第4話 ジャックの豆の木(2)


  豆の木とは言うが、もちろんつる植物であるこの豆の驚異的な成長速度と凶暴性については 昔から多くの古文書に書かれてきた。

 その中で最も有名なのがイギリスの昔話「ジャックと豆の木」であり、主人公のジャックに豆を渡した老人は誰を示しているのか―というのは、今も魔術界に残る大きな謎の一つだ。そら豆の突然変異というだけで、はるか天空まで伸び続けるような植物が生まれるはずはないので、そこにはやはり当時の優れた魔術や錬金術がかかわっていた可能性は高い。

 この豆は鉢に植えてほんの少しじょうろで水をやったくらいでは発芽しない。大量の水に長時間ひたっている必要がある。たとえば、何時間も続く豪雨のような。

 そして一定時間を過ぎた時、いきなり豆は質量保存の法則を無視してドーンと巨大化し、発芽するのだ。

つまり、あの校舎の小さな揺れが起きた時だ。

そして発芽した豆のつるは暴走を始める。

 あの中国の世界遺産、万里の長城も、実はこの豆の木の侵略を防ぐために造られたというのは魔女界の常識だ(人間界の常識は別)。うっかり魔術師が海に落としたジャックの豆は、三角形に大増殖して船を沈め、上空に伸びて飛行機さえ引きずり落とし、その海域は長く魔の三角海域として恐れられた。

 この悪魔のようなジャックの豆の木の大増殖を止める方法は、たった一つしかない。

 ジャックに豆を与えた老人が、実は同時に渡していたという斧。

豆の木を伝って追いかけてくる巨人を止めるために、ジャックが根元に振り下ろしたこの斧の魔力を受け継ぐ〈ジャックの斧〉だけが、豆の木の増殖を止めるのだ。


 サツマイモ!

 私は思わず、けなげに成長してきた彼らを救い出そうと、五色のつるが大蛇のようにのたうつ屋上に駆け上がった。しかしすぐに巨大なつるの波にのみ込まれて、身動きできなくなる。締めつけられて声が出ない。体中がきしむ。窒息する!

「田島部長ー!」

「大丈夫ー?」

 出入り口の奥から、鈴木と白玉が叫ぶ。どこが大丈夫に見えるというのか。それに私の苗字は島田だ。

「ホホホ。この状況を変じゃないと言うなら、あんたは一度視力検査を受けた方がいいわね」

 上空から勝ち誇った母の声が聞こえた。

 鈴木も白玉も見ているのに、暗くなった空を見上げると、普通に母が浮かんでいた。

 私がホウキを古いと言ったのがよほどプライドを逆なでしたのか、今夜の母がまたがっているのは、コードレスのスティック掃除機だ。黒い尖った帽子に、黒いローブに、掃除機。やっぱり変だった。

「部長のお母さんって…………魔女だったんだね」

 ポカンとした声で白玉が言うのが聞こえたが、説明している暇はない。

「そんなこと言ってる場合⁉ このままこいつらを成長させたら、屋上だけじゃなくて校舎全体、いや東西市全体が破壊されちゃうよ。そんなことを許して地域猫…じゃない、地域魔女のお母さんがいる意味あるの⁉」

 つるの中から私は叫んだが、母の表情に特に変化はなかった。

 母の右手には、いつの間にか長さ三十センチほどの、百均にでもありそうな小さな斧が握られている。母は私によく見えるように、上空でそれをブラブラさせた。

「必要なら貸してあげてもいいわよ、この〈ジャックの斧〉。レンタル料はもらうけど」

 そう言って母が示したレンタル料金は、私がマンドラゴラの代金としてせしめたのと同額だった。ケチ! 守銭奴!

