第8話 桜・クリスマス(2)


「おはよう。で、田島は結局どこの高校に行くことに決めたの?」

 学校に着いて、菜々と一緒に濡れた頭をタオルで拭いていると、すかさず寄って来た鈴木と白玉が、並んで笑顔で聞いてきた。

「それは私には分からないので、田島さんに聞いてください」

 と、私は返した。私の苗字は島田なので正しい返答だ。

「し、島田さんの答えが聞きたいです」

 あわてた様子で二人が言い直す。言いながら、やっぱり島田じゃないか、と言い合っているところを見ると、本当に二人とも島田か田島かよく覚えていないらしい。スノーホワイトで二人を助けた命の恩人なのに、呆れた奴らだ。

「答えは秘密です」

 私は笑顔で突っぱねたが、急に菜々が、お腹がすいたと言い出したので、「さっさと席にもどってください」までは言えなかった。

「白玉見てたら、今朝寝坊して朝ごはん一杯しか食べられなかったの思い出した。今日はゆで卵ないの?」

 菜々が力のない声でたずねると、すかさず白玉がハイハイと調子よく言い、ポケットからゆで卵を取り出す。今朝の卵はなんと黒だ。箱根で売られている黒い温泉卵に違いない。

 白玉の説明によると、この温泉卵が売られている辺りの上空で、最近何度も不思議な飛行物体が目撃されているというので、週末に鈴木と電車に乗って見に行ったのだという。

「で、その飛行物体は見れたの?」

 誰にも見られることなく、瞬時に卵をむいて食べ終えた菜々がたずねる。その食べっぷりをうっとりと見ていた白玉だったが、質問を聞くと、鈴木と二人で悲しそうに下を向いてしまった。

 やっぱりね、と私は思った。

 二人は残念ながら、この種の運を全く持っていない。UFOとか幽霊とか、出たと噂を聞いた場所には必ず行っているようだが、一度も直接見たという話は聞かない。だからなおさら、唯一の不思議現象に近づく窓口としての私に執着しているのだと思う。

しかし、どの高校に行くのかと言うが、そもそも受験して合格しなければ入学させてもらえないのだし、そして受験して合格できる見込みがあるかどうかは、今週末の市内一斉模試の結果を見なければ判断できない。母も鈴木も質問の時期を間違えている。

「あ、でもさ、箱根に行ったら久々に見た青空がきれいで良かったよ。こっちは毎日雨だから」

 白玉がぽっちゃり笑顔で話題を変える。菜々がうなずいた。

「確かにね。あたしも週末市外まで買い物に出かけたら普通に晴れていて、ちょっとうらやましかった」

「で、部長。この風雨はいつ終わるの?」

 当たり前のように鈴木が聞いてくるので、私は椅子に座ったままこけそうになった。なぜ私に聞くのだろう。そんなこと、私に分かるわけがない。

「知らないよ。天気予報でも見れば?」

 私が思い切り不機嫌な声で言うと、鈴木は苦笑いする。

「そうなんだけどさ。でも……最近起きる変わった現象はみんな部長に関連している気がして。と言うより今年起きた変なことは三つだけど、部長に関連しないものは一つもない」

「ブー。たった三つなら偶然です。勝手に決めつけるのはやめましょう。それにもう私は部長ではありません。園芸部は引退しました。席にもどってください」

 やっと話を切り上げることができたと思ったが、鈴木は自分の席にもどらなかった。

「じゃあさ」

 鈴木が言う。鈴木の「じゃあ」は要注意だ。変な提案をしてくるに決まっている。

「本当に関係ないって言うなら、試しにこの風雨、思いっきりけなしてみてよ。雨のバカ、風のアホ、こんな長すぎる雨ありえない。常識外れの空のポンコツヤロー、とか」

 そんなおかしな提案をする鈴木自身は常識外れではないのか、とは思ったが……実は、鈴木の言ったことは全部、最近私が考えていることばかりだった。ああ、本当にムカムカしてきた。しかし鈴木の言うとおりにするのも嫌だったので、私は結局話をそらす。

「けなす価値もないでしょ。毎日毎日なんの変化もない雨と風。いい加減あきちゃった。まあ雷でも落ちたら少しは怖いかもしれないけど」

 言った途端、遠くから雷鳴らしき音が聞こえだした。まさか、と思っているうちに、ザンッと激しい風が教室の窓に当たり、窓の外が暗くなる。

 ドォーン‼

大音響とともに、校庭に目を射抜くような白光が散った。落雷だ!

