「過ぎたりてなお、きみが見える」

Uamo

過ぎたりてなお、きみが見える

リリッシュは何もないところを見ては笑う子供だった。

誰もいない場所に話しかけては手を伸ばした。


魔法遺伝子の影響かと検査を受けてみても

魔法要塞の弊害かと外に出してみても

何一つわからなかったが、

とにかく彼は彼だけの世界を映していた。


当然、大勢いる兄弟たちは気味悪がったし怖がった。

突然大声をあげたり、泣き出したりするのだから

本人も大変だろうが、周りにも大変なことだった。


声は出せるが言葉は習得しない。

音は聴こえているようだがどうもあらぬ方向ばかりを見る。

目は見えているが、

階段に気づかず転げ落ちたり窓から飛び降りようとしたり。

それで結局はこの子はきっとこのままなのだ、と結論づいたのは

幼少期も終わり、少年期に入った頃だった。


手を引っ張り連れて歩く分には大人しいが

兄弟たちは連れて歩くのを嫌がった。

そうしてハーン大帝国第五皇子は表には出てこなくなった。



◆◆◆


「せっかく晴れて同盟国となったんだから全員で祝おうじゃないか」

そう言いだしたのが、

同世代組の中では抜きんでて発言力を持つマヤ皇子だったものだから

ハーン大帝国の皇子たちは誰一人として

いえちょっと弟を呼ぶのは嫌です、とは言えなかった。


なんせカーデス帝国の第二皇子、マヤ皇子といえば

帝国の国家予算を軽く上回る私財を自身の能力一つで手にした人物で

まあその存在自体が神がかっているとも言われるほどの逸材だった。

まだ少年期を抜けきったばかりの

青年期に入ろうかというところにも関わらず

持っている権力は相当なものだった。

おかげで敵も多かったが、なにせことごとく真っ当にやり返すものだから

触らぬマヤに祟りなし、と

ついには誰もが敵にはすまいというスタンスをとるようになった。


毒殺も暗殺もなんのその、

一族郎党返り討ちにされただのそういう噂には事欠かず

見た目はいたって優美な女顔の優男だが、血生臭さと縁が切れなかった。


かつて化物皇子とうたわれた完全無欠の皇子さま。

その再来かとまでいわしめたほどだが、

残念ながらカーデス帝国には魔法血統はないため魔法は使えない。

そこが案外、化け物と神童との境目だったのではと周りは思っているが

本人はどこ吹く風。その両者の差などどうでもいいのだろう。


「マヤさま、その、僕の弟はちょっと参加は難しいかと思うのですが」

崖から飛び降りるような覚悟で切り出したのは

件の皇子と同じ顔をもつ、双子の兄、ザッシュだった。

物腰が柔らかく、おっとりとしている彼は

それはもう幼い頃からとにかく比較され続け、

弟からなるべく遠く遠くへと関与を断ち切っていた。

その一点に関してだけ、どうもザッシュは冷静を貫けずにいる。


「問題を抱えていることは当然承知の上だが、呼びたくないだけだろ?」

そんなに朗らかに言わないで欲しい、と誰も口には出せない。

悪意からではないだろう。それは誰の目にも明らかだ。


この人はお化粧でもすれば美しい女性で通るだろう。

そんな顔を眺めながら、ザッシュは非常に困った顔をした。

「呼んだとして、マヤさまにご迷惑が掛かります」

「なら問題ないな。俺が自ら迷惑を呼ぶのだから」


