殺「物」鬼

ふと沸き立った何かに突き動かされるようにして、私は椅子を掴み上げた。教卓に向かって思いっきり投げつける。けたたましい音がして、椅子ごと教卓が倒れた。投げる動きに遅れて追随した髪が目にかかって、肌に触れる感覚が鬱陶しくて、乱暴に髪を掻き上げた。

足に、机が触れる。そのことに無性に腹が立って、机を蹴り倒した。周りに素知らぬ顔で並ぶ机たちに苛立って、手近な椅子で薙ぎ倒していく。


むやみやたらと何もかもに腹が立って、同時に泣き出したいほど虚しくて、何もかもが面倒くさくて、言葉にできない感情の渦は八つ当たりという名の暴力になって爆発した。


床に転がった机をさらに蹴り飛ばして、部屋の隅にあったロッカーを持ち上げて、床に叩きつける。無垢な黒板が目に入って、道中にあるものを掻き分けたり蹴ったりしながらそこまで歩いて行った。

ちびたチョークを掴み、黒板に爪が触れる嫌な感触も全部無視してめちゃくちゃな線を引く。丸い線はどこにもなくて、どれもこれもぎざぎざしていた。そのうちチョークが粉を撒き散らしながら砕けるから、そのことに顔を歪ませながら目に入った別のチョークに手を伸ばし、黒板に叩きつけるようにして線を引いていった。

ぼきん、と半ばから何本目かのチョークが折れて、制服の紺色に黄色く色がつく。黒板消しを手に取ってしばらく眺めていると、色も形もめちゃめちゃの線が引かれた黒板が妙に気になった。

左の隅に黒板消しを当てて、黒板に押し付けるようにしながら右へ移動していく。右の端まで辿り着いたら深い緑の線に少し被せるように黒板消しの位置をずらして、今度は左へと移動していった。

三往復ぐらいしただろうか、黒板の一番下までがきれいな深い緑を取り戻したところで、少し下がって全体を眺めた。全部深い緑なのに消した後はやっぱり分かって、それが少し可笑しい。

私は持っていた黒板消しをおもむろに振り上げて、黒板の真ん中に向かって投げつけた。ばふん、と色とりどりの粉が煙のように舞い散って、黒板の真ん中に長方形の跡がつく。邪魔だからとどけたほかの黒板消しも同じように振りかぶって、そこに向かって投げつけた。

うまく消す面が当たらない。いくつかは角が当たって、チョークを置く場所なんかに当たりながら落ちていく。黒板の下の踏み台は、黒板消しが色とりどりの粉に塗れながら屍のように転がっていた。


はは、と吐息か笑いか判別のつかない何かが口から零れて、粉だらけの手で倒れた椅子や机に触れていく。様々な色調の茶色が白や、ピンクや、黄色や、水色に汚れていくのがなんだか楽しかった。

1つだけ立っていた机に腰掛けて、爪の間に挟まったチョークの粉をちまちま取っていく。親指の爪が、境目の皮膚を刺すその痛みさえもが何だか心地よくて、10本全部をきれいに掃除した。

次はどうしよう、と辺りを見回すと、教室の隅っこで所在なさげに鞄が佇んでいた。黒い丈夫な布をチョークで汚しながらファスナーを開け、そこで何となく教科書たちを汚したくなくて、鞄から離れたところで腕や手についたチョークの粉を払ってから再び中を覗き込んだ。

几帳面に、というかぎゅうぎゅうに詰め込まれている教科書の、僅かな隙間に詰め込まれた筆箱。それを引っ張り出して、さっきの一つだけ立った机に戻った。


傲然と足を組んで座っていると、何の変哲もない机がまるで玉座のように思えてくる。その妄想が愉しくて、私は膝の上で筆箱を広げながら少し笑った。

筆箱の中に放り込んでいたハサミのケースを取ると、小さい子供用のものだから先が丸い。それでもそれが刃物きょうきであることには変わりがなくて。おもむろにハサミをいっぱいに開き、片方の刃を幼児のように握り締めて、「玉座」にもう片方の刃の、尖ったところを当てた。柔らかい木はそれだけで傷つきへこんで、力を込めて引くと汚く線が引かれた。ハサミというのは刃を持っていても切れないもので、ぎゅうと握り締めた片方の刃はちょっとした痛みしかもたらしてくれない。それが少し不満だったけれど、それでもいいやと思い直して私は「玉座」を切り刻んだ。