教室にいた全員が悲鳴をあげて身を縮める。

 鈴木も私も、あまりの分かりやすい結果に呆然としている横で、菜々が顔を引きつらせて笑った。

「ハハ……サリーはあんまりこの天気に、文句言わない方がいいかもね……」


 その日から市の上空をおおう分厚い雨雲はさらに分厚くなり、叩きつけるような豪雨の中での下校は、もっと面倒になった。

 最悪。傘もレインコートも役に立たず、菜々と一緒に雨の入り込んだ靴でガボガボ音を立てながら帰り道を急いでいると、後ろからやはりガボガボという音が二つ追ってきた。

「ごめん……」

 鈴木の声だ。私は一瞬だけ振り返り、例の二人組がいるのを確認したが、また前を向いて黙々と歩き始めた。

 鈴木が悪いとは思っていなかった。悪いのは父―伯爵だ。この暴風雨でもし私が風邪をひき、そのために模試で合格できそうな成績が取れず、王花学院高校は諦めろと担任の西先生に宣告される―などという事態になったら、伯爵は娘の将来をつぶした最低の父親、ということになる。

 しかし、今の私は雨の中を歩き続けるのに精いっぱいで、説明どころか「別に」の一言を鈴木に言う気力さえ残っていないのだった。

「やあ、諸君。苦労しているようだねえ」

 突然、雨にも負けない陽気で優雅で少し神経質そうな男の声が聞こえてきた。

 伯爵!

 急いで声が聞こえた方を見ると、最近できた古民家カフェのテラス席に座った伯爵が、銀色の髪をゆらしながら、優雅に焼き物のカップでコーヒーを飲んでいた。テラス席は大雨のせいで片づけられていたはずだが、伯爵の座るイスとテーブルだけは外に出されたままで、そこだけは雨が全く降っていない。

 伯爵はどこからか取り出した羊羹を口に放りこむと、コーヒーを一口飲んだ。それから、ふむ、コーヒーも悪くないが、やはりミルクティーの方が……とのんびりした声でつぶやいた。

「雨を止めなさいよ、伯爵」

 私は言った。

「やーだね」

 伯爵は美しい顔に似合わない、不機嫌な子供のような声で答えた。

「親に小石をぶつけたり、感謝の気持ちもなく怒鳴り散らしたりするような子は、罰を受けて当然なのだよ」

「普通の親は十年も家を空けた後で、偉そうに説教したりしないよ」

 私は反論したが、伯爵はまったく平気そうだった。

「残念ながら私は普通の親ではない。十年の月日など私にとっては、ちょっとしたティータイムに過ぎないのだ」

 また小石をぶつけてやりたくなった。

「あの、あなたが部長の……いえ、サ、サ、サリーのお父さんなんですか?」

 鈴木が意を決した様子で伯爵にたずねた。苗字だとまた間違えると思って名前を言ったようだが、二回も噛むとはどういうことなのか。

「ぼ、僕は鈴木と言います。あなたのいるテラスだけ雨が降っていないということは、やはりあなたも魔法使いなんですよね!」

「ゆで卵あげますから、簡単な魔法を教えてください!」

「サリーのパパ、イケメン……」

 鈴木につられるように、白玉と菜々も勝手なお願いや感想を述べ始めたが、伯爵は菜々に優雅に微笑みかけた以外は、人もゆで卵も完全に無視した。

「私は鈴木という苗字が嫌いだ」

 コーヒーカップを置いて伯爵は言った。全国の鈴木さんを敵に回すような問題発言だが、もっと気になるのは伯爵の顔にくずれる兆候が見えたことだ。ヤバイ。

「特に鈴木圭吾という名前は大嫌い。大、大、大のだーい嫌い。なにが頼りになる幼なじみだ。なーにが頼りになる警察官だ。カレンちゃんは間違ってる。あんなの世界一、いや、宇宙一の魔術師である私に比べたら、一億分の一も役にも立たない人間だ!」

「え……な、なんで僕の父の名前を……」

言いかけた鈴木の頭上で、いきなりゴンッという鈍い金属音が響いた。頭を抱えてしゃがみこむ鈴木の横に、大きなステンレス製の鍋がすべり落ちる。空から雨だけでなく大鍋まで降ってきた……わけはない。

「鈴木!」

「鈴木くん!」

 白玉があわてて駆け寄り、菜々が上から傘をさしかける。

「伯爵!」

 私が怒鳴るより早く、伯爵は手に持っていた雨傘をくるりと回し、消えた。

「ザマーミロ。僕は絶対許さないぞ。ベーロベーロベー!」

 雨音に吸いこまれるように、伯爵の声が空に消えていく。後には雨が叩きつけるテラスにテーブルと椅子、そしてコーヒーカップが残っているだけだ。カフェの奥から、ここに作っておいたコーヒーがないぞ、キッチンの大鍋も見当たらないの、という声が聞こえる。

 確かに母と鈴木の父親である鈴木警部は知り合い、というより幼馴染のようだ。母や鈴木の家はずっとこの辺りにあるのだから、年齢が同じなら当たり前だろう。警部はしっかりしているし渋い俳優顔だから、母が褒めたこともあったのかもしれない。それで伯爵が不愉快に思うこともあったのかもしれない。でも……

 だからといって、鈴木の頭に鍋を落としていいということにはならない。

 ひどいと思った。というより恥ずかしい。

 こんな幼稚でワガママな父親、もういらない!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る