権力者が談話室でにっこり笑って、つまりそれはそういうことになった。



◆◆◆



こんなはずじゃなかった。

ちょっと何を言っているのかよくわからないんだが。

とりあえず深呼吸してみても

何度寝てみてもこれは夢ではないらしい。


待ってくれ。

一体何がどうなったというんだ。


彼が混乱したのも無理はない。

自分が誰なのかもよくわからなくなってしまっても仕方がない。


ふっと意識が遠のいて次に目覚めたら

文字通り何もかもが違っていたのだから。


異世界ヒダマリにすむ主神や女神が、

この世界ミズタマリに呼び出されてしまうことはままある。

それは自動的になにかの偶然でということもあれば

滅多にないことではあるが故意に呼ばれることもある。


だが。

彼は主神の中でも非常に古いほうだが。

「いやちょっと待てそんなばかな、人間になってるとかあるわけないだろ」


神々の世界ヒダマリの彼は、ミズタマリの人間として生まれていた。




◆◆◆



カーデス帝国とハーン大帝国の皇族のささやかなお茶会、

これはマヤ皇子の私財出資であるからには自己満足レベルのただのお茶会、

に、揃ったハーン大帝国の兄弟たちは胸中穏やかではない。


いつもの談話室にすこしこじゃれたお菓子の数々。

地方の超限定レアなものまであるが、これはマヤ皇子のなせる業だろう。

ちょっと彼の人脈はよくわからない。

そんなことを浮かべつつも、誰もが未だ部屋に居ない主催者を待っている。


ああ、本当に心臓に悪い。兄弟たちの総意だった。

第五皇子には異父も合わせれば自身のほかに八人兄弟姉妹がいる。

そして当の本人は、相も変わらずザッシュと同じ顔で

床に這いつくばり何かを一生懸命に見張っている。


なにがそんなに楽しいのか。

その顔はとてもとても楽しそうで、

見ているこちらが幸せな気持ちになる、とでも言いたいところだが

ザッシュ達にはそれどころではない。

頼むから床から顔を上げて、失礼のないようにしてくれ、

相手はあのマヤさまなんだぞ、ともうそれ一心だった。


「いい加減にしろ」

怒鳴ったのは誰だったか。

それでもリリッシュはなにも変わらない。

その手で空(から)をつかみ、

なにかを積み上げるような動作をしては目が天井に移る。


くすんだ金の髪は長く床にたまり、立ち上がっては腰まで揺れる。

机も椅子も見えているのかいないのか、手で撫でては嬉しそうに

そして体のどこそこをぶつけては、よろけ転ぶ。

大丈夫かい、と誰かが手を差し出す前に兄弟の叱責が飛んだ。

「だから嫌だったのよ」

そんな言葉をきいて、カーデス帝国の皇子たちは困惑する。



「やあやあ遅れてごめんね食べてるかい?食べなよみんな!」

薄い氷に思いきり石を投げつけるかの如く

主催者の明るい能天気な声がとび込んでくる。

今までの微妙な空気も何もかもが一変した。


「おやおや、君が件のザッシュの弟かい?」

マヤ皇子は椅子の傍に転んで膝をついている皇子に声をかける。

少年の青い目が、マヤを見た。

そしてマヤもまた、少年を見た。



「あ?」



これは。

これは、ダメだ。

少年の手が伸びてマヤの服の裾をつかむ。


青い目が、マヤを見る。

ダメだ、見つかった、みつか、った……!!