「そんなこと言わないで、おばさん。部長と学校を救ってください!」

 鈴木が出入り口から顔だけ出して叫ぶ。

「ゆで卵あげますから!」

 白玉もゆで卵を差し出して言う。

 しかし、おばさん、というNGワードを聞いた母の表情は冷ややかだった。

「ごめんねー。おばさん、ゆで卵は嫌いなの」

 白玉が硬直する。あまりのショックに心を打ち砕かれたのが分かった。

「あたしが好きなのは、いつでも現金……きゃっ!」

 いきなり変な声を上げた母の手から〝ジャックの斧〟が消失した。天に上りかけていた五色のつるが、母の斧を叩き落としたのだ。

「あああ! 大事な私の斧が……!」

 放物線を描いた斧が、鈴木の近くに落ちる。

「鈴木! その斧を取って。その斧じゃないと、このつるは切れないんだよ!」

 私が叫んだので、鈴木は急いで斧をひろった。

「でもこの斧、かなり小さいけど……」

 相変わらず鈴木は細かいことを気にする。

「大丈夫だから。その斧は振り下ろす時だけ、つるに合った大きさに変わるの。それと切る場所は……」

 まだ説明の途中だった。しかし鈴木は急がねばならないと思ったのか、いきなり私を巻きこんでいた紫のつるに向かって、〝ジャックの斧〟を振り下ろした。

ザンッ!

 急速に巨大化した斧がつるを一気に断ち切り、私はやっとつるから抜け出した。

「ホントだ。助かって良かったね」

 元の大きさにもどった斧を見ながら、にっこり笑って鈴木が言う。……良くない、良くない。

「ダメ! つるの根元を切らないと、すぐに復活するの!」

 叫びながら、私はもう階段を走り下り始めていた。鈴木が中途半端なところで切った切り口からは、もう十本以上の新たなつるが伸び始めていた。残りの四色の巨大なつるも、うねりながら追ってくる。とりあえず逃げるしかない。ジャックの豆の木はもう、斧を持つ私たちを敵と気づいているのだ。

「部長、危ない!」

 鈴木の叫び声が聞こえたのと同時に、私は思い切り階段の踊り場に押さえつけられた。

私と鈴木の真上を風が切ったと思うと、ピンクのつる先が踊り場の窓を窓枠ごと吹き飛ばし、校舎の外に一瞬飛び出した。

「きゃあああああああ!」

 下の方から悲鳴が聞こえた。夏休みの学校を見まわる警備員さんが、ピンクの巨大なつるを見てしまったに違いない。

「ど、どうも……」

 立ち上がって取りあえず私は鈴木に礼を言ったが、鈴木は珍しく真面目な顔で、辺りのつるの状況を確認していた。余計な話だが、真面目な時の鈴木の横顔は、ごくたまにカッコよく見える時がある。

 とにかく私たちは、つるがこれ以上校舎の外に出てもっと面倒なことにならないよう、校舎の中を逃げ回った。階段を一気に下りて一階の廊下を走り、反対側の階段を駆け上る。その間にも、後ろを追ってくる五色のつる先は勢いあまって窓を割り、掲示板を跳ね飛ばし、照明も三つ割った。その度に私たちは走りながら悲鳴をあげた。

「ねえ、僕たちつるから逃げてるの? それともつるが校舎を壊す手伝いをしてるの?」

 白玉が息を切らしながら聞いてくる。うーむ、するどい指摘。しかし体育が苦手な白玉は、そろそろ走るのが辛そうだ。

「とにかく根元を切ればいいんだな」

 走りながら鈴木が私に確認してくる。

「そう。だから……」

 私たちは三階の廊下を走り、元の屋上への出入り口へもどり、長い土管のような五色のつるがうねる上を滑らないよう気をつけながら登り、やっと屋上に出た。

 つるをたどり、根元を探す。

 あああ!

 私はショックで座り込みそうになった。

 根元は、あった。私たち園芸部が丹精こめて育てたサツマイモが、かつてあった場所に。

 使っていた大型のプラスチックコンテナは粉々に割れ、流れ出した土の全てを〝ジャックの豆の木〟の根が蜘蛛の巣のように覆っている。サツマイモのつるであったものは、その外側にはじかれ、濡れたコンクリートの上で力なくしおれていた。

 私の……愛するサツマイモ……

「この豆の木の根元を切ればいいんだな?」

 鈴木が淡々という。私はうなずいた。目がだんだん吊り上がってくるのが分かった。

「もう、思いっきり切っちゃって!」

 鈴木が斧を振り上げる。斧が巨大化して、振り下ろせばその重みで豆の木の根元に突き刺さる。まずピンクの根元。次はイエロー。水色。ミントグリーン!

