殺「嫌」鬼

むせ返るような血の匂い。その中心で、そいつは泣いているように見えた。



(なんで、こうなるんだよ。)


たまたまだった。偶然だった。気紛れに入った裏道で人殺しを見ることになるなんて、思っても見なかった。

しかも、その人殺しの顔を俺は知っている。殺人遺伝子保有者キャリアだけが受ける特別な授業を受けているのを見た。


(早く、警察に通報しないと。)


保有者キャリアは麻薬中毒者より質が悪い。一度人殺しの味を覚えれば、止めることが出来ない。本人たちのためにも、外から手を入れて止めてやるしかないのだ。


(交番・・・確か近くに、あったはず・・・!)


そのとき、ひやりと冷たい手が触れた。

俺の手を掴むそれは妙にぬるりとしていて、錆びた鉄のような匂いが鼻につく。


「待って。」


見たくもないのに、目が勝手に声のした方を向く。不思議なほど周囲に人はいなくて、そこにいるのは声の主と俺だけ。


(まずい・・・!)


あともう2つ角を曲がれば交番なのに。


(まずい・・・・・! 早く、離れないと・・・!)


大声を出せば、警官が来てくれるかもしれない。そう思って息を吸い込むと、手が口を塞いだ。

もがいても、暴れても、手が離れてくれない。蜘蛛の巣に絡め取られた虫の気持ちが分かった気がする。


(血の、匂いが・・・)


鼻につく。


頭が身体の制御を手放そうとしたとき、俺の体は引っ張られた。気付いたときにはもう、爪先しか表通りに出ていない。


(どこに連れていかれるんだ!?)


俺を捕らえる奴はやたらと力が強いし、気配にも敏感なようだ。殺人遺伝子は、身体や頭のリミッターを外す働きがあるとか聞いたことがある気がする。


(だから嫌いなんだよ、殺人鬼なんて!)


ずるずると、ずるずると。血の匂いに包まれたまま、俺はどこかに引き摺られていく。気がついたときには、荒れた建物の中に放り出されていた。


「・・・俺をどうするつもりだ。ついさっき殺したばっかだってのに、また殺すのかよ。」


もう、自棄だ。微かに熱に浮かされたような顔で俺を見下ろすそいつに、そんな言葉をかけてみる。

幸運にも痛いところを突いたようで、そいつは1歩、2歩と後ずさった。


「・・・けて」

「・・・何だって?」

「助けて。」


からん、と床と刃物がぶつかる音がする。そいつは刃物を前にへたり込んで、憔悴しきった表情でそう言った。

「助けて」と。

殺人鬼のくせに、そんなことを言ったのだ。


「・・・何で、正真正銘の殺人鬼を助けなきゃいけないんだ。警察に捕まっとけば、更正プログラム受けられるぞ。」


そいつは、顔を覆った手の下でひきつったような笑いを浮かべる。


「そんなの、無駄に決まってるでしょ? 更正プログラムなんか効くのは、まだ殺人衝動を自覚していない人だけ。『殺人鬼』にとっては、殺人は呼吸と同じなんだから。」


その言い草は、もしかして。


「受けたことあるのか、更正プログラム。」

「・・・まあねー。私、タイプ診断で『ジェノサイド型』って出たの。」


殺人鬼にも色々と種類があって、それは主に『ジェノサイド型』と『対象選択型』、『手段選択型』、『サイコパス型』に分けられる。殺人対象や方法が厳密に決まっている『対象選択型』や『手段選択型』とは違い、『ジェノサイド型』は無差別大量殺人を引き起こしやすく特に危険視されている。

