第6話 冬虫夏草(2)


「……ナーガラヤンはその昔、戦いに敗れた王の一派がけわしい山の山頂まで逃れ、住み着いたのが始まりと言われているんだ」

 ぼんやりとした視界の中で、ナーガ王子が淡々と話すのが遠くから聞こえた。

「でもそんな大昔のことはどうでもいいよ。とにかく僕たちはずっと貧しかったんだ。冷たい山頂で、野菜もほとんど育たない。動物さえいない。たまに飛んでくる鳥を捕まえたり、その卵を食べるのがごちそう、というくらいの生活でね。だから最も寒くなる冬は……冬眠するしかなかった。最低限の食料を抱え込んで、洞窟みたいな家の奥でじっと動かず……。その食料が、唯一豊富に採れたキノコだよ。その中でもナーガラヤンだけに生える青い冬虫夏草は、いつの間にか冬眠中の僕らに取りつき、しかし養分を吸い取るのではなく寒さから保護するための膜を作ってくれるようになった。今のように高値で取引されるようになる前から、彼らはずっと一族にとって大事な友達だったんだ」

 それから王子は私を眺め、いつものように優しげに微笑んだ。

「今は姫の父上も、大事な友達だ」

 目をこすりながら、私は溜め息をつく。

「父はまわりの人間に迷惑をかけても全然気にしない、ただのワガママな超高齢魔術師だよ」

「それは違うよ、サリー」

 王子は困った表情で否定する。

「長過ぎる時を生きた彼は、言ってみれば神か仙人のようなものだ。仙人に人の道理を説いてもしょうがない。少なくとも彼は、初めて訪れたナーガラヤンで僕たち一族のことを知り、とても感動していた。青い冬虫夏草と共生したことによって、彼と同じように時を越えて生きることになった我々を、仲間と認めてくれたんだ……」

 新たな疑問がわいて、私は目の前の美しい人を眺めた。

「王子……あなた、本当は何歳なの?」

 王子は少し怪しげな笑みを浮かべ、私の手を取り、横たわっていたソファから立たせた。

「……そうだね。君は僕の妻になる人だから教えてあげようかな。でも、実はもう僕もよく分からないんだよ。冬眠している冬の間はまったく歳を取らないので。そしてナーガラヤンの冬はとてもとても長いんだ。ああ……でも僕たちよりはるかに長い時を生きている君の父上から、一人娘を僕の妃にと言われた時は、本当にうれしかったよ。だって我々の一族に、あの強大な力を持つ大魔術師の血を引く姫を迎え入れることができるんだ。もう戦いに負けた王の末裔だなんて言わせない。今度こそこの世の全てを支配する栄光の一族となり……」

 しかしうっとりした声で続くナーガ王子の言葉を、私は途中からほとんど聞いていなかった。

 辺りの薄暗さに目が慣れるにつれ、私の目の前には、あの黒い車の中と同じ青いモヤモヤした空間が、はるかに大きく広がっているのが分かった。天井らしいところも青い菌糸が埋めつくし、その隙間からキラキラと青く光る胞子が雪のように舞い落ちてくる。その向こうに巨大な繭玉のような青い塊が三つ、垂れ下がっているのに気づいたのだ。

「あ……」

私は口を開けたが、言葉が出てこなかった。

菌糸の中にうっすら見えるのは、白玉と、奈々と、そして鈴木の眠る顔だった。体は菌糸に幾重にも覆われ、顔にも青い筋が貼りついている。鈴木は最もひどく、顔もほとんど青い菌糸に覆いつくされてしまっていた。

「鈴木……!」

 ふふ、と王子は笑った。

「彼は勇敢だね。自分でこの館を見つけて、やって来たんだよ。室内に招待したら、すごく警戒した感じで入ってきたけど……でも無駄だよ。人は誰でもこの部屋に来ると眠くなるんだ。もともと冬眠のための部屋だからね」

助けなければ。そう考えながら辺りを見渡した私は、奇妙なことに気づいた。三人の塊を吊り下げる菌糸は天井で一つの束となり、木の幹のようになって床までくだり、その先が王子の足元に巻きついているのだ。それだけではない。気がつくと、王子の上着の袖口から這い出た青い菌糸の先が、彼に握られた私の手にも貼りつこうとしている。

