第7話 桜・クリスマス(1)



螺旋階段を上りきると、天井の高い、広い洋風の部屋が目に入った。

大正レトロな感じのシャンデリアに、深紅のソファ。出窓を激しく冬の雨が叩いていたが、室内の暖炉には薪がパチパチと音をたてて燃え、暖かそうだ。でも本当に暖かいかどうかは分からない。なぜならこれは、夢だから。

その暖かそうな部屋で、彼は優雅にティータイムを楽しんでいた。


―ええ、私はかつてこの館に来たことがあります。しかもたった122年前の話。貴方のひいおじい様は商人だったが、まだ若く、外国語もあまり話せなかった。私は欧米から来た商人と、あなたのひいおじい様がうまく仕事ができるよう、いろいろと教えてさし上げましたよ。なぜって彼は私に……


 そう言いながら、彼は一切れの羊羹を口に放り込み、凝ったデザインのティーカップにそそがれたミルクティーを満足そうにすすった。


―そう、彼は四千年以上も生きてきた偉大なる大魔術師であるこの私に、羊羹とミルクティーの組み合わせがどれほど美味かという新たな知識を教えてくれた、大恩人ですからね。


 テーブルの向かい側に座っていた老婦人は、ホホと笑った。柔らかくウェーブした白髪、銀縁のメガネ。老婦人はとても上品そうで、そして……どこかで見たことがあるような気がした。


―本当に不思議な方ね。確かに貿易商だった私のひいおじい様は、羊羹とミルクティーが大好きだったの。でもそれは秘密のはずよ。いつも威張っていたひいおじい様が実は甘いものが大好きだったと知っているのは、私と、私にこっそり話してくれた祖母と、それからもう一人、〝伯爵〟と呼ばれていた不思議な友達だけだったと聞いているわ。だから、あなたがその不思議な友達だった、という可能性は確かにあるわね。


 確かにある、と言いながらも老婦人は冗談を聞いた時のように、ふふ、と笑った。まあ普通は誰も、自称大魔術師の語る百年以上前の思い出話なんて、本気にはしない。


―何日この館にいてもかまわないのよ。


 紅茶を飲みながら、微笑んで老婦人は続けた。


―昔はにぎやかだったこの館も、今ではもう、住んでいるのは私だけ。おしゃべりにつき合ってくれるお客様は、いつでも大歓迎なの。ただ……あなたには家族はいないの? もし家族がいるとしたら、あなたのことを心配しているのではないかしら。ご家族のもとに帰らなくてもいいの?


 彼の手からティーカップがすべり落ちた。


―家族……?

 彼は床に落ち割れてしまったカップを眺めながら、急に落ち着きのない様子になり、立ち上がり、震えながら両手で頭を抱えた。


―家族…………か……かー……


 いきなり彼はテーブルの端にかかっていた黒い雨傘をつかむと、ぐるりと一回転させた。


―いやだなあ、マダム。僕には家族なんていませんよ。


 そう透き通る声で言い放った彼は、もうそれまでの美しい青年貴族ではなく、世にも愛らしいアイドル顔の少年だった。彼は、目をパチパチさせる老婦人の前で無邪気に笑った。


―家族なんていうつまらないものは、僕には必要ないんです。全然、まったく必要ありません。あんなものおいしくないし、というより食べられないし、僕より先にどんどん歳を取っていくし、寂しがっているだろうと久々に家に帰ってみれば……みれば……


 可愛いアイドル顔の柔らかい唇がぴくぴくと震えた。再び雨傘を回してボンッと爆発した彼は、すでに三等身の幼児体型になって床にひっくり返っていた。


―許さない、許さない、ぜーったい許さない。そっと窓から覗いてみたら、みんな全然平気そうに、あくびしたり、母娘ゲンカしたり、おいしそうな激辛レッドカレー食べたり、普通に暮らしてるなんて許さない。完全無視した上に石までぶつけてくるなんて許さない! おまけに!


―伯爵、まあ落ち着いて。


 癇癪をおこした幼児のような彼の様子に慌てることもなく、老婦人が新たなティーカップを差し出す。なみなみとそそがれるミルクティーを眺めて、彼は多少冷静になったようだった。雨傘をぐるんとまわして元の青年貴族の姿にもどると、彼は優雅にティーカップを受け取った。


―これは失礼。


 彼は再び椅子に腰かけ優雅にミルクティーを一口飲み、大粒の雨が叩く窓ガラスを眺めた。


―……とにかく、私は彼らをぜーったいに許すことはできないのですよ。ええ、この大粒の雨も、暴風も、さらには豪雪も、ありとあらゆる災害がこの街を襲うことになるでしょう。……彼女が態度を改めなければね。


 夢なのに、すっかり気分が悪くなった。

 何なのだろう、この偉そうな態度。それに雨なんて、どんなに長くても数日降ったら降りやむに決まってるじゃない?