殺人、命を奪うという行為への衝動が強いのもこの型の特徴だったはずだ。


「じゃあ、助けて、ってのは・・・。」

「・・・長くなるから、お茶でも淹れるよ。こっち来て。」


俺が連れ込まれた建物は、彼女によって快適に整えられていた。キッチンにはガスコンロや茶器まで置いてあって、多少古臭いことにさえ目をつぶれば十分住めそうだ。


「・・・ここでも殺したのか。」

「ううん。ここっていわゆる事故物件なの。だから、殺したのは別の人。私は荷物置き場に使ってるだけ。」


人が来なくて丁度いいからね、と彼女は笑った。

俺は「そうか」とだけ答えて、茶を啜る。しばらくお互い何も話さなくて、話せなくて、また気持ちを整理したくて、何も話さなかった。


「・・・したくないのか。」


主語の抜けた問に、彼女は弱弱しく、罅だらけの笑顔で答える。


「そうだよ。」

「人を見る度にせめぎ合うの。軋みをあげるの。」


目を伏せるその姿は、紛れもなく本当のことを言っているのだとわかる。それもきっと彼女の中の偽りなき本心なのだろうということは確かに理解できる。でも。


「でも、殺すんだな。」

「そうだよ。だって君も、呼吸をずっと止めることなんて出来ないでしょう?」


自分でも抑えきれないほどの衝動と、殺人の後に感じる悦楽と、それらを抑えきることも否定することも出来ずに結局それらを受け入れている自分への失望に染まった瞳が、こちらを見ている。


「愉しいの。どうしようもなく興奮するの。」

「全て終わった後で、我に返るの。」


「『私は何をしてるんだ?』って。」


「いつも気付くのは終わった後。始めるときにもきっと私の一部が叫んでる。なのに、私は耳を塞いでその声を締め出すの。」

「聞こえてるくせに。本当は、全部。」

「私が聞かないふりしてるって、私が我慢できてないだけだって、分かってるのに・・・。」

「助けてって言ったけど、本当は助けられる資格なんてないんだよ。」

「助かろうとする努力すら、私の中の『殺人鬼』を止める努力すらしてないんだから・・・!」


手の中で、髪の毛がぐしゃりと乱れた。俺はそれに何と声をかければいいのかわからなくて、茶を啜った。

きっとこいつは真面目な奴なのだろう。とても真面目で、まともな奴なのだろう。

ただただ、強すぎる欲求が我慢しきれないだけの。


「なあ。」


彼女が顔を上げる。自問自答して、自分を削り続けていたのであろうことがわかる表情だった。

嘆く資格もないと分かっているから涙も流さず、絶望で歓喜を塗りつぶして、自分を責めて。


「多分そういうのが、一番よくない。」


彼女は、さっきよりもだいぶんマシな表情で首を傾げた。俺の言っていることがこれっぽっちも分かってないようだ。


「人ってさ、禁じられるとやりたくなる生き物なんだ。お前もやっちゃいけないって思うからこそ、自分を制止する声が聴けなくなるんじゃね?」

「・・・・・その考えは、なかったかも。」

「発想の転換だよ。あんたはそんなに人を殺したいのに、俺を殺そうともしてないだろ?」


頷く。彼女の手元にはカップがあり、やりようによっては俺を殺しうる凶器になるのに彼女はそれを行わない。


「たらふくスイーツを食べたら、しばらく食べようと思わなくなるのと同じ要領だ。要は、人を殺さずに殺人衝動を抑えりゃいいんだろ? ――――――イイモノ紹介してやるよ。とりあえずその血塗れの服、なんとかしてこい。」


彼女は自分の体を見下ろして、それから声にならない悲鳴を上げながらどこかに走って行ってしまった。

しばらく待っていると、きれいな服に着替えた彼女が戻ってきた。


「ごめんね・・・返り血の存在忘れてた・・・。」

「べつにいーよほとんど乾いてただろ。」


俺が彼女を連れて行ったのは、町にあるゲームセンターだった。そこに入り、一際おどろおどろしい装飾がなされた個室型の筐体に入る。


「あの・・・私ゲームセンター初めてで・・・。」

「大丈夫大丈夫。皆ゲームに夢中で周りのことなんか見てないから喧嘩も起こらないって。」

「なるほど・・・そういう理屈で・・・。」「おい間に受けるな適当だぞ!?」

「あ、そうだったの?」

「まあ、ここみたいにショッピングセンターとかに入ってるのは大体大丈夫。あまり裏のあやしい店行くと危ないから気をつけろよ。」

「は~~い・・・。」


画面の指示に従ってVRゴーグルをつけ、チュートリアルに従い銃型のコントローラーを操作する。俺は筐体内に設置された画面を見ていただけだが、流石多くのゲーマーを「リアル過ぎて吐きそう」と言わしめたゾンビ討伐ゲームである。血は飛ぶわ肉片が飛ぶわ断面には骨見えるわやたらと写実的だ。吐きそう。