「きゃあっ!」

 私はあわてて王子の手を振り払った。

「すぐに三人を元どおりにして!」

 私は叫んだが、王子はいつもの優雅な笑みを浮かべたまま、首を横に振った。

「それは無理だ。彼らはこれから君と一緒にナーガラヤンに来て、国を支える大事な冬虫夏草のエサとなるんだ。でもただのエサじゃない。僕や、そして君の冬眠中の食料にもなる最上級の冬虫夏草の名誉あるエサだ。そしてその冬虫夏草を食べることによって三人は僕たちと一体化し、時を超える種族として、ともに生き続ける。……ま、三人の本体はシワシワの、黒いミイラになっちゃうけどね」

ダメダメダメ。それを普通は死んでしまうと言うのだ。

ようやく目が覚めた。やっと目が覚めた。あたしはナーガ王子の美しい顔に、人さし指の先を突きつけた、

「王子、あなたは間違ってる。エサなんて、そんなの名誉でも何でもない。私の大事な友達をだまして、こんな目にあわせる人なんて、結婚相手どころか友達でもない。あなたは冬虫夏草を友達と言ったけれど、きっと本当の友達の意味なんて全然分かってない。もう帰る。三人も連れて帰る。もちろん結婚なんて、父が何を言ったか知らないけど断固お断り!」

 ナーガ王子は私に指先を突きつけられたまま、何も答えなかった。私もこれ以上言う気はなかった。私は急いで三人のそばに行き、菌糸の塊から三人を引き出そうとした。ところがすぐにも切れそうな細い菌糸に見えるのに、いくら引っぱっても、全然切れない。

 無理だよ、と王子がため息をついて言う。

「ナーガラヤンの青い冬虫夏草の菌糸は特別なんだ。絶対切れない糸なんだよ。そして、囲い込んだものの養分をすべて吸い取るまで離しはしない。たとえこの僕が放してくれと頼んでも…………て、あれ?」

 目を見開く王子の前で、私はたまたまポケットに持っていた小さなハサミを取り出し、菌糸の大きな塊をザクザクと切り開き始めた。王子は目をパチパチさせる。

「えーと……それ、ただのハサミじゃないよね。友達と違ってこの部屋にいても深く眠りこむこともなかったし。ふむ。やはり君はただの人間の娘ではないということか」

相変わらずおっとりした口調で感想をのべる王子には目もくれず、私はただひたすら菌糸のぐるぐる巻きの中から三人を救うべくハサミを使い続けた。当たり前だ、と思った。私には生まれた時から眠気程度の小さな魔なら跳ね返す、保身の魔法が掛けられているのだ。テスト直前の勉強では結構重宝している。

 そして、確かにこのハサミは普通のハサミではない。その昔、小人たちが一晩で大きな人間用の靴を作り上げるために開発した、わずかな力で何でも切れる〈小人のハサミ〉だ。中等部最後の園芸部の仕事として学校の垣根の刈込みをしたのだが、思いのほか大変だったので母親の魔法道具入れからちょっとだけ借りた。

 とにかくすべての菌糸を払いのけて、私は三人を助け出した。

「菜々、白玉、鈴木!」

 しかしどれほど揺り動かしても、床に横たわった三人は目を開けず、動きもしない。

 どうして……?

「遅いよ、サリー……」

 申し訳なさそうな声で、ナーガ王子が言った。

「菌糸は体の外だけでなく、囲い込んだ獲物の体内にまで潜りこんで、逃げられないように毒を放つんだ。もう三人は死んだも同然の状態だ。元に戻ることはない……」

「そんな……」

菜々の手を握ったまま、私はもうこれ以上どうしていいか分からなくなってしまった。

ドアをノックする音がした。王子が背後の暗がりへ顔を向ける。

「殿下、ご出発の準備が整いました」

 室内に入ってきた王子の部下が静かに言った。王子はうなずき、私の方に向き直った。

「では、姫。せめてものお詫びに、今回は望みどおり君を日本に残してナーガラヤンに帰ることにするよ。本当の友達……か。短い間だったが、日本の学校生活は楽しかった。白玉君のくれたゆで卵も本当においしかったよ。この冬はゆで卵を百個くらい抱いて、冬虫夏草と一緒に冬眠することとしよう。ごめんよ、わが姫。そんな悲しい顔をさせるつもりは、なかったんだ……」

