第56話 失礼な女神


「よいしょっと」



 借りた家に有った、質素だが頑丈そうなソファに横たわると、思った以上に柔らかい座面が出迎えてくれた。

 宿は怪我人で相変わらず一杯だが、村で唯一の医者が「自分は宿屋に泊まるから使ってくれ」と、なんと家を貸してくれる事になったのだ。肉作戦が良かったのか、それとも治癒魔法で怪我人を治癒したのが良かったのか。

 まぁ、まだレベルが低くてファーストエイド程度しか使えなかったから、応急処置程度しか出来なかったが、それでも村の人は驚いていた。もしかするとこの世界は、治癒魔法を使える人間が少ないのかもしれない。それとも、良くある教会関係者しか使えないとかかもしれない。不思議がっていた村人には、「勇者の従者ですから」と言って納得してもらった。今回は特別だが、あまり使っている所を見せない方がいいかもな。立花さんに「じゃあ、御供さんが代わりに──」なんて話になりかねないし。



 善意で貸してくれた家の中にはベッドは一床しかなかったので、そっちは立花さんに譲って俺はソファで寝る事にしたが、なんにせよ家の中で休めて良かった。今日も野宿だったら、立花さんへの気遣いで胃に穴が開くところだったもん。



 一日働いた体は疲労感たっぷりだ。でも心地よい疲労感って感じだ。

 やはり慣れない仕事ってのは、かなり疲れるってのは確かな様で、それは隣の部屋に居る立花さんも同じらしく、夕飯を食べている時なんか眠そうにしていた。



「さて、どうしたもんかな」



 何もない天井に映る、ロウソクの火で生まれた影がユラユラと揺れているのを、何ともなしに見ながら、今後の事を考えた。



 この村に留まる、という考えは無い。

 復興という観点からしてみたら、まだまだやるべき事は幾らでもあるが、それは俺たちのやるべき事じゃない。

 俺たちがやるべき事、それは魔王の討伐だ。この村に起きた悲劇を、これ以上起こしちゃいけない。



「……やっぱり、一日も早く魔王を討伐しなきゃな」



 それが立花さんの願いであり、俺の願いを叶える事にもなる。村人を思いやる立花さんの心境の変化は嬉しいが、やはり本筋を誤ってはいけない。



「──感心ですね」



 不意に声が掛けられた。が、特に慣れた驚きもしない。俺も慣れたもんだな。



「何か御用ですか?」



 そちらに目をやる事なく、言い放つ。

 少し冷たい言い方かもしれないが、すでに俺の中では、ミッションに係わるゴタゴタで、この女神に対する尊敬も無くなっているからな。

 それに、このクマのぬいぐるみことセレスティア様がこうして夜にやってくる時は、決まって良くない事を聞かされる事が多い。自業自得だ。

 しかし、一体何の用だ? ──まさか、またミッションが違うとか言わねぇよな? そんな事言われたら、その体から、綿という綿を全部抜いてやる。



「いえ、何も。殊勝な事を仰っていたものですから、つい」



 だがぬいぐるみから聞かされたのは、予想に反して何の意味も無い言葉だった。相変わらず暇なんだな、このクマは。



「……ミッションはクリアされ、タイムリミットも延長されましたわ」

「そうですか、それはどうも──」

「──それはそうと」



 ポニポニとこちらに歩いて来たぬいぐるみは、ポンっとソファに飛び乗ると、綿の詰まった丸い手を俺に向けた。



「やはり其方は、勇者の従者にふさわしいですわ」

「いきなりなんです」



 唐突に、このぬいぐるみはなにを言うんだと呆れる。が、そう言われ、俺はどう感じたのか。


 喜悦きえつ? 憤怒ふんど? 悲哀ひあい? 安楽あんらく



 きっと、そのいずれであってそのどれでも無く、全てで有って微塵みじんも無い。が、それも仕方ないだろう。だって俺は勇者でも、主人公でも無いのだから。でも良いさと、女神と交わした約束を思い出す。そうやって、心を落ち着かせるのが、最近の日課になっている気がする。


 それでもやっぱり納得はいかない。あの約束が無かったのなら、相手の心がへし折れるまで、床を寝転んで手足をバタつかせて駄々をこねていた。大人だからやらないが。



「だからどうか、勇者と共に、この世界を救って欲しい」



 頭を下げられた。

 ぬいぐるみの口から出た言葉は夢にまで見た言葉で、思い焦がれたシチュエーション。だというのに心は晴れず、出てくるのは溜息と無気力感。



 そうか、俺は嫌なんだな。そう気付いた時には、もう誤魔化ごまかし切れなくなっていた。大人だなんだと言いながら、中身は全く成長していない。思い通りにいかなきゃジタバタ暴れる、ガキと同じだ。


 だが、今までだって、嫌な事でもそれなりに付き合って生きてきた。ならば今回も、無難ぶなんに、適当に、曖昧あいまいに、自分自身に言い聞かせるだけだ。




 ──そういうの、得意でしょう?──




 目の前のつぶらな瞳がそう語っていた。

 どこまで知られているのか判らないが、ならばもう何も言うまい。だが、俺にだって人様並みのプライドが備わっている。このままでは面白くない。



「……はぁ~」



 盛大に溜息を吐いて、これを抗議として返させて頂きながら、俺は全てを受け入れた。なら言うべきことは決まっている。



「……解りましたよ」



 それ以上の事は言わない。格好のいい捨て台詞ゼリフを吐けるほど、気が利く人間では無い。ならば黙して語らず。沈黙は金。負けるが勝ち。昔の人は良く分かっていらっしゃる。



「ふふっ。ご理解頂いた様で、私も嬉しいですわ。それではこれからも、宜しくお願いしますわ」




 耳に流れ込む、機嫌のよい柔らかな物言いに、やっぱりジタバタしてやれば良かったと後悔しながら、壁の向こうに居る運命共同者に思いを巡らせた。

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