それは周りにしてみれば一瞬。

ただ、ふっと目が合っただけの一瞬。

しかし。

当人たちにはそれどころではない。



「おまえ、は、」

その声が降ると同時に、少年がその足に縋りついた。

そしてその場にリリッシュ皇子は崩れ落ちた。


「リリッシュくん!」

呼んで駆け寄ったのはマヤの兄。

確認のために伸ばした手を掴んで止めたのは弟のマヤだった。

「マヤ?」

マヤ皇子は、崩れた少年を両腕で掬い上げる。

その身は軽い。服から見える手足は痣だらけだ。

少年を抱きかかえるとマヤ皇子は抱えたままふかふかの椅子に腰を沈めた。


「なるほど。なるほどねえ」

妙な顔で笑うマヤ皇子に、

周りはどう言っていいかわからずに立ち尽くしていた。



「マヤ?とりあえず医務室に運ばないと」

「必要ない」

「?何があったのよ」

マヤの兄姉が声をかける。


弟はちらっと二人を見てから、周りを見渡して、

「とりあえず大丈夫だからみんな食べてお祝いしててよ」

そう、心持ち静か目のトーンで言い放った。

その顔は苦笑いのように見える。


促されたのもあるし、

どうやらこれは口出ししないほうがよさそうだ、と

その場は若干無理やり宴へと変わっていった。


◆◆◆


主神としての記憶はある。

自分がその名で呼ばれていた時代の、自分としてのありよう。

これが自身だと言い切れる。

だが、これをどう説明したものか。

まずこの人間としての身体が、確かに自身だという感覚。

異なる成り立ち、異なる組成。

主神とは決定的に違うはずの身体が、これが自身だとしっくりくる。

早い話が、生まれてこの方なんの違和感もない。

それではおかしいだろう。

これは人間の身体であって、中身の感覚としての自分は主神だ。

食い違うはずだろう。

ところが、そうではなかった。

ちぐはぐの矛盾を抱えて、それはごく自然に、自身だった。


ならばこの記憶がおかしいもので、単なる人間なのではないか。

そう思って主神としての力を行使する。

この世界、ミズタマリでは主神や女神は自由にその力を使えない。

制約と契約、この世界での対価を必要とする。


人の身は浮いた。

なんの対価もなく、契約もない。

そんなばかな。


ならば時間を戻せばいい。

主神や女神にはそれができる。

ところがそれは適わなかった。


時間を戻すことに人の身が耐えられない。

本能的にそれがわかってしまった。

だから彼は躊躇した。


力は行使できても、人の身だ。

主神の力は使えても、人の身が変わるわけではない。

自身が契約者であり、自身が対価。

自己完結した輪の中で、

外向きに力を使っても問題はないが、

内向きにの力は対価自身に関与するため輪が破綻する、

ということのようだった。


よって彼は熱病に苦しむこともあれば、怪我に泣いた。

中身は数えることもいやになるほどの年齢の主神の記憶を持ちながら

外見は見た目相応の人の子供だった。

どんなに怪我が治ると理解していても、痛いものは痛い。


さて、彼はそれで納得がいったかといえば当然納得などできなかった。

冗談ではない。

なんとしてでも主神に戻らねば。

このままでは、竜も人も魔獣も等しく生物寿命三百年のこの世界、

人としての余命で幕を閉じてしまう。


主神としての自分が好きかといえばそんなことはどうでもよかったし

そもそもそんなこだわり云々ではない。

ただ、主神の中でも古さと強さを示す階級がトップクラスの彼は

単に自分に戻りたかった。いや、現在も自分なのだが、ああややこしい。


理屈ではなく、

単にある日突然に違う何かに成ってしまった不条理を受け入れがたかった。

ただそれだけである。


だってこんなのひどい話だろう。

さっきまでヒダマリに居て、

ふっと意識が遠のいたら異国の地どころではない。

異世界の全く違うものに成っていた。

自分で選んだことでも、望んだことでもない。

こんなことに何の意味が有る。

こんな自分に何の意味が有る。



それでも彼は主神には戻れないまま、人として成長していった。

そしてその事実のすべてを、当の本人しか知らないまま、

周りには一切知らせないまま月日が流れていった。



◆◆◆



穏やかな寝息を立てて、その小さな頭部が膝に温かい。

そのリリッシュ少年を珍妙な面持ちで眺めている皇子を

ちらちらと周囲は気にしていた。

ひそひそと小声での会話が取り巻いている。


少年が突然眠りについてから三十分は超えただろうか。

マヤ皇子は何も話さない。


「気持ちよさそうに寝てるねえ」

カーデス帝国長兄のルナが

冷えた飲み物をマヤに差し出しながら声をかけた。

周りにいる他の兄弟や親戚たちもそちらに目をやった。


「こんなに穏やかに寝ていることは珍しいんですよ」

そう言ったのはリリッシュ皇子の一番上の姉だった。

「いつも声を上げて起きたり、騒いだりするから」

姉の言葉に妹が継ぎ足す。

ハーン大帝国の兄弟姉妹もその光景が気になって仕方がないようだ。



「ようやく聞かなくてもいいものを聞かずに済んだんだろうよ」

「マヤさま?」

ザッシュ皇子が何かを訊こうとした時、同じ顔の弟が目を覚ました。

その青い目がマヤを見る。

そしてマヤの横に上体を起こして座り込むとその手を相手の顔に伸ばした。