 王子の声が、だんだん遠ざかっていく。それと同時にあれだけ部屋中を覆っていた青い菌糸も引いていき、気がつくと私は、窓から夕日の差しこむただ広いだけの部屋に、横たわる菜々や白玉、鈴木と一緒に座りこんでいた。

 下の方で誰かが激しくドアをノックする音がした。しばらく音が続いた後、いきなりドアが開く音がして、複数の足音が中になだれ込む。すぐに階段を駆け上ってくる音がして、部屋のドアが開いた。入ってきたのは鈴木警部―鈴木のお父さんだった。

「島田……紗莉衣さんだね……」

 横たわる三人をしばらく無言で見ていた警部が、やっと私に言った。後から来た警察官たちも、部屋の様子を一目見て息をのむ。救急車を呼べ、という大声が聞こえる。

「おじさん……鈴木が……白玉や菜々も……」

 なんとか声に出して私が言うと、鈴木警部は近寄ってきて片膝をついた。鈴木の襟元を引き上げて、おい蓮、蓮、と怒鳴ったが、やはり反応はない。

「……あのサトゥガ・ナーガという少年は、調べてみると入国書類に色々おかしなところが出てきてね。加えて君にその……結婚を申し込んだという情報もクラスの子から得て」

「結婚なんかしません!」

 いきなり私が叫んだので、警部は抑えるように両手を私の方に向けた。

「分かっている。それで、とにかく怪しいと目星をつけた。まあ刑事の勘かな。しかし」

 遅かったか、と口の中でつぶやきながら、警部は動かないままの鈴木の胸に耳を当て、視線を落とした。そんなバカな、と思った。そんなことがあっていいはずはない。鈴木は何も悪いことはしていない。私が証拠なんて言い出したから、それを見つけようと、少し無茶をしただけだ。

「ナーガ王子は、もう体に毒が回ってるって。でももしかしたら、すぐ病院に運べば……」

 ふと、鼻歌が聞こえた気がして私は言葉を止めた。聞いたことのある声だった。声が聞こえた窓の外に目を凝らす。

いた。鼻歌を歌いながら、一人の男が夕暮れの街をダンスするように歩いて行く。銀色の癖毛に丈の長い薄紫のフロックコートを着て、雨でもないのに雨傘を持ち、それをステッキ代わりに振りながら機嫌良さそうに角を曲がるその姿に、私は目を凝らした。すべての災難の大元である、あの大迷惑な奴の後ろ姿に私は目を凝らした!

 私は立ち上がり、駆け寄って窓を開け、外に飛び出した。待て、ここは二階だ、という鈴木警部の慌てた声が追ってくる。気にしなかった。

 私は、魔女の娘だ。


 全力で通りを走り抜け、奴が曲がった角を同じように曲がった直後、私は立ち止った。

車も人通りもない、しんとした夕暮れの道の先に、奴がいた。手に持った雨傘で顔を半分隠したまま、冷たい紫の瞳で私をじっと眺めている。

「どうせおまえもカッコイイ男の子には弱いだろうと思ったから、結婚相手の顔は厳選したつもりだったのだが、お気に召さなかったようだな。ワガママな我が娘よ」

 私は足元にあった小石を拾い、奴に投げつけた。当たる前に奴の姿は消えた。急いで探すと、家屋よりも高い夕暮れの空に、黒い雨傘をさした少年が浮いているのが見えた。

「乱暴はよくないなあ、マドモアゼル。八つ当たりされても、キミのクラスメイトが死んだことについて、悪いけどボクの責任は砂一粒ほどもないんだよ」

「まだ死んでない。勝手に殺すな!」

 私は怒鳴った。

「おまえなんか八つ当たりする価値もあるもんか!」

 最初は美しい青年貴族のように見え、空では十代のアイドルのように見えた奴は、肩で息をする私の前の路上にゆっくり降りてくると、くるんと傘を回して青年の顔に戻った。

「ではなぜ、私の後を追ってきたのだ」

 余裕の笑みを浮かべたまま私を眺め、奴は言った。理由など他にあるはずもない。

「あらゆる毒を中和する万能薬〈スノーホワイト〉。おまえなら持っているはずだ。本当のクズの極悪人になりたくなかったら、今すぐ三人分出しなさい!」

 私が伸ばした手の先を、奴は数秒黙って見つめた。しかしやがて片眉を吊り上げたかと思うと眉間にしわを寄せ、頬をふくらませ、べーっと舌を突き出した。

「やーだね!」

 奴は再び雨傘をくるんと回すと、今度は一瞬で小学校低学年くらいの子供になった。

「だっておまえたちはみーんな失礼なんだもん。人にものを頼むなら、それなりの礼儀ってものがあるでしょ。とにかく不愉快だ、プンプンプン。十年ぶりに僕が帰ってきたのに、おまえたちは鈍感なのか、僕が間近にいることに全然気づきもしない。気づくように、学校の庭にマンドラゴラを植えたり、ジャックの豆の木の豆を植えさせたり、再三ヒントも与えているのに!」

