第4話:マーマレードジャムの甘みと苦み

 翌日、奇跡が起きた。占いのお姉さんのいう通りだった。


 ダメ元で英語の教科書はわざと忘れて行った。


 授業が始まってもノートしか出さなかった。そしたら、隣の席の六本松さんが無言で自分の教科書を指さしてきた。「教科書忘れたの?」ってことだろう。僕は授業中だったこともあって無言で頷いた。


 すると、彼女は机を少し移動させて僕の机に横付けして教科書を見せてくれた。


 僕は両手を合わせて「ありがとう」とジェスチャーでお礼を告げた。六本松さんはこちらを見て微笑みで返事をしてくれた。


 その可愛さよ!


 彼女はいつも無表情だったから少し冷たい「美人系」だと思っていたけど、笑顔の破壊力は凄まじく、美人な中にも可愛さがある事が分かった。


 やばい。今ので少し彼女のことが好きになった。それほど彼女の笑顔は破壊力があったのだ。


 しかし、クラスメイトから話しかけられるイベントはこの事じゃない。


 結局 六本松さんには話しかけることはできなかったし、彼女からもそれ以上 話しかけてくることはなかった。


 ただ、授業中なのに教室内は少しざわざわとしていた。そして、何人かがこちらをチラチラと見ていたのだ。こんなの転校初日以来だ。


 そして、「話しかけられイベント」は昼休みに起きた。


 4時間目の授業が終わって昼休みになったタイミング。僕がちょうど机から弁当箱を取り出したタイミングで七隈さんと茶山くんが話しかけてきたのだ。


「ねえ、住吉くんが鞄に付けてるこのキャラクター、猫⁉ 超かわいくない⁉」


 七隈さんは僕のカバンに付けられているキーホルダーを指さして言った。


「ああ、あれはアニメのキャラで……」


「そうなんだぁ! 可愛いよね、ね! 茶山くんもそう思うでしょ!」


「え、あ、うん! 思う思う!」


 一緒に来たというよりは連れてこられた感がある茶山くんが無理やり可愛いと言わされているみたいだった。


 なんだこの会話。


「ねえ、住吉くん。こっちに来てみんなと一緒にお弁当食べない?」


「男子もいるしさ」


 茶山くんも援護射撃してきた。


「え?」


 願ったりかなったりだった。クラスの中で一番大きなグループ。それもヒエラルキーの頂点の七隈さんからお声がかかったのだ。


「いいの?」


「もちろん。前の学校のこととか教えて」


 七隈さんは笑顔だ。茶山くんはちょっと緊張した感じ?


 1週間 誰も話しかけてこないような僕相手に緊張する必要があるだろうか。


「み、みんなは弁当じゃないの?」


 普段 七隈さんたちは食堂で昼食を取っているようだった。一緒に食べるのは良いのだけど、僕も食堂に行くということだろうか。


「今日は梅林くんと橋本くんがパン買ってきてくれてるの。だから、教室で一緒に食べよ?」


 梅林くんと橋本くんとは七隈さんのグループの男子の二人。わざわざパンを買いに行ってあげるなんて彼らは七隈さんのことが好きなのだろうか。そこまでしてあげるなんて。


 それでも、七隈さんはこの教室で茶山くんと一緒に待ってる。なんかちょっと悲しいというか、哀れだと感じた。


 僕は七隈さんと茶山くんに手を引かれて教室の中央付近、10人以上の集まりで弁当を食べることになった。


 どれほどの人が気づいているかは分からないけど、最上座の席に七隈さんが座り、その次が僕と茶山くん。


 七隈さんを真似た容姿の茶髪にウェービーな髪の女子たちは僕にはもう見分けがつかなかったけど、確実に僕たちより下のカーストにいるように見えた。


「住吉くん、ごめんねぇ。中々話しかけられなくて。でも、これで話したしこれから仲良くしよ。ほら、同じ穴の狢を食った仲とかっていうじゃない?」


「同じ穴の狢」と「同じ釜の飯を食った仲」が混ざってる。これはボケなのか⁉ ツッコんだ方がいいのか⁉ でも、周りの笑顔空間を考えると何となくツッコミにくい。


「ははは、そうだね……」なんてYESともNOとも取れない返事をして誤魔化した。


 七隈さんも茶山くんも他のみんなも話しかけてくれるんだけど、弁当はすごく食べにくかった。


 なんだろう、上から2番目の階級を急に与えられて、この場にいていいのかっていう疑心暗鬼と居心地の悪さ。


 このグループの中に入って分かったのは、転校以来 最高に居心地が悪いということ。


 それにしても、昨日までと打って変わって急にみんなして話しかけてくるのはどういうことなのか。


「ねえ、住吉くん。これホント?」


 そう言って七隈さんはスマホの画面を僕に見せてきた。


 その画面に映し出されているのはクラスのグループチャットみたいで、何枚かの僕の写真が載っていた。


「陸上の選手だったの⁉ しかもかなり有名な!」


 そう僕は前の学校では長距離をやっていた。何度か雑誌の取材も受けて掲載されたこともある。


 前の学校には良い仲間がいて、いつもみんな僕に話しかけてくれていた。僕はこのまま陸上の推薦で大学に行ってどこかの企業で走り続けると思っていた。


 でも、突然のアキレス腱の断裂。僕はアップ(準備体操)を軽視していた。「自分だけは大丈夫」と訳の分からない自信があった。


 走っている時に「バチン」と音がして ふくらはぎを叩かれたかと思った。その後は踏ん張ることができなくてその場に倒れ込んでしまった。


 結果、典型的なアキレス腱断裂が分かった。幸い手術でつながったし、それなりにリハビリもした。でも、また起きたら……と思ったら走れなくなった。


 よくアスリートが「故障」という言葉を使うけど、日常生活では全く問題ないのだ。痛いとかもない。でも、競技となると自分の100%を出そうとする。


 その100%には耐えられないのだ。


 しかも、僕のケガをきっかけに父さんと母さんがケンカすることが多くなった。それまでもうまくいってなかったけど、歯止めが利かなくなった感じ。


 結果 二人は離婚して僕は転校することになって……。


 陸上は僕にとって苦い思い出になっていた。その話をするのも嫌なほどに……。


「もう、陸上はやめたんだ。ケガしたし、引退って感じで……」


「でも、有名ってすごくない⁉」


 七隈さんは僕の言うことなんて まるで気にしないみたいに言った。


 ああ、そうか。分かった。


 僕が有名だったから七隈さんは僕を自分のグループに取り込もうと思ったのか。それで、たまたま朝から六本松さんと仲が良さそうに見えたから慌てて昼食を食べるグループに声をかけた……と。


 彼女にとって価値があるのは「有名な僕」だから、陸上をやめた僕は徐々に価値が下がって行くんだろう。


 今は階級が上から2番目だけど、時間経過と共に価値が下がって最後は梅林くんや橋本くんみたいにパンを買いに行かされる立場になるんだ……。

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