そんなわけで俺はゲームに参加せず、横から見ていただけだった。が、ゲーム終了と共にゴーグルを外した彼女は興奮に頬を赤く染めていた。


「すごい! 本物みたいだった! これなら確かに、発散できるかも!」

「・・・・・ソレハヨカッタ。」

「元気ない?」

「・・・・・吐きそう。」

「トイレあっちにあったよ。」


無駄なほどの親切痛み入るが、そういうことじゃない。

結局俺は気持ち悪さに耐えて、後2回ほど付き合う羽目になった。吐きそう。



それからというもの、時々ゲーセンに行くと必ずそのゾンビ討伐ゲームのところに彼女がいるのを見るようになった。聞いてみると、あれから殺人はしていないらしい。

彼女は彼女で、あのグロ過ぎるゾンビ討伐ゲームで平然とハイスコアを叩き出す女子高生として、ひっそり有名になっていたようだった。



それからさらに1月ほどが経った頃。

俺はあえてゆっくりと、学校に向かった。時間的には完全に遅刻、指導確定ではある。

だが、だろう、という確信があったのだから仕方がない。


ぴったり閉まった重い校門を開け、元のように閉める。

俺は校庭を横切って、静まり返った校舎へ向かって歩いていく。途中で時計が目に入り、校庭の真ん中辺りで立ち止まった。


もうすぐ、チャイムが鳴る。


後3分。後2分。あと1分。あと30秒。あと5…4…3…2…1…0。

静かな校舎にうるさいほどのチャイムが鳴り響く。椅子を蹴って立つ音や、先生が慌てて授業を畳に行く声や、生徒たちのおしゃべりなんかは一切聞こえない。

ちらりと窓に映った影は、1つきり。


「降りて来いよ。」


俺の声が聞こえたのか、影がふいと消える。階段へ向かったのだろう。

しばらくすると、喉に絡みつくような粘着質な匂いがしてきた。言わずと知れた、血の匂いだ。

妙に水っぽい、そのくせ尾を引く足音が聞こえてくる。


「ジェノサイド型、とはよく言ったもんだな。まさか、全校生徒殺し切ったのか?」


答えはない。


「あんなもので抑えられるわけないって、初めからわかってた。代替物だからこそ、本物には敵わない。どうしても、本物が欲しくなる。」


答えはない。それでも粘つく足音の主が、同意していることだけはわかった。


「2ヶ月弱は、よく耐えたほうだろうな。あんたのまともさには、感服するよ。」


麻薬よりも質の悪い、殺人衝動。ふと湧き上がれば、もう殺すことでしか治まらない。


「・・・・・やっぱり今は、後悔してるのか?」

「・・・ええ。」


返り血で染まった制服を纏う少女が立っている。妙に尾を引く足音は、靴底についた血によるものだろう。


「すごく、楽しい。すごく、虚しい。」

「とても、興奮した。とても、疲れた。」

「もっともっともっともっとも・・・・・っと、殺したい。まだ足りない。もっともっと、気持ちよくなりたい。」

「もうやだ。もう殺したくない。もう、充分。もう、いらない。これで、しばらくは持つはず。」


興奮に、狂気的な歓喜に震える声は、どこか嗚咽をこらえているようにも聞こえる。


「結局・・・・・私は、どこまで行っても殺人鬼。」


だらりと下がった大振りのナイフは、柄まで血に塗れている。

ぽたりと滴り落ちる雫は、涙のように見えた。


「そんなに人間でいたいなら、イイ方法を教えてやるよ。」

「なあに? 教えて?」


鞄の中から大きめの包丁を取り出し、彼女の胸に向ける。


「殺人鬼は人間しか殺さない。」

「『殺人鬼』だもの。」

「なら・・・『殺人鬼』に殺された奴は、人間だって言えないか?」

「・・・・・発想の、転換?」

「まあ、そういうことだ。さて、どうする?」


壊滅的にねじの外れた瞳が、わらった。


「私は、『人間』だよ。」































彼女は刃を、避けなかった。

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