 だって、気づきたくないんだもん。

私は心の中で断言した。十年以上行方不明だったのは、家族の平和な生活に貢献したからいいとしても、その間に勝手に娘の婚約者を決め、ふらりと戻ってきて、今度は気づいてほしいからと、娘の通う学校で一般生徒も巻きこむ迷惑行為を繰り返す。そんな破壊的かまってちゃんにかかわりたいと、一体誰が思うだろうか。

 しかし、この男は全然そう思っていないようだった。

「いいかい、僕が帰ってきたら、みんな涙を流して喜ばなきゃダメなんだよ。再びお会いできて嬉しゅうございますと、ひざまずいて感謝すべきなんだ。だって僕は地球史上最高の大魔術師で、大錬金術師で、どこに行っても大人気なんだから。みんなが僕を待ってるんだ。もちろんナーガラヤンでも、僕は歓迎されたよ。彼らは僕には及ばないが同じ長命の民として、僕の偉大さがどれほどのものか十分知っていたんだ!」

 それで調子に乗って、娘を嫁にやると言ってしまったらしい。しかし私には、長命の価値は分からなかった。王子も変だったが、この目の前の自称大魔術師も四千年以上も生きているのに、どうしてこんなアホのお子様のままなのだろうと不思議でならない。そもそも菜々や白玉や鈴木がこんな死にそうな状態になったのも、奴が結婚話を王子に持ちかけたのが原因だ。なのに涙を流して喜べとは図々しいにもほどがある。

 しかし私は我慢した。アホに腹を立てても無駄だと何かの本に書いてあったからだ。

「じゃあ、伯爵様とでもお呼びしたらいいんですか?」

 私が渋々言うと、奴は得意満面の幼児の顔をして、うむ、とうなずき、再び一回転して元の美しい青年貴族の姿にもどった。確かにあのフランス宮廷では、その甘い顔立ちと笑えるホラ話でそこそこ人気があったらしいが、それ以上に歴史に深くかかわったという記録がないのは、この男が当時からいかに薄っぺらだったかを、よく表していると思う。

 奴は、やっぱりパパの方がいいかなー、とつぶやいたが、やがて悲しげな顔になり、額に手を当てて深いため息をついた。

「しかし残念だが、サリー。やはり〈スノーホワイト〉をおまえに渡すことはできないのだ。なぜなら……なぜなら……」

 不愉快になると、どうしても幼児的本質が顔を出すらしく、いきなりボンッと音を立てて、奴は再び三等身の子供の姿になった。

「だってさー、おまえたち人間は、いや人類は、ちーっとも僕のいうことなんか聞かないんだもん。これは天罰だよ。そう、これは人類がこれまで重ねてきた愚かな行いに対する天罰なのだ!」

 アホか。なぜ菜々と白玉と鈴木が、人類を代表してその天罰とやらを受けねばならない。

「あのフランス革命が起きる前だってさ、僕はちゃんとマリー・アントワネットに忠告の手紙を書いたんだよ。こんな贅沢三昧の生活を続けてると、そのうち国民に殺されちゃうよってね。だけど彼女も言うことを聞かなかった。なぜか」

「手紙の字がヘタクソで読めなかったからでしょ」

 私は言い捨てて、もと来た道を歩き始めた。情けなくてしょうがなかった。こんな奴に何かを頼もうとした私もバカだった。私が読んだ本の記憶は間違っていた。アホに腹を立てても無駄ではなく、正しくは、アホを相手にするのは無駄、だ。

 祖母に何か三人を救う方法がないか相談しようと思った。祖母はただの魔女だが、それなりの豊富な経験がある。私と母が親子ゲンカを始めても、すぐ仲裁してくれる。今回も三人を助けるために、きっといい知恵を貸してくれる。

