第3話 ジャックの豆の木(1)



 つる植物をナメてはいけない。

 ウソだと思うなら、たとえば家のベランダで、つるむらさき、という植物を鉢植えで育ててみてはどうだろう。つるも葉も紫色でベランダを彩る美しい観葉植物となるうえに、穂先はなんと食用にもなる。その味は……評価が分かれるところだが、お得であることは間違いない。

 育てるのはとてつもなく簡単だ。発芽に少々時間がかかるが、その後はほとんど肥料も必要とせず、水さえあれば夏の直射日光にも負けずビュンビュンと伸びまくり、観葉植物と思ったのも束の間、一般的な日本家屋の狭いベランダを、あっという間に紫のジャングルへと変えるのだ。

 あまりの勢いに恐れをいだき、つるを適当にハサミでチョッキンと切れば、確かに成長は止まる。しかしそれで、この植物との闘いに人類が勝ったと思うのは間違いだ。

 ヤツはまだ、生きている。

 一度雨でも降れば残った株元からつるは新たな芽を伸ばして復活し、一般的な日本家屋の狭いベランダを再び侵略し始め……

 まあそんな面倒くさいことをしなくても、広い洋館をおおいつくす蔦や、気がつけば川土手一体に広がり初冬まで花を咲かせ続ける野アサガオ、たった一株を放っておけば一年で二十五メートル四方に広がるツルヒヨドリ。……恐ろしや。世界は知らぬ間に物言わぬつる植物の大侵略を受けていたのだ。

 そしてその中でも最強の生命力と繁殖力、攻撃力を誇るのが、あれだ。

 一度成長を始めれば天まで届いて人まで登れたという―いわゆる〈ジャックの豆の木〉である。


 昼休憩に見上げた夏空の下には、想像どおりの素晴らしい光景が広がっていた。

 私の名前は島田紗莉衣、サリーと呼ばれている。中学三年生だ。園芸部の部長もやっている。そしてここは、通っている東西学園中等部の屋上。

「すごい。超順調だね!」

 あまりの気持ち良さに深呼吸する私の横で、副部長で親友の菜々も嬉しそうに言う。

 私たちの目の前には、目にも涼やかな緑の草原が広がっていた。

 正確に言うと、草原の正体は屋上に広がりつつある、サツマイモのつるだ。五月に十人ほどの部員全員で、屋上に大型のプランターを何個も持ち込み、植えつけたサツマイモの小さなつるは、今では広い屋上の半分以上を緑の葉でおおっている。

 これは夏の直射日光を防ぐために家の壁面に作られる、つる植物のネットーいわゆるグリーンカーテンの屋上版だ。

 広がるサツマイモのつると大きな葉が太陽の光をさえぎり、屋上のコンクリートが熱くなるのを防ぎ、つまりは校舎内の夏の温度を上げにくくする効果があるのだという。

 全国のたくさんの学校で行われているアイデアで、わが園芸部もさっそく今年から取り入れることにした。サツマイモのいいところは温度を上げないことだけではない。秋には芋ほりもできる。芋がたくさんとれたら園芸部で焼き芋パーティーだって開ける。

「おいしいサツマイモがとれるといいね……」

「うん。たくさんとれるといいね……」

 菜々と私がうっとりしていると、背後の階段から小さな声が聞こえた。

「サツマイモだってさ」

「やっぱり女子は、花より団子なのかな」

 私は目を細くして、すばやく背後の階段口を見る。

やはり、いた。

階段の手すりの上に顔がのぞいていた。クラスの変態―じゃなくて変人二人組。メガネをはずした顔をまだ一度も見たことがない鈴木と、ゆで卵大好きな、色白ぽっちゃり体型の白玉だ。

 しかしこの二人の問題は見かけにあるのではない。

いわゆる超常現象をこよなく愛する二人は、たまたま私と一緒に学校花壇に生えた肉食マンドラゴラを捕獲して以来、私を見張っていれば、再び彼らの追い求める不思議な体験ができると、勝手な期待に胸をふくらませてるのだ。

残念だが無駄な努力である。

 私は宇宙人ではないし、ユーレイでもないし、もちろん超能力者でもない。

 ただ祖母と母親が伝統的な魔女だというだけの、フツ―の中学生に過ぎない。しかも来年は高校生だ。そう簡単に何度もおかしな事件に出会うわけがないし、そんなものに振り回されている時間もないのだ。

「はーい。この屋上に上ってもいいのは、学校から許可された園芸部員だけです。もうすぐ昼休憩も終わりなので、部外者はさっさと教室に帰って五時間目の準備をして下さーい」

 私が両手をバイバイの形に振って言うと、鈴木と白玉は、えー、と不満の声を上げた。

「ちょっとくらい、いいじゃないか」

「ゆで卵あげるからさ」

 白玉がポケットからゆで卵を取り出して、差し出してくる。

 大丈夫でーす、と言おうとしたが、今日の弁当はおかずが一品少なかったと文句を言っていた菜々が、いただきまーす、と言って受け取ってしまった。

 ウソかホントかは分からないが、白玉はこの手を使って先生に提出物の期限をのばしてもらったという噂がある。恐るべし、白玉のゆで卵戦略。

「で、このサツマイモは夜中に歩き出したり、牙の生えた花が咲いたりしないの?」

 ゆで卵で許可を得たと思ったのか、堂々と屋上に上がってきた鈴木が、いきなりとんでもないことを言いだした。

 そんなサツマイモ、あってたまるか!