「―、――、あ―」

小さな声を出しながら、屈託なく笑う。

天下のマヤ皇子の顔に触れるなどと、と周りが手を出そうとして

その手は止まった。

「まーや」

乳児をあやすように、マヤはその目に自分の名を返した。

「――?あ――いぃあ?」


なにが、起きた。

誰もがその顔を見合わせた。


「まーや」

「あーいぃぃあ?」

楽しそうに、でもそれは明らかに、誰の耳にも明らかに。


「リリッシュが、言葉を返してる?」

「まやさまって言おうとしてる?」


誰も他のことなどしていない。

そこにいる二十数名全員がその不思議な光景を見ている。


小さめの両手に包まれたマヤ皇子が見せるその顔も未知のものであれば、

そこに対する少年の行為も未知のものだった。

「マヤさま?これは一体」

誰が訊いたか。


「マヤ?おまえが何かしたのか?」

マヤの兄弟も、マヤの表情に驚きを隠せない。

そこには笑顔とも苦笑とも、愉快さを押し殺したような複雑な顔。

ただ、誰もがそこに慈しみを感じていた。


「大量の音を大音量で流せば、小さな一つ一つの音は区別ができない。

 多くが見えれば見えるほど、焦点を一つに合わせることは難しい。

 この子に起きていたのはそういうことなんだろうね」


マヤ皇子はそれだけ言って、再びまーや、と呟く。


「?どういうことですか?」

誰もが意味が分からずにその言葉を咀嚼している。

その意味が噛み切れない。


「平常化したその状態に、

 それらを掻き消すほどのひとつの大きな音が降ったなら。

 それらを掻き消すほどのひとつの大きなオブジェが見えたなら。

 この子は初めて平穏とみんなと同じ目を得る。

 どんな検査でもこれは感知できなかっただろうな。

 魔法遺伝子上の問題はないが感度が高すぎるとかそんな話だ。

 異常はないが他と同じではない」


ますますよくわからない。

周囲の困惑は増すばかり。

それでも、今までにないものを目にしていることはわかっている。

そこにはなにか、違う時間が流れていた。




「むまーーぃゆあ?」

それは少しずつ形に成るひとつの名前。


「そうそう、言えるじゃないか。

 そうだよ。俺がマヤだよ。他の何者でもない、これが俺なんだよ」



◆◆◆



リリッシュには音がない。

正確には音はたくさん聴こえているが

何が何だかわからない。


リリッシュには色がある。

たくさんたくさんの色がある。

目の前を動いていく色とりどりのきれいなものたち。

それに手を伸ばすと気持ちがいい。

そうだ積み上げて何かを作りましょう。

きれいなものを集めてここにきれいなお城を建てましょう。


リリッシュにはみんなが見えているものと

自分だけが見ているものの区別がつかない。

だからそれが廊下なのか階段なのかの区別もうまくつけられない。

だってどれがどれなのか解る前からそうだから。



「----、ーーーーーーーーーーーー?」

なんだなんだ、怖い、なにもなにもない、変なの。

静かになったその状況を少年は理解できない。

ただきれいなひとつの音だけが聞こえる。

なに、これは、とそんな概念の形も持っていないが少年は彼を見上げた。


そこには、きれいな、きれいな、何とも違う、誰とも違う、もの。

今までに見たことがないこんなきれいな”何か”。

周りの色がひらひらと落ちていく。

今までの世界は様変わり。

輪郭が、その線やいろの数が激減していく。


ああ、きれい。

少年自身はそんな概念も思考も未収得のままだが、

彼自身が感じていたことは間違いなくその通り。


「ーーー、ー、」

ただきれいだとそれに手を伸ばして掴んで、

そして静かな安らぎに身を委ねた。



◆◆◆



少年はそこに彼を見た。

それは彼自身が願った、かつて在った本当の自分。

人間の身体に籠められてしまった神である自分。


そして少年は彼を掴んでしまった。

「おまえ、は、」


大きな大きな力を持った神さまが

小さな少しの違いを払拭する。

全ての音を掻き消して。

全ての色を掻き消す強さでそこに居る。



彼は掴まれてしまった。

こんな小さな手に。

こんなに大きな意味を渡されて。




「なるほど、なるほどねえ」


それが思い込みでも何でもいいが

もういっそきっとこの出会いのためにこうだったんだろう。


この小さな少年を助けるために

きっとこの巡り合わせのために

この不条理は働いたんだろう。


自分にしかわからない少年の状態。

自分にしかおそらくどうにもできない少年の状況。


そして、

少年にしか見えない、自分。

過ぎたりてなお、おれをみるか。

見すぎる上に、さらに、このおれまでを見るか。


その目がそれほどまでにこの不条理を映すなら

なるほど、この出会いが条理というものなんだろう。



「まや?」

その名が呼ばれて、主神ローククォーツはマヤ皇子に成った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「過ぎたりてなお、きみが見える」 Uamo @Mizukoshi_27

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