不似合いに柔らかい笑顔が顔に浮かんで、鼻歌交じりに「玉座」を切り刻む。一度立ち上がって、字書き虫のように読めそうで読めない字を全体に刻み付ける。もう一度座ろうかと思ったけど、手触りが悪かったから「玉座」だった机もひっくり返して天板の裏に座った。足の裏に板状にホコリが付いていて、肩を汚す。何故だかそれが許せなくて、肩を払いながら足の裏のホコリを取って、そこらにぽいと投げ出した。


くまなく汚して暴れまくった教室は、散々な有様だ。ロッカーを全部投げたわけではないけれど、ところどころ歯抜けになっているのがいかにも乱れている風だから許してやる。

許してやろうかと思ったけどやっぱり物足りないから、いくつか扉を思いっきり開け放った。勢いのあまり閉まったものや隣のロッカーにぶつかって騒々しい音を立てたものもあったけれど、それがいい。私は勝手に満足して、もう一度ひっくり返してきれいにした机に戻り、座った。

ふと、制服に包まれた自分の腕が目に入る。制服の袖をめくって、つるんとした肌を見ていると、何だかここもめちゃくちゃにしたくなってきた。傍らに置いた筆箱の中から、ペン先が金属になっているシャーペンを出してきて芯を引っ込める。腕に思いっきり振り下ろせばいいのに何だか怖かったから、軽めに、でもそれなりに勢いよくとん、と腕を叩いた。ぽつっと黒く縁どられた赤い丸がついて、それが何だか愉しくて、芯を引っ込めてから何度もとんとんと腕を叩き続ける。そのうちちょっと物足りなくなったから、腕をかすめるような軌道で、ちょっとばかりの勇気を振り絞って思いっきりシャーペンを振り下ろした。

ざりっ、と腕をかすめ、赤いドットが刻まれる。少しひりひりするし何か液体がにじんでいるけれど、「やってやった感」とでも言うべき感情に満たされていたから気にも留めなかった。

もう一度勇気を振り絞って、今度は腕の中心部を狙って振り下ろす。ぶつっとシャーペンが皮膚を突き破る感覚。抜くと小さな小さな血の玉が出てきて、拭ったら腕に赤い筋が伸びた。思いのほか痛かったから腕を掴んでしばしぷるぷると痛みに耐える。マシになった時にはもう腕を刺す遊びを続ける気が起きなかった。


次に何をしようか考えて、鞄の中に読みさしの本が入っていたことを思い出した。誰もいない、めちゃめちゃの教室で本を読むのもなかなか乙だろう。自分の思い付きに満足して、鞄を近くまで引きずってくる。座る机から手を伸ばして鞄を探って本を取り出し、しおりを挟んだページから先を読み始める。

本を読んで、現実から頭の中が離れていったからか。本の内容を楽しむ頭の裏側でぽんぽんと考えが生まれては消えていく。


(神様とやらがこの世にいるのなら、どうして私をこんな変な風に作ったのか聞いてみたい。)

『万人のための神様なんて、幻だ。皆が作り上げた幻に過ぎない。神様は、自分の中にしかいない。』


『何で私は人間を殺さなかったんだろう。大変だろうけど、きっと楽しいのに。』

(人間を殺すなんて考えちゃダメ! 人間を殺したら取り返しがつかないんだから、物にしとかなきゃ!)


(なんかむかつく。面倒くさい、何もかもやりたくない。)

『この世界なんか、壊れてしまえばいいのに。何もかも全て、滅んでしまえばいいのに。』


そんなことを考えては打ち消して、考えに賛同したりしている間に、ふっ、と冷静になった。


八つ当たりで暴れまくると、確かに多少気は晴れる。でも、どうしようもなく虚しくなる。

八つ当たりで暴れている間、本当は、ずっとずっと虚しいのだ。ずっとずっと、申し訳ないのだ。

八つ当たりで暴れているとき、本当は、止めたくて仕方がないのだ。でも、私には止めることはできない。

自分や物に当たっておかないと、私のこの凶暴性は何をしでかすか分からないから。


「片付け、しないと・・・・・。」


教室も、自分も、めちゃくちゃ。心の中だけがローラーでむりやりまったいらにしたように、奇妙に冷静。

ああお空がきれいだなー、と現実逃避してみて、やっぱりどうしようもなかったから、私は本を閉じて立ち上がった。とっても面倒くさい、それでもどこかたのしいお片付けをするために。

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