「違う違う、違ーう! 彼女もまた私の価値を知らない愚か者だったからに決まってるだろ。おーい!」

 奴はそう言いながらしつこく追いかけてきたが、私は無視した。菜々も鈴木も白玉も死にそうだ。時間がないのだ。

「あのロシア革命の時だって、ねえサリー!」

 本当に急いでいるので、私は走り出す。その目の前に、いきなり三つの小さな真珠のような粒が載った子供の手が差し出された。

 〈スノーホワイト〉だ。

 私は無言で手を差し出した奴を見る。奴は三等身の姿で宙に浮いたまま、唇を不満そうにとがらせた。

「高いんだからね。今回だけ、特別だからね」

 私はすかさず三粒を取った。

「よっしゃ!」

 すぐに全力で走り出し、三人が倒れている館に向かう。後ろの方で、お礼はー、という叫びが聞こえたので、ありがとー、と仕方なく返しておいた。走りながら言ったので声が届いたかどうかは分からない。

 館にもどった時にはもう、遠くから救急車のサイレンが聞こえていた。病院に運びこまれると面倒なことになるので、その前に〈スノーホワイト〉を使わねばならない。

 菜々は一番症状が軽かったので、抱き起して口に押し込むと、すぐに飲んでくれた。白玉は飲まなかったが、彼のポケットに入っていたゆで卵に埋め込むと、なんと、意識がない状態にもかかわらず、むしゃむしゃと食べて飲みこんだ。さすが白玉。二人とも徐々に顔色が良くなってくる。

 問題は鈴木だった。菌糸に取り込まれていた時間が長かったため、鈴木の皮膚は既に固く、黒く変色して、何度呼びかけても何の反応もなかった。もちろん〈スノーホワイト〉は飲んでくれない。

「何とかしてくれよ、田島。後でゆで卵を山盛りあげるから」

 後ろで白玉が泣きそうな声で言う。

「田島じゃなくて、島田」

 私は訂正したが、どうしたら飲んでくれるのか、まったくアイデアは浮かばなかった。

「貸してみろ」

 それまで後ろからきびしい表情で見ていた鈴木警部が、私の手から〈スノーホワイト〉を取り上げる。

「起きろ、蓮!」

警部が鈴木の胸倉をつかみ、いきなり上体を引き起こした。その勢いで意識がないままの鈴木の口が開く。すかさず警部が〈スノーホワイト〉を喉の奥まで投げ込む。そして警部は顎に手をかけ、グイッと口を閉じさせた。かなりの力技だ。

 しかし鈴木の喉がわずかに動いて、飲み下したのが分かった。

「これでいいのか?」

 警部が私に確認する。私はすっかり引いてしまい、うなずくのが精一杯だった。

「君は、島田カレンの娘だな」

 少しずつ顔色が良くなってくる鈴木を見ながら、警部が言う。

「は……はい。なぜ知ってるんですか?」

 恐る恐るたずねると、警部は渋い俳優顔に少しだけ笑みを浮かべて、私の方を向いた。

「子供の頃、学校が一緒だったからね。島田カレンの娘なら……こういうものを持っていても、不思議じゃないさ」


しばらくして、ナーガラヤンに関連した小さなニュースをテレビで見た。

 いくつかの病の特効薬を作るための唯一の原料とされているナーガラヤンの青い冬虫夏草が、新薬の研究機関に無償で提供されることになったという内容だ。

 大切な命を助けるための研究ですから、とカメラのフラッシュを浴びながら言うナーガ王子は、やはりあの優雅な笑みを浮かべていた。

 ナーガ王子はとんでもないことをしたけれど、取りあえず三人は再び元気で生きているし、今回だけは目をつぶろうと思う。

 私はクラスの全員に囲まれ、同情された。

 振られたんだね。かわいそうに。元々あんなきれいな王子様とは全然釣り合わなかったんだよ。ただの庶民なんだからさ。諦めなよ。これで良かったんだよ……

 放っておいてほしい。

 そして今度も鈴木は、ナーガ王子と青い冬虫夏草のレポートを勉強の合間にまとめ上げたが、それによるとあの菌糸に巻かれ瀕死の状態になっていた時でも、鈴木にある程度の意識は残っていたことが分かった。

 菌糸の中はふわふわとして結構気持ちよく、このまま冬虫夏草に取り込まれて誰かの養分になってしまっても構わないような気もしたそうだ。

 助けなくてもよかったかもしれない。



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