「サリーの彼氏って、ホント変わってるよね」

 菜々がむいたゆで卵を食べながら大笑いする。菜々は私につきまとう鈴木を、勝手に彼氏だと思い込んでいるのだ。

「違うから。それ絶対、誤解だから」

 私は真剣に菜々の誤解を解こうとしたが、そこで昼休憩終了のチャイムが鳴りだした。

 菜々が、サツマイモのつるの中で水やりをしている一年生の女子部員に声を掛ける。

「安田さーん、前田さーん。残りの水やりは放課後でいいよー」

 プランターをのぞき込んでいた女子部員たちが、水やりをやめてもどって来る。私と菜々も屋上から下り始め、鈴木と白玉も、残念そうな顔をしながらも後に続く。

鈴木と白玉がいることを除けば、いつもののどかな園芸部の風景だった。

 しかしその裏で、仕掛けられた時限爆弾は、刻一刻とその発芽の時に近づいていたのだ。


 ズンッ……

 その時、小さく校舎が揺れた気がした。

 ほんの一瞬だ。教室の窓の外は梅雨の終わりにありがちな本降りの雨だった。

 一学期の最終日だ。授業は午前中で終わったが、その後のホームルームで通知表を渡され、テストの評価表を渡され、仏滅のような雰囲気の中で担任の谷先生の説教が始まり、クラスの中はしんみりと静まり返っていた。少し眠気を覚えるほどだ。

 そこにわずかな揺れがあった。横揺れではなく、上から押さえつけられたような小さな縦揺れ。目が覚めた。

「な、何か落ちたんじゃない?」

 菜々が小声で言った。

「屋上に?」

 私も小声で言う。校舎を揺らすほどの落下物とは何だ。

「隕石とか」

 菜々が言った途端に、小声にもかかわらず前の席の鈴木と白玉が目を輝かせて振り向いた。

「宇宙からの飛来物……やっぱり空飛ぶ円盤かな」

 白玉がうっとりした声でつぶやくが誰もそんなことは言っていない。しかし順調に育ってきたサツマイモたちの上に、本当に何か落ちたのなら、それはそれで問題だ。

 気になった。

「行きたいな。屋上に……」

 鈴木が窓の外を見ながらポツンと言う。しかしそれは無理だった。長い説教が終わって下校する頃には雨はさらに強くなり、部活も全部中止となって、私たちはびしょびしょに濡れながら家にたどり着くのが、やっとだったのだ。


「なんか変なのよねえ……」

 その夜、夕食を二口食べたところで、やはり雨粒の流れる窓を見ながら母が言った。

 確かに母の作る料理は変だ。真っ赤なイチゴソースをかけたオムレツとか、トマトと赤パプリカのカレーとか、とにかく赤い料理しか作らない。やっと気づいたのか、と思う。

 ちなみに今夜も、ニンジンライスに赤身肉と赤ブドウのソテー、赤カブのスープ、作った当人も赤のドレスという、赤づくし。

「料理の話じゃないわよ」

 私の考えていることが分かったらしく、母は不機嫌そうに目を細くして言った。それから何かを感じ取ろうとするかのように、両目を閉じる。

「何かいるのよ、この近くに……。生まれ…そう、成長している……あらゆる方向に……」

 そうつぶやいた母の十本の指はうねうねとうねり、ふいに片方の手をパチンと回したかと思うと、もうその手には市内の地図を描いた羊皮紙が握られていた。

 魔女はだいたい担当する地区が決まっている。大きな事件が起きれば、地区外でも海外にでも助けに行くが、普段は自分の担当区の中に、悪意を持った黒魔術師の侵入がないか、違法な魔術行為が行われていないか、目に見えない網を張って警戒している。

 聞いただけで疲れそうな仕事だ。

 そもそも最先端の電子機器全盛の現代に、羊皮紙の地図や木のホウキを用いること自体、古すぎて後を継ぐ気をなくすのだが、一度そう言ったら、だったら魔女が掃除機にまたがったり、ドローンの上に乗ってサーフィンみたいに空を飛べば今風なのかと問われ、話はそれきりになった。

 確かにそれはそれで、変だけど。

「この辺りね……」

 母は爪の長い指先を羊皮紙の上にすべらせ、薄青く発光する場所で止めた。

「ここって、あんたの中学校じゃない。春先にマンドラゴラを見つけたのもここよね」

母は冷たい目つきで指先を、というより長すぎる爪の先を私に向けた。

「あんたの学校、おかしいわよ」

 私は十秒ほど沈黙した後、答えた。

「まさか。気のせいだよ」

 何でもかんでも変だ、おかしいと言う人間は、あの二人組だけでたくさんだった。私は平和とフツーを愛する中学生だ。実際に何か証拠を見たわけでもないのに、おかしいと決めつけることには、断固反対する。

