褒めることもない居候にどんな目を向けろと?」

「言葉も冷たいし。まだ包丁とかまな板とかを見る目の方が優しーんじゃないの?」

「かもね。ことあるごとに襲ってくることもなく、私の役に立ってくれるもの。」

「ひっど。」


天使のようにきれいな顔の居候は私の腕を持ち上げ、二の腕を軽く嚙む。同時に吸い付かれるせいで、ぱっと見えない位置には人に見せたら心配されそうな痕が山ほど付いてしまった。


「生きてるのもどうでもよくなったら言ってよ。僕が君を、食べてあげるから。」


犬歯の目立つ歯を見せつけるように笑う、天使のようにきれいな顔をした、悪魔のような居候。

もういっそ羨ましくなるぐらい彼は振り切れているから、私のように悩まない。


「悩んだことはないの。社会不適合者普通の人とは違う人であることに。私の友達は、悩んでたけど。」

「僕だって初めは悩んだよ。誰も僕のことを理解してくれないし、カミングアウトしたら皆周りからいなくなるし。」

「誰だって死にたくはないでしょう。」

「ま、それは分かるけどさ。・・・ずっと1人でいるうちに、気付いたんだよね。別に周りに人間がいなくても、僕は大丈夫なんだって。」


それは、確かにそうだ。よく人は1人では生きれないと言うけれど、それは一部本当で一部嘘だ。

1人になったことがある人ならば、きっと皆知っている。

この世にいる人間が自分一人であれば、きっとすぐに野垂れ死ぬ。確かに人は1人では生きれない。

でも、社会を回すだけの人がいれば、その人たちと友達でなくても生きていける。だから人は、1人でも生きていける。


「だから僕は、周りのことなんか気にしない。周囲の人間の顔色なんて窺わない。ようは『社会』の目に留まらなければいいんだから、バレなきゃ何やってもいいんだよ。」

「僕は僕の意志で『殺人鬼』になった。結局僕を生かすのは僕だ。だから僕は社会だれより、僕を優先させる。」

「君もそうでしょ。止めたいとか止めなきゃだとか口では言ってるけど、本当は止める気なんて一切ないよね。結局みんな、自分が一番かわいいんだからさ。君も自分に素直になって、開き直っちゃおうよ。」


開き直れば楽だよと、天使のようにきれいな顔の悪魔は私に囁く。毎日毎夜の囁きに、垂れ流される自己肯定に、私が揺るがされているのは自覚している。それでも私がそうできないのは、まだ『社会』の顔色を窺っているからか、それとも彼の言うように、社会に溶け込んでいるふりをしているだけなのか。


(必死になって否定して、それに疲れて。そうしてより一層、趣味にのめり込む。)

(本当の私をやっきになって殺そうとして、結局自分は殺せなくて、和解する。)

(例え口先だけであったとしても、否定するのは疲れてきた。)

(―――もう、いいかな。)

(もう、いいのかな。『社会』に背を向けても。)

(もう、いいのかな。心地よい堕落に身を浸しても。)

(ねえ―――いいよね? 私?)


「・・・生姜焼きの次は、ハンバーグが作りたい。」

「ハンバーグかぁ。いいね。ちなみに君はデミグラ派? トマト派?」

「デミグラスソース・・・。」

「僕も。ちなみにミンチってどうやって作るの?」

「ひたすら包丁で叩きまくる。」

「うわ原始的。」

「うちにフードプロセッサーとかないから。・・・捌けるなら、包丁ぐらいは使えるでしょ。手伝ってね。」

「りょーうかい。」





私の趣味は、人間を材料に料理を作ること。

最近の楽しみは、顔と食いっぷりのいい居候の食人鬼に、彼が獲ってきた人間を料理してあげること。


これがなければ生きていけないほどに依存するものであり、同時に、私の最大の悪癖でもある趣味だ。

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