「うわっ!」

 最後の紫のつるの根元に斧を振り下ろそうとした鈴木が、変な声を上げてその場にひっくり返った。屋上の床はまだ雨に濡れていたが、滑ったのではなかった。

 鈴木の両足首に細い紫のつるが巻きついている。鈴木が中途半端な位置で切ったつるから新たに生えたつるだ。鈴木は引きずられ、私たちを追って校舎を一周して追いついてきた本体の巨大な紫のつるに、はるか上空まで巻き上げられた。

「部長、これを!」

 鈴木が私に斧を放ってくる。斧を追って細い紫のつるが一斉に夜空に伸びる。そのつる先より速く私は夜空に飛び上がり、斧を奪い取った。サツマイモをダメにされたことに対する怒りのエネルギーが爆発して、私を空に飛ばしたのだ。

 そして着地しながら、斧を最後まで残っていた紫のつるの根元に振り下ろす。

 ザンッ!

 巨大化した斧が、紫のつるの根元を打ち砕いた。

 夕暮れの夢の国が、月夜の屋上に消えていく。

 根を失った〝ジャックの豆の木〟は、見る間にちぢみ、枯れ、そして消えていった。

流れたコンテナの土の上に残ったのは、わずかに五色に輝く小さなそら豆の種だけだ。

「はい、お疲れさま!」

 いきなり頭上から母の声がしたかと思うと、私の手の中にあったジャックの斧が消え、土の上の五色のそら豆もなくなった。

 見上げると、掃除機にまたがり、右手に斧、左手に五色の豆を見えるように持った母が、満足げに私たちを見下ろしていた。

「斧も貴重だけど、この豆の方はもっと珍しいの。世界に二十とない超珍しい〈ジャックのそら豆〉。今回のレンタル料はこのそら豆、ということにしておいてあげるわ」

 そう一方的に言い残し、母は高笑いしながら夜空の闇に消えていった。

「……部長のお母さんは魔女だったんだな。だから色々詳しく知ってるのか」

 鈴木が感心した様子で言う。私はもう誰もいなくなった夜空を見上げ、見え見えのウソをついた。

「違うよ。あんなのただの仮装おばさんに決まってるじゃない」

「ゆで卵が……嫌いな人がいるなんて……」

 白玉はまだそのショックから立ち直れていないようだ。

 私も立ち直れなかった。

数日ぶりに雲間から現れた月に照らされた屋上には、もう草原のようなサツマイモのつるの広がりはなかった。全部あの巨大な豆のつるに押し潰されてしまったのだ。それは、〈ジャックの斧〉のレンタル料を現金で母に取られなかったことを差し引いても、消すことのできないショックだった。

 焼き芋パーティーの夢は、終わったのだ。


 さらに、破壊された校舎問題が残った。

 あの悲鳴を上げた警備員がすぐに警察を呼んだので、私と鈴木と白玉は物陰にかくれて、かけつけた警察官と警備員のやり取りを聞いた。

 鈴木が、あ、オヤジ、とつぶやいた私服の刑事は無表情だったが、一緒にいた警察官は警備員の話をひと通り聞いたものの、階段の窓を破って、ピンクのタコ足が飛び出してきた、という主張には、ぷぷっと苦笑いしていた。