「ぎゃっ!」

 朝、外の様子を見ようと玄関ドアを少し開けた途端、暴風と雨が叩きつけてきた。

 私はあわててドアを閉めた。やはり今日も暴風と豪雨だ。

 それにしても長い。

 すぐ止むと思っていた暴風雨が始まって今日でもう一か月だ。

テレビの情報番組は、毎日わが東西市の異常気象をトップニュースで伝えている。一か月前に市の上空に現れ、今も居座っている謎の大雨雲。しかし、暴風雨の原因となっているらしいこの雨雲がなぜあらわれたのか、一体いつになったら市から去っていくのか、明確なことを言える専門家は一人もいなかった。ただ首を傾げて、不思議ですよねー、とコメントするだけだ。こんなのんびりしたコメントなら私でもできる、と思うが、のんびりしたコメントになってしまう理由もある。

 これだけ毎日雨風が続いているのに、大きな被害はまだ一度も出ていないのだ。洪水も土砂崩れもない。大量に降る雨はまるで同じところをぐるぐる回っているように、どこにも溜まらないないのだ。まるで魔法のように。

 それでも現実として風が吹きつければ髪は乱れるし、雨にあたれば、濡れる。

私は祖母が持ってきてくれたタオルで髪と顔をふき、レインコートをきっちり着込んだ。

今日もやはり自転車は無理だ。毎朝毎朝レインコートを着て傘をさし、歩いて登校しなければならないなんて最悪。おまけに風は北風だ。中三なのに、模擬試験も近いのに、おまけにクリスマスも近いのに、なぜ毎日こんな目にあわなければならないのだろう。

「おかしいのよねえ……」

 母は朝食後のテーブルに、いつものように羊皮紙の市内図を広げ、納得のいかない様子でブツブツ言っている。

「あの人も何をしつこく怒ってすねてるんだか。もともとひがみっぽいのにプライドが高くて、目立ちたがりで褒められたがりで感謝されたがりで、その上かまってもらいたがりという面倒な人ではあるけれど……」

 情け容赦のない言い方である。

「ねえ、サリー」

 母は赤い爪先を私に向け、疑うような目でじっと見た。

「あんた、お友達たちが死にそうになった時、お父さんにスノーホワイトをもらって直したと言っていたけれど……もらった後、本当にちゃんとお礼を言ったのよね?」

「言ったよ」

 しれっとして私は言った。ウソではない。ただ……急いで走りながら言ったので、相手の耳には届いていなかったかもしれないというだけのことだ。

 そもそも菜々や白玉や鈴木が死にそうになったのは父―伯爵のせいだ。

ナーガ王子は、父は仙人のようなものだから人間の理屈で考えてもしょうがない、みたいなことを言っていたが、私はそこまで広い心は持てない。すべては父がしたことの大迷惑な結果なのだから、彼がスノーホワイトを私に渡したのは当然のことだと今も思っている。

 十年前、私は一度彼に会っている。

その時私は庭で小さな人形とぬいぐるみのクマを椅子に置き、ままごとをして機嫌よく遊んでいた。気がつくと背後にとても美しい外国人のような男の人が立っていて、私をなぜか気の毒そうに見下ろし、しかも私と目が合うと、大きなため息をついた。

―なんということだ。世界一の魔術師の娘が、こんなちっぽけな人形とぬいぐるみで遊んでいるとは。しかし感謝するがいい、わが娘よ。私がおまえにふさわしい世界一の人形と世界一のぬいぐるみに、魔法で変えてやろうではないか。

 そして彼がしでかしたことは……

「ねえ……。(いくら顔がいいからって)どうしてあんな変な人と結婚したの?」

 私は持っていたタオルを力任せに丸めながら、母に聞いた。まだ細い目で私を見ていた母は、さらに目を細くする。

「ねえ……あんたどの高校に行くか、そろそろ決めたの?」

 私も目を細くしてみた。実は、まだ決めていない。

 一般的なのは、このまま東西学園の高等部に進むことだ。しかしそこには園芸部がない。名門園芸部にこだわるなら市内には園芸の強豪校、王花学院高校がある。

 ただ……私はそのことをうっかり鈴木に言ってしまった。あらゆる不思議現象をこよなく愛する鈴木は、魔女の娘である私にくっついていれば変わった出来事を体験できると思い込み、白玉と一緒に私と同じ高校に行こうと、勝手に決めている。もちろん私は高校に行ってまで、彼らに田島部長と呼ばれ、ゆで卵が周囲に見え隠れする生活を続けるつもりはない。王花を受験するか……それとも、王花を受験すると見せかけて、高等部に進むか……

「遅刻するよ、サリー」

 細目で母とにらみ合う私に、祖母がのんびりした声で忠告する。

 うわっ。

 私は慌てて傘をさし、もう一か月も続く風雨の中に飛び出した。


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