 確かに、なぜあの花壇に真正マンドラゴラが生えたのかということは、今も小さな疑問として引っかかっているが、とにかくマンドラゴラは捕獲できた。平和な日常にもどったのだ。今日は学校が少し揺れたが、その後校舎にひびが入ったとか雨漏りしたという話もないし、たぶん大丈夫だと思う。うん、気のせい。全部、気のせい。

「おや、こんな所にもう一つ青い光があるねえ」

 それまで私たちの会話をだまって聞いていた祖母が、デザートのベリータルトを食べながら、のんびりした口調で言った。

 確かに祖母が指さす学校とは別の場所にも、ごく小さな青い光がある。

 母はあわててその小さな光をのぞき込み、眉をよせ、まばたきした。

「え、何これ。動いてる。でも黒魔術師ではなさそうだし、妖獣でもないし……え~と」

 母は笑いながら、徐々に羊皮紙から目をそらした。

「えー、何これ。知らなーい。全然分かんない」

 ほら見ろ、と私は思った。魔女にだって分からないことは幾らでもあるのだ。

 その夜は一晩中雨音がうるさく、よく眠れなかったせいか変な夢を見た。

 現実と同じ大雨の中で、山高帽と燕尾服という服装の男が、機嫌良さそうに、雨よ降れ~、もっと降れ~と歌い、くるくる回りながら踊っている。

 男の顔は見えなかったが、その姿は少年のようにも見え、大人のようにも見え、そして幼児にも見えた。どんどん高速で回転しながら男はゲラゲラ笑いだし、ついには形も分からないほど高速回転になると、笑い声を残して、消えた。

 翌朝目がさめた私は、ひどく疲れていた。


 ようやく雨が止んだのは、その日の夕暮れ時になってからだ。

 大事なサツマイモが無事でいるのか心配だったので、私はすぐに学校に行って屋上を確認することにした。

 夏休み初日の校舎に人影はない。ただ廊下にも階段にも、むっとするような生暖かい空気がこもっていた。階段の踊り場の窓から見える空は、赤黒い夕焼け色。不気味だ。

「ぎゃあああああああ!」

 いきなり屋上の方から悲鳴が聞こえた。しかも二人分重なっている。

 階段で動けなくなった私の前に、すごい勢いで後輩部員の安田、前田が走り下りてきた。私に気づくと金縛りにでもあったように顔を引きつらせ、立ち止まる。

「ど……どうしたの?」

 私もなんとなく顔が引きつるのを感じながら、たずねる。

「やはりUFOが屋上に降りてたのか?」

「それとも〝屋上の花子さん〟が出た、とか?」

 私は目を細くして、素早く振り返る。

 いた。私より一階分下の階段に、期待に目を輝かせたヒマな変人が二人。

「し……島田部長……。ご……ご……」

 震える声に私はもう一度、後輩部員たちの方に向き直った。こちらの二人は顔を引きつらせたまま、なぜか両目に涙をためていた。

「ごめんなさーい!」

 二人は同時に叫び、すばやく私の横を走り抜け、変人二人組の横も通り過ぎて、校舎を走り出てしまった。

 ごめんなさい……?

 なぜ謝ったのだろう。しかし、とにかく今は彼女たちが絶叫した屋上の状況が気になった。急いで階段を駆け上る。後ろから二人の変人も追って来る。

「ぎゃああああああああああ!」

 屋上への階段をあと十段ほど残したところで、上を見上げて絶叫した。

 絶叫したのは、今度は私だ。手すりを持っていなければ、後ろにひっくり返っていたかもしれない。

 屋上へ出る出入り口から、信じられないものが階段にのびていた。のびているのがサツマイモのつるなら、あら、こんなに大きくなったのねと喜ぶところだが、そうではない。

「メルヘンかファンタジーの世界だな……」

 追いついてきた鈴木が珍しく真顔でつぶやいた。

「ここって〝夢の国〟への入り口だったっけ……」

 白玉もぼんやりした顔で言う。そんなはずはない。ここはただの中学校の屋上入り口だ。

 しかし、確かにその光景は、夕暮れ時のナントカらんどに似ていなくもなかった。

 暮れていく空に穂先をらせん状に伸ばす、五色の巨大なつる。そのシルエットはソフトクリームか城の尖塔のようだ。それぞれの色のつるには、それぞれ違った色と形の葉がざわざわと揺れ、一枚一枚の葉の大きさは、畳一枚分以上。屋上に上がる手前に設置されていたはずの防火扉は巨大なつるの圧力で外れ、押しつぶされ、新たに伸びたつるの下敷きになっている。その向こうに私たち園芸部が丹精込めて育てたはずのサツマイモは、影も形も見当たらなかった。

 ウソ、ウソ、ウソ……!

 私は頭を抱えたまま、目の前で今も縦に横にのたうちながら成長を続ける五色のつるを見つめた。

 信じられない。なぜこんな普通の中学校の普通の屋上に、あの最凶のつる植物〈ジャックの豆の木〉が生えているのか!


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