 どうやら、何者かが夏休み中の人気のない校舎に侵入し、破壊して回った、という筋書きに落ち着きそうだ。

 ちなみに鈴木の父親は、他の警察官に鈴木警部と呼ばれていたが、時代劇が似合いそうな、カッコイイ渋い顔の人だった。鈴木も大人になったら、あんな顔になるのかな。

 そして最後に残った疑問は、鈴木が再び作ったレポートを見なくても明らかだった。

 一体誰が、屋上のコンテナにあの激レアな〈ジャックの豆の木〉の豆を植えたのか。それはもしかしたら、あの北花壇に突然現れたマンドラゴラにも重なる疑問だ。

 次の日、私は例の一年生部員二人を優しい声で近所の公園に呼び出し、なぜ私に謝ったのかを尋ねた。

「だ、だって……ただの冗談だと思ったんですぅ」

 私は優しく笑いながら聞いたのに、安田、前田は両手を胸の前で合わせて、すでに泣きそうな表情だった。二人は校舎のあちこちが破壊されたというローカルニュースを見て、自分たちも警察に呼ばれるのではないかと、怯えていたのだという。

「でも本当に私たち何も知らなかったんです。一週間前、校門前の花壇に水をやっていたら、知らない高校生くらいの男の子が話しかけてきて……」

 そして、こう言ったのだという。

―キミたち、この中学校の園芸部の人だよね。いつも水やり頑張っているから、ご褒美にこの五色のそら豆をあげるよ。土に埋めておけば、そのうち大きなつるがどんどん上に伸びて、天にも登れるようになるんだよ。

 その時点で男の子は笑っていたし、豆を受け取った二人も冗談だと思って笑い返しただけだった。それでも二人が受け取った豆を、屋上のサツマイモを植えたコンテナの端に本当に埋めこんでしまった理由を……私は知っていた。

「その男の子……かなりキレイで、かわいかったでしょ」

 私が言った途端、二人は涙を溜めていた表情を一変させ、満面の笑みを浮かべた。

「そーなんです。どーして知ってるんですか⁉」

「もしかして部長の知り合いですか? まさか身内の人とか?」

 私は二人から少し視線をそらした。

「そうね……身内といえば……身内かも……」

 それを聞いた二人は完全にハイテンションになってしまった。

「ですよね! いとこですか? 癖毛と丸顔なところが少し似ています!」

「年齢は何歳なんですか?」

 私は考え込んだ。

「…………十七歳、かな……」

 キャー、ぴったり、と二人は同時に叫んだ。何がぴったりなのかは、よく分からないが、これ以上の面倒はいやなので、私は取りあえず二人に口止めする。

「彼を校舎破壊の犯人にしたくないでしょ。あなたたちも共犯者にはなりたくないでしょ。だから絶対口外しないでね」

 二人は満面の笑みで、絶対言いませーん、と断言した。

 あんなにカワイイなんて、実はタレントですか、モデルですか、とさらに聞いてくる二人を残して公園を出ながら、私は確信した。

 これで分かった。あいつだ。

 あいつなら、希少な〈ジャックの豆〉を持っていることも、説明がつく。たぶんマンドラゴラを学校の北花壇に植えたのも、あいつだ。

 十七歳ではなく、齢四千十七歳を数える、真正の魔術師にして稀代の錬金術師。さらには伯爵、僧侶、医師とその時々で肩書を変え、歴史を渡り歩いたペテン師。

 とすれば、あの母の地図に浮いていた小さな青の光も彼だ。

 母は、え、分かんない、と言っていたが、本当は気づいていたに違いない。彼が帰って来ていることに。まあ面倒な人物だから、気がつきたくないのも分かる。

 じゃあ……私はどうする?

 私は立ち止まって数秒考え、すぐに答えを出した。

「私もしーらない!」

 正しい答えだった。なんと言っても、今年は中三だ。忙しいのだ。これ以上の面倒にかかわっているひまはない。

 私は満足して一人頷き、再び歩き出した。


 そして、やはりつる植物は偉大だったということも、つけ加えておこうと思う。

 私は全滅したと思ったのだが、〝ジャックの豆の木〟に、ぺしゃんこに潰されたサツマイモは、なんとその後植え直したコンテナの中で復活し、再びつるを伸ばし始めたのだ。

 そして秋には、予想よりは少なかったものの、なんとかサツマイモを収穫し、私たちは無事、園芸部全員で焼き芋パーティーを開くことができたのだった。

 メデタシ、メデタシ……





                 参考 ツルヒヨドリ 12/16沖縄タイムズ


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